「全く問題ない」内閣官房長官――「介入と忖度」の演出
2017年5月29日

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「木で鼻をくくる」という言葉がある。そっけなく冷淡で無愛想な対応についていうが、近年、この言葉が稀に見る精度で、ぴったりあてはまる人物がいる。菅義偉内閣官房長官である。在任1600日を超えて、歴代最長の在任記録を更新し続けている。昨日(5月28日)、安倍晋三首相が歴代第3位の長期政権となったが(1981日)、これは菅氏の力に負うところが少なくない。

「政府首脳」「政府高官」「政府筋」といったマスコミ業界用語があるが、「政府首脳」は内閣官房長官、「政府高官」ないし「政府筋」(官邸筋)は内閣官房副長官(政務)などを指すようである。戦後、これまで58人の政治家(安倍晋三もその1人〔第3次小泉改造内閣〕)が「政府首脳」としてその任にあった。内閣官房の事務を統轄する(内閣法13条)。内閣官房の主任の大臣は内閣総理大臣である(同24条)。これが内閣官房長官の力の源泉となる。「最大の権力者の最側近」。「これは総理のご意向だ」と内閣や与党に大見得を切り、「俺に刃向かうことは、総理に弓を引くことだ」という台詞を吐いた官房長官もいるという(星浩『官房長官 側近の政治学』(朝日新聞出版、2014年)11、16頁)。

内閣官房の事務は行政のほとんどすべての領域に及びうるので、それを統括する官房長官の職務は極めて広範かつ多岐にわたる。とりわけ、@ 内閣の諸案件について行政各部の調整役、A 国会各会派(特に与党)との調整役、B 日本国政府(内閣)の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割が重要である。執務室は総理大臣官邸5階にあり、閣議では進行係を務める。歴代官房長官のなかで名長官として名高いのが中曽根内閣での後藤田正晴だろう。他方、最も怪しい動きをしたのが、小渕恵三内閣の青木幹雄官房長官である。2000年4月に小渕首相が脳梗塞で倒れ、入院した時、「昏睡状態」の小渕首相が青木長官を「総理大臣臨時代理」(内閣法9条)に指名して、内閣総辞職をはかったとされている。憲法70条の「総理大臣が欠けたとき」にあたるかきわめて微妙なケースだった。

さまざまな政治ドラマをもつ58人の歴代官房長官のなかで、おそらく史上最強にして最悪の長官が現在の菅義偉だろう。上記の@ について言えば、各省庁にかつてない規模の介入と忖度の構造を生み出している。A については野党には傲慢に対応し、与党にも時に恫喝に近い対応をとってきた。そして最も問題があるのはB である。

記者会見を通じてその菅の顔を見る機会が増えている。通常、官房長官と内閣記者会との記者会見は午前11時と午後4時の2回、閣議のある火曜日と金曜日の午前の会見は閣議終了後直ちに開催されるというが、北朝鮮のミサイル発射などでは日曜早朝から、いやでもこの顔を私たちはテレビで目撃することになる。その記者会見で頻繁に用いられる言葉が、「問題ない」「全くない」「全く問題ない」「全くあたらない」である。これが「木で鼻をくくる」ということなのだが、後述する加計学園問題における前川喜平・前文部科学事務次官の件では、持ち前の陰湿で粘着質な態度に、むき出しの憎悪と敵意も加味され、凄味と威圧感を増して、殺気すら感じられる。

「全く問題ない」と普通の大臣が言おうものなら、記者から「こういう場合もあるでしょう」などと突っ込みを入れられるのがおちである。しかし、この政権では、安倍首相の国会答弁や官房長官の記者会見における居直り、逆質問、人格攻撃、「情報隠し、争点ぼかし、論点ずらし」などの芸にならって、官僚までもが答弁や説明をいとも簡単に拒否するようになった(財務省佐川理財局長の答弁拒否は典型)。メディアの劣化もあるだろうが、この政権の独特の「ふるまい」と「空気」が定着してしまったことも大きい。だから、問題を問題として感じたときにしっかりと指摘しておかないと、いつの間にか「別にいっかぁ」という思考の惰性が広まってしまうことにもなりかねない。

私の体験を言えば、先週23日の夕方、共同通信の記者から電話が入った。何か急ぎのコメントかなと思っていると、自衛隊のトップ、河野克俊統幕長が、日本外国特派員協会の記者会見で、安倍首相が、自衛隊を9条に明記した新憲法を2020年に施行することを目指すと表明したことについて問われ、安倍首相の提案を「非常にありがたい」と述べたという。記者は「これは問題ですよね」と聞いてきたが、同業他社の記者のなかにはこの発言を問題と感じない人もいたようである。私は、ここはしっかり言っておこうと、問題の性質や背景を含めて記者に話した。それを短くまとめたコメントが下記である(『毎日新聞』5月24日付、『東京新聞』同日付など)。

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◆自衛官トップ 姿勢問われる
<水島朝穂(あさほ)早稲田大教授(憲法学)の話> 安倍晋三首相は、自衛隊の存在が違憲との主張があるから9条に「加憲」すべきだという論理を展開しているが、これは自民党改憲草案と異なり、自民党内でも合意されていない唐突な主張である。統合幕僚長は、この首相の論理に乗っかる形で心情を吐露したわけで、憲法改正を巡る特定の政治的主張に肩入れしたことになりかねない。憲法尊重擁護の義務がある公務員、しかも「(現行の)日本国憲法及び法令を順守し」と服務宣誓した自衛官のトップとしての姿勢を問われる。統幕長の今回の逸脱は、見過ごすわけにはいかない。

河野は、「憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から言うのは適当でない」と述べながらも、「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば、非常にありがたいと思う」と踏み込んだ。自衛隊法61条1項は隊員の政治的行為を禁止し、そこでいう「政治的目的」として、「特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること」(自衛隊法施行令86条4号)や、「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること」(同5号)を挙げている。河野統幕長にはこのような目的はなかったというが、政治的行為には、「官職、職権その他公私の影響力を利用すること」も含まれる(同87条1号)。一般の公務員の場合は、休日に政党ビラを郵便受けに配っただけで、国家公務員法違反に問われた例もあるのに、最高幹部は日頃政治家との密接な関係をつくって、実質的には政治的行為をしているに等しい。

菅官房長官は、この件について、直ちに、「全く問題ない」「個人の見解という形で述べた」と言い切った。しかし、河野が「一自衛官」と言っても「一個人」とは言っていないことをねじ曲げている。仮に「一個人」ならば職務中に公式の記者会見の場で言うべきではない。実際は「一自衛官」と言っているので明らかに「公務員」としての発言である。公式の記者会見の場で、権力を制限される国家機関の長(公権力)が言論の自由(個人の人権)を無邪気に用いることはできない。かつての自民党政権の官房長官ならば、「立場をわきまえ、発言には慎重さが求められる」くらいのことは言っていただろう。この政権では、すべてが「全く問題ない」でスルーされていく。

ちなみに、この河野統幕長は歴代自衛隊トップのなかでも際立った政治性をもつ人物として私は注目してきた(直言「気分はすでに「普通の軍隊」」参照)。防大21期だが、古庄幸一(13期)や齋藤隆(同14期)らに続く「海の人脈」である(「政治的軍人」の筋悪の例として田母神俊雄がいる)。安倍首相と菅官房長官のおぼえめでたく、河野統幕長は「ありがたい」発言の直後に、異例の定年1年再延長が認められた(『毎日新聞』5月26日付)。すでに昨年11月に定年になるところだったが、部内の昇進見込みに反してこの5月27日まで6カ月延長になったのは、官邸(特に安倍首相)の意向とされている(『軍事研究』2016年12月号「市ヶ谷レーダーサイト」参照)。安倍改憲提案を「ありがたい」と歓迎した「ご褒美」とまでは言わないが、定年の1年半延長は自衛隊高級幹部の昇進計画に大きく影響を及ぼし、就任予定のポストに届かずに退官する高級幹部が続くことになろう。安倍首相の「お友だち」はどこの組織でも「異例の人事」や「スピード感あふれる出世」をして、当該組織の出世コースに混乱や停滞を生じさせ、高級幹部の間の士気を下げている。

なお、安倍政権は2015年に安全保障関連法に先行して、防衛省設置法12条を改正した。内局(背広組)の運用企画局長ポストを廃止して、防衛省庁舎A棟12階(内局)の権限が14階(統幕長)に委譲され、「統合運用機能の強化」(部隊運用業務の統合幕僚監部への一元化)がはかられている。このような経緯のなかで、自衛隊のトップが特定の内閣、特定の首相と過度な関わり合いをもつことは、権力の私物化傾向を一層促進することになる。これも菅官房長官にかかれば、「全く問題ない」ということになるのだろうか。

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「全く問題ない」官房長官の面目躍如は、共謀罪をめぐる国際的批判をめぐってである。国連人権高等弁務官事務所(ジュネーヴ)の「プライバシー権に関する特別報告者」ジョセフ・ケナタッチ(マルタ大学教授)が、日本政府と安倍首相に対して、共謀罪(テロ等準備罪)法案に対する懸念を書簡で伝えたところ、菅官房長官は信じられない言葉と態度でこれを一蹴した。書簡は5月18日付で、「計画」「準備行為」の定義が抽象的で、恣意的に適用されかねないこと、対象犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係なものが含まれていること、令状主義の強化など、プライバシー保護の適切な仕組みがないことなどを指摘する、きわめてまっとうな疑問の提示だった(詳しくは、『東京新聞』5月21日付に全文が訳出されている)。

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ところが、18日当日のうちに、菅官房長官は怒気を込めた表情(いつもの顔)で記者会見し、テロ等準備罪は国民の意見を十分に踏まえて行っている、海外で断片的に得た情報のみで懸念を示すのはバランスを欠き不適切などと、とんでもない「抗議」を行った。ケナタッチは日本のプライバシー権の問題について30年あまり研究を続けてきた学者であり、海外からの批判だからといって軽視することはできないし、「断片的に得た情報のみで」というのは、根拠のない無礼な決めつけである。ケナタッチは直ちに反論。「日本政府は怒りの言葉だけで、プライバシーなどに関する懸念に一つも対処していない」と批判したのは当然だろう(写真は、5月27日のTBS「報道特集」のインタビュー)。

これに対しても、菅官房長官は、「一方的な報道機関を通じて、懸念に答えていないと発表したのは不適切」と「再反論」を試みている(『東京新聞』5月24日付)。国連の関係者から指摘を受ければ、もっと法案の内容で説明したり、反論したりすればすむのに、相手に対して、「何も知らないくせに」というトーンで、言葉をぶつけるのはあまりにも大人気ない。報道機関に伝えるのは当然のことで、一種の「公開書簡」である。菅官房長官の国際的な対応は、歴代官房長官の誰に聞いても、「ありえない」と驚くことだろう。なお、ケナタッチ氏は「日本政府からの回答を含めて全てを国連に報告する」と述べた(テレビ朝日「報道ステーション」5月23日インタビュー)。

検討すべき問題は山積みであるにもかかわらず、「全く問題ない」という言葉で押し通す菅官房長官の姿勢は、世界にむけて、日本の政権の独善的で危険な傾向を広く発信する結果になったのではないか。

安倍政権のかたくなで独善的な姿勢は、2014年11月16日の沖縄県知事選挙で当選した翁長雄志知事が上京して官邸で面会を求めても会おうとせず、信じられないような「沖縄いじめ」の露骨な対応をとったことにも見られる。菅官房長官がようやく沖縄を訪問し、知事と面会する機会をつくったときも、「とんでもない場所」に知事を呼びつけて、「植民地総督」のようだと顰蹙をかったこともまた記憶に新しい。

2015年6月4日、衆議院の憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法研究者全員が「安保関連法案は違憲」と陳述したとき、菅長官はその日夕方の記者会見で、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言した。6月10日の衆院特別委員会で辻元清美議員は、「違憲じゃないと発言している憲法学者の名前を、いっぱい挙げてください」と迫った。菅長官は3人の名前を挙げたが、最後は、「私は数じゃないと思いますよ」と逃げた。圧倒的多数の憲法研究者が「7.1閣議決定」と安保法案を憲法違反としていたから、「違憲でない」という見解をもつ人を探すのは困難だった。菅長官が「全く違憲でない」という形にしぼったことも墓穴を掘ることになった。

2015年10月21日、「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、…臨時国会が召集されなければならない」(憲法53条)に基づき、野党が臨時国会の召集を求めたときも、臨時国会を開かないことについて、菅官房長官は「全く問題ない」とはねつけた(直言「臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反」)。憲法でここまで明確に定めているのだから、従来の政権ならば、何か他に理由を示しただろう。「問題はある」のに「問題がない」というだけではなく、「全く問題ない」と言い切る。これはかなり危ない思考領域に足を踏み入れていると言えよう。

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「全く問題ない」といって許されるのも、人事権を使った官僚統制が完成水準に近づいているからではないか。国家公務員人事は内閣の権限と責任で行われるが(日本国憲法73条4号)、事務次官以下の一般職国家公務員(事務方)の人事については、これまでは役所の自律性が一応尊重され、政治は表向きの介入を控える慣行が続いてきた。2014年5月に内閣人事局ができて、審議官級以上の人事を官邸が握ることになった。その発足時の所管大臣は稲田朋美で、彼女が「揮毫」した霞ヶ関・合同庁舎8号館5階の看板は有名である。稲田らしく、「人」という字が右に圧倒的に偏っている。内閣人事局の発足で、官邸は人事を通じて官僚機構を「安倍色(カラー)」に染め上げてきた。それは「モリ」と「カケ」の問題に実にわかりやすい形であらわれた。

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森友学園「安倍晋三記念小学校」建設をめぐる財務省、国土交通省、大阪府(←文部科学省)の迷走は周知の通りだが、官邸側の情報隠しと論点ずらしはすさまじかった。しかし、今月になって一気に浮上した加計学園の獣医学部設置問題では、まったく違った展開になった。森友では小学校の設置認可は大阪府だったので見えにくかったが、こちらは大学なので文部科学省が一元的に所管するため、介入と忖度、圧力の方向と内容が実に明確で、「可視化」されてきた。また、内閣府が所管する国家戦略特区が絡んでいるので、内閣府や内閣官房からの圧力もよく見えるようになってきた。「総理のご意向」「官邸の最高レベル」という言葉が「レク文書」中に使われていることからも、圧力の本体が浮き上がってきた。そこに、文部科学省の前川喜平・前事務次官の登場である。大学の設置認可の所管官庁のトップの証言は決定的な意味をもつ。だからこそ、菅官房長官の対応はすさまじい怒気を含み、特に5月25日の会見では、前川前次官に対するむき出しの人格攻撃を繰り返した。これは官房長官の記者会見の枠を超えるものだった。公安警察やさまざまな情報機関を駆使して、身内から政敵までの性的指向・嗜好まですべて調べつくし、その情報を使って調略する。内調・公安情報を『読売新聞』に流し、実話週刊誌並みの記事に仕立てて、それを使って記者会見で叩く。前川の発言内容ではなく、まさにそうした枝葉の話で問題をすり替えようとしている。だが、最近まで政府の一員で、文部科学省の事務方トップだった人物を貶める発言を繰り返す菅官房長官をみていると、明らかに焦りの色がうかがえる。もはや「全く問題ない」ではすまなくなったために、相手は「問題だらけ」と言い張るしかなくなったようである。さしもの菅も、官房長官としての在任期間こそ最長となったが、その中身の点では「最悪の官房長官」としての足跡を残して、安倍首相とともに退場してもらうしかないだろう。

鳥取県知事や総務相を務めた片山善博は、「今の霞が関は「物言えば唇寒し」の状況である。14年の内閣人事局発足以降、この風潮が強まっている。役人にとって人事は一番大事。北朝鮮の「最高尊厳」、中国の「核心」。そして今回の「官邸の最高レベル」。似てきてしまったのかなと思います」と皮肉っている(『朝日新聞』5月27日付)。

ここで思い出すのは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平訳、岩波文庫)の一節である。実に「安倍一強の国」日本がこれに似ているのである。部下という人間「装置」を機能させるためには、内的プレミアムと外的プレミアムが必要となる。「内的プレミアムとは、…憎悪と復讐欲、とりわけ怨恨と似而非倫理的な独善欲の満足、つまり敵を誹謗し異端者扱いしたいという彼らの欲求を満足させることである。一方、外的なプレミアムとは冒険・勝利・戦利品・権力・俸禄である。指導者が成功するかどうかは、ひとえにこの彼の装置が機能するかどうかにかかっている」(98頁)。安倍・菅コンビの「部下」たちも、内的・外的プレミアムの「毒」を見抜き始めている。何よりも、国民がこれに気づき始めたら、この政権は終わりである。メディアもここで腰砕けになってならない。

(文中敬称略)

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