「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)?
2017年6月5日

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ごい場面である。法案審議において当該法案の主管大臣が答弁のため挙手したのを、総理大臣が力ずくで止める。左隣の副大臣も阻止体勢に入っている。安倍首相の目の先には答弁中の法務省刑事局長がいる。「お前は答弁するな」という強い意志を首相の右手に感じる。こんな光景は、国会の歴史のなかでかつてあっただろうか。主管大臣が法案の内容も問題性も理解できず、まともに答弁できないなかで大急ぎで採決に持ち込む。こんなことが立法府で許されるだろうか。

11年前、共謀罪法案が廃案になった国会の状況について、直言「共謀罪審議にみる国会の末期」を出した。共謀罪については、今回と同じような議論が出てくる。一つ違うのは、採決直前で、当時の野党・民主党の小沢一郎党首が反対を決めて、廃案となったことである。この状況を「国会の末期」と書いたが、当時は野党の反対で法案は廃案になっていた。まだ国会はまともに動いていたわけである。とすれば、首相が「立法府の長」の感覚で国会を動かしている「安倍一強」下のいまの状況は、「国会の死期」だろうか。

そこで、今回の「直言」は、国会における野党の追及のための情報提供という意味で、この問題について、日頃からいろいろと示唆をいただいている英米法研究者の中村良隆さんに、共謀罪をめぐる論点のなかで、あえて「準備行為」に特化して原稿を書いていただいた。国会議員の皆さんも、是非この点を質問していただきたいと思う。安倍首相も金田法相も、「準備行為」が入るから共謀だけでは処罰されないかのような答弁を繰り返している。英米法でovert actとされる行為を「準備行為」と「意訳(変造)」して答弁に使わせている法務官僚(その背後にいる御用学者?)の目論見を打ち破るためにも、中村さんの下記の投稿をよく読んでいただきたい。

「殺人予備」(刑法201条)について、「殺人の実行を目的としてなされる準備行為で実行の着手に至らない行為」ということで、「準備行為」という言葉は、従来「予備行為」の説明として用いられてきた。だが、英米法に由来するovert actやconspiracyは、日本の刑法がよって立つ大陸法的な「予備・陰謀」とは別ルートの概念であり、合意内容にしたがって犯罪計画が進行しつつあることを示す行為であれば何でもよいのである。このことが十分に理解されていない。電話をかける、ATMで預金を下ろすなどの適法行為も、overt actになりうるのである。「合意」を処罰することにその本質がある共謀罪に「準備行為」をかませたからといって、何らその危険性は薄まらないことを、もっと国民に知ってもらう必要がある。

共謀罪法案は、今週中にも参議院で採決が行われる勢いである。加計学園問題における「官邸の最高レベル」の関与の構造も見えてきた。前川喜平・前文科事務次官に対する菅義偉官房長官の人格攻撃の問題性も徐々に明らかになりつつあるNPO法人キッズドア渡辺由美子さんのブログも参照)。さらに、「安倍とも記者」の準強姦事件に対する組織的な捜査妨害の疑いも濃厚であり、「モリとカケ」に続く「ヤマ」である。これは安倍政権の「第3の事件」に発展するかもしれない。この事件の当事者とされる警察庁組織犯罪対策部長(警視監)が共謀罪施行後の実務責任者になるというのは、次の国家戦略特区は「大麻で町おこし」(この言葉で画像検索!!)ということ以上に「超ブラックジョーク」である。共謀罪法案の成立を許してはならない。

共謀罪論争――英米法におけるovert act(準備行為?)を中心に
明治学院大学非常勤講師 中村良隆
1.最大の難点は意思決定過程:「多数派の専制」

 共謀罪法案について、これまでのところ最大の問題は、衆議院での審議経過にある。法案の責任者である法務大臣が、委員会での質問のほとんどにまともに答えることができず、なおかつ、「一般市民が対象となるか、ならないか」というような当然の前提(法律の適用対象が「テロ等の組織犯罪集団」に限られるとしても、その構成員がそのような名札を付けているわけではないのだから、一般市民も捜査の対象となるのは当然である!)について議論が空回りしているようでは、政府に国民に対し真摯な説明をする気持ちがあるのかを疑わざるをえない。与党の国会議員でも法案の内容について理解している者がどれだけいるか甚だ怪しいところであり、「分かった様な顔をしているのは」法務官僚のみという状況ではないだろうか(治安維持法の成立過程でも95年前に似たようなことが起きていた)1)。そのような不十分な説明では一般国民にも本法案について判断するための十分な情報は与えられず、賛成も反対もできないということになりはしないだろうか。わずか30時間の不十分な審議でも「数の力」で通してしまえというのでは、「熟議」には程遠い現政権の強権的な体質をより一層鮮明に内外にさらすことになって、国際的にも日本は「『法の支配』ではない国家」の仲間入りをしたとみられることにならないか懸念される。

 さらに、現在マスコミを賑わしている森友学園・加計学園問題について、国家権力を私物化し、国有・公有の財産や国民の税金を食い物にして首相の「お友だち」に莫大な利益を与えるという最兇・最悪の組織犯罪(=RICO法違反2)、国家というシステムに対する信頼を掘り崩す行為)を行っている疑いのある現政権が、組織犯罪を取り締まるための本法案を遮二無二強行しようとしていることには、大いなる皮肉との慨嘆を禁じ得ないのである。

 しかしながら、本稿の目的は、不十分な審議のため伝えられていない共謀罪の特徴を明らかにすることにあり、意思決定過程の問題は一旦脇に置いて、中身の議論に進みたいと思う。

2.私自身の立場

 私は、①日本において組織犯罪対策の一層の強化が必要であること、②共謀罪が、組織犯罪の取締りおよび抑止の役に立ちうること、③基本的に、複数人における犯罪の合意は個人の内心にとどまるものでないこと、については賛同するものである。しかし、共謀罪は薬となりうるとしても、①内心の自由や表現(特に結社)の自由、さらにプライバシーの権利と密接に関連し、②その範囲が不明確または広がりすぎるきらいがあり、③結果の発生および個人責任を原則とする現行の刑法理論と全く乖離し、④英国において労働運動の弾圧に用いられたという(日本の治安維持法の場合にも類似した)負の歴史を有する3)という点で、「劇薬」であることは否定できないと考える。これを恣意的で抑圧的な為政者と不慣れな法律家の手に委ねるならば、たちまち毒として働き、政治的批判の自由や劣悪な労働環境改善のための運動を含む市民的自由を窒息させるに至るであろうことは、予見可能な未来であると考える。共謀罪が政府による監視体制構築の糸口となるという懸念は理由のあるものであり、overt actだけでない手続的な防護策が議論されなければならない。

3.共謀罪とは何か

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 共謀罪とは、英米法のコンスピラシー(conspiracy)に由来し、犯罪の合意それ自体を独立の犯罪類型として処罰するものである。コモン・ロー上の定義によれば、「2人以上の者が犯罪、違法行為、または合法的な行為を違法な手段により実行するという合意」であるとされる。

 右の写真は、英国のウェストミンスター宮殿の「星の間」(天井に星々が描かれている)でヘンリー7世に謁見する聖職者たちを描いた写本の一部である4)。ここで開かれていた評議から16世紀の半ばヘンリー8世の時代に、星室裁判所(Court of Star Chamber)が発展した。国王大権に基づく新たな裁判所として、陪審によらず事件を迅速かつ柔軟に裁くことができ、既存のコモン・ロー裁判所で扱うことができなかった犯罪類型を処罰した5)。その1つがコンスピラシーである。1285年および1304年の議会制定法として誕生したコンスピラシーは、共謀に基づく重罪の誣告や訴訟援助(当時は貴族やその権力を傘に着た家臣が他人の訴訟に介入したり、手続を妨害したりすることがよくあった)を不法行為、次いで犯罪として抑制するためだけのものにすぎなかった。しかし星室裁判所はコモン・ロー上の重罪(felony)の共謀を、次々にコンスピラシーとして裁いていったのである。こうして17世紀には、コンスピラシーはその目的となる犯罪とは別個独立の犯罪であり、コモン・ロー上の軽罪(misdemeanor)とされるという原則(「共謀罪に関する第17世紀原則」と呼ばれる)が確立されるに至った6)

 チャールズ1世の時代(特に議会が開かれなかった1629年から1640年までの「専制の11年」)になると、星室裁判所は国王の政策を批判した者に「耳そぎ」の刑を科すなど、政府に反対する者を弾圧するために利用され、国民から「圧政の象徴」と目されるようになって1641年に廃止された7)。しかし、星室裁判所が推進した「共謀罪の拡張路線」はその後も(コモン・ロー裁判所の1つである)王座裁判所に引き継がれていったのである。18世紀から19世紀半ばにかけて、詐欺その他の不法領得・利得行為や労働争議のように、共謀の目的は必ずしも犯罪でなくともよいとされ8)、さらにその科刑も、単なる軽罪ではなくその目的たる犯罪の刑に準じて重く処罰されるようになっていった9)

 こうした歴史的出自をもつ共謀罪は、共謀の目的である犯罪とは別個独立の犯罪であることが確立している。したがって共謀者が犯罪の実行に着手した場合でも、未遂罪や既遂罪に吸収されず、それぞれ別罪として処罰することが可能であるという特徴をもつ。日本の刑法に影響を与えた大陸法が、予備・陰謀を実行行為の前段階に位置づけ、その結果発生の危険性はそれほど高くないとして、例外的に、かつ比較的軽度の処罰を行うのに対し、共謀罪は、「一味同心に力あり(In unity there is strength.)」という標語に示されている通り、犯罪を目的とする複数人の結びつき自体を危険視し、犯罪の予防的法執行を含めた早期の介入を行おうとするという考え方に立脚している。分業と心理的支え合い、さらには社会にとって有害な組織のアイデンティティが形成されてしまうという点で、「犯罪を決意した」というとき、1人の場合と複数人、犯罪組織の場合とでは、全く状況が異なると考えるのである10)

4.overt actとは何か

 政府は、今回の法案では準備行為を犯罪成立の条件として歯止めをかけたと説明しているが、この説明は妥当といえるだろうか。特に、菅義偉官房長官は「(テロ等準備罪は)かつての共謀罪とは明らかに別物」だと述べたが、準備行為の要件によって、かつての共謀罪は「共謀罪」ではなくなり、テロ等の「準備罪」となったといえるのだろうか?

 そもそも、今回の法案から追加された「準備行為」とは何だろうか?政府は、準備行為とは「計画とは別の行為であり、計画に基づいて行われ、計画が実行に向けて前進を始めたことを具体的に顕在化させるもの」[4月19日衆議院法務委員会 林政府参考人]であると説明し、その例として、「資金又は物品の手配、関係場所の下見その他」[法案第6条の2第1項]が挙げられている。この定義、および法案起草者の説明から、この「準備行為」なるものは英米法のコンスピラシーが持つovert actという概念を導入したものだということが判明する。

 このovert actという概念は、現行の「予備行為」という概念とは全く異なる。overtとはLaw French(英米法において法律用語として用いられたフランス語)でopenという意味であり、overt actは「心の中を(外部に)明らかにする行為」というのが原義で、もともとは英国において叛逆罪について用いられていた概念が、米国に入ってコンスピラシーに転用されたものである11)。予備罪においては、実行行為の前段階にあたる行為が処罰されているのであるが、コンスピラシーにおいては処罰されるのは犯罪の合意それ自体であり、overt actは、元来、「犯罪の合意」があったことを立証するための証拠法上の要件にすぎない。overt actは構成要件あるいは実体法上の要件というより、犯罪の合意があったことをどうやって証明するのかという点で、立証のハードルを上げる役割を果たすのである。「overt actがなければ共謀罪にならない」というのは、「同一のovert actについての2名の証人の証言、または公開の法廷における自白がなければ、叛逆罪で有罪とされない」[合衆国憲法第3編3節1項](下線筆者)という規定と同様の意味を持つ。共謀を立証するのに目配せだけでよいのか、冗談でyesと言ったらどうなるのかということが問題となるが、overt actの立証は、それら外見上は合意が成立したように見えても内実(=目的となる犯罪を実行する故意)が伴わない場合を訴追できなくする役割を果たす。すなわち、「犯罪の合意」があったことに加えて、合意した内容を前に進める行為がなければ、「合意は生きているとはいえない」とするものなのである。

 私見では、まず第1に、overt actについて「準備行為」という語をあてるのはきわめてミスリーディングであり、「表顕行為」・「顕示行為」・「徴表的行為」その他の別の訳語を用いるべきであると考える。刑法201条に規定する「殺人予備」について「殺人の実行を目的としてなされる準備行為で実行の着手に至らない行為をいう」12)というように、「準備行為」という言葉は、従来「予備行為」の説明として用いられてきた。しかし、英米法に由来するovert actやconspiracyは大陸法に由来する「予備・陰謀」とは全く別系統の概念であり、予備行為と並ぶものでも、予備行為のさらに前段階の行為をさす概念でもない。合意内容にしたがって犯罪計画が進行しつつあることを示す行為であれば、何でもよいのである。したがって、実行の着手それ自体もovert actになりうるし、予備行為もovert actになりうるが、さらに電話をかける、預金を下ろす、旅行に行く等の適法行為も、overt actになりうるのである13)

 そして、overt actを要件としたとしても、コンスピラシーはあくまでも犯罪の合意を処罰することにその本質があるのだから、「○○予備罪」と混同させるような「○○準備罪」の語を用いるべきではない。誤解を招くような呼称の変更や、もともと内在する考え方を明文化したことによって、その内容が質的に変わったかのようにいうのは「朝三暮四」の典型と言わざるを得ない。

 第2に、overt actの要件を入れないよりはもちろん入れた方がよいが、英米における議論をみても過信は禁物なのであって(ローゼンバーグ教授の論文は「overt actの強化」その他の共謀罪法の改革を提唱する14))、捜査機関による濫用・過誤の防止のためにovert actだけに頼ることはできない。

 多種多様な犯罪を反復・継続して行う組織犯罪集団の危険性と個人の自由な判断と行動の領域とのバランスをはかるものとしてovert actの要件を取り入れることを力説した中野目教授の論説15)は大いに傾聴に値するが、国連特別報告者ケナタッチ氏がその曖昧さを指摘するように16)、overt actはその本質上不定形であるために、それだけではそのバランスをとる役割を十分に果たすことができないのではないかと危惧される。すなわち、犯罪計画を記した書面等が存在せず、単に口頭の約束しかない場合に、内心に存在する犯罪計画は目に見えるものではないので、何らかの証拠により推測されなければならない。その証拠たるovert actが予備行為(例、凶器の準備、刑法208条の3参照)のようにそれ自体客観的に見てある程度の危険性のある行為ならば問題は少ないが、もし適法な行為である場合、overt actによって犯罪計画が推測されるが、その行為がovert actとされるのはその者の主観のみに基づくことになる、という堂々巡りの議論(下見・花見・バードウォッチングの例)に陥ってしまう可能性がある。それゆえ、犯罪とは全く無関係なはずの、ある適法な行為をとらえてそれが「犯罪計画の一部である」と言い繕う、捜査機関による「後知恵」のリスクも存在していることになる。

5.手続上の防護策の必要性

 本法案が犯罪の数を大幅に増やすことにより、捜査機関の権限を拡張するものであるならば、捜査の件数が増えるのは当然である。警察が、無令状で被疑者の可能性のある者の自動車やオートバイにGPS端末をとりつけるという実務を10年以上も継続していたという事実は、当然のことながら「信じて全てを任す」ことはできないことを例示している17)。警察や裁判所に対して、現在と同程度の捜査・令状実務の質を期待してよいとしても、捜査件数が増える以上、濫用や過誤の件数も増えるというのは当然の成り行きではないか。増大する組織犯罪のリスクに対して共謀罪などの対応が必要であるというならば、その濫用のリスクに対しても何らかの実効的な防護策が必要であることを認めるのがフェアな議論ではないかと考える。

 映画『スノーデン』において現実のものとして描かれたスマートフォン等を通じた徹底した市民に対する監視体制の構築18)は、決して絵空事ではないのである。宮下教授の示唆するような権力を「監視し返す」仕組み(国会への報告制度や独立監視機関の設置など)19)を真剣に検討していかなければならないであろう。

6.国際的組織犯罪防止条約との関係、および結論

 すでに日弁連20)や高山教授21)により指摘されている通り、2004年の条約ガイドラインによれば、共謀罪または参加罪の導入は条約批准のために必須の条件でないことがはっきりしている。確かに、国際的な捜査共助を容易にするという本条約の趣旨からすれば、最大限その目的に沿った国内法の改正が望ましいといいうる。しかし、国連の特別報告者から重大な懸念が寄せられるほどの拙速さで法案を強引に通してしまうというのでは、法を成り立たせるのに必要な「社会の合意」22)は得られず、将来に禍根を残すだけである。民主的な議論がまともに行われないような状況では、現行法に最低限の手直しをした状態で批准し、後で問題が出てきた際に改正をしていくというのも日本政府の有する裁量の範囲内でとりうる選択肢だと考える。


1) 『東京朝日新聞』1922年(大正11年)3月25日夕刊1面(過激法案の討議における湯浅倉平貴族院議員の発言)参照。
2) Racketeer Influenced and Corrupt Organizations Act of 1970. RICO法は、米国の連邦レベルの組織犯罪規制法であり、組織犯罪集団その他の団体がゆすり・たかり、その他の違法行為(racketeering)や汚職を継続的・反復的に行った場合に、それに厳罰を科すとともに、違法行為による収益を剥奪する(=「やり得」を絶対に許さない)ための法律である。渥美東洋『複雑社会で法をどう活かすか:相互尊敬と心の平穏の回復に向かって』(立花書房、1998年)251頁;小早川義則『共謀罪とコンスピラシー』(成文堂、2008年)30頁・60頁。
3) 田中和夫「英米に於ける労働組合と共謀罪」一橋論叢23巻2号(1950年)97頁。
4) 写真の出典: John H. Langbein, Renée Lettow Lerner & Bruce P. Smith, History of the Common Law 562 (2009).
5) 小山貞夫『英米法律用語辞典』(研究社、2011年)1059頁。
6) 江家義男「英米法における共謀罪」早稲田法学24巻3・4号(1949年)367頁。
7) 松村赳・富田虎男『英米史辞典』(研究社、2000年)713頁。
 なお、現在でも、”star chamber”という英語は、「密室、恣意的、または抑圧的な裁判もしくは手続」という意味で用いられることがある。Black's Law Dictionary (9th ed. 2009).
8) Rex v. Edwards, 8 Mod. 320, 88 Eng. Rep. 229 (K.B. 1724); State v. Parker, 158 A. 797, 799 (Conn. 1932).
 英国では、Criminal Law Act 1977によりコンスピラシーの目的は原則として犯罪に限定されたが、例外として、他人をだまして不法に領得・利得するコンスピラシー(conspiracy to defraud)においては現在もそのような制約はないとされる。A.P. Simester & G.R. Sullivan Criminal Law: Theory and Doctrine 279 (3d ed. 2007). また、米国では模範刑法典がコンスピラシーの目的を「犯罪またはその未遂もしくはその独立教唆」に限定しているが、これに従わない州も存在している。ヨシュア・ドレスラー、星周一郎(訳)『アメリカ刑法』638頁(レクシスネクシス、2008年)
9) 英米法諸国におけるコンスピラシーの歴史的発展の過程のすべての段階をたどること、さらに共犯理論や未遂など関連する領域との関係を考察することは本稿の紙幅を大きく超える。ここでは、共謀罪と未遂罪との発展の大きな違いを指摘するフレッチャー教授の考察を引用するにとどめておきたい。「このような発展の過程、すなわちより低い要件で罪責が認められることが一般化し、なおかつその刑罰が重くなっていったというのは、18世紀末から19世紀にかけて生まれた未遂罪に関する法とは次元を異にする。罪責の認められる要件を下げるのは、犯罪だと認められる時点を犯行の既遂にできるだけ近づけようとする19世紀の傾向と相容れない。そして共謀罪を意図された重罪と同じ程度に処罰しようというのは、犯罪の目的を遂げなかった場合に減軽を認めようとする一般原則に反する。・・・共謀罪は刑事法の辺境の地から生じて、次第に暴力を伴う重罪という中心的領域を占めるに至った。未遂罪は中核となる犯罪行為からはじまり、それから周辺の問題を照らしていったのである。・・・このように発展の仕方が異なることは、矛盾の生じた原因のいくつかを説明しうるかもしれないが、法が未完成に終わった犯罪の罪責について矛盾した基準を長く容認し、それだけでなく刑罰について矛盾した原理を容認していることを説明するものにはほとんどなっていない。」George P. Fletcher, Rethinking Criminal Law 223 (2000).
 共謀罪の存在は英米法では所与の前提であるが、これに対する批判や不要論・廃止論も根強いことにも目を向ける必要がある。Phillip E. Johnson, The Unnecessary Crime of Conspiracy, 61 Cal. L. Rev. 1137 (1973).
10) 安井哲章「共謀罪の基本概念」比較法雑誌40巻1号(2006年)109頁、136頁。United States v. Townsend, 924 F.2d 1385, 1394 (7th Cir. 1991) citing Leo Katz, Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law 274 (1987); Neal Kumar Katyal, Conspiracy Theory, 112 Yale L.J. 1307, 1315-1324 (2003).
11) Treason Act 1351, 25 Edw. III, Stat. 5, c. 2, cl. 4 ("overt faite"="open Deed"); Coke, Third Part of the Institutes of the Laws of England *5, 13, 14 (1644). ("overt deed"); Treason Act 1695, 7 W. III, c. 3, s. 2; Blackstone, IV Commentaries on the Laws of England *78, 357 (1769) ("open, or overt, act"); U.S. Const., Art. 3, §3, cl. 1.
 米国の連邦法(18 U.S.C. §371)および多くの州法では、原則としてovert actを要件としている。(ただし、叛逆・煽動共謀罪(18 U.S.C. §2384)、RICO法(18 U.S.C. § 1962(d))などの例外も存在する。その理由について、後掲注15・620頁参照。)他方で、英国、および米国のごく一部の州においては、現在でもovert actは要件とされていない。また、模範刑法典は、軽罪または第3級重罪についてのみovert actを要件とし、第1級・第2級重罪についてはovert actを要件としないという折衷的立場をとっている。
12) 大谷實『新版刑法講義各論(追補版)』(成文堂、2000年)14頁。
13) 破綻した会社の「資産隠し」の共謀罪について、それが隠匿のために計画されたのであれば、「黙っていること」もovert actにあたるとされた事例もある。United States v. Eucker, 532 F.2d 249 (2d Cir. 1976).
14) ベンジャミン・E・ローゼンバーグ、永井善之(訳) 「共謀罪法における諸問題と改革提案」金沢法学54巻2号(2012年)189頁、240頁。
15) 中野目善則「組織犯罪対策と共謀罪(コンスピラシー):国際組織犯罪防止条約と共謀罪を契機に」『立石二六先生古稀記念論文集』(2010年) 605頁。
16) 「『共謀罪』に懸念 首相あて国連特別報告者の書簡」『東京新聞』2017年5月21日付。
17) 最(大)判平成29年3月15日判例集未登載(平成28年(あ)442号)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/600/086600_hanrei.pdf
18) エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘『スノーデン 日本への警告』(集英社新書、2017年)34頁;共同ニュース「監視技術、米が日本に供与 スノーデン元職員が単独会見」2017年6月1日(動画リンク)。
19) 宮下紘「(耕論)『共謀罪』疑問なお:『監視し返す』仕組み必要」『朝日新聞』2017年5月18日付。
20) 日本弁護士連合会「共謀罪新設に関する意見書」(2006年)6頁、「共謀罪の創設に反対する意見書」(2012年)3頁。
21) 高山佳奈子『共謀罪の何が問題か』(岩波ブックレット・2017年)15頁。また、「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」およびその解説と補遺「共謀罪立法はなぜ不要か」『世界』2017年4月号50頁・53頁。
22) ジョン・ロック、加藤節(訳)『統治二論』(後編134章)(岩波文庫版、2010年)425頁。
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