「ねじれ解消」からの脱却――安倍「自爆改憲」を止める
2017年7月3日

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治に私が関心をもち、首相というものを意識したのは第2次佐藤内閣(1967年)が最初だった。以来のべ25人の首相を観察してきた(以下、敬称略)。やはり印象に残るのは中曽根康弘と小泉純一郎である。憲法に対する姿勢については、それぞれに特徴と個性がある。中曽根は筋金入りの改憲論者であり、自らの改憲構想(首相公選論)をもつ。小泉の改憲ポーズの軽さはこれと対照的だった。2005年草案から中曽根好みの美文調の前文をバッサリ落したのも小泉らしい。「新」憲法草案というならば、党是であった「自主憲法」なり、自民党のアイデンティティをもっと濃厚に投影したものになるのが自然だったのだが、小泉は従来の自民党の主張や理念を抑制した。小泉は、国家主義者ではなく、一風かわった即断的首相だった。「国家趣味者」に近いと私は指摘したことがある。ちなみに、自民党総裁の任期延長が問題になったのも中曽根と小泉のときだったが、二人とも自らの任期延長には賛成しなかった。安倍晋三は自分のための総裁任期延長をやってのけ、中曽根と小泉、大叔父・佐藤栄作をも超えて、在任期間「史上1位」をうかがうかの如くである。

先週の土曜日(7月1日)は、安倍内閣による「7.1閣議決定」の3周年だった。集団的自衛権行使を「合憲」とする異様な方向がここから始まった(拙著『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』(岩波書店、2015年)参照)。安倍首相のこの「解釈改憲」路線から「明文改憲」路線へのスイッチ切り換えは早く、「お試し改憲」の時期を経て、2カ月前の5月3日、唐突に、憲法9条明文改憲(「加憲」)をぶち上げ、2020年施行と「おしりを切った」(直言「安倍首相と渡邉読売の改憲戦術―情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに」参照)。

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そして先週の土曜(6月24日)、加計学園問題などで支持率急低下のなか、安倍首相は、神戸市での講演会に臨んだ。長崎平和祈念式典や、先月の沖縄全戦没者追悼式でのアウェイ感満載の表情とは異なり、産経新聞社系の神戸「正論」懇話会主催のお友だちの集まりでは、突き抜けたような明るい表情で、「来るべき(秋の)臨時国会が終わる前に衆参の憲法審査会に自民党の(改憲)案を提出したい」と述べ、「自衛隊は合憲か違憲か、という議論は終わりにしなければならない。9条1項、2項は残しながら自衛隊の意義と役割を憲法に書き込む改正案を検討する」と、5月3日に打ち出した「加憲」路線を確認した(『産経新聞』6月25日付)。野党4党が、憲法53条に基づき、臨時国会の召集を要求しているのに、安倍首相は、「来るべき臨時国会」について語ることによって、現前の臨時国会召集義務をスルーし、その理由すら述べないという態度をとり続けている。これは憲法53条後段の黙殺に等しい

自民党の保岡興治憲法改正推進本部長は、「憲法改正の国会発議は、来年の通常国会会期末となる〔2018年〕6月頃を目指す」と述べた(『読売新聞』6月23日付1面トップ記事)。保岡氏は改憲について必ずしも時期にこだわらず、与野党の議論を踏まえて国会として進めていく姿勢を示してきたが、「保守強硬の私がまとめる」という安倍首相の強引な姿勢にたじろぎ、簡単に同調してしまった。この読売記事は、その方向をだめ押しするかのような書きぶりである。読売は安倍の前のめりの改憲衝動を援助、助長、促進するために、改憲内容や時期をことさら強調してニュース化し、改憲ムードを演出しているとしか思えない。その方向に対して、いやしくも新聞社であり、ジャーナリズムの一端を担うという矜持はないのかという観点から、読売新聞社内やOBなどから批判の声も出ている(「読売新聞は「報道機関」か」『週刊金曜日』2017年6月30日号特集参照)。

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この写真は、私が入手した二つの「読売グッズ」である。一つは、『ベースボールマガジン』誌のプレミアカードである。4年前、「背番号96番」の安倍首相が、「憲法96条先行改正」に突き進んでいた頃のものである。もう一つは、最近入手した読売新聞社長賞の告示である。6月1日付で、社内サイトに公表された。受賞者は前木理一郎政治部長(編集局総務)ただ一人。受賞理由は、「憲法改正に関する安倍首相インタビュー」について、「憲法改正を目指す安倍首相の本音を引き出し、改正時期や項目を具体的に明らかにして憲法改正論議に大きな影響を与え、本紙の声価を大いに高めた」ということである。社内でこの告示は厳重に管理され、「保存」も「印刷」もできない設定になっている。何でそんなに神経をつかうのか。年に1件か2件しか出ない「社長賞」については、社内の誰もが認め、社会的にも評価が高いスクープ記事などが対象になる。しかし、この記事は政権の代弁者(鼓吹者)のような記事だったために、社内でも評価が分かれており、「本紙の声価を大いに高めた」と言えるかどうか、社内でも疑問の声があがっていた。なお、加計学園問題で、5月22日付社会面で、前川喜平・前文科次官の「出会い系バー通い」が取り上げられたことを契機に、読売のあまりに政権寄りの姿勢に読者の批判が高まり、読者センターや新聞販売店には読者の抗議の声が届き、購読をやめる動きも無視できない数にのぼっているという。

ところで、この安倍首相の改憲一直線の足を引っ張るのが、出来の悪いお友だち政治家たちである。とりわけ稲田朋美防衛相は、6月27日に東京都議選の自民党公認候補の応援演説で仰天の発言をした。『朝日新聞』28日付、『毎日新聞』29日付に私のコメントが載っているが、ここでは『毎日』を引いておこう

早稲田大の水島朝穂教授(憲法学)は「稲田氏は『防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党』と立場を並べて話しており、自衛隊をまるで政党の手段のように語った。中国や北朝鮮と同様、党の軍隊のような扱いと言っても過言ではない」と批判。付近には隊員や関連業者がいた可能性があり、「影響力行使を狙ったのならば明確な党派的な利用だ」と語る。首相は28日、一連の問題を念頭に「自民党にお叱りをいただき、総裁としておわびしたい」と語った。水島氏はこれについても「首相は総裁である前に自衛隊の最高指揮官だ。稲田氏を即刻罷免しなければ責任を果たしたことにならない」と疑問を投げかける。

安倍首相とご一党(自民党とイコールではない)による権力私物化の現象は随所にあらわれている。憲法改正に突き進む安倍官邸には、いろいろな人材が登用されている。最近判明したのだが、私が13年前の直言「自衛官の改憲構想と立憲政治」で批判した、改憲案を作成した幹部自衛官が、いま官邸にいる。彼の改憲案は、軍隊の設置と権限、国防軍の指揮監督、集団的自衛権行使、国家緊急事態、特別裁判所(軍法会議)、国民の国防義務など8項目について条文を列挙していた。当時、陸上幕僚監部の防衛班長だったが、私は彼を「参謀」にひっかけて「三防」(陸幕の防衛班長(二等陸佐)、防衛課長(一等陸佐)、防衛部長(陸将補))の地位に就く超エリートと紹介した。このコースをたどった者は大方、陸幕長になる。その人物が、予想通り、防衛課長を経て、陸幕の防衛部長となった。それが吉田圭秀陸将補である。2015年8月4日付で、国家安全保障局事務局に出向し、現在、内閣審議官をやっている。安倍官邸は有能なる「危ない人材」をたくさん抱えている。

さて、いま、とにかく「憲法を変える」という一点に向けて、安倍首相の「最後のパワー」が噴射されている。「9条加憲」という実は、けっこう手ごわい禁じ手を使ってきた。これと真剣に向き合わないと危うい。この「9条加憲」の過小評価は禁物である。自らが倒れる傾きと勢いを使った「自爆改憲」を狙っている可能性がある。これには既視感がある。2007年5月、閣僚の不祥事が続くなかで、安倍首相は憲法改正国民投票法の審議に官邸から過剰介入して、強引にこれを成立させた。第1次安倍内閣はこれでエネルギーを使い果たし、参議院選挙の敗北をはさんで、その政治生命を終えた。2012年12月に甦った第2次安倍内閣は、「憲法96条先行改正」で最初から飛ばしてきた。

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そして、2013年参議院選挙が大きな転機になった。参院選後に売り出された「ねじれ解消餅・晋ちゃんの野望」。衆議院と参議院の「ねじれ」がなくなったために、「安倍一強」が生まれた。参議院を「決められない政治の元凶」とする「印象操作」が行われ、「決められる政治」へと誘導された。

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私は、この「安倍一強」のもとでは、たくさんの「ねじれ」を生み出していく必要性を語っている。二院制の重要な「ねじれ」が消えてしまった結果、参議院がまったく機能しなくなった。だったら、まずは中央と地方の「ねじれ」をあちこちにつくる。安倍政権の言うままにならない自治体を増やす。そして、官邸と官僚の「ねじれ」をつくる。行政を私物化する安倍一党に対して、まともな公務員のしたたかな抵抗がすでに始まっている。それを国民が支えることが大切である。三つ目は官邸とメディアの「ねじれ」をつくる。御用メディアからの離脱である。メディアの批判力はいま、少しずつ回復しつつある。

さらに、安倍一党と自民党・公明党との間の「ねじれ」を生み出す。すでに与党内にはこの5年間の矛盾と鬱積が渦巻いている。安保関連法では一体でことにあたった中谷元氏(前防衛大臣)が、安倍首相に対して、「あいうえお」という戒めの言葉を送っている。彼の選挙区である南国市での演説だが、大きな拍手を受けている。植木枝盛の故郷である土佐の人々は、立場を超えて、安倍的「えこひいき」や「おごり」が大嫌いだろう。そして、最も重要なことは、安倍政権と国民との間の「ねじれ」である。世論調査で支持率が急速に下がっている。憲法改正国民投票と総選挙を同日にするという「おごり」の頂点に向かう安倍一党には退場を願いたい。「おごる」安倍家は久しからず。10年ぶりに、各新聞社がこのような号外を出して、直言「送別・安倍内閣」の2回目を出せるかどうか。すべては国民にかかっている。

《付記》
本稿は6月30日脱稿。7月2日の東京都議会選挙の結果は、本文中で指摘した「中央と地方のねじれ」のあらわれと評価できるだろう。別の機会にコメントする。
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