公文書は「民主主義を支える知的資源」―公文書管理法1条
2017年7月31日

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の国の政治家と官僚はどうなってしまったのか。「違うだろー!違うだろー!」と絶叫する女性議員を筆頭に、不祥事続出の「安倍チルドレン」(2012年当選組)。先週もお仲間の女性参院議員が情けない「事件」を起こして話題になった。「次の首相候補」と持ち上げられてその気になり、「飛ぶ鳥跡をめちゃめちゃに濁して」辞任した稲田朋美防衛大臣。彼女こそ元祖「安倍チルドレン」かもしれない。「親」が未熟で幼稚だから、その「子どもたち」は推して知るべし。彼らは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』にいう「政治家の資質」として決定的な三つのこと、すなわち「(1)情熱、(2)責任感、(3)「判断力〔見通す力〕」のいずれをも欠いた、「国会表決堂」(尾崎行雄(咢堂)の言葉)の採決要員に成り下がっている。

一方、キャリア官僚たちの状況もカタストローフ(破局的)である。大阪国有地払下げ事件(森友学園事件)で、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は国会で、「すべての記録書類を廃棄した」「面会記録、打ち合わせ等の1回1回の記録は持ち合わせていない」など突き放した答弁を繰り返し、ついには「私ども行政文書はパソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございます」という仰天の答弁を行っている(4月3日衆院予算委)。7月の人事で、指定職5号俸から7号俸まで「二階級特進」で国税庁長官に「栄転」した。

加計学園の獣医学部新設計画をめぐる問題に関連して、経済産業省の柳瀬唯夫審議官は、先週24、25日両日に開かれた衆参両院の閉会中審査(参院は継続審議という)において、首相秘書官当時の2015年4月に愛媛県今治市の職員と官邸で面会して、「希望に沿えるような方向で進んでいます」という趣旨の話をしたかどうか追及され、「覚えていない。会ったとも会っていないとも申し上げようがない」を繰り返した。参議院では、桜井充議員(民進党)の質問に対して、「私の記憶する限りはお会いしていないということでございます。」という答弁を7回も行った。ならば、首相官邸の入館記録はないのか。この点は7月10日の衆院閉会中審査で森ゆうこ議員(自由党)が質問したが、萩生田光一官房副長官は「訪問者の記録が保存されていないため確認できなかった」と答弁した。この2日間の審議では、「記憶にない」「記録にない」とそのバリエーションを何度聞かされたことか。

ヴェーバーによれば、官僚制行政は「知識による支配」であり、これこそ「官僚制に特有な合理的根本特徴」である。そのポイントは、法規に基づく権限の原則、官職階層性、文書主義、専門的職務活動などである(詳しくは、マックス・ウェーバー=濱嶋朗訳『権力と支配』(講談社学術文庫、2012年)48-51、221-286頁以下)。国家公務員(上級甲種→Ⅰ種→総合職)試験に合格する人たちは、記憶力は人一倍なければならない。首相官邸の2年前の面会者を忘れることは決してないだろう。国有地を払い下げる際に8億円も「値引き」するような案件について、「記録していない」「メモをとっていない」ということはあり得ない。「すでに記録は廃棄した」ということは、公開すると大変なことになるから「廃棄したことにした」だけの話で、その記録は必ずどこかに残っている。官僚の専門性と階層性からすれば、文科省専門教育課の共有フォルダーに、「萩生田副長官ご発言概要」を保存する際に、ことさら主語を書かなくても、誰の発言かは、言葉の使い方や内容から共有者の間では直ちに理解できるようになっているはずである。「主語が複数ある」から不正確ということにはならない。官僚は大臣、政治家の近くに「控え」るわけだから、その言葉を「控える」(書き留める)ことは当然のことで、それはヴェーバーがいう「文書主義」の特性からすれば、まさに官僚の本能ないし体質とさえいえる。

佐川や柳瀬といった高級官僚の無様な答弁を生んだ背景には、安倍政権が2014年5月に発足させた内閣人事局の存在が大きい。600人の審議官級以上の人事をすべて官邸が仕切るようになってから、官邸に対する忖度と迎合の空気が霞ヶ関を覆うようになった。合同庁舎8号館5階にある内閣人事局の看板が、稲田朋美内閣府特命担当大臣(当時)の「揮毫」であることは、何とも象徴的である。

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防衛省・自衛隊における南スーダン派遣部隊の「日報」問題は、とんでもキャラの稲田朋美という人物を、安倍首相がよりによって防衛大臣に任命したことに始まる。戦闘状態にある南スーダンの現実を糊塗し続け、現場からの報告を隠蔽した認識のない、無自覚な大臣を1年以上もこのポストにつけていた損害は甚大である。そして、無能な大臣のもとで、自衛隊のなかの「政治的軍人」の力が増していることも看過できない。今回、安倍首相によって二度も任期延長された河野克俊統合幕僚長は、例によって巧みに自分への非難をかわし、無傷で生き残った。河野の異例の任期延長で統幕長の道を絶たれ、引責辞任することになった岡部俊哉陸幕長の悔しさは、陸自の怨念となって残るだろう。稲田かわいさのあまり、この無能な大臣をかばいすぎて、胸にレンジャー徽章を着けた陸自トップを粗末に扱う結果になった。今後への影響の重大さを、安倍首相は理解しているだろうか

しかも、よりによって、北朝鮮がミサイルを発射するだろうと誰もが予想していた「7月27日」(朝鮮戦争の休戦協定締結日)の翌日にミサイルが発射され、防衛大臣、防衛事務次官、陸幕長が辞任するという事態が生まれた。安倍首相が、日本の安全保障より自らの政権の安定を優先させたと見られても仕方ないだろう。北朝鮮のミサイル発射は、米国に対する幼稚で危険な「おねだり示威行動」で、日本の「安全保障」にとって実はたいしたことがない(軍事費増額の口実としては有益)と考えていることがわかってしまった

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思えば、今回の南スーダンの「日報」問題は、8年前、イラクにおける航空自衛隊の空輸活動が問題になったときのことを想起させる。市民による粘り強い情報公開請求によって、「週間空輸実績(報告)」という文書が開示された。2008年に浜田靖一防衛大臣(当時)が開示したのが、左側の真っ黒な文書である。「戦闘地域」となったイラク空港に、自衛隊のC130輸送機は「誰」を運んでいたのか。国会では国連職員が中心だったという答弁もあったが、その1年後の2009年9月、民主党の北澤俊美防衛大臣(当時)は、一転して文書の公開に踏み切ったそれが右側の写真である。「行政文書開示決定通知書」には、北澤大臣の名前で、「原処分において不開示とした部分について、現時点で不開示とする理由がないことから、そのすべてを開示することとした」とある。政権交代の初期の重要な成果だった。これにより、自衛隊が輸送していた人員の67%が武装した米兵だったこともわかった(『東京新聞』2009年10月6日付)。戦闘地域に武装した兵員を輸送すれば、内閣法制局解釈からも違憲とされる「武力行使との一体化」となる。それを隠すために黒塗りにしていたことがわかる。なお、航空支援集団司令官から統合幕僚長宛のこの「報告」の下方を見ると、「保存期間:5年」となっている。2006年11月9日付文書だから、2011年中には廃棄されていた可能性がある。紙一重だった。

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冒頭の写真は、自衛隊のイラク派遣の際、ある隊員がイラクに持参した『隊員必携(陸上幕僚監部)〔第3版〕』である。これについては、入手した時点で「直言」でも紹介し、『週刊金曜日』2009年10月30日号(773号)で「陸上自衛隊はイラクで何をやっていたか――内部資料『隊員必携』から見えもの」(PDFファイル)として公表した。その後、これを読んだ朝日新聞記者が防衛省に対して、『隊員必携』を情報公開請求したところ、4分の1が黒塗りになって開示された(『朝日新聞』2014年3月27日付)。私の研究室で、記者とともに黒塗り部分を「原本」と照らし合わせたところ、非開示部分の実態が見えてきた。

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一つは、米軍のハンドブックを丸々引用・翻訳した箇所だった。「他国の情報で、公にすると他国との信頼関係が損なわれる」というのが非開示の理由だが、これはコピペが米国にばれるのを恐れたからか。また、米英軍が「イラク人の反感を煽った最近の事例」や、隊員への注意事項のなかで、「性的(欲求による)接触は避けること」とした上で、「性病は、コンドームの使用によって、ある程度予防できるが完全な予防にはならない」とした箇所(写真)も黒塗りだった。「武器使用後の説明要領の例」には「相手の大腿部を狙い単発3発射撃した」という記述もあり、完全黒塗りだった。驚いたのは、『必携』別刷である。これには「サマーワ配置図」や、攻撃への対処方法などが子細に書かれている。記者がこの別刷の開示を求めたところ、防衛省は、この文書は現地の部隊長などが作成したもので、公文書ではないとして、情報公開の対象にならないとした。この別刷は現地部隊が参考にすべき重要な事柄が書かれている(前掲・拙稿参照〔PDFファイル〕)。それが公文書でないので公開の対象外というのは恣意的な理由づけである。今回の「日報」問題においても、陸自内で見つかった「日報」データが「公文書ではない」という言い方で隠されようとしていたことが想起される。

さて、森友、加計、スーダン「日報」問題に共通しているのは、公文書というものの重要性である。有能な官僚たちが突然、「記録も記憶もありません」として、ことさらに愚鈍を装う。「記録はありません」と平然と答弁できるのは、公文書の保存とその利用について、この国は依然として先進国ではないということである。

2009年に制定された公文書管理法は重要な第一歩だったが、限界もある。それがはっきりしたのがこれらの出来事だったのではないか。ここで確認すべきは公文書管理法1条である。

この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。

下線を引いた部分に注目していただきたい。「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」「国民主権の理念にのっとり」「現在及び将来の国民に説明する責務」とある。公文書は役所の論理からすればもはや不要、1年未満のものは廃棄するという発想ではなく、あくまでも国民の関心から公開を求められたときにきちんと保存されていることが大切なのである。法律が「国民主権の理念」をうたい、かつ国民が「主体的に利用し得る」としていることに注目したい。「将来の国民に説明する責務」を、役所の勝手な論理で封殺していいはずはないだろう。

公文書管理法は、「意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証する」ために文書を作成することを義務づけている(4条)。その重要度に応じて、1年、3年、5年、10年、30年の5つの最低保存期間を設け、その分類の基準は各省庁が定める。1年未満は、作成や廃棄の記録は残す必要がない。文書保存期間が各省庁の裁量に委ねられているため、さまざまな文書が廃棄されている。『朝日新聞』7月10日付は、平壌宣言想定問答(2002年)、福島原発事故の避難区域見直しにかかる3大臣会合の記録、さらに、2009年、護衛艦「あたご」の衝突事故を受けて海上自衛隊が隊員に実施したアンケートとそれを集計した調査報告書などが次々に廃棄されていることを伝えた。重要施策の検証が困難になるから、「1年未満の廃棄」を原則廃止すべきだという専門家の声を載せている。この記事にある「あたご」報告書廃棄を見て、9年前、当時の河野克俊海幕防衛部長(海将補)をこの「直言」で批判した。統幕長に上り詰めたいまとなっては、この愉快でない記録は廃棄したいところだろう。だが、この事故で亡くなった漁師親子の遺体はまだ発見されていない。報告書の廃棄は、後世の検証を妨げるものだろう。

最後に指摘しておきたいことは、2013年に成立した特定秘密保護法では、「特定秘密」とされた公文書が、秘密指定期間中であっても廃棄されることである。衆院の情報監視審査会が3月末に公表した報告書によると、時の政権が意図的に重要情報を非開示のまま廃棄することが可能であるという(『東京新聞』4月9日付)。60年を超えても秘密指定ができる一方、政権の都合でいつでも公文書を廃棄できるというのでは、この国は民主主義国家といえるのか。

なお、防衛省は、7月28日に出された「特別防衛監察」を受けて、再発防止策として、今後、海外派遣部隊の「日報」の保存期間を「1年未満」から「10年」に延長し、それ以降は国立公文書館に移管することを検討中という(『毎日新聞』7月28日付夕刊)。より根本的には、「国民共有の知的資源」を「主権者である国民が主体的に利用し得る」ようにするために、公文書管理法の改正が必要だろう。

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