戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017年11月6日

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「国難突破解散」という唐突な衆院解散、野党第一党の瞬間的解体、超大型台風接近という「神風」にも助けられて、自民・公明両党は、3の2超の議席を獲得した。11月1日、第4次安倍内閣が発足した。「モリ・カケ・ヤマ・アサ」(注)の問題を国会で追及されないようにするために、安倍首相は手段を選ばない。臨時国会の召集義務(憲法53条後段)を完全に無視しただけでなく、秋の臨時国会も召集せず、あまつさえ、予算委員会での与野党の質問時間についての議会慣行にまで手をつけようとしている。「立法府の長」を密かに自負する安倍首相にとって、自分を追及する野党を弱化させるためなら何でもするという勢いである。これでは「国難突破」ではなく、「国会突破解散」だったのではないかと思えてくる。
(注)森友学園問題、加計学園獣医学部新設問題、山口敬之準強姦事件逮捕状執行停止問題、安倍昭恵大麻疑惑(「大麻で町おこし」で画像検索!)。

そしてトランプが来日する。北朝鮮の核・ミサイル問題への対応が主要議題となるというのだが、このサイコ大統領とゴルフ場でとんでもない約束をさせられることはないか。通訳なしで、しかもプロゴルファーがそばにいてその会話を聞いてしまって大丈夫なのか。3カ月ほど前に書いた直言「「不安の制度化」の手法―トランプ・金・安倍の危ないチキンレース」をこの機会に再読していただきたい。いま、この国が「新たな戦前」の状態にあることがわかるだろう。これこそが最大の「国難」である。

今後、事態はさらに流動的になることが予想されるが、今回は、この夏の「中欧の旅」連載第5回目、ドイツ・フランクフルトで遭遇した「第二次世界大戦後の最大の住民避難」について書いたものをアップする。偶然ドイツで体験したことだが、空襲と防空法制に関わる最新のケーススタディでもあるので、この機会に私の「防空法制研究」の一環としてもお読みいただきたいと思う。

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ハンガリーからドイツ・バイエルン州のヴァッカースドルフを経由してボンに着き、3日ほど滞在。昨年お世話になった方々に再会した。9月4日午後のフライトに備えて、前日にレンタカーを、フランクフルト空港第1ターミナルのレンタカー会社に返却することにしていた。その前に、フランクフルト市中心部のパウロ教会を訪れた。1848年の3月革命のあと、憲法制定国民議会が開かれた歴史的な場所である。ここで1849年3月28日、フランクフルト憲法が制定された。この憲法は施行されず「未完のプロジェクト」に終わったが、基本権のカタログが非常に充実していて(死刑廃止条項もある)、君主の権限を強く制限した立憲君主制の制度設計もすぐれていた(明治憲法のモデルとなったプロイセン憲法(1850年)とは対照的)。憲法制定国民議会について記した石版プレートがある。22年ぶりに再訪したが、内部の展示の仕方は大分変わっていた。教会前の広場で、シリア難民が300人ほど集まってシリアの人権状況について訴えていた。「アサド〔シリア大統領〕=IS〔イスラム国〕=PKK〔クルド労働者党〕・・・」といったスローガンも見える。「人権の保護者が自国の利益を追求・・・」とか、シリアの民衆の視点に立って、軍事介入するロシアや西側諸国を含めて、すべてに対する不信と疑いの眼差しが感じられた。チャドルを着た女性が子どもたちをみる「集会内託児所」もあった。警察車両は、私が目視しただけで15台ほど駐車していた。ただ、警察官の規制はゆるく、一般の観光客の列とぶつからないよう要所に配置され、平和的に行われるデモには規制は存外厳しくなかった。

14日間で2900キロ走ったが、あと少しで終わり。そんな気分で市内中心部から空港に向かった。ところが、ナビの調子がおかしい。仕方なくナビを切って標識を頼りに空港に向かうが、迂回路(Umleitung)の黄色い標識があり、さらに混乱してしまった。市内の交通の様子がおかしく、とにかくまっすぐ走れない。なぜか大学病院のまわりを何度もまわってしまう。15分で着くところを2時間近くかかり、ようやく車を返却することができた。空港で、フランクフルト在住の日本人女性と偶然話す機会を得た。彼女は、爆弾の処理で住民が避難することになり、やっとのことで空港までくることができたと語った。すぐに売店で新聞を買うと、一面トップはフランクフルト空襲の写真だった(Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 3.9.2017)。冒頭の写真がそれだ。

不発弾

8月29日、フランクフルト大学のキャンパスに近くの工事現場で、イギリス空軍の4000ポンド爆弾(HC-4000型)が発見された。„Cookie“と呼ばれるこの爆弾は、1.8トンもの重量があり、圧倒的な爆風で建物や人を吹き飛ばす効果を狙ったものである(写真は、Frankfurter Rundschau vom 3.9.2017より)。木材・竹・紙でできた日本の住居には焼夷弾が有効だが、石やレンガ、コンクリートでできたドイツの住宅にはこれが使われた。爆発物処理隊が近郊のダルムシュタットから到着し、爆弾処理のために大規模な住民避難計画が策定された。

これまで戦後最大の避難(疎開)は、2016年12月、アウクスブルクで54000人の住民が、2017年5月にハノーファーで50000人の住民が避難したケースが挙げられる。今回はこれらを上回る60000人の住民が避難対象となった。「第2次世界大戦後最大」とされる所以である。在フランクフルト日本国総領事館は、次のような通知をホームページ上にあげ、または在留届けを出している日本人および「旅れじ」に登録している旅行者にメールで通知した。

(総領事館より)不発弾処理に伴う立ち入り規制(フランクフルト市:平成29年9月3日)

〇8月29日、フランクフルト市ヴェストエンド地区において、第二次世界大戦中に投下された爆弾が発見されました。同爆弾が爆発する危険はないとのことです。

〇不発弾の処理に伴い、9月3日、ヴェストエンド地区及びその周辺一帯において立ち入り規制が敷かれる予定です。

フランクフルト市警察によりますと、8月29日、フランクフルト市ヴェストエンド地区のヴィスマーラー通り(Wismarer Strasse)において、第二次世界大戦中に使用された爆弾(重量約1.4トン)が発見されました。なお、ダルムシュタット行政庁による初期検査の結果、爆発の危険はないとのことです。当該不発弾の処理のため、ヴェストエンド地区及びその周辺一帯(発見現場から半径1.5キロ圏内。現在警察では、次のとおり協力を呼びかけています。

該当エリア居住者

9月3日午前8時までに該当するエリア外への避難を完了してください。規制解除は同日午後8時ころの予定です。なお、午前8時前後は大変な混雑が予想されますので、時間に余裕を持って避難を開始して下さい。

該当エリア非居住者

同日午前6時以降、該当エリア内への立ち入りが禁止されます。規制解除は同日午後8時ころの予定です。

高齢者や、障害等により自主避難が困難な方

予めフランクフルト市特別ホットライン(電話:069−212−111)に電話し、ご自身の住所をお伝え下さい。レスキュー班による避難サポートが行われます。

爆弾処理当日の流れについては、以下のとおりです。なお、処理作業にあたり、複数回にわたって爆発処理が行われる模様です。
(1)午前8時〜午後0時ころ(予定) レスキュー班による避難サポート、及び、該当エリア内に残っている者に対する強制避難措置
(2)避難措置完了後〜午後4時ころ(予定) 爆発物処理隊による処理
(3)処理終了後〜午後8時ころ(予定) レスキュー班による帰宅サポート
(4)帰宅サポート終了後以降 規制の解除(解除のタイミングについては、以下「5.」の各サイトからご確認下さい)

1.当該規制に伴い、規制区域を通行する全ての公共交通機関が規制されます。
2.避難する際は、戸締まりを確実に行うとともに、火の元を確認してください。
3.本件に関する最新の情報については、以下のサイトをご覧下さい。【略】

総領事館の上記文書には、「該当エリア内に残っている者に対する強制避難措置」という文言がある。住民保護に諸法令、フランクフルト市条例などに基づき、避難計画と避難実施措置がなされた。爆弾が見つかった場所はフランクフルト大学のキャンパスに近く、付近には、ヘッセン放送局、フランクフルト警察本部、市民病院などがあり、市の安全部門の責任者は、「避難に際しては裁量の余地は存在しない。何人も自己の責任においてもその住居に留まることはできない。指定地域は人が完全にいない状態(menschenleer)でなければならない」と強調した(Frankfurter Rundschau vom 1.9)。

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自力でその住居を去ることができない人々は、警察や消防の出動舞台の支援を受ける。規制地域の住民の約10%、6000人から6500人は避難に際して助けを必要としていると見積もられた。避難地域には市民病院や産婦人科病院、新生児病院などがあったが、多数の救急車が動員されて、前日の9月2日中にすべての患者の一時的転院措置が完了した。「戦後最大の患者避難作戦」である(FR vom 2.9)。

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警察官が一軒、一軒呼び鈴を押して不在を確認していった。避難の拒否には罰則がある。避難はおおむね順調だった。市当局や警察の要請に従わなかった住民は5人だけだった。彼らは強制的に警察によって住居から連行された。なお、30以上のホテルが避難者のために部屋を安価で提供した(朝食付きで1泊29〜69ユーロ(3770円から8970円))。フランクフルト空港も避難先に指定された。第2ターミナルが立ち入り自由となり、無料で見学ができるようになった。

コブレンツ市でも9月1日に米軍の500キロ爆弾が発見され、フランクフルトと同じ3日に処理された。1キロ圏内の2万人の住民が避難し、病院も養老院もコブレンツ刑務所もカラになった。コブレンツ駅も閉鎖され、列車は通過するだけになった。無事、爆弾は処理された(ARD vom 3.9.2017)。この事実は、日本に帰国してから録画してあったARDのtagesschau(NHK衛星第1放送では、日曜日だけZDFでなく、ARDを放送する)で知ることになった。

思えば10年ほど前に、東京都調布市で2000ポンド爆弾(1トン爆弾)の不発弾が発見され、市が半径500メートルを「警戒区域」に指定して、立ち入りを禁止したことがある(直言「「63年前の不発弾」の現場へ」参照)。住民1万6000人に、災害対策基本法63条に基づく「退去命令」が出された。避難の「指示」「勧告」(同法60条)よりも強力で、命令に従わない場合には罰則もある(同法116条2号で「十万円以下の罰金又は拘留」)。

ドイツでも日本でも、不発弾が発見され、同様の避難が繰り返されている。戦後72年を迎えたと思ったら、中欧旅行の最後に「第二次世界大戦後最大の住民避難」の真っ只中に車で乗り入れるとは思わなかった。フランクフルト市民病院から救急車で避難した一人の高齢女性は、「英国軍の爆弾による二回目の避難をすることになった」と語ったそうだ。一度目とはもちろん1943年10月からのフランクフルト空襲である。日本でも不発弾処理のなかで避難を求められた高齢者のなかに同様の方がいるだろう。だが、日本の場合に深刻な問題は、「安倍官邸による北朝鮮ミサイル問題の政治的、政局的利用」のなかで、「三度目の避難」が引き起こされる可能性があることである。

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