天皇退位めぐる法と政治――安倍流権力私物化はどこまでも
2017年12月11日

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2019年4月30日をもって現天皇が退位し、翌5月1日に新天皇が即位することが確定した。12月1日の皇室会議の決定を経て、8日に退位特例法の施行日を定める政令が閣議決定された。始まりは、昨年8月8日15時からNHKで流された天皇の「お気持ち」映像である。私はドイツ・ボンに在外研究で滞在していたので、インターネットでこの映像をみた(ドイツ時間朝8時)。天皇が「生前退位」の意向を自ら示すというので、ドイツのテレビニュースも大きく扱い、南ドイツ新聞は一面トップにこの記事をもってきた。生前退位をめぐる問題点については、放送直後に書いた直言「象徴天皇の「務め」とは何か―「生前退位」と憲法尊重擁護義務」で詳しく論じたので参照されたい。日本の文献などをまったく参照できないなかで執筆したものだが、必要な視点と論点は指摘したつもりである。今回の「直言」では、「生前退位」の意向が示されて以降の安倍首相の対応の問題について書いておく。

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「生前退位」に対する安倍首相の反応は実に冷やかなものだった。天皇は皇室典範4条などの改正による安定的な形を望んでいたようだが、安倍首相は特別法による一回限りのものにする姿勢を崩さなかった。象徴天皇制の代替わりという重要な憲法事項にもかかわらず、生前退位問題を検討する首相の諮問会議「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーにはあえて憲法研究者を入れず、審議会常連の「安全な」行政法研究者が選ばれた。この会議のヒアリングに呼ばれる人物の人選もすさまじく、桜井よしこ、渡部昇一、百地章、八木秀次などの日本会議系がズラリと並び、そこには安倍首相の意向が見事に反映されていた。かつての自民党政権ではありえない人選である。

退位の時期をいつにするかをめぐっても、官邸と宮内庁との緊張関係は高まった。新天皇即位は改元を伴うため、国民生活にも影響する。『毎日新聞』12月2日付(「クローズアップ」2017・官邸と宮内庁の駆け引き)によれば、昨年の段階で、安倍首相が最初に出したのは「2018年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」だった。年の変わり目で分かりやすいと踏んだのだろうが、これに宮内庁は強く反発した。元日の宮中祭祀や国事行為の「新年祝賀の儀」など行事が集中して天皇は超多忙。安倍首相にはそうした事情は眼中になかったようである。それでも首相は「元日改元」にこだわり、菅官房長官とともに練り上げたのが「天皇誕生日の2018年12月23日の退位、24日の新天皇即位、19年1月1日改元」だった。だが、宮内庁は、19年1月7日には昭和天皇逝去30年の式年祭があるので、「年末・年始」案には反対した。

他方、宮内庁側は2017年夏頃から、皇室行事が一段落する「3月31日退位、4月1日即位・改元」の日程を考え始めていたようである。それを一面トップで抜いたのが冒頭左の写真、『朝日新聞』10月20日付である。安倍首相は、「朝日が報じた内容とは逆にしたい」と語ったことが官邸担当記者から流れてきた

昨年、安倍首相は、トランプが大統領選挙に勝利するや、トランプタワー58階に駆け込み祝意を示したが、その際、安倍首相は「実はあなたと私には共通点がある。あなたはニューヨーク・タイムズに徹底的にたたかれた。私もこれと提携している朝日新聞に徹底的にたたかれた。だが、私は勝った…」と語り、これを聞いたトランプは右手の親指を突き立てて、「俺も勝った!」と言ったという(『産経新聞』2017年2月11日付)。その安倍首相が、「朝日とは逆にしたい」という意向を強く示し、最終的に4月30日退位、5月1日即位・改元が決まったのだとすれば、象徴天皇の代替わりについても、権力私物化の影響が出ているというべきか。それにしても、4月1日即位・改元なら、国民生活への影響という点では、新学期、企業の年度はじめということでそれなりの「区切り」になるが、5月1日に何の意味があるのだろうか。労働者の祭典「メーデー」にぶつけて、皇居周辺は大混雑になるという予測記事もあった(『毎日新聞』12月7日付夕刊)。

この退位・即位を決めた皇室会議にも問題がある。12月1日のテレビのニュースで皇室会議の様子が報じられたとき、何気に画面を見ていてあることに気づいた。冒頭右側の写真をご欄いただきたい。皇室会議のメンバーが一人多いではないか。正面の後ろ姿はご存じ、菅義偉官房長官である。 皇室典範28条によれば、皇室会議の構成は、皇族から2名、内閣総理大臣と宮内庁長官、衆参両院の議長と副議長、最高裁長官と最高裁判事1名の計10名である。立法、行政、司法、皇室から2名ずつ出ている(二院制なので国会からは4名だが)。これまでも宮内庁次長などが陪席することがあったが、楕円形に座るメンバーの外、会場の端の方に机を並べて座るのが常だった。官房長官が「陪席」するなら、メンバーの外側に座るべきだった。それが首相の対角線上、全体ににらみをきかせるような要の位置に座っている。机の形こそ違うが、まるで正式メンバーのように見える。とうてい「陪席」とはいえない形である。

皇室会議を目前にした11月22日、「また宮内庁が勝手なことを言ったりしないでしょうか」と問われた菅官房長官は、「宮内庁は俺の傘下だから大丈夫。会計検査院とは違うんだ」と語ったという(『週刊金曜日』12月1日号)。昨年9月段階で宮内庁次長に内閣危機管理監(元警視総監)を送り込み、内閣人事局長を含めて警備・公安畑の人物による官僚統制をやっている安倍官邸としても、なお皇室会議には不安材料が残っていた。それは、立憲民主党の赤松広隆・衆院副議長がメンバーに入っていたことである。実際、赤松副議長は「2018年12月31日退位」を支持する発言をしていた。菅官房長官がにらみをきかせて座ったのも、そうした異論を想定してのものだろう。なお、皇室会議の議事概要には、政府方針と異なる意見を含めて個別発言を一切記さなかった。公文書のあり方として問題であろう。とにかく安倍政権は、異論を許さない。重要な会議の記録を公文書として不完全な形でしか残さないこの政権の体質がここにもはっきりあらわれている。

ところで、「生前退位」の表明以前から、天皇は安倍首相とは違ったメッセージを内外に発してきた。たとえば、2015年8月の「戦後70年談話」(安倍談話)が、安倍首相が嫌う「4つのキーワード」(痛切な反省、お詫び、侵略、植民地支配)すべてを単語としてだけ入れ、あの戦争は、西欧諸国の植民地政策からのアジアの解放の戦いだったという「安倍色(カラー)」を散りばめたものになっていたのに対して、「終戦の日」の天皇の「お言葉」は実に対照的だった(直言「「8.14閣議決定」による歴史の上書き―戦後70年安倍談話」)。字数も例年よりも70文字増えて、「先の大戦に対する深い反省」という言葉が入るとともに、「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という箇所は、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」となって、初めて、未来に向かっての事柄に使う「今後」という言葉が挿入された。戦争が過去のものではなく、安倍政権の安保法制により「今後」起こりうるものという認識が示されている。また、天皇の平和や慰霊のための訪問先やそこでの発言はいちいち安倍首相の気に障るようで、安倍首相が天皇の近くに立つときは、トランプと会うときとは正反対の顔になる。強いて言えば、沖縄に行くときの顔に近い

安倍政権のやること、なすことに対して天皇は複雑な思いでこれを見つめているのだろう。生前退位という形で異例の行動に出たのも、やむにやまれぬ危機感があったからではないか。女性宮家の構想を安倍首相は簡単に葬るとともに、生前退位についても、一回性の例外的な扱いにとどめようとした。だが、昨年8月「生前退位」のメッセージには、天皇の決意の強さと大きさが感じられる。天皇は、「象徴」という言葉を8回も使っている(直言「天皇の「務め」とは何か―「生前退位」と憲法尊重擁護義務」)。とりわけ、日本国憲法のもとでの象徴天皇を「守り続ける責任」という表現をしている点は見逃せない。別のところで、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」が強調されている。これは、自民党2012年「改憲草案」が打ち出す「天皇元首化」とは明らかに一線を画する主張である。

美智子皇后もそうした天皇の意向を組んで、折に触れて発言している。とりわけ2013年の誕生日に際しての記者会質問に対する回答では、憲法についての論議が活発ななか、あきる野市の五日市を訪れ、「五日市憲法草案」をみたことを述べている。「地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」とまで述べている。そして、「日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん」という形で、GHQ民生局で憲法草案起草にあたったベアテのことをあえて触れることで、安倍首相の「押しつけ憲法論」との好対照をなしている(詳しくは、直言「皇后と山本太郎議員の憲法感覚」)。

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天皇の行為については、「内閣の助言と承認」(憲法3条)が前提となる。「私的行為」を除いて、天皇の行為には憲法上の制約がある。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」(憲法4条)。「のみ」という形で、行為の安易な拡大を認めない厳格な規定ぶりになっている。憲法6条で定める首相と最高裁長官の任命行為、7条で列挙される10個の国事行為、それと4条2項の「国事行為の委任」の計13個の行為「のみ」ができるとする厳格解釈を私もとってきた。写真は、私が企画・編集・執筆でかかわった法学セミナー増刊『ザ・象徴天皇制』(日本評論社、1989年)である。28年前の作品だが、昭和天皇の死を契機とした「代替わり」のさまざまな問題について検討したものである。私は皇室典範や皇室経済法の解説も担当した。当時の立場は、天皇の国事行為以外の「公的行為」「象徴行為」の拡大には批判的だった。

だが、30年にわたる現天皇の存在と活動について観察してきた結果、被災地の訪問や戦争の現場への慰霊の旅などには、十分に熟慮された場所や時の選択がなされていることを感ずるようになった。震災や災害の現場への向き合い方は、昭和天皇にはなかったものである。他方、国事行為として行っている行為も、内閣の「助言と承認」を得て、内閣の意向通りに行うわけである。例えば、「栄典の授与」で天皇は勲章を授けるが、誰に、どういう勲章を授与するかはすべて内閣府賞勲局が決める。その背後に安倍首相の意向が働き、昨年は、アーミテージ元米国務副長官やラムズフェルド元国防長官といったとんでもない人物に旭日大綬章が授与されている。どうみても、安保関連法の成立へのお土産であり、叙勲権の私物化である。天皇は、内心穏やかならざる安保関連法にも公布のための御名・御璽をしているし、本心は会いたくないであろうトランプとも、内閣の「助言と承認」に基づいて会っている。

しかし、現天皇が直接国民との関係で行ってきたことは、被災地訪問にせよ、慰霊の旅にせよ、国民の側から広く支持されてきた。9月20日に「私的旅行」として、埼玉県日高市の高麗神社を訪問したのは驚きでさえある。古代朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人を祭った神社で、高句麗は現在の北朝鮮の部分と重なる。この神社に祭られた人々の子孫が、いまトランプの先制攻撃にさらされている。安倍首相がそのトランプの行動を100%支持するという発言をしているタイミングで、あえて、わざわざ北朝鮮に関連する神社を訪れる。実際、翌21日付の韓国の主要各紙は、「私的な旅行の一環だが、歴代日王(天皇)で初めて」と写真付きで詳しく報じたという。

思えば、昭和天皇は20年間、大日本帝国憲法下の「大元帥陛下」だったわけだが、現天皇はその30年あまりの在位は100%日本国憲法の下での象徴天皇ということになる。つまり、いまの天皇のもとで「純粋象徴天皇制」が完成したとみることもできる。2019年には、その純粋象徴天皇制の初めての代替わりが行われるのである。現天皇は簡素なものを望んでいるというが、それは単に費用的なものだけでなく、自らがかかわった昭和天皇からの代替わりのときとは違った形、すなわち、純粋象徴天皇制らしい形を考えているのではないか。安倍首相(背後にいる日本会議など)は限りなく戦前型の天皇を求めているので、そこでも現天皇が描く「天皇像」とは距離が出てくる。

「天皇は象徴として政治的に中立であることが求められる。しかし、内閣が重大な憲法違反を公然としたとき、憲法尊重擁護義務が「天皇」に対して大臣や議員と並列で課せられていることは果たして無意味だろうか。」(水島朝穂『18歳からはじめる憲法(第2版)』法律文化社、2016年19頁参照)。『ザ・象徴天皇制』発刊から28年。現天皇のもとでの純粋象徴天皇制に対する私の評価も変わってきた。ただ、それが次の代においても同じように続くかどうかは別問題である。なお、来週は、「わが歴史グッズの話」41回として、象徴天皇制を象徴するグッズを紹介する。

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