安倍政権と日本社会の「赤報隊」化
2018年2月19日

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本国憲法施行40周年の1987年5月3日、私は札幌での憲法記念行事で講演して帰宅したところ、テレビのニュースで、関西で大変なことが起きていることを知った。朝日新聞阪神支局が散弾銃をもった男に襲撃されて、記者一人が死亡、一人が重傷を負ったという。その年の1月24日に朝日新聞東京本社に散弾が撃ち込まれ、「赤報隊」という「日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊」が犯行声明を出していた。そのなかに、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあったので、ついに新聞記者を殺害する具体的な行動に出てきたのかと、背筋に冷たいものが走った。

日本言論史上初の新聞記者殺傷事件である。犯行声明には「この日本を否定するものを許さない」「反日分子には極刑あるのみ」などの文字が踊っていた。「反日」という言葉を執拗に用いて、戦後民主主義と言論の自由を否定する事件として社会に衝撃を与えた。1990年にかけて「赤報隊」による朝日新聞社と政治家を狙う事件が続いた。この一連の事件は「広域重要指定116号事件」として大規模な捜査が行われた。だが、犯人の特定・逮捕には至らず、2002年5月2日午前零時、すべての事件が公訴時効を迎え、「未解決事件」となった。

私は、14年間レギュラーをやったNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」の2002年5月5日の回で、時効の成立をトップで取り上げた。以下、少し短縮して紹介しよう

・・・ちょうど15年前の5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に目だし帽をかぶった男が侵入し、無言のまま至近距離から散弾銃を発射。小尻記者(当時29歳)を射殺し、もう一人の記者に重傷を負わせました。殺人罪の公訴時効は15年ですから、この事件は3日午前零時に時効が成立しました。真犯人があらわれても訴追されることはありません。この事件は、赤報隊を名乗る者たちが、朝日新聞の論調に反発して起こした一連の事件の一つとされ、116号事件と言われています。

各紙とも、憲法記念日の前日の2日に一斉に社説を掲げて、事件を振り返りました。まず『朝日』社説は、犯行声明のなかに、「反日朝日は50年前にかえれ」とあったことをとらえ、これは「新聞が政府を批判する姿勢を失い、日本全体が破局に向かって突っ走った戦前への回帰を命じた」ものだと批判。「報道機関の自由が侵される社会では自由な市民もありえない。…事件を許さず、暴力に屈しない」と強い語調で決意を表明しています。・・・地方紙では、『信濃毎日新聞』社説が、阪神支局事件以降、本島長崎市長や弓削フェリス女学院大学学長、映画監督の伊丹十三氏らを標的としたテロが起こったことを「テロの地下水脈」ととらえて警告しているのが目をひきました。『朝日』社説はまた、「自由な言論を揺るがすのは、むき出しの暴力だけではない。地域社会や職場で反対論や少数意見を有形無形の圧力で封じ込めようとしたり、自己規制を迫ったりする例は後を絶たない。その意味で、事件は決して過去のものではない」と書き、社会の風潮に警鐘を鳴らします。・・・

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この1月27、28日、NHK総合テレビにおいて二夜連続で放送されたNHKスペシャル「未解決事件・赤報隊事件」をみた。前半が実録ドラマでこの事件の謎に迫り、後半はドキュメンタリーの形をとっていた。ドラマの主人公は、朝日新聞の樋田毅記者で、演じるのは元SMAPの草彅剛。樋田記者は、この事件の真相解明に特化した「特命取材班」の中心メンバーだった。私の大学時代からの友人、高世仁君(報道制作会社ジン・ネット代表取締役)のブログで知ったのだが、樋田記者は、1972年11月、私たちが学部1年生のときに起きた「川口大三郎君事件」の際、川口君を殺害した「革マル派」を糾弾する多数の学生たちの先頭に立っていた。髭もじゃの特徴的な顔だちは、その当時早大キャンパスにいたものなら誰しも記憶にあるだろう。当時の大学は早大のみならず、「党派闘争」の醜悪な舞台になっていた。暴力のない、普通に勉強できるまともな大学にしたい。みんなの思いは同じだった。高世君のブログにこうある。「樋田毅さんについては去年このブログに書いたが、早稲田大学の自治と自由を求めて「革マル派」に敢然と闘いを挑んだ我々の「英雄」である。革マル派が牛耳る文学部学生自治会をリコールし、学生の圧倒的支持で委員長についたが、革マルのテロで負傷して通学できなくなった。その後彼は朝日新聞に入り、定年後の今も「赤報隊事件」の真相を追い求めている。不退転の人である。」と。

草彅剛演ずる樋田記者の熱さは番組から伝わってきた。大物右翼と対面した樋田記者(草彅)はいう。「考えの異なる者を銃で撃ち殺し、それが正義だと主張したのが赤報隊です。小尻記者に向けられた銃弾は自由な社会を求める私達一人一人に向けられたものだ」と。46年前、何千もの学生の前でマイクを握り、川口君を殺した「革マル派」幹部を糾弾していた彼の姿と重なった。当時の「樋田君」の言葉には説得力があった。記者になってからも、暴力で仲間の記者の命を奪い、言論の自由を踏みにじったものへの怒りは共通している。

このNHKスペシャルは、赤報隊事件が時効になってから16年近くたって放映された。なぜ、いま「赤報隊」なのか。単なる「未解決事件」の回顧とは思えない。いま、「赤報隊」はどこにいるのか。実は、安倍政権のもとで、日本社会そのものが「赤報隊」化しているのではないか。この番組をみてそう考えざるを得なかった。

何よりも、かつて「反日」という言葉を使うのは右翼に限られていた。しかし、いまは「反日」という言葉を使う本や雑誌は書店にあふれ、街頭デモのスローガンやネット上で普通に使われるようになった。これは巨大な変化である。昔は「非国民」、いま「反日」。私に対しても、ネットでは「反日教授」というレッテルがはられている。「赤報隊」が主張した「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」という問題意識は、いま一国の総理大臣の頭をしっかり支配している。「反日」をたたくのに散弾銃は使わず、ツイートや言葉の散弾で相手を萎縮させている。

安倍晋三首相の朝日新聞嫌いは執拗で粘着質で戦闘的である。この情熱がどこから出てくるのか。それは歴史修正主義に立つ安倍首相が、朝日を「反日新聞」と思い込んでいるからだろう。官房副長官時代、NHKの「ETV2001」(4回シリーズ「戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」)の番組改変問題に深く関わった彼は、その介入の手法を暴いた朝日新聞社会部記者の記事に対して、激しい怒りと憎悪の感情をもち続けた。

慰安婦問題における「吉田清治証言」の「誤報」から、歴史的事実全体の巨大な否定につなげるのは歴史修正主義の常套手段である。安倍首相はこれを巧みに使って、朝日新聞社長を「謝罪」にまで追い込んだ(詳しくは、直言「歴史的逆走の夏―朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?」参照)。

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先週、2月13日の衆議院予算委員会では、聞かれてもいないのに突然、猛烈な勢いで朝日新聞攻撃を始めた(冒頭の右側の写真参照)。これは国会答弁とはいえない。朝日新聞の過去の「誤報」を列挙し、「誤りを認めない朝日」という強烈な「印象操作」を国会の場で公然と行ったのである。前述のNHK番組改変問題や、慰安婦問題における「吉田証言」にまで踏み込み、さらに、森友学園問題をめぐり学園側が「安倍晋三記念小学校」との校名を記した設立趣意書を提出したと報道した朝日新聞を「全く違ったが、訂正していない。(趣意書の)原本にあたり、裏付けを取るという最低限のことをしなかった」と批判した。朝日新聞攻撃の唐突さと執拗さは異様で、本来ならば予算委員長が注意すべきものだった。

ちょうど1年前の2月17日の衆院予算委員会で、安倍首相が、「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁していたことはよもや忘れまい。安倍昭恵氏が名誉校長となっていたからこそ、学校用地に対して、財務省近畿財務局は、会計検査院もびっくりという値引きを行ったのであり、森友学園問題をめぐる全体から見れば、当初の設立趣意書に「安倍晋三記念」とあったかどうかは瑣末な問題である(国側が設立趣意書の一部を長らく黒塗りにし、その隠していた酷い設立趣意内容のほうを、昭恵氏や国側が黙認した問題や、この点があまり報じられていないことのほうが問題であろう)。昭恵氏が「総理大臣を辞めてからにしていただきたい」と要望していることからも、この学園との異様な密着関係は明らかだろう。昭恵氏や佐川前理財局長らの国会招致を拒否し続けている一方で、朝日新聞の「小さなミス」を居丈高になって攻撃するのがこの首相の特徴である。

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朝日新聞は2月6日付朝刊で、記事掲載に至った経緯を検証したことについて、安倍首相は、この記事を取り上げた自民党の和田政宗議員のフェイスブックで、「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」とコメントしている。「ツイッター大統領」のトランプが、「フェイク・ニュース」と決めつけたメディアに対して行う子どもじみた対応と実によく似ている。

安倍政権と親密な「日本維新の会」足立康史衆院議員は、「朝日新聞、死ね」とツイートして問題となった。「赤報隊」は朝日新聞攻撃に散弾銃を使ったが、安倍首相やそのお仲間はツイートという散弾を使っている。冒頭の左側の写真は、ネット上にある朝日新聞を攻撃する団体の写真である。こちらは「赤報隊」の主張と行動に共鳴する動きである。

朝日新聞だけではない。基地をごり押しする安倍政権に批判的な沖縄地元2紙に対して、作家・百田尚樹氏と自民党議員が「つぶせ」というトーンで盛り上がったことは記憶に新しい。2015年6月25日に行われた自民党の勉強会「文化芸術懇話会」において、大西英男議員は、「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」と発言した。その場で長尾敬議員は、「沖縄の世論は歪み、左翼勢力に完全に乗っ取られている」と決めつけた。

内閣府副大臣をやっていた松本文明議員は、2018年1月29日の衆院本会議において、沖縄で相次ぐ米軍機のトラブルを追及した共産党の志位和夫委員長の代表質問に対し、「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばし、副大臣を更迭させられた(名護市長選挙が近づいていなかったら、スルーされただろう)。これらの根っこはみな同じである。政権批判の言説に対して、「赤報隊」と同じように「力による萎縮」を狙う点である。

安倍政権になってから、特定メディアを名指しで攻撃したり、「広告料収入をなくせ」などの圧力をかけようとしたりする、おそろしく品のないメディア攻撃が増えてきた。そうしたなかで、安倍政権になって一皮も二皮もむけて、「フェイク新聞」となったのが産経新聞である。私も2014年あたりまでは記者の取材に応じており、「金曜討論」欄などに写真入りでインタビュー記事が掲載されたこともある(『産経新聞』2014年5月9日付7面)。だが、近年はこの新聞からの取材を拒否している。

4年ほど前、その産経新聞が広島大学の一授業を攻撃したことがあった(直言「学問の自由が危ない―広島大学で起きたことへの憲法的視点」)。受講者200人の講義を受けた一男子学生の授業批判のメールを針小棒大に扱い、文科省に当該授業の内容について見解を質したのである。「歴史戦」というイデオロギッシュな企画満載の新聞社だけに、まともな取材もなしに「事件化」をはかったもので、「フェイク新聞」の面目躍如といえよう。

ごく最近も、産経は「フェイク新聞」として名をあげている。昨年12月に沖縄自動車道で発生した車の多重衝突事故で、米海兵隊員が日本人を救助したと伝え、それを報じない琉球新報や沖縄タイムスについて、「報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」とする記事を出したのだ。その後、これが、交通事故なのに県警に取材しておらず、ネトウヨの書き込みに基づく記事だったことが判明し、同紙沖縄支局長をはじめ編集幹部の処分にまでつながった。言論機関としての荒廃としかいいようがない。

「反日」という言葉とツイートなどの散弾を使った日本社会の「赤報隊」化が進んでいる。「116号事件」で狙われたのは、新聞社では朝日新聞、政治家では中曽根康弘、竹下登の両元首相、それに江副浩正リクルート元会長だった。安倍首相とその「ご一党」(自民党ではない)が権力を握っている限り、「赤報隊」が表舞台に登場することはないだろう。

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