わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ
2018年4月30日

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4月27日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談が板門店で行われた。2007年10月以来3回目だが、今回は、史上初めて、北朝鮮の最高指導者が軍事境界線を越えて韓国に入った。朝鮮戦争は65年前の休戦協定によって停戦しているが、国際法上はまだ戦争状態が継続している。その緊張の極点ともいえる非武装地帯(DMZ)の板門店で、南北首相会談が行われたのである。そこで出された「板門店宣言」は、(1)完全な非核化を通じ、核なき半島の実現を目標にする、(2)休戦協定締結から65年になる今年に終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換する、(3)南と北は一切の敵対行為を全面的に中止する、(4)南北とアメリカの3者、または南北と米中の4者会談の開催を積極的に推進するなど、踏み込んだ内容になっている。

この南北首脳会談には、メディアの巧みな使い方を含めて、これに続く米朝首脳会談をにらんだ仕掛けが随所に施されていた。トランプとの会談への橋渡しがどのようになされたのか。これから明らかになっていくだろう。朝鮮戦争の終戦が宣言されれば、東アジアにおける「安全保障環境」は劇的に変わる。日米安保条約と米軍駐留(在日、在沖米軍基地)の存在理由も根本的に問われてくるだろう。

ところで、数多ある戦争のなかで、「朝鮮戦争」はその悲惨さが際立っている。単なる国家間戦争ではない。韓国の人々にとっては「最もおぞましい相互敵対と恐怖、暴力と虐殺、離散の苦痛、そして道徳的アノミー〔無規範〕状態」であった(金東椿『朝鮮戦争の社会史—避難・占領・虐殺』平凡社、2008年参照)。その戦争を終わらせるというのは並大抵のことではない。国家間の戦争でも、その過去の清算と和解に大変な時間と努力が求められるのに、同じ民族間で行われた戦争の傷の深さと痛みは想像を絶する。しかも、そこに世界の大国がすべて関わったのであるから、この戦争を終わらせるというのは、それぞれの国の今後にも大きな影響を与え、まさに世界史的な意味をもつ。

朝鮮半島に統一国家ができるか、即断は禁物である。1991年に私がベルリンで在外研究をしていた時に知り合った韓国の若手研究者は、統一直後の「一つの国家、二つの社会」が軋みをあげているのを見て言った。「私たちはドイツの真似はしない」と。韓国は、東西ドイツのような急速な統一の道はとらないという決意だった。今後、米朝首脳会談のあとに、この地域の平和と安全保障をめぐる枠組にも影響を及ぼす変化が生まれてくるのは確実である。16年前にソウル大学の張達重教授とシンポジウムでご一緒したことを思い出す。張氏は2000年の南北首脳会談以降の状況を、「全面的対決関係」から「制限的対決」と「制限的相互依存」関係への発展と特徴づけた。南北が「全面的相互依存を通じた平和的関係」へと向かうことができるか。ドイツモデルが「冷戦に勝利するという形での吸収統一」だったのに対して、韓半島〔朝鮮半島〕でこれから起こる事態は、「冷戦を克服する過程での統一」であると指摘していた(直言「北東アジアの安全保障を考える(3)」)。張氏は、この地域に多元的共同安全保障体制を立ち上げていき、南北が「多元的な安全保障共同体を経て、ゆるやかな国家連合へ向かう」と予測しつつ、市民社会間の連帯の必要性を強調した。2018年、それがどのような形で進んでいくか。それはヨーロッパとは違った状況と条件のなかで、複雑な過程をたどるし、また時間もかかるに違いない。この「直言」でも、具体的な展開のなかでしっかり書いていきたい。

さて、今回は、「わが歴史グッズ」シリーズの43回目として、朝鮮戦争とその後の南北分断の歴史を象徴するグッズを紹介しよう(42回目は「地雷」についてだった)。

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これらは朝鮮戦争で実際に使われた「伝単」(ビラ)である。左側の赤色のものは、北朝鮮軍兵士に向かって書かれている。「銃剣を置いて争いをやめる日に国連軍はこれらのものを与える」として、衣服、暖かい宿舎、食料とあり、左に大きく「どうすれば生き残れるだろうか?」とあり、投降を呼びかけている。真ん中は、safe conduct pass(ブルーのもの)で、マッカーサー司令官の命令として、韓国軍兵士に対して、降伏することを願う敵兵に対して人道的待遇を保障せよとある。右側は、「帰順兵歓迎証」であり、捕虜となった北朝鮮軍兵士は「人道主義的諸原則で待遇する」とあり、他方で、「米軍や他国軍兵士が北朝鮮軍に捕着された場合も同様の待遇をしなければならない」とある。

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左側は、「ジュネーブ条約によってよい待遇をする!」と左右に大きく記載され、「非常に多くの諸君の同僚たちが今、国連軍の後方でジュネーブ条約によってよい待遇を受け楽しい日を送っている」とある。真ん中は、朝鮮戦争に参戦した中国軍兵士に対するもので、投降を促すためにまかれたものだ。その下の軍票のようなものは「安全保障証明書」で、韓国語と英語と中国語で、投降すればよい待遇が待っていると書いてある。

 

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他方、このグロテスクな伝単は、北朝鮮軍が米軍に対してまいた珍しいもの。古本屋のオークションで高額で落札したのを覚えている。「アメリカGIよ、君たちは明日の運命を考えているか」として、兵士の流す血が資本家の儲けにつながっているぞと揶揄している。

その左にあるのは、米軍が中国軍に対してまいたものである。「老大哥三歩曲」(兄貴三部作)というタイトル。上から順番に、「進攻!進攻!」、「不幇忙!不幇忙!」、「試試這個!試試這個!」。つまり、「攻撃しろ!攻撃しろ!」「援助はしない!援助はしない!」「これを使ってみろ!これを使ってみろ!」とあって、腕と掌に書いてあるのは「蘇聯」(ソ連)で、一番下の小さな紙に「和談」(平和交渉)と書いてある。中国ではこの頃、ソ連のことを「老大哥」(年長の兄貴、親分)と呼称していた。この伝単は、中国軍兵士に対して、ソ連のご都合主義的な態度を皮肉ったものではないか。ソ連は裏で武器援助などは一応するけど、戦局がうまくいかないと判断したらすぐに責任を回避して、「和談」をさせようとするぞ。「ソ連ファースト」の戦で死ぬなという戦意喪失型の伝単である。台湾の蒋介石政権のメンバーが米軍の心理情報戦の部署に協力していたことが推測される。投降を促す伝単はほかにも各種あるが、このくらいにしよう。

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朝鮮戦争では、南北合わせて約532万人が犠牲になった。朝鮮戦争型国連軍(多国籍軍)として22カ国の兵士が参加し、死者は15万人(うち14万人は米軍)。参戦した中国も約90万人が死んでいる。狭い地域でこれだけの人間の命が奪われ、戦闘によるものだけでなく、同胞による虐殺の死者が多いのが特徴である(前掲書参照)。これらの伝単を掲げて捕虜になっても、ひどい扱いを受けた者もいただろう。戦争はいずれも悲惨なものだが、朝鮮戦争には特別に複雑な悲惨感がある。

1953年7月27日に休戦協定が結ばれ、北緯38度線に、南北2キロの緩衝地帯が全長248キロにわたり設けられた。これが非武装地帯(DMZ)である。これで南北分断が固定化され今日に至るのであるが、冒頭の写真は、その非武装地帯の鉄条網の断片と、その警備区域の両国警備兵の人形である。現地で入手した。私はこれまでに2度、DMZと「板門店(パンムンジョム)」へ行ったことがある。2002年には、「南侵第3トンネル」にも潜った(直言「変わる38度線・韓国レポート(1)」)。トンネル内部で、「この先が北朝鮮」という立て札を見て緊張したのを覚えている。板門店は前後左右わずか800メートルの狭い区域をいい、「国連軍」と北朝鮮軍の共同警備区域(JSA)となっている。この会議室にも入った(直言「38度線の「いま」を診る」)。冒頭の写真にある人形はこの南北の警備兵である。韓国側の警備兵と記念写真も撮った。その時は、16年後に北朝鮮の指導者がこの境界線を一人で歩いて渡って来るとは夢にも思わなかった。

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今回の南北首脳会談は、2000年6月の南北首脳会談の土台の上に花開いたものといえる。金大中の「太陽政策」が歴史的な曲折を受けながら、18年かけてその実現に一歩近づいたということだろう。右側はその記念切手である。会談での合意をもとに、DMZの鉄条網が撤去された。それを裁断して、15625セットの「DMZ鉄条網」にして販売していたのを2002年のDMZ訪問の際に購入した。左側の写真は、京畿道 坡州市長の公印入りの本物である(冒頭の写真の鉄条網は2004年に購入)。

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これは、2008年に金大中夫人の李姫鎬さんと会った串崎浩氏(日本評論社)からもらったものである。金メッキのボールペンで、夫妻の名前が彫り込んである。箱には、「太陽政策」の3原理(平和共存、平和的転換、平和的統一)と、南北連合段階、連邦段階、完全統一段階の3段階構想も記されている。2007年の盧武鉉大統領による二度目の南北首脳会談を経て、文在寅大統領は金大中の「太陽政策」を、今日的条件のもとで実現に向かわせようとしているように見える。

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もちろん、北朝鮮は、憲法5条で「民主集中制」を定め、一党独裁の権威主義体制として変わりなく存在している。最高指導者の金正恩も、2010年11月23日の延坪島砲撃に関わった。これに関連して直言「北朝鮮の「1ミクロンの論理」」でも書いたように、「嘘」「恐怖」「やせ我慢」の3点セットによって北朝鮮はかろうじて存続している。それを支えているのが、秘密警察と密告・相互監視、強制収容所の恐怖体制である。日本の国家主権を侵害して、日本の市民を拉致するという拉致問題は解決していない。直言「拉致問題解決に向けて」 でも書いたように、小泉純一郎首相と金正日総書記との日朝首脳会談と「平壌宣言」が重要である。当時の安倍晋三官房副長官が小泉首相の足を引っ張り、拉致問題解決のチャンスを逸したことは指摘しておく必要がある。日本側がしたたかな交渉力を駆使していけば、もっと早い解決が可能だった。安倍首相は「拉致問題解決の司令塔」などと自画自賛しているが、いまや拉致被害者家族からも冷たい視線を浴びている(最も早い気づきは、蓮池透『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社、2015年参照)。

安倍政権になって、北朝鮮だけでなく、韓国との関係でもこじれにこじれ、「全周トラブル状態」に陥っている。慰安婦問題でも、竹島(独島)の問題もそうである。これは韓国側のお土産にある「I love Dokdo」というシールである。

この東アジアの大転換過程において、日本は当事者性を完全に喪失している。「板門店宣言」にも日本は一言も出て来ない。5年以上、「地球儀を弄ぶ外交」を続けてきた安倍政権の対外政策の結果である(直言「「地球儀を俯瞰する外交」の終わり」)。「日米同盟オンリー」のアナクロニズム政権ではない、「東アジア共同体」の視点をもった新しい政権が求められる所以である。

《付記》
朝鮮戦争の「伝単」の翻訳には、韓国語については名古屋経済大学准教授の水島玲央氏、中国語については、早稲田大学大学院博士課程の洪驥氏の協力を得た。
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