ゆがめられた選挙法——総裁3選の手段に?
2018年7月30日

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「安倍一強」(「安倍晋三とその御一党〔自民党と同義ではない〕」)政権の暴走が止まらない。アクトン卿の有名な言葉、「権力は腐敗するものであり、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」は131年前のものだが、いまの日本の状況そのままである。直言「「無知の無知」の突破力—安倍流ダブルスピーク」でこの言葉を紹介したが、事態はさらに悪化している。今回は「ゆがめられた」シリーズの第3弾である。第1弾は「ゆがめられた行政」、第2弾は「ゆがめられた学位」、そして今回は「ゆがめられた選挙法」である。

「選挙法の改正は憲法改正に匹敵するといわれる。主権者国民が、その代表を選ぶルールは、その時々の政権の都合で簡単に変えていいというものではないからである。だが、いずこの国でも、政権維持のため、選挙法がかなり恣意的にいじられている。そのつけは、結局、国民が払うことになる。」 これは13年前に書いた直言「日独伊三国の選挙法物語」の一節である。

公職選挙法は、法律(ルール)を決める国会議員を選ぶためのルールであるから、「メタルール」に近い。あえて言えば、「準メタルール」である。法形式上は普通の法律であるから、これを改正するには、道路交通法や介護保険法などを改正する時と同様、「出席議員の過半数」で可能である(憲法56条2項)。しかし、公職選挙法については、その「準メタルール」性から、その改正については、国会におけるとりわけ慎重な審議と、与野党の一致した合意が求められる。しかし、現実の憲法政治では必ずしもそうはなってこなかった。1994年に衆議院に導入された「小選挙区比例代表並立制」は重大な欠陥をもっている(私は小選挙区比例代表「偏立」制と呼ぶ)。それにしても、安倍政権のもとでの今回の選挙法改正は、「憲政史上最悪の国会」(冒頭の写真参照)による「憲政史上最悪の選挙法改悪」としか言いようがない。その理由を順次述べていこう。

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7月18日、野党がこぞって反対するなか、改正公職選挙法が衆院本会議で可決・成立した。参議院議員の定数増の法案ということもあって、先に参院で審議されて可決され、衆院に送付されていたものだ(参議院先議法案)。注目されるのは、参院議員の定数を6人増やし、比例区に「特定枠」を設けるという点だ。これにより参院の定数は242から248に増える。議員の定数増は、本土復帰に伴い沖縄に地方区を設けるための1970年公職選挙法改正以来、実に48年ぶりとなる。問題は6増の中身である。議員定数不均衡の是正のために埼玉選挙区を2つ増やしたのはともかくとして(これも議論があるがここでは触れない)、問題は、比例区を4つ増やして96から100にした上で、候補者個々の得票数とは無関係に、政党の判断で当選を決められる「特定枠」を設けた点にある。「島根・鳥取」「徳島・高知」を一つの選挙区とする「合区」によって、選挙区から擁立できない自民党現職議員(比例区で個人票を多く獲得できる見込みがない)を「特定枠」に入れて当選させることを狙った「究極の党利党略だ」と、野党は激しく反発した。だが、衆参両院で計9時間15分という短い審議時間で、選挙の仕組みを変える重要法案が成立してしまった。与党化している日本維新の会まで反対にまわり、全野党が拒否しただけでなく、自民党の船田元議員が退席して、採決を棄権した。「身を切る改革」に逆行すると主張してきた船田議員は、自身のフェイスブックで、「選挙制度はすべての政党や候補者にとって共通の土俵作りだが、今回は多くの政党が反対する中での採決で、拙速のそしりを免れない」「理由の如何を問わず、定数増は国民に理解されない」と述べた。これに対して自民党執行部は、船田議員を「戒告」処分にした(『読売新聞』7月19、20日付等)。

冒頭の右の写真を見てほしい。「特定枠」のおかしさを各紙が図にして説明してみせている(『朝日新聞』7月10日付、『毎日新聞』7月10、12日付、『東京新聞』7月19日付)。周知のように、比例代表制には、「拘束名簿式」と「非拘束名簿式」がある。前者は、比例名簿の登載順位を党の執行部が決め、政党の比例得票率に即して1番から順番に当選が決まるというもの。比例名簿の下位の候補者は通常当選の見込みは低い。他方、「非拘束名簿式」というのは、比例区における投票は政党名でもいいし、比例名簿にある候補者の個人名でもよいという仕組みである。これだと、個人名で獲得した票の多い候補者が順番に当選となっていく。

ところが、今回の「改正」では、上位の方に「特定枠」として、あらかじめ党が決めた候補者を置くため、どんなに個人名で票を獲得しても当選できるとは限らない。さらに問題なのは、「一部」といってもどの程度の人数にするのかは政党に委ねられており、極端な場合、最後の一人を除き残りすべてを「特定枠」として党があらかじめ指定しておくことも可能となる(冒頭写真の右下の図参照)。これでは、実質的な「拘束名簿式」である。だったら、なぜ、最初から比例区全体を「拘束名簿式」にもどすという法案にしなかったのか。

そもそも、参議院に「非拘束名簿式」が導入されたのは、すぐれて自民党側の事情、まさに党利党略だった。2000年当時の森喜朗内閣はものすごく不人気で、支持率は10%台まで下がった。そこで、翌年の参院選挙の比例区で「自民党」と書いてもらえないと、地方の党組織から声があがり、大慌てで「非拘束名簿式」を導入して、プロレスの大仁田厚ら、個人名でかせげる候補者を立てたのである。さすがに、この「非拘束名簿式」の導入は評判が悪かった。

この法案が審議中に、私は、当時レギュラーをしていたNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」でこれを取り上げた。ちなみに、この番組は14年間担当したが、内容はホームページのバックナンバーで読める。拙著『時代を読む』(柘植書房新社、2009年)はそれをまとめたものである。以下、ここから関係箇所を抜き出して、法案の審議過程の「空気」を知っていただきたい。

「・・・私の専門は憲法学なので、詳しく話し出すと最低でも37分はかかるので、簡単に説明しますと、参議院は都道府県ごとの選挙区から選ばれる議員と、比例区から選ばれる議員とから成ります。比例区は政党名で投票し、その政党の得票に応じて、政党が決めた名簿の順番に候補者が選ばれていきます。これを「拘束名簿式比例代表制」と言います。これだと有権者は、比例区で「この人を当選させたい」という選択ができません。今回、個人名でも投票できるようにして、得票の多い候補者の順に当選を決めていく「非拘束名簿式比例代表制」に変えようというのが与党の法案です。ところが、個人の得票をその政党の他の候補者の当選に反映させる仕掛けを作ったため、「票の横流し」という批判が野党から出てくるわけです。『東京新聞』10月20日付「解説」の言葉を借りれば、「有名人の票の横流しで、巨人軍監督が立候補したら1人で3人分ぐらいの得票をしてしまう」制度です。しかも、全国を対象にした選挙運動になるので、費用もかさみ、銭がかかる「銭酷区」あるいは、候補者がかけまわって過労死する「残酷区」と言われていたかつての「全国区」の復活になると『東京新聞』解説は書いています。

どんな選挙制度にも色々な問題点があり、完璧なものはありません。しかし、選挙制度は国民代表を選ぶ仕組みですから、じっくり時間をかけて行うべきもので、来年の選挙に勝てるために制度変更を急ぐなどということは、民主主義の根幹を揺るがすものです。『産経新聞』10月20日付社説は、「選挙制度の重要な変更がこうした異常なかたちで進められるというのは、憂慮すべき事態という以外にない」と厳しく批判しました。『朝日』同日付も、参議院に「死に至る病」が進行しているとの見出しをつけ、参院議員を選出する自らの土俵づくりの法案をわずかな審議で通したことを批判し、社説では、《ゲームの途中で、一方のプレーヤーが突然ルールの変更を決める。いまは自分が優勢だが、この先、劣勢に追い込まれそうだから、ルールを自分に有利なように変える。こんなことをすれば、子どもの遊びの世界でも、卑怯だぞと抗議が殺到するだろう》と皮肉っています。『毎日』は「猪突猛進、危険な前例」と書き、「選挙制度改革をこんなふうにポンポンやるなら、政権交代のたびに選挙制度が変わる。最低でも120時間ぐらいは審議してほしかった」という与党議員の戸惑いの声を紹介しています。そして、主な選挙制度改革について、審議から成立までの時間を一覧表にし、参院に比例代表制を導入した82年の時は10カ月が費やしているから、4日で法案を通過させるという「今回のようなスピード審議は例がなかった」と指摘しています。データに基づく分かりやすい批判だと思います。・・・」

NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」(2000年10月22日午前5時35分)より)

森内閣は2001年2月に起きた「えひめ丸」事件の対応を誤り、信用をさらに落とし、「非拘束名簿式」による選挙の3カ月前に総辞職するに至った。

不純な動機で導入されたこの「非拘束名簿式」を、いま、なぜ改めるのか。投票価値(結果価値)の平等という最高裁判例の流れから、限られた定数のなかでいじりにいじって、「1票の格差」を是正しようとしてきたが、これはかなり困難になってきた。そこで、2015年に「暫定措置」として「合区」の導入を決めたわけである。

この時、与野党協議会の座長として、野党と一緒に「合区」案をとりまとめたのが、自民党の脇雅史参院幹事長(当時)だった。脇氏は東大工学部卒の建設官僚で、河川局長から参議院議員になった人物。エスカレーター人生の安倍首相と違って、社会的常識を心得ていた。だから、自民党の露骨な改正案には賛成できなかった。それで「異論つぶし」の安倍流統治手法によって、幹事長を更迭された。その後政治家を引退。7月9日の参院政治倫理・選挙制度特別委員会に、野党推薦の参考人として登場したのである。

脇氏は、「(安倍)首相は法律を軽く見ている」と激しく非難。「選挙制度は国民のためにある。自民党のためではない」という批判論を展開した(『朝日新聞』7月10日付)。脇氏は、得票数の多い順に当選する比例区に、党が勝手に当選者を決められる「特別枠」を設けると、「民意によらない当選者が出る」と警告している。

つい最近まで自民党の参院幹部だった人物が、今度は夕刊紙に登場して、「「自分の政党さえ勝てばいい」では国が終わる」という1頁全面インタビューを受けている(『日刊ゲンダイ』7月20日))。そこで脇氏は、「特定枠」を使うと、「例えば自民党に対する世論批判が全国で高まり、選挙区で自民党候補が全滅しても、特定枠の候補者だけは必ず当選することになる。選挙というのは民意を反映するために行うのであって、民意によらない結果が出ることになるのです。一体、何のための法改正なのか。国民はもっと怒らなくてはいけないと思います。」と切り込む。安倍首相への批判は、怒りを含んで激しい。

「・・・安倍首相自身が物事の意味をきちんと理解した上で発言していない。・・・彼は責任は私にありますとよく言うが、責任が「ある」と「取る」の意味はまったく違います。ところが、彼は責任があると言った途端、なぜか責任を取ったと勘違いしている。国権の最高機関である立法府がそんな格好でむちゃくちゃやってるから、日本全体の道徳観念が衰えるのも当然かもしれません。」

脇氏のいう「道徳観念が衰える」という点では、7月17日、この法案が衆議院内閣委員会で強行採決された直後、自民党の竹下亘総務会長が記者会見で、「自分は合区選出だから、絶対にやってもらいたい」と声を強めて発言したのが印象に残っている。島根県選出の竹下氏が、「自分の選挙区の子分を当選させるためにやってくれ」と言ってしまったに等しいわけだから、語るに落ちる、である。政治は自分たちの利益のためにやると公言してしまっては、政治家としての「道徳観念」ゼロである。

安倍首相も同様である。西日本豪雨に対する対策が何とも鈍いのは、頭の中が「自民党総裁3選」でいっぱいだからだろう。自民党の党則80条の総裁3選禁止規定を、自らのために改めさせた安倍晋三総裁。2年前の直言「総理・総統へ」で批判したように、「権力の私物化」が急速に進行している。子分どもが「安倍総統」の真似をして、多選禁止の規定に手をつけているのもなげかわしい

「赤坂自民亭」では、岸田政調会長と、同派の小野寺五典防衛大臣と上川陽子法務大臣をとりこみ、岸田氏の総裁選立候補の道を断ち切り、他方で、改正公職選挙法の「特定枠」(そのための4議席増)によって、島根選出の竹下会長の竹下派を取り込んだわけである。安倍総裁は、「石破茂は何もしないが、私は鳥取のための議席を確保した」と、石破氏の選挙区である鳥取県の議員票・地方票を狙っているのだろう。自民党の現職議員を救済するために、比例区に「特定枠」を設ける今回の改正は、自分たちが当選しやすいように選挙区を設計する「ゲリマンダー」になぞらえれば、安倍総裁3選のための「アベマンダー」と言えよう。

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