「遺物」から迫る日航123便事件——隠蔽、捏造、改ざんの連鎖
2018年8月13日

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の「8.12」から33年。「8.6」(ヒロシマ)、「8.9」(ナガサキ)、「8.15」(「終戦記念日」)のお盆の季節、3日おきに続く慰霊と鎮魂の日付だが、「8.12」だけは「戦後」に起きた出来事である。航空機事故ならば事故原因の究明が重要になる。だが、「8.12」はその真の原因が隠蔽され続けている。単なる航空機事故ではなく、歴史を書き換えるほどの巨大な「闇」と深く関わる「事件」というのが私の認識である。

昨年もこの時期に、直言「日航123便墜落事件から32年—隠蔽の闇へ」をアップした。刊行されたばかりの青山透子『日航123便墜落の新事実—目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)を紹介するものだった。今回は、先月末に刊行された『日航123便墜落—遺物は真相を語る』(河出書房新社、2018年7月)冒頭左の写真)について書く。

著者の青山透子さんとは知り合って22年になる。私が法学館・伊藤塾の第6回「明日の法律家講座」(1996年5月18日)で講演した際、最前列で聞いておられたのが青山さんだった。講演後に、元日本航空国際線客室乗務員と自己紹介され、墜落した日航123便で殉職したのが国内線で同じグループにいた彼女の同僚・先輩だったことを知って、とても驚いたのを覚えている。青山さんは、「ボーイング社の不適切な修理による後部圧力隔壁破損」を推定原因とする運輸省航空事故調査委員会の報告書に大きな疑問を抱き、真相解明を求めて個人で調査を続けるなかで、私と出会ったわけである。青山さんの大学院時代も憲法談義で時折お会いした。

事故調査報告書を徹底的に疑問視する青山さんは、2010年5月、『天空の星たちへ—日航123便 あの日の記録』(マガジンランド、2010年)を出版した。直言「日航123便墜落事件から25年—『天空の星たちへ』のこと」でこれを紹介した。その年(2010年)の「8.12」には、直言「日航123便はなぜ墜落したのか」を出して、5つの「なぜ」という形で、疑問点をまとめて指摘した。その5年後には、これが「事故」ではなく、「事件」であることを私としてもより明確にする直言「「日航123便墜落事件」から30年」を出した。

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昨年出版された『日航123便墜落の新事実』(以下、前著という)は、事件性に迫るアプローチとして、目撃証言を重視している。青山さんは、墜落現場に近い上野村の人々、とりわけ小学生、中学生の目撃証言を発掘している。上野村立上野小学校の「日航機墜落事故についての文集「小さな目は見た」」もその一つである(写真参照)。

公式発表では、航空自衛隊の百里基地(茨城県)のF4ファントム2機に出動命令が出されたのは、当日の19時1分とされている(松永貞昭中部航空方面隊司令官〔当時〕談)。だが、現地上野村の人々は、123便が墜落する前、まだ明るい時間帯にファントム2機を目撃していた。上野小学校の文集にも、「大きな飛行機と小さいジェット機2機が追いかけっこ状態にあった」と、複数の子どもたちが親と目撃したことが記されている。時間は18時45分頃である。青山さんは目撃証言を探し求めるなかで、非番の自衛隊員が18時40分に、ファントム2機を目撃したとする文章を発見している。さらに、静岡県藤枝市の女性に直接取材して、ファントムを目撃したのが18時35分であったことを確認している。飛行航路からして、123便墜落よりも前の段階で、ファントム機が御巣鷹山の周辺に存在したことを示している。「ファントムを飛ばしたが、墜落場所は一晩中特定できなかった」という自衛隊側の主張は大きく揺らぐ。

前著のもう一つのポイントは、遺体の状況の異様さを明らかにしたことである。「筋肉や骨の完全炭化が著明であった」(群馬県医師会活動記録)とされているが、青山さんは群馬県警察医の大國勉氏や、法医学者の押田茂實氏に何度も取材して、緑多く、木々が茂る山中に放り出された生身の肉体が、歯を含む骨まで炭化するほど焼けるのかという疑問を提起した。ジェット燃料のケロシンは灯油とほぼ同じ成分で、揮発性が低く、人を炭化させるほどの燃焼力はない。当日、早い時間に現場に入った上野村消防団の人々への取材から、「ガソリンとタールの臭いが充満していた」という証言を引き出している。つまり、灯油の臭いではなかった、ということである。

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さて、ここからが、この7月に出版された『日航123便墜落 遺物は真相を語る』の紹介である。本書は、未公開の警察資料を使った遺体の状況の分析と、御巣鷹の尾根で発見された遺物の分析に力点を置いている。前著の目撃証言などの状況証拠から、いよいよ「物証」をもってこの事件の本質に迫ろうとしている。先輩・同僚を失った青山さんの綿密な調査力は、本書でも遺憾なく発揮されている。

まず、この写真をご覧いただきたい(本書91頁)。上は『読売新聞』2010年8月4日付に掲載された写真で、歯科医師の大國仁氏と木村(現在は土肥)福子氏の二人が覗き込む柩の中は修正されて何も見えない。しかし、今回、同じ写真を青山さんが大國勉氏から提供を受けて本書に掲載したのがその下の写真である。完全に炭化して、人体の形をなしていない。真っ黒こげのコロコロとした炭のようなものになってしまった遺体。どうすれば人間がこんな状態になるのだろうか。

歯科医師の土肥氏は、8月15日から12月20日まで身元確認作業にあたった。これだけ長期にわたり検死活動を続けた医師は他にはいない。青山さんはこの医師に取材して、黒焦げの身元確認の困難さと遺族への対応の難しさを聞いている。そのなかで、スチュワーデスの服が「不燃服」と誤解されるほどに燃えていなかったという事実、そして、高浜機長の遺体から制服がなくなっていたという事実を知る(96-98頁)。これが何を意味するのかについては、本書を読んでほしい(108-116頁など)。少なくとも、飛行機の墜落という原因以外に、現場では何らかの「作為」が存在したことが見えてくるだろう。この事件のもつ闇の深さを示唆するに十分である。

本書の強みは、青山さんが入手した群馬県警察編『日航墜落事故事件—身元確認100事例集』(1986年5月)などの未公開資料を駆使して、乗客全員の死因を明らかにしていることだろう。機体の各コンパートメントの焼死体の状況(炭化状態の割合)を棒グラブで示したこと、主たる死因について図や表を作成して客観的に明らかにした点は本書の功績といえる(80-108頁)。いずれも、群馬県警察医提供の資料に基づくもので、客観性はきわめて高い。そこから見えてくる一つの結論は、乗客に限定すれば、身元未確認の2人を除く503人のうち、炭化116人、火傷41人、それ以外の遺体(不明または燃えていないもの)346人となり、全体の約3分の1が「燃えた状態」にあったということである(86頁)。しかも、「全体としてムラのない炭化」というのは、航空機事故では「かなり特異な状態」だという。1994年4月26日の中華航空140便墜落事故(名古屋空港)で燃料が炎上し、264人が死亡した。青山さんはこの事故の遺体を検死した医者にも取材し、火傷で黒くはなっても、炭化することはまれという証言を得ている(104-105頁)。

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左側の写真は、『上毛新聞』1985年8月18日付1面に掲載された墜落現場の航空写真(8月13日午前11時撮影)である。墜落から10時間以上たっているのに、まだ煙が立ち上っていることがわかる。燃料タンクは主翼のなかにある。写真には、白い主翼にJALのマークがはっきり確認できる。主翼は白いままで、そこからずっと離れた一帯が真っ黒になっているのはなぜか。今回、群馬県警察医だった大國氏によって提供された、当日朝に上野村消防団が現場に入ったときの写真が本書グラビアに収録されている。それが右側の写真である。はっきりと炎が確認できる。消防団の方の「朝まで燃えていた」という証言を裏付けている。

「朝まで燻り、炎まで上がっている現場状況、消防団の臭いや目撃証言を総合的に見ていくと、遺体状況の比較を加味して考えれば、ケロシンではそこまでならない。ジェット燃料のケロシンは、不時着や突発的事態によって燃料を空中に捨て去ることも多いために引火点も高く、きわめて安全性が高い」と青山さんは書く(79頁)。123便は国内線であるから、残り燃料は1時間半分だけで、上野村の住民が大きな飛行機がくるくる回っている状況を「燃料でも捨てているのではないだろうか」と語っていることから、青山さんは、高浜機長が不時着に備えて燃料を減らしていた可能性も否定できないという。そうだとすれば、なおさら燃料は減るわけだし、何より、夏の山は木々の繁った湿度の高い環境で、10時間以上も炎を出してケロシンが燃え続けるというのは説明がつかない、とも。山火事を経験した消防団の人たちも、乾燥している冬山ならまだしも、夏でここまで真っ黒に燃えることに疑問をもっていたという(79-80頁)。

今回の本の白眉は、御巣鷹の尾根から回収された遺物の科学鑑定である(128-143頁)。上野村の住民たちは、様々な遺物を尾根から拾い集めて大切に保存していた。それを青山さんが入手して、T大学(現段階ではあえて名前を伏せられている)の金属化学研究機関に、学術研究の一環として分析依頼を行った。その結果が本書にそのまま提示されている。分析依頼をしたのが冒頭の写真にあるサンプルである(130頁)。この遺物は何か、そこに含まれているものは何か、表面に付着している黒い物は何か。

組成分析(ICP-MS)と黒い部分の質量分析(GC-MS)を2つのサンプルで行った。非常に簡単に要約すれば、組成分析では、この物体が飛行機の超ジュラルミンが融解した物体であることが分かった。墜落現場からの採取であるから、日航123便の機体に間違いない。なぜか硫黄が大量に検出された。黒い部分の分析からは、ベンゼンが大量に検出され、次にクロロフォルムも検出された。いずれも航空機の搭載物にはないものである。クロロフォルムはなぜそこに付着していたのだろうか。

分析を担当したT大学の研究者によれば、「ジェット燃料のケロシンや灯油は、炭素が直鎖上につながったもの(パラフィン)であり、今回の分析結果のベンゼン(炭素が六角形状になったもの)は(ジェット燃料には)含まれない」とのことだった。つまり、ケロシンというジェット燃料ではなく、ベンゼンを含むガソリンならあり得るということになる。さらに硫黄が付着していたとすると、ケロシンといった上質燃料(安全性が高く精製過程で硫黄を除去したジェット燃料)ではなく、重油やコールタールといった物質の可能性が考えられる。それらに含まれるものに硫黄がある。

本書には、化学系の専門的分析が収録されており、詳しくは本書の説明に譲る。ただ、ここでいえることは、ジェット燃料以外のものが、あの日御巣鷹の尾根に撒布されたということである。これは、上野村消防団の人たちの証言、「現場はガソリンとタールの臭いで充満していた」を裏付ける。

本書がたどり着いた一つの結論は、墜落現場には、123便のジェット燃料ではなく、ベンゼンが多く含まれる大量のガソリンが使われたこと、そして、航空機のジェラルミンが融解してドロドロになって固まり、そこに硫黄成分を含むゴムのような粘着性の高い物質が付着していたということではないだろうか。これと一致するのは何か。そのことのもつ意味については、すべて本書に譲る(145-154頁)。

本書は、結論部分で、運輸省の事故調査委員会(当時)が、果たして国民の信頼に値するものかどうかを問う。事故調査報告書が、生データを改ざんして書かれている可能性を指摘し、今後、第三者の目で精査する必要性があると指摘する。国際民間航空条約によれば、再調査に時効はないから、と。

本書を通読して感ずることは、青山さんのこの問題に対する気迫である。いかなる組織にも属さず、取材、調査、鑑定依頼など、すべて個人で、私費を投じて行ってきている。その彼女の姿勢に共感して、この22年でたくさんの人々が彼女に協力するようになっている。それが本書の随所に活かされている。本来ならば、メディアや公的機関が事実関係を調査し、しかるべき結論を出すべきものだったのである。

本書は当然のことながら一般書として書かれたものであり、学術書ではない。博士論文を書いた青山氏にとれば、学術書にすることも可能であったが、一般人にも分かりやすい内容でなければ、この問題を世に問うことは出来ないと考え、編集者と協議の上、情緒面も含めてわかりやすく書かれている。

最も語るべきことは、捜査機関の落ち度である。刑事事件では初動捜査が決定的とされながら、「8.12」の当日、墜落原因とされた最大の証拠物たる後部圧力隔壁が、現場に入った自衛隊員によって電動カッターで五分割されていたことは、前著で指摘されている。この部分は「修理ミス」とされている部分に近接しており、これこそ「現場保存」がなっていなかったことの証左であろう。捜査機関が、自衛隊によるこの「五分割」を非難したということを聞いたことがない。青山さんが個人で行ってきた目撃情報の発掘も、本来、捜査機関が行うべきものである。青山さんは「現場百回」のように御巣鷹の尾根に登っているが、目撃情報や現場に残された遺留物に対する捜査機関の関心が、この件ではなぜか異様に低いのである。そして、検察もまた本気で問題に取り組んだとは思えないようなあっけなさで不起訴の結論を出している。520人の命が失われた原因が解明されないままに放置されている。

しかるべき公的機関が事実に基づいて調査をして、しかるべき結論を出すことを怠ってきた33年間だったのではないだろうか。青山さんは巨大な問題に小さな個人で立ち向かい、3冊の本を通じて、世の中に対して問題提起を行っている。それは本来、メディアがなすべき仕事である。だが、どのメディアの関係者も当初は飛びついてくるものの、問題の深刻さに気づくや、あるいは徐々に、あるいは急速に撤退していってしまう。

青山さんの今回の著書『遺物は真相を語る』で示唆されていることは、捜査機関や事故調査委員会が本来やるべき仕事を意図的に控えたのではないか、という疑問である。ここ数年の出来事と重なるところがある。すなわち、安倍首相に関わる「モリ・カケ・ヤマ・アサ」の問題では、「優秀な日本の警察・検察」の動きが驚くほど鈍くなることを、私たちはすでに目撃している。相手が巨大な権力者に関係している場合、事実の隠蔽、捏造、改ざんが行われてきたが、この「123便事件」においては、その規模と内容はとてつもなく大きなものである。当時の中曽根康弘首相が主導的役割を果たし、米国政府や巨大軍需産業が絡んで33年間隠し通してきた。2014年には、「123便事件」の秘密は、60年を過ぎても公開しないという法律が制定され、事実の隠蔽の永続性が確保された(直言「特定秘密保護法の「還暦条項」」参照)。「後部圧力隔壁破損による急減圧」が事故原因という「フェイク」がこれからも通用していくのか。

ところで、「123便事件」に疑問を持つことに対しては完全な黙殺か、こうした問題に取り組むことを「陰謀説」として一笑にふす方法が定着している。疑問の中身に一切立ち入らせないという手法である。そのために、ネット上にあえて荒唐無稽の「陰謀論」を拡散させて、問題解明に煙幕を張っている疑いもある。

この「直言」でも2010年に初めてこの問題に触れてから何度も書いてきているが、読者の反応はほとんどない。ところが不思議なことに、管理人が、私のホームページへのアクセス数をチェックしたところ、この8年間、最も読まれているバックナンバーがこの日航123便関係の「直言」だという。関心はきわめて高い。しかし、この問題に関心があると公言することがはばかられているのではないか。この事件には不思議な「空気」が存在するようである。

「あったことをなかったことにはできない」といって、加計学園の獣医学部新設問題をめぐって、「総理の意向があった」と記された文書の存在を証言した前・文科事務次官の前川喜平氏。先日、同氏の『面従腹背』(毎日新聞出版、2018年)を一気に読了した。そこに貫かれているのは知的誠実さである。これは最大の力である。青山さんの仕事にもそれを感ずる。

権力の腐朽と腐敗の度合が安倍政権のもとで劇的に進んでいる。一人ひとりの市民が、それぞれの立場で、それぞれができることを誠実に取り組むことがいま、求められている。

なお、「青山透子のブログ」には、この問題への読者の声やそれに対する青山さんの回答などが載っているので、参照されたい。

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《付記》
8月8日、翁長雄志沖縄県知事が67歳で急逝された。1期目の任期を残して、しかも辺野古の埋め立て承認の撤回を表明したわずか12日後だった。沖縄とこの国の将来にとって、きわめて重大な局面での、きわめて重大な損失である。安倍首相と菅官房長官の翁長知事への冷たい対応はしっかり記憶に残すべきである。3年前の直言「憲法政治の「幽霊ドライバー」。をこの機会にお読みいただき、翁長知事の毅然とした態度を心に刻みたいと思う。「直言」の本論で翁長知事についてまた触れたいと思う。心から冥福をお祈りしたい。

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