安倍カラーに染まった日本――なぜ日韓関係はここまで悪化したか
2019年8月26日

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8月24日、安倍晋三首相は第一次内閣を含めると、在任期間が佐藤栄作(2798日)を抜いて、戦後最長となった。このままいけば、11月20日に、同じ長州出身の桂太郎(2886日)を抜いて、憲政史上最長のレコードを達成することになる。2007年9月12日に、誰がこのことを想像できただろうか。

5年半前、直言「安倍カラーに染まる日本―「ねじれ」解消の果てに」を出した。そのなかでこう書いた。

「…歴代首相のなかで、自分の名前を冠して自らの「カラー」を強調するのは、安倍氏をおいてほかにいない。どんな長期政権でも、「佐藤カラー」「中曽根カラー」という言葉は存在しなかった。なぜ安倍首相についてのみ「カラー(色)」がかくも語られるのか。中身が「空」(から〜)だから、ことさら「色」(カラー)が強調されるのだ、などと言うつもりはない。しかし、ここまで「カラー」が強調されるのは、やはり異様である。相手も世界も「自分色に染めてしまおう」、というのは何とも恐ろしい。人や状況も考慮しないで、長年の慣行さえも無視して、強引に自分の好きな色だけに染めてしまうこと。それに染められていくこと、ストッパーなく安倍色だけに傾いていくことのバランスの悪さを、有権者はもっと警戒すべきである。」

だが、この国の有権者の約半分は投票所に向かわず、その結果、安倍首相は6回の国政選挙ですべて「勝利」している(桂太郎は3回)。1年ほど前の直言「「安倍カラー」で空洞化する大学」では、「最近、「安倍カラー」という言葉を聞かなくなった。この国全体がすでにその色に染まり、「安倍一強」という言葉に吸収されてしまったからだろうか」と書いた。そこで今回は、「安倍カラー日本」と過去形のタイトルに変更する。

この間で最も大きく変わったのは日韓関係だろう。ついこの前まで、北朝鮮への憎悪むき出しで、「対話はなく、圧力以外ない」といっていた安倍首相が、トランプが金正恩に接近するや、今度は「前提条件なしに会談する」と態度を一変した。2年前はJアラートを全国各地で鳴らして危機をあおり、とうとう少子高齢化とあわせて「国難突破解散」として衆議院を解散した。いま問題化している「あおり運転」に例えていえば、これは国政の「あおり運営」である。

直接のきっかけとなったのは、2018年10月30日に、韓国の最高裁にあたる大法院が、新日鉄住金の上告を棄却して、元徴用工への損害賠償を命ずる判決を確定させたことである。安倍首相は「国際法に照らしてありえない判断だ」とすぐさま非難した(10月30日、衆議院本会議、各紙31日付参照)。これ以降、メディア(特にテレビ)は政府の主張に傾いた報道を続けている。山本晴太「「徴用工判決」で報じられない「不都合な真実」」Web論座(2018年11月23日)が直後の論評としてはわかりやすいが、この判決にはいろいろな問題が含まれている。

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ことの発端は、判決に対する安倍首相の感情的な対応にある。1965年の日韓請求権協定を絶対的な前提として、そこに含まれる問題や解釈の余地があることをすべて投げ捨て、「国際法違反の韓国」という形で徹底否定の態度をとった。安倍首相は、「戦後レジームをぶっ壊す」という立場なので、官邸の経産官僚がこれに悪のり忖度して、純粋に輸出管理の問題であるはずの「ホワイト国」問題を意識的にリンクさせたために、さらに問題がこじれてしまった。日本政府が徴用工判決と「ホワイト国」問題はまったく無関係と装えば装うほど、韓国側の怒りは深くなっていく。こうした政権の「あおり運営」の結果、あおられた韓国が、とうとう日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄まで通告するところまできてしまった。こういう状況になると、安倍首相が突然寡黙になるのはいつものことである。だが、メディアはもっぱら韓国側の事情ばかりを問題にして、安倍政権側の不都合な事情を取り上げない傾きが強い。

少し調べればわかるように、日韓請求権協定では個人の請求権は消滅しないという立場をとってきたのは日本政府である。少なくとも小渕恵三内閣まではその線でやってきた。森喜朗内閣の時に、解釈の転換を行って、あらゆる戦後補償裁判で「条約(サンフランシスコ平和条約、日韓請求権協定、日華平和条約、日中共同声明)により解決済み」と主張し始めた。これは、日本人被害者から補償請求を受けていたときには「条約により放棄したのは外交保護権にすぎず、被害者は加害国の国内手続きにより請求する道が残っているので日本国には補償責任がない」と主張し、外国人被害者から賠償請求を受けると「条約により日本の国内手続きで請求することは不可能になったので日本国には賠償責任がない」と手のひらを返したわけである(前掲・山本論文参照)。 徴用工訴訟では、消滅していない個人の請求権を主張して、裁判所で認められ、大法院で確定したわけだが、その背景には、韓国の場合、司法に対する「民意」の影響が日本に比べて大きいことがある。2017年3月、朴槿恵大統領(当時)に対する弾劾審判において、韓国憲法裁判所は認容(罷免)の決定を出したが、これはかなり「民意」に引きずられた側面がある(直言「韓国憲法裁判所による大統領弾劾審判―立憲主義と民主主義の相剋」参照)。大法院判決の多数意見は、強制徴用被害者の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象外としていて、理由の部分で韓国政府の見解と異なっている。もし、三菱マテリアルの和解(中国人元労働者)のケースと同じように、新日鉄住金が元徴用工の原告と和解の手続きをすすめていれば、ここまでこじれることはなかっただろう。下級審段階での和解の動きにストップをかけたのは安倍首相である。過去清算の問題における政府の立場が「安倍カラー」になったわけである。

安倍首相は、大法院判決に対して、韓国政府が何もしないことをなじり続けた。これには世界が仰天した。一国の最高裁が下した判決がどんなに受け入れられないものだとしても、他国の政府が、それを当該国の行政府に是正せよと求めるというのは、権力分立の何たるかを理解していないことを意味する。本来ならば、政府部内において、こういう判決が出た場合、国際法(国際人権法も含めて)の知見を踏まえた慎重かつ冷静な議論が必要である(萬歳寛之「日韓請求権協定と韓国徴用工判決」『論究ジュリスト』2019年夏号67-74頁参照)。ところが、河野太郎外相は、安倍首相に忖度・迎合して、高飛車な対応をとったために、韓国側は立つ瀬を失ってしまった。

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悪いことに、首相の意向を受けて、官邸の経産官僚が、韓国にお灸をすえてやれとばかり、たまたま同時期に問題になっていた輸出規制の問題(「ホワイト国」)にリンクさせてしまったから、さらに問題はこじれてしまった。実務担当者間の「協議」の場も、ゴミがちらかる粗末な部屋が選ばれ、いやがらせに近いやり方をとった(これは韓国国民を怒らせた写真)。

なぜ、日本は周辺諸国との良好な関係を築くことに失敗しているのか。14年前の直言「「対話の不在」克服への道」で、英国のアジア研究者の言葉を紹介した。

「ドイツは植民地の多くを第一次大戦で失った。日本には、戦前から植民地化した台湾や朝鮮半島、旧満州の問題がある。そこが大きな違いだ。…英仏など欧州の宗主国は、戦後10年から20年をかけて植民地が独立するまで、つらい葛藤の時期を体験した。どうしたらお互いの信頼を勝ち得るかで悩み抜いた。他方、敗戦直後に植民地を切り離された日本は、冷戦構造に組み込まれ、旧植民地の多くと対話が途切れた。そこに一種の「記憶の空白」が生じた。歴史認識の問題の根っこには、その「対話の不在」があった…」。

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戦後74年にもなるのに、「対話の不在」をさらに拡大して、日韓関係をここまで悪化させた安倍政権の罪は深い。かつて直言「「反日デモ」とペットボトル」で、次のように「3R」について書いた。

「…被害を与えた側がその事実を忘れ、あるいは無神経な発言をする。それが被害を受けた側の怒りと苛立ちを増幅させ、祖父・祖母の代の怒りは次の世代にまで、増幅して継承されていく。これは不幸である。だからこそ、日本の市民の「歴史への眼差し」が大事である。そのためには、「歴史を読んで理解する」(Read)と同時に、日本が過去に行った行為について「思い起こす」(Remember)ことが大切だろう。こういう積み上げのなかで、隣人との間で信頼関係が「再び築かれていく」(Reconstructed)のである。」

いま、戦争を知らない世代どころか、朝鮮や台湾に対する植民地支配を知らない世代が多数を占めている。歴史修正主義の空気が蔓延している。テレビのワイドショーなどでは、嫌韓的仕切りで盛り上がっている。情けない限りである。自民党内では、石破茂議員が「安倍色」に染まっていないのが数少ない希望といえるかもしれない。石破氏は8月23日付ブログで、韓国政府が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を通告してきたことについて、「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」と指摘している。ネット上では、「石破は立憲、共産へ行け」みたいな議論が飛び交っている。

『日刊ゲンダイ』に作曲家の三枝成彰氏が「中高年革命」というコラムを連載している。その93回のタイトルは、「韓国の言い分が理解できない人は会津に行くといい」だった(2019年8月24日付)。日韓関係が泥沼化するなか、「なぜ日本側の主張が通じないのか疑問だという人は、会津に行ってみるといい」と書く。会津で乗ったタクシーの運転手が「戊辰戦争で亡くなった会津の人たちの遺体を3年間も放置した」と憤慨していたとして、「実際はそんなに放ったらかしにしていないんだけど、やられた方は永遠に心に刻む。150年経過しても忘れることはないだよ」と。日韓は併合した年から数えても109年。戦後からだと70年ちょっとだ。その程度で、やった方が「そろそろ水に流そう」と持ちかけても、認めるわけがない。それを僕は会津に行って学んだ」と。

長州出身の安倍首相が「明治150年」(官邸HP)を推進したのに対して、福島、特に会津若松市は「戊辰戦争150年」(会津若松市HP)と切り返した。私は昨年3月に会津を訪れて、「戊辰戦争150年」のあとを訪れた。会津武家屋敷は衝撃的だった。外見はどこの城下町にもある武家屋敷。だが、ここは家老・西郷頼母の家を復元したもので、会津戦争の時、迫りくる薩長軍を前に、一族21人(最年少は2歳)が白装束で自刃したその現場が再現されている。こんな悲しい武家屋敷は他にどこもない。三枝氏は、会津での体験から日韓問題への視点を打ち出しているが、氏は1942年生まれの77歳である。

どこかの講演で声をかけてこられた野村光司さん(90歳)という陸軍士官学校61期生の方から、8月21日現在での個人的備忘録としてまとめたものが、私にメールで送られてきた。拝読して感銘を受けた。野村さんの許可を得て紹介する(全文PDFはここから読めます)。

野村さんは、1928年10月生まれ。1945年2月陸軍士官学校61期。同年11月旧制第八高等学校転入学。1951年3月東京大学法学部卒業。同4月大蔵省入省。1973年日本航空に転職。1988年定年退職されている。愛知県立中学4年の時、学徒勤労動員で、三菱重工道徳工場において偵察機の尾翼を組立てる仕事をしていた。今回、韓国の大法院で三菱重工業に勝訴した原告は、同じ道徳工場で働いていたことを知った。以下、野村さんの備忘録からの引用である。

三菱などの日本企業も外国で事業をする以上、その国の主権に従い、裁判で最終的に敗訴すればこれに従うのは止むを得ないことで、大三菱としては僅かな金額を早々に支払ってすっきり事業を継続したいはずだが、恐らく現政権の指導下で差止めているものと推察される。…1965年12月18日発効の日韓基本条約も日韓請求権協定も、米国の勧奨で結ばれたものであるが、両国の国会の批准を経た憲法98条2項の「日本国が締結した条約」として自らも守り、相手にも要求できるものである。しかし条約と言うものは、相互に対価(英米法でconsideration)を交換するものであって、請求権協定の対価は、日本国民の税金で朴〔正煕〕政権の眼鏡に叶った「お友達」開発業者を儲けさせ、日本政府の眼鏡に叶った輸出業者を儲けさせるもので、それ以外には一銭も使わないこととなっている。国家間で賠償金を払うこともなく、受益企業はそれ以上請求できないにしても、政府と業者が催す宴会に全く預からない一般の庶民の請求権が、新たな法律の制定もなく消滅させられるいわれはないのである。

本年7月、新たな輸出規制問題で来日した韓国の高官に対する経産省官僚の対応の無礼さは驚くべきものがあった。対等な外交に相応の会議室はあろうものを、粗末な物置を急遽片付けたような部屋で入り口には粗末な紙片に、「(外交ではない)業者が官僚にご高説拝聴」様の「説明会」を張り付け、韓国側は背広にネクタイなのにこちらは開襟・袖なし、自室で執務中の姿。植民地の職員が宗主国の官僚に伺候する劇になっていた。握手もなく「お役目ご苦労」、「遠路ご苦労さま」のねぎらいも無く、韓国を国家として侮辱するものであった。

私は国際友好を司る外務省に電話して経産省に外交儀礼を教えてやって欲しいと意見したが「経産省の責任でおやりなので」との回答であった。仄聞するところ官邸から韓国に報復・侮辱の方法を検討するよう示唆があって、外務省は干されて現政権に最も癒着している経産省が率先して編み出した措置らしい。このことがあって数日して外務省トップの外務大臣自身が、駐日韓国大使を呼びつけて激怒の様相で叱りつけているのを見て、これは慰安婦問題でお冠の首相官邸の指導下の作られた、政権挙げての韓国侮辱劇だと理解できた。

輸出規制の厳格化は、大きな制約は無いと弁明されているが、実質大きな問題が無いなら、なぜ韓国国家を抽出して外交上の格下げをしたのであろう。要するに韓国を国として日本国が侮辱する政策を取ったものと理解できる。

野村さんは、日韓関係をどのようにすれば改善できるかを提言されている。詳しくは、ここからお読みいただきたい(PDFファイル)。

《付記》
文中の写真は、2003年6月23日の沖縄全戦没者追悼式の際、「平和の礎」の前で韓国人遺族が慰霊するところを撮影したもの。
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