中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)
2019年10月7日

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界のいろいろな国を訪れてきたが、中国は私にとって一つのハードルだった。それは、40年前、「ベルリンの壁」がまだあった時代の旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)を訪れた体験が大きい。「壁」が崩壊してドイツが統一した4カ月後に東ベルリンの中心部に住んで、まだ残っていた国家社会主義の現実を追体験した。「6月17日事件」へのこだわりも、その時生まれた(直言「軍が民衆に発砲するとき」参照)。

憲法研究者としては、旧東ドイツ憲法47条2項が、「民主集中制」を国家の統治原理としていることへの圧倒的違和感があった(直言「立憲主義と民主集中制」)。人権保障と権力分立を二大柱とする近代立憲主義と、社会の部分(part)であるパーティ(party)が国家・社会の全体(all)を支配するシステムの正当化原理である「民主集中制」とは相容れない。「民主集中制」を憲法で定める旧ソ連や旧東ドイツの憲法は「外見的立憲主義」ですらなく、私は「外皮的立憲主義」と呼んだ。そして、中華人民共和国憲法3条1項も、国家機構の原則を「民主集中制」と定めている。共産党という一つのpartyの組織原則を、国家の大原則にまで高め、それに憲法上の根拠を与えている。1989年6月の出来事も、そこに根本的原因があったのではないか。こういう立場からこの20年あまり、何度か機会がありながら、私はこの国との距離をとってきた。

では、なぜ今回、その中国を訪れることにしたのか。一つには、私が大学院で指導してきた洪驥君(地方自治の研究で博士号取得)が南京の大学で専任講師として研究・教育にたずさわっていて、私の訪中を強く求めてきたことによる。国のあり方に批判はもっていても、そこで生きる人々や研究者との交流は必要であり、同時に、その国の状況について自ら「現場」に乗り込んでしっかり取材する。これが私のモットーのはずである。そう考えて今回、初の訪中を決断したものである。南京航空航天大学人文・社会科学学院から正式の招聘状が届き、実に手厚い歓待を受けた。

9月22日から26日まで南京のホテルに滞在して、南京航空航天大学人文・社会科学学院で「日本国憲法第9条と東アジアの平和」というタイトルで学生たちに講演するとともに、同大学主催の第二回中国航空産業法治フォーラムで報告した。これについては、連載の第3回で紹介する。

さて、南京に滞在した22日からの週が、まさに「中華人民共和国建国70周年」のジャスト1週間前であったことから、今回は「建国70周年の南京」について書くことにしよう。

南京は地下鉄網が発達していて(日本語路線図PDF)、現在さらに2本の路線が建設中という。料金は東京の地下鉄よりも安く、100円足らずの金額でかなりの距離を行ける。円形のプラコインをもって、改札にタッチすると入場できる。実に便利だが、その前に手荷物検査がある。世界各国の地下鉄を使ってきて、手荷物検査は初めての体験だった。一般の市民が移動する時間帯はけっこう混んでいる。滞在4日目に一人で地下鉄を乗り継いで取材をしている時、シルバーシート(優先席)の前に立ったら、若い女性がどうぞと席を譲ってくれた。これを二度も体験した。私も前期高齢者だが、日本で席を譲ってもらった経験はない。

市内のいろいろなところを見てまわった(南京虐殺関係の現場めぐりは連載第2回参照)。訪れる場所間に距離がある時はタクシーを使った。洪君が配車アプリ「滴滴出行-DiDi」を使って手配してくれたおかげで、いつでも、どこでも数分でタクシーがやってきて、しかも安い。距離の離れた場所を取材する場合でも、困難はなかった。あとは、あえて歩くことに徹した。私のスマホの「万歩計」によれば、中華門など戦争にも関連する観光地をまわった2日目が9.8キロ、南京虐殺の現場めぐりの3日目が13.9キロ、学会報告のあとに一人で南京虐殺記念館などをまわった4日目が7.3キロと、3日間で合計31キロ歩いた。地下鉄、タクシー、徒歩で南京市内の主なポイント(観光ガイドにない場所を含む)を見てまわった。今回、法学部助手の望月穂貴君も同行し、彼が市内の見るべき歴史スポットをリストアップしてくれて、それを参考にまわっていった。

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南京市内は「建国70周年」の1週間前ということで、メインストリートはいうまでもなく、一般の市民が買物をする路地も店ごとに、さらには公衆トイレにまで国旗が掲げてある。揚子江沿いの散歩道にも、くまなく国旗が掲げられている(冒頭の写真右参照)。しかし、テレビのニュースで流されているような、市民が国旗をもって歩いたり、集合住宅の窓という窓から国旗が出されたりするというような場面には出くわさなかった。

国旗に次いで目につくのは「社会主義核心価値観」のスローガンである。中国共産党第18回全国代表大会(2012年11月)以降、中国共産党が広く宣伝しているもので、12の標語(富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、法治、愛国、敬業、誠信、友善)からなる。(1) 国家が目標とすべき価値が「富強」「民主」「文明」「和諧」、(2)社会で重視されるべき価値が「自由」、「平等」、「公正」、「法治」、(3) 一人ひとりが守るべき価値が「愛国」、「敬業」、「誠信」、「友善」ということになる。

冒頭左の写真を拡大してご覧いただきたい。ショッピングモールの外壁に「社会主義核心価値観」が掲げられているが、その真下にスターバックスの店舗の看板が。「社会主義核心スタバ」(笑)。実は、2日目の取材の時、興味があって中国のマクドナルド(麦当労)に入ったが、その場所は南京中心部「珠江路」交差点近くのマクドナルドだった。カウンターのメニュースタンドに立っている紙に「有事」とある。「一朝有事」「有事法制」が頭にあるので、一瞬「民間防衛」かな、と思ってよく見ると、笑顔とハートがついている。「何かあったら、私にお問い合わせください。」ということらしく、笑った。ドイツのマックは売り子がニコリともしないが、中国のマックは笑顔だった。「笑顔もサービス」はここにも浸透してきたのだろうか。

南京市内の地下通路などのショーウィンドーや壁には、「社会主義核心価値観」のスローガンが品を変え、形を変え、色を変えて掲げられている。「自転車通行禁止」「喫煙歩行禁止」「ゲロ吐き禁止」など細かな規制のすぐ下に、このスローガンが並ぶ。手取り足取りモラルを教えているようだ。どこに目をやっても、これが目につくので、うんざりしたところでタクシーに乗ると、乗客の注意事項のすぐ上にこの標語が並んでいる。また、中華門に向かう長い塀沿いに歩いていくと、「社会主義核心価値観」の12の標語すべてが、絵物語のように描かれている。手書きで。地下鉄に乗ると、車内液晶モニターには、「建国70周年」の宣伝広告が延々と流されている。

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そもそも、12の標語のそれぞれの意味、相互関連はどう考えられているのだろうか。私がまず感じたのは、「立憲」がないこと。そして、「法治」の特殊な定義である。

最も重視されている価値は「富強」である。10月1日の天安門広場での軍事パレードに象徴される、核を持つ大国である中国のありようである。「民主」を重視するならば、香港の民衆の声に耳を傾けねばならないところだが、その兆しは、今のところ見られない。10月1日以降、強硬策に出る可能性も否定できない(追記:1日、香港警察は高校生に実弾を発射した!)。民衆の声を力で押しつぶすのは「文明」国とはいえない。和諧、すなわち「調和」のとれた発展をめざすならば、力の政策はふさわしくない。

「自由」「平等」「公正」「法治」がすべて国家の目標とすべき価値ではなく、もっぱら社会で重視されるべき価値とされていることは問題だろう。「国家からの自由」という人権の本質が、この国では社会における規範(ルール)に格下げされている。とりわけ問題だと思うのは、「法治」の扱いである。「立憲」がない以上、「法治」の射程も狭いものとなることは容易に想像がつくが、市内にある「法治」に関するポスターや絵などを見ると、西欧的な意味での「法の支配」(rule of law)、つまり専断的な国家権力の支配を排除して、権力を法で拘束・統制するという考え方とはかなり異なるようである。「法の支配」の場合、統治する側もまた、より高次の法に拘束されることが含意されているが、中国の「法治」にはそれが完全に欠落している。軍の駐屯地の壁に掲げられていた「社会主義核心価値観」の「法治」の部分をよく見てみると(左側写真)、警察官の背後の壁に「百善孝為先」(百の善行のうち親孝行がまず第一だ、という中国古来のことわざ)とある。男性はおそらくおばあさんの息子にあたり、素行不良で、親孝行をしないようである。そこで、国家権力が介入し、「法治」を介入のための道具として用いて私生活のど真ん中に介入し、今後親孝行するように指導している。帝政中国時代の「法」と「道徳」を混同させた価値観とあまり違わない。親孝行をしない一般市民に対して、いつでも警察は「行政指導」ができ、私生活が公権力の全般的な「後見」の下に置かれる。これが「社会主義核心価値観」でいうところの「法治」だったのか、と改めて認識できた。

個々の市民は、「愛国」、「敬業」〔勤勉〕、「誠信」、「友善」が課せられている。党と中央政府には、国民の批判が自らに向かうことはないという「確信」があるのかもしれない。まさに権力者の「確信価値観」である。だが、これをまともに、正面から納得している人がどれだけいるのだろうか。

ホテルの部屋には、大きな壁掛け型のテレビがあった。チャンネル数は、地上波以外を含めて50以上あり、珍しいので夜遅くまで見ていた。中国中央電視台(CCTV)が1チャンネルから10チャンネルくらいまであって、第1チャンネルが総合テレビで、ニュース以外では愛国歌の合唱みたいなのが流れている。サッカーの応援みたいに、頬に国旗をはりつけ、老若男女、大人も子どもも、いろいろな職業の人が、一点を見据えて愛国歌を熱唱している。米映画「スパイダーマン」の宣伝ビデオが流れるが、しばらく見ていると「我愛你」の愛国歌になっている。どこでそうなったのか、よく見ていなかったので切れ目がわからない。いずれにしても、重低音を響かせて、部屋に愛国歌が響く。宇宙ものかと思って見ていると、月に着陸した探査船がアップになり、さらに白い船体についている五星紅旗(中国旗)が大写しになって終わる。こちらまで洗脳されそうである。

CCTVの7チャンネルは「国防」で、独ソ戦や朝鮮戦争などの戦史をやっていた。中国軍の訓練風景も出てくる。ドラマは圧倒的に抗日ものや国民党軍との内戦もの。毛沢東や周恩来によく似た俳優が出てくる。私が4晩見ていた範囲では、日本軍の残虐シーンはなかった。NHKの海外放送もあるが、ニュース以外は幼児番組か観光番組が中心でおもしろくない。

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ここまで細かく、ここまで徹底して、国民に「愛国」を求めるのはやはり不自然である。愛国心が足りないと国が要求するのは本末転倒ではないか。カトリック教会などにも愛国歌やおどりを強制して問題になっているようだが(カトリック教会関係者のサイト参照)、やはり無理が出ているように思う。地下鉄の車内モニターでも、最後は習近平主席の顔で終わる。彼のスローガンについて学習させるための書籍も入手した(実質的な『習近平語録』)。本のタイトルにもなっている「初心忘れるべからず、使命を牢記すべし」(不忘初心、牢記使命)は、駅の通路など、あちこちに掲げられている。これをタイトルにした愛国歌(「不忘初心」)もあり、職場ごとに70周年式典で披露するため練習を課せられるという。

10月1日を前にして、香港の状況は一段と緊張しているが、南京滞在中、CNNをみても、香港の状況はわからなかった。うまくカットされているのかどうかはわからない。都合の悪いニュースの「暗転」は体験しなかった。帰国後に見た『南ドイツ新聞』9月30日付は、中国政府による「上からの誕生日」に対して、「下からの誕生日」と題して、香港の若者たちの激しい怒りと批判を伝えていた(Süddeutsche Zeitung vom 30.9.2019)

70周年を迎えた中国はいま大きな曲がり角に来ている。毛沢東の「大躍進政策」(1958〜61年)の悲惨な結末、これで失脚した毛沢東が権力を簒奪しようとして発動した「文化大革命」(1966〜76年)の巨大な傷跡、ケ小平による「改革開放政策」(1978年〜)がもたらした市場原理主義と貧富の格差、そして「天安門事件」(1989年)。これから中国が開かれた国になるのか、それとも、より力の政策を誇示していくのか。「建国70周年」記念式典の軍事パレードは過去最大規模といわれ、米国本土を射程内におさめる大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風41」も披露された。あまりうれしくないニュースである。

「建国70周年」を迎えたといっても、それは俗にいう「中国4000年の歴史」のほんの一部である。このやっかいな、しかし重要な大国とどう付き合っていくか。そのためには、日本のやっかいな政権では無理だろう。市民レベル、研究者レベルの交流を強めて、まさに「下からの誕生日」を祝えるようにすることこそ肝要であろう。

日本と中国の関係を考えるには、過去の問題、戦争責任の問題が重要である。次回は南京を歩きながら考えたレポートをアップする。

(2019年10月1日脱稿。この項続く)

10月7日(今回):中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)
10月14日:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)
10月21日:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

《付記》
10月4日、香港政府は行政長官に権限を集中する「緊急状況規則条例(緊急法)」を発動して、立法会(議会)の審議を経ない「緊急法」として、「覆面禁止法」を制定した。香港の民主派は「法治主義の崩壊だ」と反発している(『朝日新聞』10月5日付)。「社会主義核心価値観」にいう「法治」の中身が、ここへきてさらに浮き彫りになってきたようだ。
(10月5日追記)

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