「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)
2019年10月14日


《お断り》台風19号の影響でアップが遅くなりました。連載第2回の「「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)」は10月21日に掲載します。

写真1

写真2

風19号による猛烈な雨によって、東日本に洪水の危険が迫っている。この写真は10月13日(日)午前、私が撮影した川崎市多摩区の多摩川である。対岸は世田谷区。気象庁の「指定河川洪水予報」(関東甲信)をクリックすれば、身近な危機を認識できるだろう(14日時点のPDF)。「指定河川洪水予報」(東北)を見れば、福島県の河川の緊急事態が認識できるだろう((14日時点のPDF))。福島第一原発の汚染水がこの台風でどうなったのか。「福島第一原発で水漏れ警報10件 汚染水漏れ確認されず」(『朝日新聞』デジタル10月13日22時01分)という記事があるものの、メディアは詳しく報じていない。東京五輪を前にして、世界が注目する話題にならないように、「東日本大震災」と「東日本大水害」という、いま、そこにある危機が十分に認識されていないように思われる。台風19号による水害でどれだけの方々が亡くなったのか、全貌はまだわからない。事前の気象庁予報課長の必死の呼びかけは、どれだけ真剣に受けとめられたか。

まだ先月の話である。9月8日11時に気象庁は緊急記者会見を開き、「関東を直撃する台風としては、これまでで最強クラス。夜になって接近とともに世界が変わる」と警告していた。この言葉を主要新聞(朝毎読)は記事として残さなかった(直言「安倍政権が史上最長となる「秘訣」―飴と鞭(アベと無知)」参照)。9月9日以降、千葉における長期大規模停電という大災害が起き、まさに首都圏で「世界が変わる」ことになった。この時、緊急対応を必要とする重要な初動の3時間を、安倍首相はお友だち関係の結婚披露宴の会場で過ごしていた(同上「直言」参照)。

この10月12日(土)に上陸した台風19号。何より米軍の統合台風警報センター(Joint Typhoon Warning Center(JTWC))が早くからこの台風に注目しており、その予測は正確だった。米軍人の命と米軍基地の安全のためという目的がはっきりしている分、わかりやすい。だからよけい、これが尋常でない台風であることがわかる。そう考え、10月7日(月)午前送信の「直言更新のお知らせ」というメルマガで、次のように書いた。

「台風19号が近づいています。広島大時代、厳島神社の能舞台が倒壊するなど大きな被害を与えた「1991年台風19号」のことを思い出しました。因縁の「19号」。気象庁が警告していますが、政府は何も手を打とうとしていません。災害対策基本法は60年前の伊勢湾台風がきっかけで制定されました。その災害対策の法律群を十分に活用せず、この間の豪雨災害や千葉の大停電などに十分に対応できていない政権が、首相に権限を集中する緊急事態条項を導入する憲法改正に前のめりになっています。誰のため、何のための憲法改正かがよく見えてきたように思います。12日から大阪で学会があるので影響が心配です。・・・」と。

私はこれを出した時、迷っていた。12日から14日まで、大阪大学を中心に憲法関係の学会が3つあるので、これに参加すべく、航空券・ホテルをネットで入手していた。11日5限の講義があるので、それを終えてから夜遅く現地入りするか。でも、会場が大阪空港(伊丹)から3キロちょっとなので、タクシーを飛ばせば間に合う。12日朝8時羽田発の全日空15便を使って9時5分に大阪空港に着き、9時30分からの学会報告がギリギリ聞けると判断した。そのため、朝5時15分発の羽田空港行きリムジンバスのチケットも購入した。何でこんな細かく書くかというと、これは学会出張なので、大学に経路から便まで細かく書かされて出張手続きをしなければならないからである。そうまでして12日からの大阪での学会に備えていた。

写真3

テレビの天気予報を見るたびに、キャスターの顔に緊張が走るのに気づいた。これはただごとではない。12日には猛烈な台風が東海から関東地方を確実に直撃する、と。留守中の家族が心配なのと、孫たちが多摩川の近くに住んでいるので、これも気になり、思い切って7日22時32分、ネットを通じてすべてをキャンセルした。まだ台風のことが大きな話題になる少し前だったので、研究費を扱う事務職員は早々とキャンセルしたことに驚いた顔をしていた。『朝日新聞』が最初にこの台風のことを活字にしたのは、翌8日付第1社会面だった。妻と私はこの日のうちに、車で水や保存食料、電池、カセットボンベなどを買い出しにいった。店側は台風用品のコーナーを拡充していたが、客はまばらだった。帰宅後、貴重品や予備のパソコン(親指シフト)などを入れた緊急持ち出し用のキャリーケースも用意した。

9日から11日にかけて、新聞には、さまざまな行事やイベントが中止や延期になったという記事が続いた。11日付夕刊の見出しは、「台風、大規模計画運休 首都圏在来線、午後は全線ストップ 19号、あす上陸へ」だった。そうしたなか、私が参加を予定にしていた学会は3つとも開催が決まった。開催校からは、「お気をつけてお越しください」という連絡が流れた。猛烈な台風が迫るなか家族を残していくことに悩む会員たちへの配慮はそこになかった。わが同僚たちは、11日午後、大阪に向かって出発していった。その日夕方のテレビニュースは、羽田・成田発の全便欠航と新幹線を含むJR各線、私鉄の計画運休などを伝えていた。

写真4

翌12日になると、断続的に風雨が激しくなっていく。14時39分、突然、スマホが警報音を鳴らした。緊急速報「エリアメール」である。気象庁が配信する「緊急地震速報」「津波警報」「気象等に関する特別警報」、各省庁・地方公共団体が配信する「災害・避難情報」(Jアラートにて配信される国民保護情報等)を受信する設定にしていたことを思い出した。この時受信したメールの配信元は、私が住む府中市。「多摩川の増水に伴い、14時35分、次の地域に対して、「避難準備・高齢者等避難開始」情報を発令します。お年寄りやお子様連れの方は避難を開始してください。」とある。初めて避難開始を求められた。16時16分に再び警報がなり、「河川氾濫のおそれ 警戒レベル4相当。」とあった。そして、17時2分、「多摩川の調布橋(青梅市)付近で、氾濫危険水位に到達。国土交通省関東地方整備局」とあった。多摩川が氾濫する。ちょっと信じられない事態が起きているのだと実感した。家が次々に流されていく1974年多摩川水害を思い出していた。

そして、4本目の警報が鳴り響いた。12日17時10分。府中市から、「多摩川増水に伴い、17時00分に次の地域に対して、「避難勧告」を発令します。」と。続く17時11分の「避難勧告」には、「指定緊急避難所」が列挙されていた。すべて多摩川よりも高いところにある学校だった。

災害情報を検索すると、私の住む府中市以外でも次々と多摩川沿いに避難勧告が出されている。娘の家の地域も勧告が出されたことが分かったので、すぐに連絡して、浸水地域になっていない拙宅を避難所にすることにした。娘夫婦と孫だけでなく、勧告の出された地域に住む親戚が計12人避難してきた。犬やペットのうさぎまで連れてきた。子ども部屋2つがあいているので、そこに泊まってもらうことにした。9時からフジテレビ「ほんとにあった怖い話(20周年スペシャル)」をみたいと孫の従兄弟たちがいうので、キャーキャーいいながら1時間ほどみせた。私も付き合った。小さい子がいるので、途中でテレビを切り、就寝してもらった。その間、風雨が激しくなっていったが、テレビの幽霊の方が怖くて、気がまぎれたようだ。

写真5

ところで、この恐怖番組が始まってまもなく、21時5分、突然、「エリアメール」の警報音が響いた。テレビ画面の「赤い服の女」を見つめていたので、さすがの私もドキッとした。孫たちは飛び上がった。「特別警報発表:東京地方に特別警報(大雨) 警戒レベル5 命を守る最善の行動をとってください」とあった。発信元は気象庁予報部。東京に大雨「特別警報」が出るのは初めてである。さすがに緊張した。

スマホの緊急速報「エリアメール」の履歴をチェックしてみた。12日7本目の「特別警報」を伝えるエリアメールは、登録してから通算9本目だった。最初の2本は、2017年9月15日だった。7時00分「ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の中、又は地下に避難してください。総務省消防庁」(画像)、2本目は7時7分「ミサイル通過。ミサイル通過。先程のミサイルは、北海道地方から太平洋へ通過した模様です。不審な物を発見した場合には、決して近寄らず、直ちに警察や消防などに連絡して下さい。総務省消防庁」(画像)。

台風の特別警報に注目していたので、履歴の下の方にあるこの2本に気づかなかったが、2年ぶりに見て苦笑した。あの頃、安倍首相は、北朝鮮のミサイルについて妙に力んで熱く語っていたが、トランプ=金正恩の会談以降はとたんに静かになってしまった(直言「「不安の制度化」の手法」参照)。安倍首相というのは、本当に災害対応がなっていない。12日の首相動静欄をご覧いただきたい。朝から夜まで公邸。誰とも会わず、である(『朝日新聞』10月13日付)。緊張感のなさにはあきれる。

大災害が目の前にある時、決定的に重要なことは「情報」と「決断」、そしてもう一つ、「責任者が存在を示して、言葉を発すること」である。これが緊急事態における、その場の指導者(責任者)にとって決定的に重要な事柄である。15年前の直言「「危機」における指導者の言葉と所作」をお読みいただきたい。

台風15号の時、災害対策の責任者、森田健作・千葉県知事は何をしていたのか。帝国ホテルで米国の州知事と乾杯していた。その後も、千葉県民の命を守る行動の先頭に立っていない。東電に対しては「不眠不休でやってほしい!」と厳しい口調で批判しながら、市民団体が情報公開請求で開示させた「知事の行動予定表」によれば、この知事は年間151日が休日で、登庁した時も職員と話す時間は「1日1時間以下が62日」という(『週刊文春』10月3日号)。こんな休眠状態の知事に、緊急対応ができるはずもない。

今回の台風の時、国土交通大臣は何をしていたか。公明党の新米大臣はまったく顔が見えなかった。防災担当大臣も同様である。これも任命権者の安倍首相自身が、災害対応がお嫌いということで、致し方ないのかもしれない。台風19号が関東、東京をめざして近づいているのに、なぜ、防災服姿で緊急記者会見をして、台風への対応をしている「格好」をつけないのだろうか。これだけは本当に不思議である。台風上陸の前日、安倍首相は国会のあと、店内の貯蔵庫に4万本のワインを揃える高級フランス料理店(有楽町)で、気の合うメンバーで食事をしていた。首相動静欄をみる限り、「いま、そこにある危機」に本気で向き合う姿勢も気迫も感じられない。台風上陸の当日は、前述のように、公式には誰にも会わず、公邸にこもったままだった。チコちゃん風にいえば、「ボーっと首相やってんじゃねーよ!」、である。安倍首相は「国民に叱られる」でなければならない。

写真9

かつて紹介したが、ネット上には、「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは〇〇堂~♪」にひっかけて、「てんぷら一番、ゴルフは二番、惨事の放置は安倍晋三」というのが広まったことがある(直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2)」参照)。「平成26年豪雪」(2014年2月)の時は高級料亭で天ぷら、広島の豪雨災害の時はゴルフを中断せず(同8月)、熊本大地震(2016年4月)の時は、酒を飲んだ後の赤ら顔でぶら下がり記者会見、大阪府北部地震(2018年6月)の際は赤坂の料亭で高級しゃぶしゃぶ、西日本豪雨(同7月)の時はご存じ「赤坂自民亭」、台風21号(同9月)の時は、総裁選のための新潟訪問、北海道胆振東部地震(同9月)の時も「やってる感」を懸命に演出していた(直言「大災害と「大災相」」参照)。台風15号(2019年9月)の時は内閣改造の大臣人事に夢中。そして、今回の台風19号(同10月)では、高級フランス料理店というのが加わった。

そして、「台風一過」となった10月13日午前、唐突に、災害対策基本法24条に基づく「非常災害対策本部」の立ち上げを宣言した。なぜ、もっと早く、自らの姿を国民に見せて、災害対応にしっかり取り組むという姿勢を事前に示せなかったのか。今になって、「とにかく人命第一だ」などと訴えても、説得力がまったくない。いわんや、「夜を徹して作業にあたってください」というに至っては笑止である。10月11日、12日と台風上陸直前までの最も重要な時間を、ワイン片手に無為かつ無策に過ごしながら、台風が去ってから、「夜を徹して」働けと注文をつける。指導者としてあってはならない態度である。そういう人物が、憲法改正に前のめりで、首相に権限を集中する緊急事態条項を導入することを求める。これも笑止としかいいようがない(直言「なぜ、いま緊急事態条項なのか―自民党改憲案の危うさ」参照)。

ちなみに、「夜を徹して作業にあたってください」と安倍首相が求めた会議(非常災害対策本部)は50分足らずで終わり、安倍首相自身は5時34分、そのまま自宅にもどっている(「首相動静」10月13日参照)。甚大な台風被害に対処すべく救助、救命、救急、救難、救援にあたっている人々からすれば、「最高責任者」が午後6時前に帰宅というのは、何とも士気が下がる話である。

写真11

私は、ちょうど1年前、次のように書いた。「西日本豪雨から台風21号以降の連続被害、突然の線上降水帯の出現による各地の豪雨被害、北海道胆振東部地震など、「いま、そこにある危機」は大自然の突然の豹変である。いまからでも遅くない。イージス・アショアに投じられる金を、全国の老朽化したダムや道路、河川などを再整備していくことに投じられればどれだけ有益か。それこそが真の「国防」(国土防衛)だろう。」(直言「イージス・アショアの「もったいない」―「大根派」的発想のこと(その2)」)と。このなかで、私は、老朽化したダムや道路、河川などの整備を主張していたが、これに古い橋を加えたい(多摩川にかかる築90年「日野橋」の崩落)。これこそが真の「国土の防衛」ということを改めて強調しておく。

写真12

最後に、気象庁予報課長の言葉を確認しておきたい。「これまで経験したことがないような大雨となっている」「ただちに命を守るために最善を尽くす必要がある。警戒レベル5に相当する状況」「河川の氾濫が相次いだ昭和33年の狩野川台風に匹敵する」等々。的確で、これは大変だ、何とかしようという行動につながる言葉、心に響く言葉を発し続けていたように思う(詳しくは記者会見参照)。気象庁の梶原靖司予報課長。1983年に気象大学校卒業以来、気象予報一筋のたたき上げのプロの言葉は重い。

《付記》
10月13日の午前中、近所の被災した地域を車でまわった。死者の出た川崎市高津区の手前、同市多摩区の多摩川は流木が流れ、川幅がとてつもなく広くなって、轟音をあげていた(冒頭の写真参照)。上流で氾濫が起きた浅川にも行った。今回、ほんとうに紙一重のところで、私や家族も被災者になっていたと思うと、身の引き締まる思いがした。災害対策基本法制定60周年を前にして、この国の災害対策の強化の必要を思う

《10月22日追記》
気象庁の「指定河川洪水予報」はリアルタイムで更新されていきますので、14日時点のページを保存したPDFに入れ替えました。
トップページへ