首相の「責任」の耐えがたい軽さ―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ
2019年11月25日

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れはいずれも「うちわ」である。漢字で「団扇」と書く。夏を中心に涼をとる小道具で、広告の手段として街頭で配布されることもある。左端は、2015年11月8日のミャンマー総選挙の時のものである。この選挙でアウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝する。その選挙運動で使われた「うちわ」で、直後にミャンマーから帰国した人が研究室に届けてくれたものだ。ちなみに、これが使われた時、内外のスーチー人気は頂点に達していたが、政権に入るや、イスラム系ロヒンギャへの抑圧政策などにより急落する。右端のうちわは同じ2015年7月、東京弁護士会が、安保関連法に反対するために配布したものである。安倍政権による最悪の違憲立法に反対する運動の高まりの一つの記録といえよう。

真ん中は、大臣辞任につながった、いわく付きの「うちわ」である。第2次安倍改造内閣の松島みどり法務大臣が、就任前年の2013年に選挙区(東京14区)の有権者に配ったものである(区内の有権者から研究室に提供された)。2014年10月7日の参議院予算委員会において、野党議員から、「うちわを配布した行為が公職選挙法の禁止する「物品」の寄付にあたる」(公選法199条の2第2項)と追及され、松島大臣は10月20日に辞任した。在任期間はわずか1カ月半だった(なお、東京地検は、「選挙に関する寄付には当たらない」として不起訴にした)。

この「うちわ」を宣伝のチラシないし討議資料と見るか、涼をとるための「物品」、有価物と見るか。支持者の内輪で使ううちわなら、2万1980本(約178万円)もつくって配ることもなかっただろうに(詳しくは、『毎日新聞』デジタル2014年11月9日参照)。裏をみると、政治的主張が並んでいる。松島大臣は、「「物品」にはあたらないが、「うちわ」と解釈されるな、うちわとしての使い方もできる」と苦しい答弁した。柄がついていれば「うちわ」という物品(有価物)でアウトだが、指を入れる穴を付けてうちわとして使う形状のものもある

安倍第2次内閣では、松島辞任に先立って、小渕優子経済産業大臣が選挙区内の有権者に自身の顔写真入りカレンダーやワインを配ったことが「寄附行為」の疑いがあるとされ、また政治資金収支報告書の虚偽記載(政治資金規正法12条、25条2号)も問われて辞任した。経産大臣→法務大臣という辞任の順番は、最近の第4次改造内閣での菅原一秀経済産業大臣、河井克行法務大臣の辞任の形とよく似ている。いずれの場合も、安倍首相は「任命責任は私にあります」と神妙な顔を一瞬するだけで、まじめに「責任」をとったためしがない。吉井理記毎日新聞記者がカウントしたところ、2012年12月の第2次政権発足からこれまでに、安倍首相は「任命責任は私にある」という言葉を、国会の本会議や委員会で計49回も使っているという(『毎日新聞』11月4日付デジタル)。

松島法務大臣の「うちわ」が公選法違反の寄附行為の疑いがあり、また、辞任した他の大臣たちは政治資金収支報告書の不記載ないし虚偽記載を問われたとすれば、今回の「桜を見る会」における安倍首相の責任は、その規模、内容、悪質性からして、総理大臣辞任は免れないだろう。首相在任期間が憲政史上最長というレコードを達成したその日(11月21日)、安倍首相は参議院本会議で、首相主催の「桜を見る会」の招待者選定過程に自らが関与したことをついに認めた。「桜を見る会」の問題性については、前回の直言「安倍政権の滅びへの綻び」で書いたが、この段階では安倍首相は一貫して自身の関与を否定していた。その「直言」で私は「潮目が変わった」と指摘したが、この1週間、メディアはワイドショーから女性週刊誌まで、この問題を執拗に追っている。ここ数年なかったことである。

私は今回の「サクラ」の問題は、「モリ」、「カケ」、「ヤマ」、「アサ」という一連の「安倍疑獄」の最終段階に登場し、かつこれらすべての特徴を兼ね備えた「疑惑の総合デパート」ではないかと考えている。「ファーストレディの無邪気な暴走」ではすまない水準に達している。

まず、「モリ」こと森友学園問題については何度も書いてきている(代表的なものは、直言「「構造的忖度」と「構造的口利き」―「構造汚職」の深層」と「安倍首相が壊した「もう一つの第9条」―森友学園問題と財政法」参照)。森友学園小学校の「名誉校長」は安倍昭恵夫人であり、彼女なかりせば、この学校が安倍首相につながることもなかった。その意味では、森友問題は昭恵問題でもある。

「カケ」こと加計学園問題については、現地取材を二度行って書いている(直言「ゆがめられた行政」の現場へ―獣医学部新設の「魔法」「「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から―歪められた行政の現場へ(その2)」参照)。加計孝太郎理事長と安倍首相の個人的(姻戚?)関係がベースにあるが、昭恵夫人も加計学園御影インターナショナルこども園の「名誉園長」ということで、ここでも昭恵夫人が深くかかわっている。私は、いまも加計問題へのこだわりは強い(直言「加計学園獣医学部にこだわるか」参照)。

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「ヤマ」こと山口敬之準強姦(準強制性交等罪)事件逮捕状執行停止問題についても、昭恵夫人の親友の弟の問題ということである。ドイツの週刊誌Der Spiegel11月2日号は、「叫び」(Aufschrei)というタイトル、4頁を使って、山口による伊藤詩織さんへの犯罪行為を詳細にレポートしている。そのなかで、ドイツでは意識朦朧とした人への性行為は重く処罰されるが、日本はそうではないと驚きをもって報告されている。『ニューヨークタイムズ』2017年12月29日付に続いて、山口の犯罪は国際的にも注目を浴びているわけである。安倍首相ときわめて親しい「御用記者」で、姉が昭恵夫人の聖心女子専門学校まで親友という事情だけで、法治国家の日本で、裁判官が発給した逮捕令状が執行されないという、(犯罪)放置国家の様相を呈している。ここにも昭恵夫人が深くかかわっている。

関連して、『週刊新潮』最新号(11月22日号)は、ゲーセンでの暴行事件に捜査一課の精鋭を投入させ、早期解決をはかった特異なケースが暴露されている。被害者は安倍首相の秘書の息子だった。詩織さん事件の時に逮捕状を握りつぶした中村格刑事部長は、いま、警察庁官房長である。彼が警察庁次長となり、五輪後に警察庁長官になる悪夢に警鐘を鳴らした。

「アサ」こと昭恵夫人大麻疑惑(「大麻で町おこし」で画像検索!)であるが、これこそ、昭恵夫人固有の根深い問題である。高級官僚の薬物使用が最近話題になり出したが、権力中枢ではびこる薬物汚染は、マトリ(厚生労働省地方厚生局麻薬取締部の麻薬取締官)も手が出しにくい内閣人事局をフルに使えば、彼らの上にいる官僚たちの首根っこを押さえることも可能だからである。彼女は権力中枢の奥の院にいる。今回の「桜を見る会」には、「昭恵夫人枠」でたくさんの人が招待されているが、そのなかに、「大麻で町おこし」のお仲間が含まれている可能性が高い。招待者名簿がシュレッダーで廃棄されたため、正確な確認は困難だが、ツイッターでつぶやいているなかに、その種の人々もいるようである。今後、「昭恵夫人枠」によって「桜を見る会」に招待されたメンバーの顔ぶれが明らかになっていけば、「アサ」問題の仰天の構図も見えてくるかもしれない。

どこまでも「公人ではなく私人である」昭恵夫人のはずなのに、私設秘書ではなく、官房長官が掌握している「夫人付き」公務員がいるということを、先週の国会答弁で、内閣府官房審議官は、「昭恵夫人の推薦があった」ことを思わず明らかにしてしまった。なお、昭恵夫人は、学位をめぐる「規制緩和」の恩恵も受けている

すべての川(疑惑)は昭恵に通ずる。直言「安倍政権の終わり方―「アッキード事件」と日報問題」で書いたように、「サクラ」は「アッキード事件」へと発展する最初の一突きになるかもしれない。韓国の前法務大臣を「タマネギ男」などと呼ぶ向きもあったが、いまや、安倍昭恵夫人が「タマネギ」そのものである。

安倍晋三という首相の見苦しい言い訳は聞き飽きた。前回も紹介したが、父親である安倍晋太郎元外相は、息子の性格と特徴を見事に言い当てていると思う。もう一度引用する。 「昨年(2018年)亡くなった岸井成格さんから聞いた話を思い出す。岸井さんが番記者として担当した安倍晋太郎は生前、息子である現首相をこう評して苦笑いをしていたらしい。「こいつはね、言い訳をさせたら天才的なんだよ」。残念ながら2人とも鬼籍に入ってしまったから事実確認はできないが、確かにその通りだと激しくうなずく。徳目どころか基礎的な知性や品性すら欠けた「言い訳の天才」に、国の政治が壊されていく。」(青木理『国家のスキャンダル』河出書房新社、2019年64-65頁。初出『月刊日本』2019年2月号)。

「言い訳の天才」をトップにした言い訳内閣、いいわけない。これは真理である。私は11年前、安倍首相が政権を投げ出した時、「安倍晋三氏は議員辞職すべし」を出した。そのなかで、「刑事責任の場合は、「疑わしきは被告人の利益に」ということで無罪推定原則が働くが、政治責任の場合は「疑わしきは政治家の不利益に」(杉原泰雄『国民代表の政治責任』岩波書店、1977年)とされる。疑惑を受けた政治家は自ら辞めるということで責任を果たす。」と書いた。

安倍氏は、首相を辞めた時に、「安倍内閣メールマガジン」46号(2007年9月13日7時受信)において、「無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました」と述べていたことをここで紹介しておく。軽く「無責任」といってくれるな。安倍首相は、「責任は私にある」というのだが、責任の意味をまったく理解できていない。責任には大きく4つの意味がある。憲法学では、「四段階責任論」という論者もいる(吉田栄司、三上佳佑)(直言「安倍首相の「責任」の意味を問う」参照)。すなわち、(1)任務責任(obligation)、(2)応答責任(responsibility)、(3)説明責任(accountability)、(4)被裁責任(liability)である。「四段階責任論」によれば、政治責任は、(1)から(4)へと順を追って循環する一つのプロセスとされている。「責任」という語が為政者―受任者―の口から出たときは、国民―選任者―は、そこでの責任が四段階の何れに当たるのかを見極める必要がある。「サクラ」の問題は、首相の「刑事責任」を含む「被裁責任」が問われている段階である。政治責任の最もクリティカルなこの局面について、学説は一致して「委任の撤回」、つまるところ「辞職を以て制裁となす」と答える。「サクラ」の問題では、国会での虚偽答弁、招待者名簿を「遅滞なく」破棄したこと(隠蔽)、税金の私物化に至るまで、辞任以外に選択肢はない段階にきていいる。

憲法学者の佐々木惣一は、100年も前に次のように指摘している(以下の叙述は、直言「「いくらなんでも」政権の終焉へ―首相の「責任」とは」参照)。「国務大臣は、第一義として、自ら責任を明にすることを心がけねばならぬ。これは、前に述べた所の立憲主義から観た大臣責任の意味に徴して勿論であるが、特に弾劾制度の設なき我が国に於ては、一層必要なことであって、大臣が議会の弾劾に依って責任を問われないだけ、それだけ益自ら責任を明かにせねばならぬ。尤も、一般に責任を正するの手段には種々あるが、大臣が自ら責任を明かにするの手段としては、辞職するの外はない。」(佐々木惣一著・石川健治解説『立憲非立憲』(講談社学術文庫、2016年)63頁〔初版は1918年〕)。

安倍首相は、「桜を見る会」について見苦しい言い訳をやめて、可及的すみやかに辞任すべきである。

《付記》
なお、「耐えがたい軽さ」というフレーズは、「プラハの春」を題材にした映画「存在の耐えがたい軽さ」から借りています。直言では、「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」と、「議員任期延長に憲法改正は必要ない―改憲論の耐えがたい軽さ」で使っています。参考までに。
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