公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの
2020年1月27日

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法15条2項に、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とある。英文では、All public officials are servants of the whole community and not of any group thereof. である。「公務員が、国民の信託によって公務を担当する者として、国民全体の利益のためにその職務を行わなければならず、国民の中の一部を占める特定の政党や階級・階層の利益のために行動してはならないということである。」(樋口陽一他『注解法律学全集1 憲法I』(青林書院、1994年)347頁)。この規定は、公務員の政治活動の自由や労働基本権に対する制限の根拠として持ち出されることが多かった。だが、近年は、政府を担う与党のなかの特定グループが、公務員を自分たちの道具のように使い、公務員もまた彼らに仕えることで、「全体の奉仕者」性から著しく離反しているという異なる脈絡で論じることが可能だろう。

2018年3月7日に自殺した54歳の公務員は、「森友学園」の国有地売却問題を担当した財務省近畿財務局管財部に所属し、親族との電話のなかで「常識が壊された」と漏らしていたという。親族は詳しい内容を聞いていないとしつつも、「実直な人なので、やるべきではない仕事をさせられたのではないかと思う」と語っている(『産経新聞』2018年3月13日)。

自殺した職員の妻は、国有地売却の決裁文書「書き換え」を指示され、「ひとりで抱え込んでしまって、ずっと休んでいた」「あんな担当になり、巻き込まれてしまった」と無念さを明かしている。たまたま担当となった部署で、決済文書「書き換え」を職務専念義務に忠実に果たしたがゆえに、彼は「常識が壊された」と苦しんでいた。この売却には、昭恵夫人が深く関わっていたために、「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」という安倍首相答弁(2017年2月17日衆院予算委)に合わせて、財務省が決済文書を書き換えるまでに至ったという事情がある。

この職員の自殺が忘却されることを危惧して、近畿財務局などの元職員6人が、顔出しでテレビ東京系「WBS」で声を挙げた。一人は、「本省の幹部が一切責任を取らない中で現場の職員だけが苦しんでいる。そして最悪の事態。仲間が自死に追い込まれた。」と語った。別の元職員の言葉が心に残った。「記録文書ですから、あとから直したら歴史が全然つながらないことになる。だから、それを直すのはわれわれの常識ではありえない。」と。自殺した職員が残した「常識が壊された」と同じ思いだろう。財政法9条1項にいう「国の財産は・・・適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない。」が、管財部で働く公務員にとっての「常識」だった。首相夫人が名誉校長をしている学校法人だけに、8億円も値引きする。現場のベテラン公務員の「常識」を壊したのは、この窮極の依怙贔屓の辻褄合わせのために、決済文書の「書き換え」をさせられたことだろう(直言「安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法」参照)。「全体の奉仕者」を自らの常識としていた公務員が、「一部の奉仕者」にさせられたわけである。森友学園問題からさらに露骨になっていった「権力の私物化」現象は、公務員が「一部の奉仕者」になっていく過程でもあった。「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ」は、権力私物化の「安倍ルール」による国家運営の結果であり、その氷山の一角にすぎない。そして、「一部の奉仕者」に徹した高級官僚が出世していく。その傾向は、「ヤマ」問題に関連する警察人事において顕著である。

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昨年7月8日の直言「映画『新聞記者』を超えるリアル――逮捕状を握りつぶした人物が警察庁長官に?!」は1日6万(最大8万)を超えるアクセスがあった。半年前のこの「直言」は、伊藤詩織さんレイプ事件を起こした山口敬之(元TBS)の逮捕状を握りつぶした中村格警視庁刑事部長(当時)が、「警察庁長官になる可能性が高い」という雑誌『選択』の予測をどこよりも早くネットにあげた。冒頭右の写真の記事にあるように、この1月17日の人事で、中村格は警察庁次長になった。『選択』誌の人事情報の精度の高さは、自衛隊将官人事から内局の人事異動まで見通す『軍事研究』誌「市ヶ谷レーダーサイト」と並んで、私が評価するソースである。

冒頭左の写真をご覧いただきたい。額縁のなかに47都道府県警察本部のエンブレムが並んでいる。警視庁だけ別格で一番上にあるが、あとは北海道警から沖縄県警まで、北から順に並んでいる。その右の楯は、警察官の階級章が並んでいる。2013年度の警察職員の定員は総数29万3588人であり、このうち7721人が警察庁の定員、28万5867人が都道府県警察の定員である。警察法62条により、警察官の階級は9つに分かれている。巡査、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監である。警察法施行規則の附則180条別表1「階級定員」によれば、警視総監1人、警視監38人、警視長(警視正を含む)590人である。キャリア組の合計は629人ということになる。29万人のうちの629人というのは、全体のわずか0.2%である。

階級章の楯の写真をみると、警察庁長官が5つ星、警視総監が4つ星、警視監が「ベタ金」で星3つ、星2つが警視長、星1つが警視正である。警視までが地方公務員で住民の税金でまかなわれる。警視正以上の629人のキャリア組は国家公務員である。この人事上の二重構造が、キャリア警察官のなかに、地方を腰掛け程度にしか考えていないようなタイプがいるという批判が出てくる所以である。刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ)『相棒』(テレビ朝日)などは、キャリアとノンキャリアの確執を面白おかしく描いている。特に『相棒』に出てくる警視庁の内村完爾刑事部長(片桐竜次、ドラマ中の階級は警視長。本来は警視監)は、上層部のご機嫌を伺う忖度タイプだが、さすがに逮捕状を握りつぶすようなことはしなかった。現実の中村格刑事部長は、準強姦事件の逮捕状の執行を取り消すという荒技をやってのけ、山口敬之の逮捕を阻止したことで国際的にも有名になった (直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪夢」」)。「事実は小説よりも、テレビドラマよりも奇なり」である。

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中村警察庁次長は、五輪が終われば、やがて警察庁長官となる。日本の治安のトップが、身内の不祥事を隠蔽して、裁判官の発した令状を私的に握りつぶすような人物となると、警察は「政権の私兵」と化すだろう。さすがに、会見で記者の一人が菅官房長官に対して、「総理やマスコミへの配慮や忖度があったのではないかと国内外の世論の批判があるが、なぜ栄転させたのか」と質問した。菅官房長官は、「人事というのは適材適所で行われている」と、理由を述べずに、はぐらかした(『東京新聞』2020年1月18日付)。

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警備・公安警察という面では、この国の警察は完全な国家警察である。都道府県警の警備部(+警視庁公安部)は、警察庁警備局長(中央合同庁舎2号館20階、実務的には警備企画課)に直結している。警備・公安の仕事は情報収集であって事件捜査ではない。この分野のエキスパートは、政権で枢要な地位を与えられると、自らが身につけた手法を駆使する(旧東独の「シュタージ」と同じ)。旧東独時代、KGBのドレスデン支局で活動していたのが、現在のロシア大統領、ウラディミール・プーチンである。名前の通り、人の内面や私生活などを「裏で見〜る」のが得意である。安倍官邸は勘違いした経産官僚と、有能で陰湿な公安官僚(シュタージ)によって操縦されている。

例えば、杉田和博官房副長官は警察庁警備局長、内閣情報調査室長などを経て、退官後、2012年12月の第2次安倍内閣からずっと官邸官僚をやり、内閣人事局長を兼務している。中央合同庁舎8号館5階にある内閣人事局が、幹部職員人事を一元管理しており、「裏で見〜る」の公安手法で幹部の首根っこを押さえているので、各省庁を大臣の頭ごなしに操縦することが可能となる。また、北村滋・国家安全保障局長。警察庁警備局の理事官や企画官を務め、警備局警備課長を経て、警備局長に就任せずに内閣情報官となった。詩織さんをレイプしたと疑われる山口敬之は、週刊新潮からの取材のメールを、この北村に転送して状況を説明したつもりだったのだが、実は誤って返信ボタンを押して、「北村さま、伊藤の件ですが・・・」というメールをとうの取材記者に送ってしまうというお粗末で知られている。加えて、昨年12月の人事で、西村泰彦・元警視総監が宮内庁長官になった。警備畑を歩んできた人物が、宮内庁次長から長官となって、安倍政権をよく思わない上皇夫妻を監視することも任務だろう。

加計学園問題では、文科省と大学設置審議会といった公的な機関が、首相の姻戚関係の人物が理事長をやっている大学についてだけ、特別扱いを求められたことによって起きた事件である(直言「「ゆがめられた行政」の現場へ――獣医学部新設の「魔法」」参照)。まともな公務員だったら、ここまで露骨に「一部の奉仕者」と化すことには抵抗があるだろう。しかし、文科省内部の抵抗は、腹心の萩生田光一を大臣に送り込んで鎮圧してしまった。

「桜を見る会」については、日々、新たな情報が出てきている。公務員であれば、内閣府の「桜を見る会」名簿廃棄に納得する人はいないだろう。首相や与党などの推薦で招待された人たちの名簿を、内閣官房と内閣府が「遅滞なく」廃棄したというのもおかしい。名簿には各省庁の「推薦者名簿」と、実際に招待される参加者の「招待者名簿」があるが、両名簿の保存期間を1年未満にしているのは内閣官房と内閣府の一部だけである。他省庁はおおむね、推薦者名簿の保存期間を3〜10年と定めているという(各紙)。公務員の常識からすれば、名簿は保存しておくのが合理的である。保存期間が定められている場合でも、「遅滞なく」廃棄というのは不自然である。さみだれ式に明らかになっているが、60番台の首相招待枠のなかに、昭恵夫人に関係する「不都合な真実」が並んでいると考えるのが自然だろう。

すでに何度か指摘してきているが、近代官僚制は、家父長制的、封建的支配に基づく家産型官僚制とは区別されて、組織を構成する者たちの関係性は、能率重視の非人格的な結合により成立する。地縁、血縁、閨閥はできるだけ排除する。合理的な規則を基本として、そこから権限や任務などが体系的に分配されていく。マックス・ヴェーバーによれば、官僚制行政は「知識による支配」であり、これこそ「官僚制に特有な合理的根本特徴」である。そのポイントは、法規に基づく権限の原則、官職階層性、文書主義、専門的職務活動などである(詳しくは、マックス・ウェーバー=濱嶋朗訳『権力と支配』(講談社学術文庫、2012年)48-51、221-286頁以下)。このなかでも、特に文書主義は重要である。公文書管理法1条は、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と規定するが、「安倍ルール」によれば、安倍一党に都合の悪い文書は「遅滞なく廃棄」され、改ざんされ、さらには公文書自体の偽造・変造も行われるということになる。日本は、「健全な民主主義」の国とはいえなくなってきた。

根底には、安倍流「5つの統治手法」がある。「安倍ルール」と言い換えてもよい。これが憲法にも法律にも、国会の慣例にも、自民党の慣行にも優先する。国会が始まれば、「情報隠し」「争点ぼかし」「論点ずらし」が駆使されるだろうが、昨年の参議院選挙における広島選挙区の河井克之議員(前法相)の妻・案里(元広島県議会議員)の選挙法違反事件をめぐっては、安倍流「友だち重視」と「異論つぶし」が集中的に表現されている。

参議院広島県選挙区の改選(改選2)では、長年、自民党参院会長を務めた溝手顕正が選出されてきた。そこに突然、河井案里の立候補が持ち上がった。現在の選挙制度上、改選議席2のところで自民党2議席独占は難しい。案里は、自民党議席増のための立候補というより、溝手を落選させるための刺客とみられている。河井克之は総裁特別補佐もやった側近。その妻を議員にする。というより、ここでは「友だち重視」よりも「異論つぶし」に重点があった。溝手は、2007年の参院選惨敗時に「首相本人の責任はある」とはっきり口にしていたし、2012年には安倍について、「もう過去の人」と言い切った。安倍は執念深く覚えていて、溝手が参院議長に推挙されたときも、これに反対してつぶした。そして、ついに参院選の選挙を通じて溝手の抹殺をはかったのが、河井案里立候補である。安倍事務所の秘書4人を応援に送り込み、候補者一人1500万円という党本部からの「陣中見舞い」を、案里だけは1億5000万と、10倍ものお金を与えた。あまりの違いに、自民党議員の間で怨嗟の声が広がったという(『週刊文春』2019年6月27日号)。「安倍マネー1億5000万円」の公職選挙法上の問題も指摘されている(litera)。

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安倍晋三に忖度する者には徳がない、得もない。そうなれば、雪崩をうって安倍離れが始まる。そして、誰もいなくなった、という状態になるだろう。政治権力の腐敗と腐朽は、公正さと公平さが欠如するところから始まる。わかりやすい言葉でいえば、「依怙贔屓」(えこひいき)である。「身びいき」、「身内びいき」、「縁故主義」、「ネポティズム」(nepotism)、「同族びいき」、「地元びいき」・・・。自分の気に入った者に対して肩入れし、優遇する。近づいてきておべんちゃらをいう者を厚遇する。依怙贔屓の毒素が統治の随所にあらわれるとき、その政権の堕落は進む。

側近の萩生田光一。恫喝手法に長けていて、「総理のご意向」を活用して、大学設置認可過程の公正さに優位させる「萩生田ルール」。しかし、「身の丈」発言で墓穴を掘った。下村博文が受験業界と深い関係を築いてきたことは、彼の早大教育学部生時代からの積み重ねだが、それが公平・公正であるべき大学入試制度をゆがめてきた。入試を金儲けの手段としかみない「下村ルール」である。側近の河井克之を法相に任命したものの、すぐに辞任。前述のように妻の河井案里が公職選挙法違反に問われているが、法定以上の報酬を払うことを「河井ルール」というのだそうだ。これをルールと呼んでしまうあさましさとセコさには驚かされる。

「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ」の安倍蕎麦処の最後は、「アサ」である。まもなく、昭恵夫人提供の朝(麻)蕎麦をメディアは追いかけることになるだろう。厚生労働省地方厚生局麻薬取締部の麻薬取締官の皆さんは、「全体の奉仕者」(憲法15条2項)をしっかり肝に銘じて、「一部の奉仕者」と化すことなく、厳正に職務を執行してほしい。私が法学部で講義している「法政策論」を受講する学生たちの多くは、国家公務員ないし地方公務員を目指している。彼らに希望を与えるためにも、まじめな公務員は「安倍ルール」に従うことなく、決然と「全体の奉仕者」であるところを見せてほしいと願う。

[文中敬称略]

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