新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」
2020年2月24日

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学人として1年間で最も緊張するのが一般入試のこの時期である。ちょうど10年前、新型インフルエンザの蔓延で試験当日、大変な緊張を強いられたことを思い出す(直言「新型インフルエンザと大学」参照)。今回、私の学部は2月15日が試験日だった。前日の14日、厚生労働省は新型コロナウイルス(COVID-19)感染症における「新局面」と発表していた。政府はこの日、中国から日本国内へのウイルス感染者の流入を止める「水際政策」が失敗したことを事実上認めて、国内での感染・発症拡大は避けられないという立場に転じた。メディアではこの日朝から、「フェイズ(局面)が変わった」という表現が目立つようになる。しかし、所管大臣の加藤勝信厚生労働大臣が記者会見の度に打ち出す方針の曖昧さと頼りなさに、国民の不安は高まるばかりである。大蔵官僚出身なので、表情を変えずにうまく言葉を続かせる能力はあるものの、中身は薄く、インパクトもない(ジャパンライフの広告塔の一人にはなったが)。安倍首相は、「総理大臣なので森羅万象を担当している」という割には、自然災害やむずかしい判断が求められる事態では姿が見えなくなる。トップの姿勢が反映して、「いま、そこにある危機」が進行しているにもかかわらず、政府の動きは鈍かった。

昨年12月に中国・湖北省武漢市で原因不明の肺炎患者が確認された時、世界保健機関(WHO)の動きも鈍かった。2カ月近くたった2020年1月31日、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。翌日発売のドイツの『シュピーゲル』誌2月1日号の表紙は、Made in Chinaと書かれたタイトル、赤い防毒マスクと防護服を着た中国人らしき人物がアップルのスマホをのぞいている写真が載った(冒頭左の写真)。この写真は差別的だという批判がドイツ国内でも出たようだが、特集の副題は「グローバル化が死の危険となるとき」で、新型コロナウイルスの世界的感染を警告するものだった。

日本で初めて新型コロナウイルスによる患者が確認されたのは1月16日だが、政府が「新型コロナウイルス感染症対策本部」(以下、対策本部という)を立ち上げたのはWHOの緊急事態宣言の前日、1月30日だった。当日の首相動静を見ると、「水際対策の強化」と「武漢滞在歴がある人の健康状態の確認」の指示を出したとあるが、実際はわずか10分でお開きとなっている。「やってる感」満載の安倍政権らしさはここにも出ている。もしこのタイミングで、感染症関係の研究者、専門家を直ちに招集して検討せよと指示していたら、その後の対応が少しは変わっていたかもしれない。だが、この思い込みの激しい首相は、専門家の知見を聞くことなく、取り巻きの意向通り、「水際作戦」の徹底に向かう。

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当初対応の「水際作戦」の問題性は、クルーズ船の入港拒否や、湖北省からの入国拒否を、首相自らが世界にアピールしたことだろう。感染を理由とした船舶の入港拒否は法的に議論があるのに、首相は前のめりで「水際作戦」を見せようとした。こういうことは担当大臣あたりが記者会見でやればすむことである。だが、これが裏目に出た。「入港拒否」「入国拒否」と「水際」で止めることに専念しているうちに、英国船籍のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」問題に直面することになる。こちらは日本人が多かったために、横浜港に接岸させて泥縄式対応が始まった。

経緯や詳細は省くが、ドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は、「19世紀の方法で感染対処」という見出しで、日本の対応を批判的に紹介している。ロシア外務省は「日本のクルーズ船対応は『カオス』」とまでこきおろした。英国BBCは「感染症の専門家、客船内の感染対策を批判」として、クルーズ船内に入って問題点を指摘した岩田健太郎神戸大学教授の訴えを伝えた。だが、安倍政権の特徴は、「友だち重視」の裏返しとしての、自分たちを批判するものを許さない「異論つぶし」である。加えて、専門家の知見や意見を無視する傾きが強い(憲法の専門家である憲法研究者については、聞く耳を持たないどころか、存在そのものを否定する)。この場合、感染症の専門家が必死に問題提起をしたものを、細部の誤解などをあげつらって全否定した。詳しくは、論座「ダイヤモンド・プリンセス号。岩田教授の衝撃動画と問題の本質」参照。

安倍首相は、2月14日、政府の対策本部で、人混みを避ける、不要不急の外出を避けるなどを呼びかけたが、付け加えるように、「第一線で活躍する感染症の専門家の方々を構成員とする専門家会議を設置し、対策を更に一層強化していきます」と述べたのには、正直驚いた。まだ専門家会議を設置していなかったことを、私もこの段階で初めて知った。専門家の知見を使わず、官僚たちの所管と面子の張り合いのなかで、現場の混乱が生れていた。安倍官邸と厚労省が、初動の段階で、全国で検査体制を敷いていれば、相模原中央病院などの院内感染は防ぐことができただろう。

2月16日、専門家会議の第1回会合が首相官邸で開かれた。座長となった国立感染症研究所の脇田所長は、「国内発生の早期」という認識を示し、国内感染が広がる恐れがあるとして在宅勤務や時差出勤を促し、「不要不急の集まりを避けてもらいたい」と呼びかけた。この日の首相動静を見ると、安倍首相が第1回「新型コロナウイルス感染症専門家会議」に参加したのは午後5時1分から4分までの3分間である。首相官邸のホームページには、総理が冒頭挨拶して、「政府としましては、この専門家会議で出された医学的・科学的な見地からの御助言を踏まえ、先手先手で更なる対策を前例に捉われることなく進めてまいります。」と述べたとある。専門家会議が設置されるまで半月以上も経過するという、まさに後手後手だったのではないか。

各地での感染が毎日のように、小出しに、一桁台で公表されるなか、国民の不安は日々高まっていく。いつパンデミック(世界的大流行)が宣言されるのか。それなのに、安倍首相の動きは鈍い。2018年7月の西日本豪雨と「赤坂自民亭」北海道胆振東部地震昨年の東日本大水害(台風15号・台風19号)。国民にとっての重大な危機時における安倍首相のグルメ三昧を批判するのは正直、疲れてきた。今回の新型コロナウイルス危機でも、同じことが繰り返されている。

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それでも、先週の19日のことなので書いておく。衆議院予算委員会で閣僚や官僚が野党の追及に右往左往している時、安倍首相は委員会を欠席。16時から9分間、官邸応接室で、地元下関のふく連盟理事長と会っていた(首相動静2月19日)。これは、NHKのホームページに2月19日18時44分にアップされた写真であり、そこには、「安倍総理大臣は19日、地元、山口県下関市のフグの仲卸業者らと面会しました。天然のトラフグの刺身を試食し、「プリプリして歯応えがある」と旬の味覚を楽しんでいました。」という批判的視点ゼロのお気楽な政治部記者の文章が付されている。それにしても、この緊張感のない表情はなんだろうか。新型コロナウイルス感染についての迅速な対応が求められる緊急事態において、「不要不急の用事」を重視するトップのこの姿勢と表情が、現場で懸命に対応する人々を脱力させ続けているのである。このトップに任命された閣僚の質の低さは、答弁に立つ官僚に対して「帰れ、帰れ」と大声をあげることにも見られるように、現場を見捨て、自らの面子と保身のためだけに行動する。まさに「魚と政権は頭から腐る」のである。ここまで読めば、この言葉は「罵詈雑言」ではなく、安倍政権の本質を衝くものであることがご理解いただけるのではないだろうか。なお、グルメ三昧の首相の行動については、「安倍首相は感染拡大でも会食の日々」参照。また、『サンデー毎日』2月20日号(デジタル) が、その異様な会食ぶりを詳細に明らかにしている。

こういう首相のもとでの感染症対策は、この国の信用を著しく損なっている。米国CDC(疾病対策センター)が2月19日、日本への渡航注意勧告を出した。米CNBC の専門家も「日本は感染急拡大の瀬戸際にあり、大規模流行へと発展するかもしれない」と述べたという。タイ政府は国民に対して、日本への渡航自粛要請を行った。日本は中国に次ぐ、感染国とされてしまったのである。

ところが、この緊急事態に便乗して、緊急事態条項を含む憲法改正の動きがまたぞろ、出てきた。私は9年前、「震災便乗型改憲」に警鐘をならした。今年元日の直言「「復興五輪」から「安倍五輪」へ―「祭典便乗型改憲2020」に要注意」では、オリンピックなどの「祭典便乗型改憲」について書いた。戦争で中止となった第12回オリンピック東京大会に続いて、80年後の第32回大会は感染症によって「幻の大会」になる可能性が出てきたので、「祭典便乗型改憲」は薄まったと見ていいだろう(なお、直言「東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」」参照)。

新型コロナウイルスの対策本部が立ち上がった当日、自民党の伊吹文明元衆院議長は、感染拡大について「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」と語った(冒頭右の写真参照)。自民党がまとめた改憲4項目の一つである緊急事態条項の導入を意識したものだろう(『東京新聞』1月31日付)。2月1日、下村博文選対委員長も、「人権も大事だが、公共の福祉も大事だ。(国会での改憲)議論のきっかけにすべきではないか」と講演で述べたという。

3月8日に予定されていた自民党大会は延期されたが、そこで採択される予定だった運動方針案には、安倍首相が目指す憲法改正について、「国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くす」として、前年の運動方針案より記載を増やしているという(『朝日新聞』2月20日付)。新型コロナウイルス対策に便乗して緊急事態条項導入を主張することは、国民の支持を得られやすいと判断してのことだろうか。

私は分かりやすく、「緊急事態条項の3点セット」ということをいっている。すなわち、「集中、省略、特別の制限」である(直言「議員任期延長に憲法改正は必要ない―改憲論の耐えがたい軽さ」参照)。大規模地震など、国民の生命・財産を守るために平常時の権限配分では対応が十分できないという場合に、大統領や首相などの執行権のトップに一時的に権限を「集中」して対応する。その際、議会の承認や閣議決定などの手続きを「省略」して、暫定的な措置を実施する。そして、国民に保障された権利を、平常時では許されない範囲や強度で制限するという「特別の制限」が認められる。しかし、措置の期限は限られていて、緊急措置の終了と事後的な検証も義務づけられる(詳しくは、拙稿「緊急事態における権限分配と意思決定」参照)。こういう「普通の緊急事態条項」でも、誤用、濫用、悪用、逆用の経験くらい、どこの国でももっている。だから、どこの国でも、緊急事態条項を憲法に設けるときには、きわめて長期にわたる慎重な議論を経由している(直言「ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」」参照)。

ところが、安倍首相は緊急事態条項の問題性についての知識も不十分なまま、憲法研究者の専門的な指摘をことごとく退けて、導入に前のめりになっている。とりわけ6年前の緊急事態条項をめぐる安倍首相の質疑は異様だった。これについて書いた直言「なぜ、いま緊急事態条項なのか―自民党改憲案の危うさ」の冒頭、私は、「安倍首相の様子がおかしい。・・・国会での答弁風景も、誰もが「大丈夫か」と思う危険水域に入ってきた。ヤジを飛ばす、聞かれたことに答えない、はぐらかす、論点をすり替える、別の問題を延々としゃべり続ける・・・。とりわけ[2016年]1月19日の参議院予算委員会の答弁には仰天した。」として、自民党改憲草案の緊急事態条項について、「ナチスの授権法〔全権委任法〕とまったく一緒だ」と追及した議員に向かって、「そうした批判は慎んでもらいたい」と、議員の発言を封ずる挙に出たことを厳しく批判している。

こういう首相に緊急事態条項を与えて、この首相に権限を集中させることの危なさ、それによって失われるものの方が遥かに大きいと判断するのが冷静な見方ではないか。自らを「立法府の長」と勘違いして、平常時から立法権を自らに「集中」している「行政府の長」。憲法上求められる手続きを何から何まで「省略」して、臨時国会の召集義務も平気で無視できる首相公文書の隠蔽、改ざん、捏造などに無頓着で、国民の知る権利を「恒常的に制限」している首相。端的に言って、「憲法違反常習首相」安倍晋三に、緊急事態条項を云々(でんでん)する資格はない。新型コロナウイルス対策を憲法改正の「実験台」にするような安倍内閣を総辞職に追い込み、「いま、そこにある危機」に有効に対処できる真の「危機突破内閣」をつくる必要があるのではないか。

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