安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走
2020年3月9日

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帳に書き込んだ予定の大半がキャンセルになった。講演、研究会、大学院合宿、ゼミの卒業コンパ、卒業式、卒団コンサート、入学式、新歓行事等々。ことごとく×印で消されている。2月27日、首相の「全国一斉休校要請」以来、全国の教育現場は大混乱に陥っている。個人的には、先週から、午前中は小学生の孫2人の勉強をみることに協力している。

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)がすでに始まっているのではないか。五大陸すべてに感染が広がっている。日本で本格的なPCR検査が行われるようになれば、感染者数の桁が変わってくるだろう。特にオリンピック会場のある東京都において。かくして、第32回東京五輪は、2011年3月11日以来収拾できていない原発事故を「アンダーコントロール」と強弁して強引に誘致したあげくに、「ウイルス戦争」が原因となって、80年前の「第12回東京五輪」と同様、「幻」に終わるかもしれない

先々週の直言「新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項―またも「惨事便乗型改憲」」において、私はこの問題についての基本的立場を明確にしているのでお読みいただきたい。その後、事態はさらに悪化している。

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先週届いたドイツの『シュピーゲル』誌(2月29日号)の特集は「世界ウイルス危機」である(冒頭右の写真)。ドイツもこの2週間で、イタリアのカーニバル参加者から感染が広がり始め、深刻な状態になっている。『南ドイツ新聞』3月5日付はスポーツ欄トップで、日本における全国一斉休校要請や、大相撲が初めて無観客試合となること、オリンピック開催への疑問が増大しているにもかかわらず、IOCはあたかも問題が存在しないかのような態度をとっていることなどを詳しく伝えている。写真のキャプションには、東京の街頭風景として、「オリンピック・マスコットはまだマスクをつけていない」とある。

先の「直言」でも批判したように、安倍首相とその政権は、当初この感染症への危機感が薄かった。中国・武漢で流行した新型ウイルスの感染者が日本で初めて出たのは1月16日。20日から通常国会が始まったが、野党の質問は「サクラ」疑惑「カジノ=IR」疑惑に集中した。首相・大臣の答弁も官僚の答弁も迷走し、政権にとってかなりピンチだった。ところが1月28日に武漢に政府のチャーター機が飛び、30日にWHOが「緊急事態」を宣言するや、流れは劇的に変わった。官邸の一室では「神風だ」とざわめく声があがったという(「安倍政権を蝕む「新型肺炎」」『選択』2020年3月号48頁参照)。ここから政権お得意の「争点ぼかし」「論点ずらし」モードに入っていく。ネットには「国家的危機に、いつまで「桜」なのか」といった書き込みが一気に増える(増やされた!?)。安倍首相はいつものように、「躊躇なく」「断固として」「先手先手」をいいながら、実際の対応は「後手後手」となり、さらに「小手小手」としかいいようがない状況である。

危機において指導者に求められることは少なくとも3つある。第1に、しっかりと自らの姿を見せて、その時点で求められている言葉を発することである。第2に、刻々と変化する困難な事態のなかで、その事態に通じた専門家の意見を聞いて、国・地方、民間の特性に応じて、もてる力を最大限に引き出せるように調整に徹することである。最終的な責任を自らがとるという姿勢を明確にしつつ、後の検証に耐え得るよう、可能な限り記録を残すことも求められる(拙稿「緊急事態における権限分配と意思決定−東日本大震災から考える」参照〔PDFファイル〕)。そして第3に、指導者としての資質と資格にかかわることだが、ともに危機を乗り切ろうという真剣さと信頼感があり、国民にさまざまな不便や負担を求める以上、自らを厳しく律することである。結論からいえば、安倍首相とその政権はこのすべてにおいて落第点であり、とりわけ第3の点はあり得ないようなマイナス点である。詳しくみていこう。

まず1点目だが、これまで何度も書いてきたように、「…内閣官房が大規模地震などの事態の初動体制についてマニュアルを作成しているが、首相の対応については規定がない。それは、首相は最高責任者として、マニュアルに定めのない判断が求められるからである。まず存在を示し、言葉を発することである。・・・このトップの声と姿を見たとき、人々は事柄の重大性を感じ、それぞれの立場で行動を起こすきっかけをつかむ。各官庁のどんな「指示待ち公務員」でも、「いつもと違う。これは大変だ」という気分になる。その気分の無数の重なりが、その後の組織の動きと勢いを決める。」(直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2)―西日本豪雨と「赤坂自民亭」」)。

必要なタイミングで記者会見を開き、必要な情報を、適切な言葉を選んで発することである。安倍首相はこの点でことごとく失敗している。重要方針を打ち出す場合には、官邸1階の記者会見室が通例である。内閣記者会の記者たちに説明する形をとり、テレビ中継されることも多く、国民の注目度は高い。今回の問題でのターニングポイントとなったのは、2月25日の「基本方針」発表以降、26日、27日、29日、3月5日である。同じ首相官邸で、その発表の場は異なっていた。

まず、2月25日(火)の新型コロナウイルス感染症の「基本方針」の発表は、官邸4階の大会議室(平場に大きな机があるだけで広くない)で開かれた第13回の対策本部の会合で行われた。関係閣僚と専門家会議のメンバーが大きなテーブルに向き合って座り、安倍首相が早口でメモをひたすら読み上げる。それをテレビカメラが映すだけである。そこでの中身は一般的なもので、企業や団体に時差出勤やテレワークをよびかけるという具体性に乏しいものだった。ところが、26日(水)の対策本部の会合で首相は一転して、突如、全国的なスポーツや文化イベントを2週間は中止・延期するように「要請」した。その直後から、それまで実施を決めていた行事やイベントの多くが中止に向かった。25日の「重要方針」には含まれていなかったから、唐突感は否めなかった。早稲田大学はその翌日、卒業式と入学式の中止を発表した。

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そしてさらに驚いたことに、27日(木)の同じ会議で、全国の小中高校、特別支援学校を、3月2日(月)から春休みまで臨時休校するよう「要請」したのである。これは、後の国会審議でも当事者が認めている通り、官房長官も、所管大臣である文科相も当日の昼過ぎまで聞いていなかったというもの。27日は木曜日である。しかもその夕方になって、突然、生徒も先生も、28日(金)が学校生活最後の日になるとわかって、大混乱に陥った。3月の第1週を準備期間として、3月9日(月)から、少なくとも2週間を休校にするといった形で、開始時期と期間をあらかじめ明示することはできなかったのか。卒業式も終業式もできず、友だちとの別れの時間も持てず、学校を追い出された生徒たちの悲しみは深い。だが、よく考えてみると、そもそも首相に休校を命ずる権限はない。文科大臣にもない。知事にも市長にもない。公立の小中高の教育については教育委員会を経由しなければならない。だが、首相が「要請する」といえば、事実上の強制のように働いてしまうのが日本である。冷静な自治体のなかには、休校にしないところや、時期をずらすところも出てきたが、少数にとどまった。

なぜ、こんな性急な発表の仕方をしたのか。26日のイベント中止要請、27日の一斉休校要請について、官邸1階の記者会見室で発表すれば、当然、「総理、なぜ、全国一斉でなければならないのですか。その根拠は何ですか」といった当たり前の質問を、内閣記者会の腰抜け政治部記者でさえしただろう。それに答える自信も解答も持ち合わせないからこそ、官邸4階の大会議室での、突然の一方的な発表の連鎖となったと私はみている。

「基本方針」にもなく、専門家会議において誰も言っていないことを、何の前触れもなしに、突然打ち出したのか。その理由は、26日に北海道知事が全道の小中学校に1週間の休校を要請したことにあるように思われる。今井尚哉首相補佐官は「北海道の評判がいい」と首相に進言したという(『週刊文春』3月12日号24頁)。道知事に先をこされたと感じた安倍首相は、関係閣僚にも専門家会議のメンバーにも事前に相談せず、独断でこれを決定した。あわてたのは所管大臣たちである。役所もおそらくパニックに近い状況になっただろう。「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」という答弁に辻褄を合わせるため、財務省の役人たちが「あったことをなかったこと」へと隠蔽、改ざんに走ったのと基本は同じである。安倍首相の言動に、みんな振り回されている。

なお、28日の北海道知事の「緊急事態宣言」は本人も認めるように法的根拠はない。それでも、土日に限って外出制限を行ったわけで、安倍首相周辺は、これは使えるとふんだ節がある。29日(土)午後5時から10分間、知事は首相と面会して何やら話している。冒頭左は『読売新聞』北海道支社が道内の主要駅で配付した28日付号外である。翌29日付紙面も『読売』が一面トップだったのに対して、『朝日新聞』は「緊急事態宣言」という見出しすら使わなかった。『北海道新聞』は号外を出さなかった。社内では、「政府の思うつぼだ」「緊急事態の実験場にされている」などの議論があったという。これも見識だろう。

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イベント中止、全国一斉休校の唐突な発信を行ったものの、国民の反発は強く、メディアからの批判も激しくなってきた。この写真は『日刊スポーツ』(北海道日刊スポーツ)2月29日付である。「安倍ふざけるな」「コロコロコロナ対策 国民怒り沸騰」という巨大見出し。よくみると「安倍」でなく「政権」という言葉が小さく付いているが、スポーツ紙の「日刊ゲンダイ」化とさえいえる。こういう反応が出てきて焦った安倍首相は、29日(土)夕方6時、直前に北海道知事と10分間会った後に記者会見を開く集団的自衛権行使の解釈変更もやったあの官邸1階記者会見室である。側近が周到に準備した文章を、新型コロナ対策の最高指揮官という高揚感いっぱいで読み上げた。言葉がやたらと走っていた。例えば、ウイルスなのに「敵」という言葉を使い、「敵との戦い」というキナ臭い表現が何度もでてきた。「テロとの戦い」の感覚なのだろうか(安倍晋喜劇「日本ニュース」参照)。

記者会見では、記者が国民にかわってたくさんの疑問をぶつけるべきである。全国一律休校を要請した結果、学校外に放逐された子どもたちを誰がみるのか。共働き夫婦の場合、アルバイトの場合、損失補填はどう違うのかをめぐって疑問は尽きない。だが、首相は30分ちょっとで「時間切れ」と称して記者会見を打ち切り、質問者が声をあげているのにこれを無視して、自宅に直帰してしまった。終了後に会合も打合せも入っていないのだから、1時間だって延長できただろう。国民に痛みと負担を求める施策の数々について、多くの国民が聞きたいことがたくさんあったはずである。だが、内閣記者会と首相との間では、質問事項のすり合わせまでされていたことが、後の国会審議で判明している。内閣記者会の堕落極まれりである。

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なお、習近平国家主席の訪日がなくなり、中国配慮の縛りが解けた3月5日、安倍首相はまたも唐突に、韓国と中国からの入国制限を一気に強化した(発行済みビザ無効と入国時「2週間待機」)。すでに国内感染が始まっているから、この種の「水際」対策をいま強化することに疑問も出たが、専門家会議の意見も聞かず、厚生労働省幹部も寝耳に水という状況のもとで、またも首相の強引な方針転換だった。これも、あの4階大会議室の対策本部の会合で突然発表された。

官邸4階大会議室での一方的発信は、危機における指導者の所作としては零点である。1階記者会見室での会見も、記者のなれあい質問で片づけていることを国民は見抜いている。これも落第点。対策がうまくいかないことへの悩みや失敗への反省も率直に語り、謙虚な姿勢を見せるならば国民の共感も得られるだろう。だが、もともと狭量で狭隘、器が極小ときているから、弁解といい訳、正当化と居直りに終始する。こういう場面での指導者の見苦しい姿は、国民をますます不安にする。「ぶらさがり」という囲み取材では、台本を表示するプロンプターも補佐官のメモも読めないから、首相の能力が存分にみえてしまう。その一例が、2月8日(土)午後、武漢で邦人男性が死亡した際の「ぶらさがり」である。質疑応答をせず、作り笑いをして去って行く。振付師がいないとこうなる。

危機において指導者に求められることの第2は、刻々と変化する困難な事態のなか、専門家の意見を聞いて、国・地方、民間のもてる力を最大限に引き出す調整役に徹することである。だが、安倍首相は、国会における野党の追及をかわすことに頭はいっぱいで、コロナ対策は、1月下旬になって、内閣官房の「事態室」を中心に動きがつくられた。このセクションは、もともと大規模地震や国民保護法によるミサイル対処などの施策を行ってきた部署で、感染症対策は想定していなかったようである(『毎日新聞』3月5日付)。その後、クルーズ船対処から国内感染の拡大への対処を含め、出向組の多い内閣官房のオーバーワーク(自殺者1名)、さらに厚生労働省との連携のまずさなどもあって、「司令塔」がないままにコロナ対策が迷走している。首相は「瀬戸際」をあおり、一方で「水際」の唐突な強化が重なる。まったく一貫していない。海外から安倍政権の無能ぶりが歴然としてきたことへの焦りもあって、「緊急事態宣言」を出して首相に権限を集中させ、「ウイルスとの戦い」に挑んでいるという「やってる感」を演出したいのだろう。

安倍首相は3月4日、野党各党の党首と国会内で会談して、この感染症について「緊急事態宣言」を発することのできる「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下、2012年特措法ともいう)の改正案を提案してきた。2012年に民主党政権下で制定された法律であり、その運用についての解説もある(PDF)。安倍首相は、憲法9条検察庁法・国家公務員法であれだけ強引に法律解釈の常識を覆してきた人物なのに、ここだけ解釈の拡大ではなく立法でいくというのは解せない。10日に改正案を閣議決定し、13日までに成立させる勢いである。危機において指導者がやってはいけないことは、困難な事態を克服すると見せかけて、日頃できなかった「懸案」事項を一気に実現するという姑息な手法である。とりわけ首相の悲願である憲法改正(特に緊急事態条項)に向けた布石となると判断し、法律レベルで「緊急事態宣言」が出せるこの特別措置法に飛びついて、現行法の枠を広げようという魂胆だろう。その考え方については、先々週の「直言」で批判した通りである

「緊急事態宣言」によって何が獲得されるのか。市民の健康や安全を守るためと称して、通常の手続きが省略され、行政権力に権限が集中・強化され、市民的自由に対する特別の制限が課せられる。2012年特措法32条1項には、首相の「緊急事態宣言」が定められているが、その要件は曖昧である。「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はその恐れがあるもの」。「恐れがあるもの」は非限定的であり、常に議論を呼ぶところである。詳細が政令(内閣の命令)に丸投げされているのも問題である。いつ「緊急事態」が発令され、いつ解除されるのか。緊急事態宣言の統制システムが十分ではない(2012年特措法32条1項、5項)。中身も問題が多い。「生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないこと」を要請できる(同法45条1項)。学校や社会福祉施設などについて、「当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止」などを要請、場合によっては指示できる(同2項、3項)。これは、憲法上の移転(移動)の自由(22条1項)の制限につながる。人が集まって何かを要求することを制限すれば、集会の自由(憲法21条)の問題ともなり得る。医療施設などを設置するために、所有者等の同意を得ないで強制的に使用することも可能な立て付けになっている(2012年特措法49条)。これは憲法29条の財産権にかかわってくる。

これらの権利制約の構図は、災害対策基本法における「災害緊急事態」とその法的枠組、さらにはそれをベースにした「武力攻撃事態災害」(国民保護法2条4項、同97条)に対処する「国民保護法」の法的枠組にも類似している。思えば、「武力攻撃事態災害」は、災害法制の軍事化を図るものであった。いま、安倍首相が「コロナ災害」に便乗して、「緊急事態宣言」を法律レベルで追求するのには、2012年自民党改憲案に含まれる緊急事態条項の「実験台」(伊吹文明衆議院議員)という意味があるのではないか。国会議員はこの提案に乗るべきではない。

新型コロナウイルスに効果的に対処するのに、いざとなったら「緊急事態宣言」をといったところに力をさくのではなく、今までの失敗をきちんと総括して、「五輪面子」を捨てて、感染の実態をしっかりと把握できるように(拒否・隠蔽をせずに)検査を徹底するところから始めるべきである。

危機において指導者に求められることの第3は、国民に負担を強いる以上、自らを律して、言行一致をはかること、それにより国民の最低限の信頼を得ていることである。緊急事態に対処する者の「資格」にかかわる。だが、安倍首相とその政権には、これが決定的どころか、致命的に欠けている(直言「「東日本大水害」と政治―「危機」における指導者の言葉と所作(その3)」参照)。村山富市首相は自民・社会・さきがけ連立政権だったことで批判も多いが、ただ一つ、阪神淡路大震災の時、担当大臣にすべてを任せ、「全責任はわしがとる」といった。政治家トップの最大の仕事は責任をとることである。今日辞める覚悟で明日を決断する。これで官僚は動く。被災者生活再建支援法もすぐに成立した。また、東日本大震災の時の菅直人政権もいろいろ批判はあったが、被災と正面から向き合って、必死に対処していた(震災当日から翌日にかけての首相動静参照)。

安倍政権の場合、大臣、補佐官から末端の与党議員に至るまで、まるで底が抜けたような緊張感のなさである。枚挙にいとまがないが、特に首相補佐官の秋葉賢也。首相が大規模イベント自粛を要請した2月26日に政治資金パーティを開いていた。それを記者に問われると、ほかにも開いているのがいるとして、小野寺五典衆議院議員(自民党)の名前をあげるお粗末さである。

2月25日、安倍好みの右翼チルドレン議員のパーティに参加していたのは、西村康稔経済再生担当大臣。2018年の西日本豪雨の時、「赤坂自民亭」の酒呑み会の現場から「宴会ツイッター」を飛ばして、全世界に恥をさらした人物である(直言「安倍政権が史上最長となる「秘訣」」)。その西村がコロナ対策担当大臣というのだから、もはやジョークである。

安倍首相自身の身の処し方も語るに落ちている。対策会議はそこそこに、仲の良い財界人や右翼の言論人との会食に精を出している。新型コロナウイルス対策の「基本方針」を発表した2月25日の「首相動静」によれば、安倍首相はコロナ対策本部にわずか19分滞在して、方針の発表後、すぐに秋好陽介(ランサーズ社長)らと2時間30分も会食している。国会で追及されると「会食が悪いのか」と居直るあたりは、「てんぷら1番、ゴルフは2番、惨事の放置は安倍晋三」と、文明堂カステラのCMの乗りで批判されるだけある。この時期、このタイミングで、なぜランサーズ社長と2時間30分なのかについて、首相には「しっかりした説明」を聞きたいものである。また、2月28日、安倍首相は、「作家」と「ジャーナリスト」に会っている。安倍首相にとっては、これは不要不急の会食ではなく、右翼的支持層へのアピールとして「必要緊急の会食」だったのかもしれない。国民の命がかかっているときに何ということだろうか。

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安倍首相は「水際」対処に失敗した。誰がやっても大変だが、初動で緊張感が弛緩して失敗したが、反省して建て直さず、無反省のまま居直った。これが安倍首相の致命的な弱点である。「1、2週間が瀬戸際である」と国民に向かって発信しながら、専門家の意見を聞かずに、自分の保身と地位確保のため、「私が決断した以上」と、強力な対処措置(集会中止要請、学校休校要請、ビザ無効、入国制限)をさみだれ式に繰り出している。こういう首相に「緊急事態宣言」を軸とした強力な権限を与えていいのか。安倍首相は与野党の議論の土俵、憲法に基づき政権運営を行うという立憲主義の土俵からの逸脱を続け、ついにその土俵を壊してしまった。まさに「憲法違反常習首相」である。通常法の体系で対処するか、緊急事態法で対処するかの「土俵際」での議論にこの人物はふさわしくない。土俵を壊す人間に、人権にもかかわる「土俵際」の議論をさせてはならない。

新型コロナウイルス感染症対策のためには、安倍首相自身が、13年前と同様に「私がいることでマイナス」と認識して退陣し、真の「危機突破内閣」をつくるべきだろう。

(文中敬称略)

《付記》
3月9日午前、研究者・弁護士による「新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する緊急声明」が出された。


新型インフルエンザ等対策特措法改正案についてのコメント
『東京新聞』2020年3月11日付2面

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