この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020年5月11日

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回はまず、「コロナ危機」の最前線に立つ指導者たちの服装に注目したい。日本では大災害のときは防災服を着る。わざとらしい時もあるが、災害に対処しているという格好はできる。いま、大阪と東京の知事は事態対処モードの服装をしている。韓国の文在寅大統領は黄色いジャンパーだった。ところが、日本の安倍晋三首相と「専門家会議」の尾身茂副座長はスーツにネクタイの完全日常モードである。防護服やマスクなど最低限の医療用品や機器が足りないなか、睡眠時間を削り、懸命に取り組む医療従事者から見れば、この二人はどう見えるだろうか。

「危機」における指導者の言葉と所作

日本における「コロナ危機」への対応は、初動からして緊張感を欠いていた。日本の場合、首相も「コロナ担当大臣」(西日本豪雨時「赤坂自民亭」のツイッター発信者)も姿が見えない。「「危機」における指導者の言葉と所作(その3)」などで書いてきたように、危機において指導者に求められることは次の3つである。繰り返しになるが、ここに挙げておこう。

第1に、しっかりと自らの姿を見せて、その時点で求められている言葉を発すること、第2に、刻々と変化する困難な事態のなかで、その事態に通じた専門家の意見を聞いて、国・地方、民間の特性に応じて、もてる力を最大限に引き出せるように調整に徹すること、である。ここでは最終責任は自らがとるという姿勢を明確にしつつ、後の検証に耐え得るよう、可能な限り記録を残すことも求められる。そして第3に、指導者としての資質と資格にかかわることだが、ともに危機を乗り切ろうという真剣さと信頼感があり、国民にさまざまな不便や負担を求める以上、自らを厳しく律することである。結論からいえば、安倍首相とその政権はこのすべてにおいて落第点であり、とりわけ第3の点は、あり得ないようなマイナス点である(直言「安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ―「水際」と「瀬戸際」の迷走」)。

そもそも「(コービッドナインティーンが)クラスター化してオーバーシュートしたらシティをロックダウンすることになるから、ソーシャル・ディスタンス改め、フィジカル・ディスタンスを守って、「新しい生活様式」をお願いします…」。この国の「専門家」や政治家たちの口から出てくる言葉は横文字が多く、人々を混乱させるだけである。もっと明確な日本語で、人々の心を動かす言葉を発することはできないのか。2月16日に発足した「専門家会議」とその実質的トップの尾身副座長の語りには、事態の展開のなかで、専門的知見と必要な情報をわかりやすく一般の人々に伝えるという点において、決定的ともいえる弱点がある。それは、ここへきて頂点に達している。

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5月4日、「緊急事態宣言」を延長するにあたっての記者会見。安倍首相と尾身副座長の語った内容は官邸のホームページで確認できる。「私たちの暮らしを支えてくださっている皆さんへの敬意や感謝、他の人たちへの支え合いの気持ち、そうした思いやりの気持ち、人と人との絆の力があれば、目に見えないウイルスへの恐怖や不安な気持ちに必ずや打ち勝つことができる。…」 冒頭の首相の語りはネット上では「ポエム」と批判されているように、すこぶる情緒的で、「5月6日まで」と1カ月がんばってきた多くの人々を脱力させるものだった。持続化給付金を「最も早い方で8月から入金を開始します」といったのには驚いた。官邸のホームページには「注」がついていて、「8月」と発言したが正しくは「8日」で、これは質疑応答で訂正したとある

なお、TBS「news 23」(5月8日放送)が整理した図を見れば、安倍首相は記者会見の度に、安易な期待をもたせる決め言葉を多用してきたことがわかる。2月29日(1、2週間が瀬戸際)、3月23日(瀬戸際続く)、3月28日(瀬戸際状況が続く)、4月7日(2週間後にはピークアウト)。5月4日(出口に向かってまっすぐ進む1カ月)。精神論と先のばしの手法はもはや限界にきたといえよう。

「途上国なみ」のPCR検査

ここへきて、「途上国なみ」のPCR検査の少なさに危機感をもった医療関係者や大学人が独自に動き出している。山梨大学学長はこれを「蜂起」と呼んだ。ようやく潮目が変わったようだ。こうした動きを受けて、4日の記者会見でPCR検査の少なさを問われた安倍首相は、「8000,1万、1万5000と上げても、実際に行われているのは、7000、8000レベルでありまして、どこに目詰まりがあるのかということは、私も何度もそういう状況について、どこに目詰まりがあるのかということは申し上げてきているわけでありますが…」とまくし立てた。私は「目詰まり」という表現に違和感を覚えた。保健所や地方衛生研究所を削減し、職員も減らして、地域の保健能力を低下させてきた人物が、この危機にあたり、少ない人員で必死にがんばる職員のことを「目詰まり」という表現で語る傲慢と不誠実。2019年4月9日の参議院内閣委員会で、田村智子議員(共産党)は、国立感染研の定員・予算削減や地方衛生研の統廃合などの問題性を鋭く批判していた(審議の動画)。「日本で発生したことのないような感染症が持ち込まれるリスクは無視できないわけですよ」(動画の9分34秒あたりから)。1年前の指摘がその通りになって、PCR検査の「目詰まり」の制度的要因になっているのである。あえて言えば、首相本人がコロナ対処の「目詰まり」の主因なのではないか。

首相と「専門家」の学芸会

「緊急事態宣言」延長をめぐる5月4日の記者会見は、「記者会見を装った学芸会」(神保太郎「メディア批評」150回、『世界』6月号)となるところを、二人の質問で流れが変わった。まず、大川興業の大川豊氏がフリーランス記者として質問した、知的障害や発達障害の子どもたち対する政府の行動指針についてである。安倍首相はプロンプターがないので、しゃべるトーンは乱れていく。支離滅裂になりかかったところで、尾身副座長に振った。尾身氏は「専門外」といって逃げられず、結局、延々と「論点ずらし」を行った。こんな「専門家」のもとで日本全国が3カ月近く、振り回されてきたことを知り、脱力以上に愕然となる場面だった。これは私の誇張ではないので、読者ご自身の目と耳で確認していただきたい(首相官邸ホームページ、47分12秒から)。なお、尾身氏は会見中、何度もマスクの外側に手を触れた。感染症の「専門家」ならば、マスクを着脱する際、決して外側には触れずに、耳にかかったゴム(紐)をとってそのまま捨てるといわれている。「専門家」ともあろうものが、マスクの扱い方を間違うとはこれいかに、である。

「ステイ・ホーム」といっても、子どもたちを家にとじこめておくことは親にとって大変なことである。大川氏の質問は、知的障害の子どもに代表させて、そういう子どもたちの状況を認識した上で政府がどんな方針をもっているかを問うたもので、多くの親にとって切実に響いたことだろう。だが、安倍首相の語りにはあきれるほどにリアリティがなかった。関連して、安倍首相は、「ニコニコ生放送」の番組(5月6日)に出演した際、学生に給付金を出すという点で、「大学院生にはどうなのか」と質問されたが、その時の取り乱し方は並みではなかった(配信動画、質問は29分20秒過ぎから)。まともな指導者ならば、「大学院生はもちろん、若手研究者に対してもできる限りのことをやっていきます」とまず言ってしまう。その上で各省庁との調整に入る。それが内閣「総理」大臣たるゆえんである。ところが、大学院生は「将来の課題」といってホッとした顔をしている。生活が苦しいなかで研究を続ける院生を指導する教員からすれば、この表情と内容には怒りを覚えた。

もう一つは、日本ビデオニュース社の神保哲生氏の質問である。PCR検査数が少ないことについて、「本気で増やそうとしなかったのか」と鋭く切り込んだ。安倍首相は何と、「もちろん本気でやる気がなかったというわけでは全くありません。」と言い返したのである。父安倍晋太郎元外相が「こいつはね、言い訳をさせたら天才的なんだよ」という場面を私たちは見せつけられている。

さらに記者たちの追及の挙手が続くなか、長谷川広報官は「外交日程が入っていますので」と会見を打ち切った。首相動静欄によれば、19時15分から35分までベトナム首相との電話会談。通訳の時間を入れれば、10分程度のものである。「緊急事態宣言」延長という国民生活全般に関わる重大問題について、記者の質問にしっかり答えるべき場面だった。あえて打ち切る理由にするため、わざわざこの時間帯に会談をセットしたのではないかと疑ってみたくもなる。

ドイツの「緩和」における指導者と専門家

日本の指導者と「専門家」の昨今の情けない姿をみてきた。ここからは、同じ5月6日に緩和に大きく舵をきったドイツの指導者と専門家についてみておこう。

ドイツのコロナ対策の初動で、3月18日のメルケル首相の演説が重要である(直言「「コロナ危機」における法と政治―ドイツと日本」参照)。そこでの態度、言葉の選び方、すべての点で日本の首相とは雲泥の差である。この演説の1週間後の3月25日、連邦議会は、「コロナ保護シールド」という大規模な財政支援を決めた。すでに書いたように、芸術家への給付の迅速性は日本でも知られている。中小業者への手厚い援助も、日本との違いは大きい。詳しくは3月30日付直言に譲るが、一言追加すれば、そこでのショルツ財務大臣の決断と語り方である。国民に大きな負担をお願いする以上、大きな給付と支援を行う。大規模な財政出動を、コロナ感染の疑いで自宅勤務となったメルケル首相にかわって、副首相として、与野党の一致した同意を得た。「給付金は手を挙げた人に」と、人の気持ちを逆撫でするようなことしか言わず、財政支援の枠組を自ら主導するような姿勢が皆無の、日本の財務大臣(元首相(直言「私は逃げません」参照))とは大違いである。

ドイツは連邦制をとるので、コロナ対応についても、16ある州の対応はかなり異なる。例えば、感染者数4万3000超、死者2000超のバイエルン州が一番厳しく、4月27日から始まった公共交通機関に乗車の際、および商店に入店する際のマスク着用義務化でも、バイエルン州は前者の違反は過料150ユーロ(約1万7550円)、マスクをつけないで商売をやった経営者は5000ユーロ(約58万5000円)の過料である。これに対して、他の州では、10ユーロ(約1170円)の過料である。人と人との距離(Abstand)は北のメクレンブルク=フォアポンメルン州と南のザールラント州だけが2メートル、他は1.5メートルである。これはトリビアか。他にも、デモに対する規制についてまで州による規制が分かれるが(一部許可の州もある)、詳しくはここでは省略する(Süddeutsche Zeitung vom 22.4の一覧表参照)。

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ロベルト・コッホ研究所の役割

ドイツは徹底したPCR検査を実施して、郡・市ごとに感染の状況が明確にされている。感染マップは州ごとではなく、郡・市ごとに色分けされている。そうした分類を可能にするのも、科学的データがあるからだ。その中心機関が、連邦保健省のもとにある「ロベルト・コッホ研究所」(RKI)である。1891年に、ロベルト・コッホによってプロイセン感染症研究所として設立されたもので、きわめて高い権威と実績をもっている。単なる研究所でなく、感染防護法にも法的に位置づけられた、感染症対策の拠点である。所長のロタール・ヴィーラー教授はきわめて慎重な語り口で、データとその評価を提示する。「三密」がどうのといった細かな政策的中身には一切立ち入らない。まさに科学者としての威厳と顔つきである(ニュースに登場してもダラダラ記者会見はしない)。それだけ国民の信頼も厚い。日本の「専門家会議」とは比較の対象にならない。RKIが発表した5月6日の数字は、感染者16万6091人、死者7119人、回復・退院13万9900人である。日本よりもはるかに感染者も死者も多い。しかし、感染状況は明らかに減少に転じていた。

メルケル首相は5月6日、コッホ研究所のデータに基づき、「私たちは少し勇気を出す余裕があるが、慎重でなければならない」と述べた。感染者は減少しているという判断から、連邦政府と州政府は、州ごとにまちまちではない、規則緩和の共通ルールを決定した。例えば、 今後も人との距離を保ち続けること、1.5メートルの空間を公共の場に残しておく必要があること、接触制限は6月5日まで延長されるが、多少緩和された。ザクセン=アンハルト州では、月曜日に市民が5人で集まることが許可された。多くの州でレストランが徐々に再開されている。サッカー(Bundesliga)も制限付きで再開される。

一部の州では、学校再開に向けて独自の段階的計画を提示していたが、5月6日の決定は、学校が衛生対策と、授業、休憩、通学の場面に応じた対人間隔規則を備えた「部分的な対面教育」の形で学校を再開することを認めた。老人ホームや障害者施設を訪問することも可能となる。商店とデパートは、規模に関係なく開店できるようになった。

政府が緩和策を発表した日、ロベルト・コッホ研究所の副所長が、感染者数が減少してきて、「パンデミックの新しい局面」に入ったので、従来のような定期的な記者会見をしないと語った。だが、副所長は流行の「第2波」は排除されないということも付け加えた(Die Welt vom 7.5) 。このタイミングで、国民に顔も名も知れたヴィーラー所長が出てこなかったことに、「沈黙の意味」があるように私は感じた。

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最新の数字に関しては、コッホ研究所は今週最も多くの新しい感染を記録した。大幅な緩和と同時に、ウイルスが制御不能に拡大するのを防ぐための「緊急ブレーキ」も採用した。それは、郡ないし市で、新しい感染者数が7日以内に住民10万人当たり50人を超えた場合(冒頭の写真右参照)、その地域はロックダウンに戻るというものである。

この「10万人あたり50人」という新しい感染ルールのもとに、ドイツでは2つの地域がロックダウンにもどることになった。5月6日午前0時の時点で、テューリンゲン州東部のグライツ郡と、バイエルン州のローゼンハイム市は、再びより厳しい措置がとられることになった。人口が10万人弱のグライツ郡は過去7日間で人口10万人当たり84.6件の感染が判明し、ドイツで最も感染率が高い。2位のローゼンハイム市(人口63000人)は、過去7日間で10万人あたり52.1件である。

なお、緩和が決定された当日のドイツラジオのニュースは、「テスト、テスト、テスト」として、「コッホ研究所が今後、軽度の呼吸器系疾患でもPCR検査をすすめる」という記事をアップして、どこで、どのように検査が受けられるかを紹介していた(写真は、Deutschlandfunkのニュース(5月6日)。

今回はドイツについての情報をあまり書けなかったが、5月6日のドイツ政府の決定からも明らかなように、とりあえず経済・社会は始動する。だが、いつでも「緊急ブレーキ」をかけられるようにしている点は見逃せない。安倍晋三首相のもとで、日本はこの3カ月間、コロナ対応において迷走と混迷を繰り返している。いくらなんでも指導者と専門家を取り替えるべき時がきている。もはや「他に誰がいるのか」という言葉を使うべきではないだろう。

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