トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗
2020年6月8日

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週の4日は「天安門事件」31周年だった。昨年の今頃、直言「軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港」を出した。まさか、ここにアメリカが加わるかもしれないような状況が生れるとは、1年前は夢にも思わなかった。

5月27日、カナダと国境を接するミネソタ州最大の都市ミネアポリスで、ジョージ・フロイドという黒人男性が警察官によって膝で首を「8分46秒」も圧迫され続け、死亡するという事件が起きた。「息ができない」と叫ぶフロイドさんの声を含め、一部始終が動画に撮影され、全世界に拡散した。当日のうちに抗議集会・デモが始まり、全米140の都市に拡大した。参加者の数だけでなく、その多様性と広がりは注目すべきものがある。特定の人種差別事件でこれだけの抗議デモが長期間続くことは、1960年代の市民的権利獲得運動以来といわれ、その時は「黒人が運動の主体であったことを鑑みれば、人種や国を問わず、多くの人々が参加している点では、史上初めての広がり」という指摘もある。

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「合衆国大統領」のはずのトランプは、ツイッターを通じて児戯的な発信を続け、怒りを増幅させている。5月29日にはデモ隊を「悪党」とののしり、「略奪が始まれば銃撃も始まる」とツイートした。さらに、「もし市や州が住民の生命と財産を守るため必要な行動を拒否するなら、私が合衆国軍隊を投入して、代わりに問題を速やかに解決する」とまで主張した(BBCニュース6月2日)。私も驚いたのは、6月1日のパフォーマンスである。

この日、ホワイトハウス北側にあるラファイエット広場前の通りには、数百人の市民が平和的に集会をしていた。午後6時半過ぎ、突然、警官隊が横一線に並んで盾を突き出し、催涙弾を発射しながら市民の排除を始めた。ワシントンDCには夜間外出禁止令が出ていたものの、発効するのは午後7時からで、暴力的な行動も挑発的な行為もなかったにもかかわらず、催涙ガスまで散布され、市民は強制的に排除された。なぜか。午後6時45分ごろ、トランプがホワイトハウスのローズガーデンで声明を読み上げたあと、徒歩で、広場向かいにある「大統領の教会」といわれる歴史的教会、セント・ジョン聖公会教会に向かったからである。『南ドイツ新聞』6月4日付が驚きのコメントとともに掲載した写真がこれだ。見出しは「そこのけ」である。このあと教会前でトランプは聖書を掲げて、テレビカメラの撮影を行わせた。教会には立ち寄らず、ただ映像・写真を撮らせるためだけの訪問だった。大統領選挙に向けて、共和党を支持するエスタブリッシュメントが多いプロテスタント層へのアピールをするために、あえてこのタイミングで行ったものと推測される。毎日新聞北米総局長の評論(「潮流・深層」6月6日付)によると、「6月1日は、「米国の民主主義の根幹が揺らいだ日」として米国史に刻まれる可能性がある」

冒頭左の写真にあるように、「国家は私だ」(Der Staat bin ich)というタイトルで、『シュピーゲル』誌5月23日号は、米国の権力分立の図(チェック・アンド・バランス)を掲げて、トランプが法治国家を無効にするための種々の試みを展開していることを問題にしている(なお、写真にある「日本のトランプ」参照)。その一つとして、オバマ前大統領を訴追させようとしている。司法長官をはじめ、捜査・検察関係者が次々に解任されている。さらに、先週、市民の平和的デモに対して、連邦軍を投入しようとしている。

ワシントン周辺には、米陸軍の精鋭で、ノルマンディー上陸作戦にも参加した第82空挺師団も配置された。どこの国でも「軍隊」と「警察」は厳格に区別されている。前者が外国からの武力攻撃に対応するのに対して、後者は国内の犯罪などに対処する。フランス1791年憲法が、「公の武力」を自国民に向けて使用してはならないと戒めたように、各国とも、軍隊の国内出動には枠をはめている。国内治安は、もっぱら警察の仕事だからである。例外的な事態においてのみ、軍隊の国内出動が想定されている。米国では、民警団法(1878年)が法執行のために連邦軍を投入することを明示的に禁じている。例外的に、暴動対策法(1807年)は、@州で暴動が発生し、州知事から要請がある場合、A合衆国に対する違法な妨害、結社、集会、反乱により通常の司法過程によっては法執行が困難である場合、B州内での法執行が妨げられ、当地での法執行によっては個人の権利を守れないような場合、に連邦軍の投入を認めている。1932年の「ボーナス・アーミー事件」(フーバー大統領が退役軍人による抗議活動に軍隊を投入した)は@の例である。1957年の「リトルロック高校事件」(教育における人種統合を命じた連邦最高裁のブラウン判決の執行を妨害する人種分離主義者の暴力を阻止するため、アイゼンハワー大統領が第101空挺師団に黒人生徒9人の護衛を命じた)は、Bの例である(詳しくは、Jennifer K. Elsea, The Posse Comitatus Act and Related Matters: The Use of the Military to Execute Civilian Law, CRS Report R42659, 2018)。いずれにせよ、例外的なケースであり、1992年のロサンゼルス暴動以来、発動されたことはない。ドイツについては、17年前の直言「軍隊が国内出動するとき」を参照されたい。

トランプが連邦軍の出動を命じたのに対して、マーク・エスパー国防長官は3日の記者会見で、「警察が担う役割に軍を使うことは最終手段であり、最も緊急性が高い事態に限られるべきだ。我々は今、そのような状況にはない。暴動対策法を発動することは支持しない」と述べた(『朝日新聞』6月4日付夕刊)。これに対して、大統領とその周辺は国防長官に不快感を示したという。

そこへきて、制服のトップクラスで、かつ国防長官を務めた人物がトランプを激しく批判して注目されている。ジェームズ・マティス。1950年生まれで、湾岸戦争に第1海兵大隊長(中佐)として、「対テロ作戦」の「不朽の自由作戦」に第1海兵遠征旅団長(准将)として、イラク戦争に第1海兵師団長(少将)としてそれぞれ参加して、海兵隊大将となってから中央軍司令官を務め、2017年にトランプによって国防長官に任命された人物である。すさまじい軍歴の、超エリート軍人である。

トランプはマティスを国防長官に任命した時、「“Mad dog”(狂犬)マティス」と呼んでメディアも驚きを伝えた。2017年2月に訪日して、各国首脳のなかで突出してトランプに「寄り添う」安倍晋三首相と会い、「尖閣諸島は安保条約5条の適用範囲」と語って安倍首相を喜ばせている(直言「「トランプゲート事件」と安倍政権」)。2017年8月に、トランプ政権内で陰湿に立ち回っていた、白人至上主義者のスティーブン・バノン首席戦略官が失脚したが、その背後に「3人の将軍たち」(マティス国防長官、ケリー首席補佐官、マクマスター安全保障担当補佐官)がいたとされている。バノン支持者たちは「将軍たちのクーデター」と呼んで悔しがったという(直言「トランプ・アベ非立憲政権の「国難」」)。

「狂犬マティス」という意味はかなり違っていた。冷徹なまでに理知的で、軍事的合理性に忠実な生粋の軍人であるがゆえに、バノンのように米軍の力をイデオロギッシュに使う方向には賛成できなかったのだろう。そして、2018年12月、トランプがISILとの戦争に勝利したとして、シリアからの米軍撤退を表明した時、これにマティスは反発して辞表を提出した。中央軍司令官まで務めたマティスとしては、中東の軍事バランス(もちろん米国の視点からの)を崩すトランプのパフォーマンス外交には従えなかったとみられている。

そのマティス元国防長官は、辞表でトランプ政権を批判したのを例外として、政治に関する発言を避けてきたのだが、6月3日付で『The Atlantic』に寄稿して注目された。編集部がつけたタイトルは、「マティスはトランプ大統領を非難し、彼を憲法に対する脅威と表現する。」、サブタイトルは「異例の非難の中で、元国防長官は抗議者を支持し、大統領はアメリカ人を互いに離反させようとしていると語る」である。この論稿が公表されると、その日のうちに、望月穂貴氏(早稲田大学比較法研究所招聘研究員、大東文化大学法学部非常勤講師)がこれを翻訳して私に送ってくれた(6月5日午前6時45分)。今回、これを下記に掲載する(注は望月氏による)。

なお、ネット上ではマティス発言が絶賛されているが、望月氏は私へのメールで次のような疑問を呈する。「文の中で引っかかったのは、our politicsよりもマシ、executive authorityの濫用よりもマシとされる"we"が誰なのかということです。militaryとcivil societyの双方を包含して"we"と言っているのでしょうけれども、そうするとこの文章は軍に対するアピールという意味も帯びてくるかもしれません。軍がpoliticsよりもマシ、というのはよく聞く言い回しです」と。一方で、その制服軍人トップが「合衆国憲法制定を支持するために書かれたフェデラリスト・ペーパーを引用して、憲法の擁護を改めて主張する」ことに望月氏は着目する。私もかつての「直言」で制服軍人トップが国防長官となることに懸念を表していたが、これだけの生粋の軍人が危機感をもつほどに、トランプの暴走は危ないということだろう(検察制度に手を突っ込んできた安倍首相に対して、検事総長が「朕は国家なり」のルイ14世をあげて批判したことと重なる)。

【翻訳】 ジェームズ・マティス「団結ユニオンこそ力なり」(訳:望月穂貴)

私は今週に繰り広げられた出来事を目の当たりにして怒りもしたし、ぞっとした。「法の下に等しい正義」(Equal Justice Under Law)という言葉が連邦最高裁のペディメントに彫り込まれている。これこそがまさに抗議している人々が要求していることである。これは健全なる、〔国の〕団結に関する要求である――我々全てが支持できるはずである。我々は少数の法律違反者へと目をそらされてはならない。これらの抗議〔の主張〕は何万もの良心ある人々、すなわち我々の価値――我々の人民としての価値、我々の国としての価値――に恥じないように生きるということを断固として主張する人々によって、明らかにされているのである。

50数年前に私が軍に入隊した時、私は合衆国憲法を支持し擁護するという宣誓をした。同じ宣誓をした部隊が、いかなる状況であれ、同胞市民の憲法上の権利の侵害を命じられるなどとは夢にも思わなかった――まして選挙で選ばれた最高司令官のために、軍指導部を並べて奇妙な写真撮影の機会を設けるよう命じられるとは1

我々の都市を「戦場」だとみなし、制服軍人が「占領」のために召集されるなどといういかなる考えも、退けなければならない。国内では、軍を用いるのは、きわめて例外的な状況において、州知事にそのように要求された場合だけのはずである。我々の対応を軍事化すれば、ワシントンD.C.で目撃されたように、軍と市民社会とに衝突――偽りの衝突――を作り出すことになる。このような対応は、制服を着た男女と、彼ら彼女らが守ると誓い自らもまたその一員である、社会との間の信頼の絆を確保するための道徳的基盤を蝕む。公衆の秩序を保つことは、文民たる州及び地方のリーダーたち、つまり、もっとも良くその共同体を理解し、共同体に責任を負う人々に委ねられている。

ジェイムズ・マディソンは、フェデラリスト第14篇において、「一握りの兵しかなくても、あるいは一兵もおらずとも、統一されたアメリカは、統一されずにいるが10万の熟練兵を有し戦闘への備えあるアメリカよりも、外国の野心を阻止する断固たる姿勢を示すことになる」と言った2。我々は抗議への対応を軍事化する必要はない。我々に必要なのは共通の目的のもとで団結することである。そしてこのことは、我々すべて法の下に平等であるということを保証することから始まるのである。

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ノルマンディー上陸に先立って軍当局から部隊に与えられた指示は、兵士たちに「我々を打ち破るためのナチのスローガンは『分断せよ、しかして征服せよ』であった。我らアメリカ人の答えは『団結こそ力なり In Union There is Strength』である」と注意を促すものだった。我々は今般の危機を乗り越えるためにこのような団結を呼び起こさなければならない――我々は、我々の政界politicsよりも善良であるという自信をもって。

ドナルド・トランプは、私の人生の中でアメリカ人民を団結させようとしなかった――努力するふりすらしなかった――初めての大統領である。そうではなく、彼は我々を分断させようと試みている。我々はかかる意図的な試みがなされた三年間の帰結を目撃している。我々は、分別あるリーダーシップを欠いた三年間の帰結を目撃している。我々の市民社会に内在する様々な強さに依拠することによって、我々は彼なしで団結できる。過去数日間に示されたように、団結は簡単なことではない。しかし、我々は、団結する義務を同胞市民たちに対して負っている。我々の約束を守るために血を流した過去の世代に対して。そして我々の子どもたちに対して。

目的意識を新たにし、互いを尊重することによって、我々はこの試練の時を力強く乗り切ることができる。〔COVID-19の〕パンデミックによって示されたのは、共同体の安全のために進んで究極の犠牲を供するのは軍だけではないということである。病院でも、食料品店でも、郵便局でも、いずこでもアメリカ人は、その命を前線に投じ、同胞市民と自らの国に奉仕した。我々は、ラファイエット広場で目撃されたような執行権の濫用よりも我々自身が善良であると分かっている3。公職の座にあって我々の憲法を嘲笑するような人たちを退け、責任を果たさせなければならない。また、団結に努めるにあたって、我々はリンカンの「よりよい天使たち」を思い出し、耳を傾けなければならない4

新たな道筋――つまり、我々の建国の理念という道筋に立ち戻る――をとることによってのみ、内外で賞賛され尊敬される国になるだろう。


原文:Jeffrey Goldberg, James Mattis Denounces President Trump, Describes Him as a Threat to the Constitution, The Atlantic, June 3, 2020.
(2020年6月4日訳)

1 トランプがワシントンD.C.のセント・ジョン聖公会教会でアピールのための写真撮影をするために、ホワイトハウス周辺の抗議者たちを催涙ガスで追い払ったことを指す。
2 フェデラリスト・ペーパーとは、合衆国憲法草案が憲法制定会議で採択されたのち、反対論の強かったニューヨークでの批准を目指すためにアレキサンダー・ハミルトン、ジェイムズ・マディソン、ジョン・ジェイらが新聞紙上に執筆した憲法草案を擁護するための85の小論文を指す。なお、マティスが引用しているマディソンの論考は、14篇とあるが、実際には41篇である〔6月7日に再度確認したところ、41に訂正されていた。このため、訂正前に転載したサイトでは誤ったままとなっているものがある〕。この訳は齋藤眞・武則忠見訳『ザ・フェデラリスト』(福村出版、1991年)には必ずしも従っていない。
3 注1の事件のこと。
4 リンカン大統領の第一期目就任演説(1861年)の以下の部分に登場する。「我々は敵同士ではなく、友人なのです。敵同士であってはなりません。たとえ激情が張り詰めるとしても、親愛の絆を断ち切ってはなりません。あらゆる戦場と愛国者の墓からこの広い国すべての生ける人の心と家庭へと広がっていく、記憶という神秘的な和音がユニオンUnionの合唱を大いに奏でるでしょう。必ずやそうなるでしょうが、我々の本性の中のよりよい天使たちの手によって再び奏でられるその時にです」。これは一般的に団結の美徳を主張したものではない。リンカンや、先のフェデラリスト・ペーパーが用いるユニオン Unionという言葉は、団結という一般的な意味に加え、連邦もかけているのである。連邦ユニオンを分裂させかねない大きな対立点が、建国初期から存在した奴隷制の問題だった。連邦議会が奴隷制の問題について妥協を試みたのが世界史でも著名なミズーリ妥協(1820年)であり、北緯36度30分以上には奴隷州を置かないことを定めた。しかし、連邦最高裁は、ドレッド・スコット判決(Dred Scott v. Sandford, 60 U.S. (19 How.) 393 (1857))で、連邦議会は奴隷制を廃止する権限を持たず、自由州に逃亡した奴隷を解放するのはデュープロセス条項に反すると判断し、ミズーリ妥協は違憲とされた。これに対し、奴隷制廃止を主張する人々は共和党を結成する一方、南部では連邦離脱主義者が勢いづき、連邦の存続にかかわる激しい党派対立が発生した。それでも南北戦争突入前夜にあたる時期に、リンカンは連邦ユニオンの維持を何よりも重視することを強調していた。南北戦争後の再建修正(連邦憲法の13、14、15修正)によって奴隷制は廃止された。しかし、現在も根強く残る人種差別は、南北戦争から長く尾を引いており、今また連邦ユニオンの維持が危ぶまれている――というような歴史への認識を踏まえてマティスもユニオンという言葉に言及していると思われる。

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