「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ・・・
2020年6月29日

25人の内閣総理大臣

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閣総理大臣というものを初めて意識したのは、安倍晋三首相の祖父、岸信介だった。ちょうど60年前の今頃、中学校の教員だった父が、国会前の安保反対デモに参加するために家を出る姿が記憶のなかにある。以来、私は25人の内閣総理大臣を見てきた。この「直言」を1997年1月3日に始めたときは、橋本龍太郎だった。23年間、「直言」で批判してきた首相は10人(直言「わが歴史グッズの話(33)―内閣総理大臣」)。大平正芳のような無類の読書家だったら、田中角栄のように各省庁の課長級の奥さんの誕生日に花を送る「気配り」の官僚操縦ができたら、細川護煕や鳩山由紀夫のようにアジア諸国との関係を重視する姿勢があったら、福田康夫のように公文書を大切にする気持ちがほんの少しでもあったら、小渕恵三のように、小まめに人の意見を聞く人だったら(「ブッチホン」で知られる)・・・。

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安倍晋三にはこれらの要素が皆無である。歴代首相のなかで最も読書をしない(愛読書は百田尚樹と『正論』『諸君』(すでに廃刊))、帰宅するや外国製連続テレビドラマ(特に「ハウス・オブ・カード 野望の階段」6シーズン全73話など)に没頭し(『選択』2月号52頁による)、ゴルフ好きでも、歴代首相のように、苦手なタイプを招いて親交を深めるのでなく、もっぱらお友だちとだけに徹する。会食も「親密圏」。ネタもとは薄っぺらなネトウヨ情報(例えば、朝日新聞サイトの「3300円マスク事件」参照)。官僚を使うのでなく、官僚(特に経産官僚)にいいように使われている。挙げればきりがない。人に何かをしてもらっても、そのありがたさがわからない。安倍に誠実に尽くせば尽くすほど、深く傷ついて去っていく。ご記憶だろうか。2018年9月4日の自民党総裁選の出陣式で、安倍首相は、「それを皆さんがかぶっていただき大変だったと思います」と挨拶した。この言葉に会場は一瞬、ザワついたとされている。「モリ」「カケ」の不始末・不祥事ではたくさんの人が安倍をカバーして大変な思いをした。ある時は記憶にありませんを連発して、自分の子どもに見せられない姿を国会中継でさらしたり、公文書の改ざんまでやったりと。そして、その「構造的忖度」の末端では、自殺者まで出している(近畿財務局の赤木俊夫さん)。他面、自意識過剰の屈折したコンプレックスの持ち主で、疑り深く、被害者意識も強く、自分を悪くいう人間を決して許さず、執拗に復讐していく。スターリンに似たりといったのは、陰湿かつ粘着質に身内を粛清していくそのメンタリティの故である

安倍流「5つの統治手法」

2018年8月の自民党総裁選の時、石破茂が、「全ての人に公平、公正、誠実、正直な政府を作る」と訴えたら、「安倍総理大臣への個人攻撃のように見え」る(吉田博美参議院幹事長)という批判が出たことは記憶に新しい。石破を支持する重鎮議員ですら「忖度」するほど党内は萎縮しているようである。この政権の際立った特徴は、何度も指摘しているように、安倍流「5つの統治手法」(@情報隠し、A 争点ぼかし、B論点ずらし、C友だち重視、D異論つぶし)、そしてこれら全体を貫く「前提くずし」である「構造的忖度」の雲(空気)がこの7年半で、永田町・霞ヶ関村を厚く覆い、日本全国津々浦々まで浸透していった。その典型的事例を私は、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ」というキーワードで、直言「首相の「責任」の耐えがたい軽さ」や直言「魚と政権は頭から腐る―隠蔽・改ざんから麻薬汚染まで」で論じている。

コロナとクロケン、そしてアンリ・・・

これに続く「コロナ」については、まさに現在進行形である。安倍首相が「五輪面子」により、聖火を日本に届けるまでコロナ対応を抑制した結果が、いまの日本の感染状況を生んだという冷静な分析が出始めている。『西日本新聞』2020年6月25日付の1面記事「入国制限が遅れた代償は 五輪開くため聖火到着待ち、ウイルス拡散」は注目の記事である。安倍政権が、「検査なき自粛、補償なき自粛」によって経済・社会にどれだけの損害を与えたか。いずれ全面的な検証が必要だろう。そして、「クロケン」。これは直言「検察官の定年延長問題」をお読みいただきたい。となると、今回の「直言」のサブタイトルの最後の「アンリ・・・」とは何か。これはご存じ、昨夏の参院選における河井克行・案里夫妻による公職選挙法違反事件(大規模買収等)である。ここからが本論となる。

すべてはここから始まった。『週刊文春』2019年6月27日号の記事をクリックしてお読みいただきたい。タイトルは、「「首相の責任」「もう過去の人」 安倍首相はかつてこき下ろされた“あの男”を許さない」である。「仇敵を抹殺するべく、広島での“仁義なき戦い”に力を入れている」。私の人生のなかで、ここまで異様な現金バラマキの選挙をみたことがない。70年代に「金権政治」が問題になったが、議員自らが地方政治家たちに強引に金をまいて歩く。まさかトップの私怨でこんなことが起きるのか。にわかには信じられなかった。

「仇敵」となった溝手顕正は、広島県三原市生まれ。1987年11月から三原市長をやっている。1993年に参院議員になってから連続当選。国家公安委員長・防災担当大臣などを務め、自民党参院幹事長、参院議員会長を務めた重鎮である。広島選挙区は改選定数2人。溝手は自民1議席をずっと守ってきた。2007年選挙では民主党の候補が57万票をとって圧勝。38万票で2位に甘んじたが、2013年選挙では52万票を獲得してトップ当選だった。2019年、野党系の候補者は33万票近くと、2013年選挙で民主と生活の双方に割れた票を合わせた数を獲得して当選した。2位は29万票の河井案里。溝手は27万票で落選した。2人の得票を合わせると、2013年の溝手票を4、5万上回った程度だった。どう見ても、自民2議席独占を狙ったたたかい方ではなかった。2議席を得るには、2013年の溝手票に20万票近く上乗せしなければならなかったからである。

党内の仇敵つぶしに参院選を利用

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冒頭左の写真は2人が逮捕された当日の『中国新聞』号外である。わがゼミ出身の記者が速達で送ってくれた。広島県内の首長や議員たち、少なくとも94人に対して2570万円という大金がばらまかれた。この写真は、『朝日新聞』6月28日付のスクープである。東京地検特捜部が重点的に調べている94人について、朝日が独自取材により、金の配布状況を検証した。縦見出しにあるように、「溝手さんの票を取らないと」という形で、自民党溝手後援会に主要打撃の対象を絞っていたことがよくわかる。地図上の分布を見れば、野党陣営の票や浮動票ではなく、まさに溝手後援会の切り崩しとしか思えないような金のまき方である。最も明確なのは、天満祥典・三原市長への150万円。有権者を買収するのではなく、三原市長をやった溝手顕正の地元後援会トップを買収することで、溝手陣営の本陣に切り込んだわけである。150万円の効果は、天満市長が溝手、河井の両候補の支援を表明したことに端的にあらわれている。

案里容疑者の後援会長を務めた広島県府中町議は中国新聞の取材に対し、克行容疑者が選挙事務所で1対1の状況で30万円を渡してきた際、「『安倍さんから』と言われた」と証言した(『中国新聞』デジタル6月26日)。これは重要である。「首相の名前を出されたため断りきれず受けとった」と。安倍首相の地元秘書たちが、山口ナンバーの街宣車を投入して、案里の選挙運動を展開した。特に地元企業には、「総理秘書」の名刺をもってアポなしで押しかけ、案里の支持を訴えた。どこの企業でも社長クラスが対応したという。「総理秘書」が一緒に来たというのでは、インパクトがまったく違う。

さらに、河井克行は選挙前、首相官邸で12回も面会し、そのうち9回は個別面会であった。この頻度は異様である。重要なのは、面会のすぐあとに3000万円単位で金が振り込まれていることである。昨年の参院選では、自民党候補者に1500万円が党本部から資金提供されたが、河井案里にだけは1億5000万円という10倍もの資金提供が行われた。それはこういう形で分割して送金されていたのである。どう見ても、単独の面会のあとに3000万提供が続くので、これは活動状況を報告するなかで、首相が「もっとやれ」と追加していったものとみられる。最初から1億5000万をポーンと出したわけではなかったのである。私もこの表を見るまで誤解していた。この経緯を全体として見れば、河井克行・案里の金ばらまき活動の原資が、党本部からの多額の資金提供にあることは明らかではないか。

公職選挙法上の交付罪に問えるか

公職選挙法221条1項は買収及び利害誘導罪で、1項1号は買収罪である。今回、3000万円(5月20日)、3000万円(6月10日)、4500万円(6月10日)、3000万円(6月27日)という形で、溝手陣営切り崩しの状況報告を直接受けつつ、「実弾」を投入していたのが党本部の何者であるかが立証できれば、公職選挙法221条1項5号の「交付罪」(供与させる目的をもった金銭の交付)に問えるとする見方もある(郷原信郎・元東京地検特捜部検事)。「1億5000万円が河井夫妻の現金供与の原資となっている事実が認められれば、資金提供を決定した人物とその実質的理由を解明することは不可欠であり、過去に前例がない自民党本部への捜索が行われる可能性も十分にある」と。日本の検察がそこまで切り込むかどうかは予断を許さない。

「総理・総裁」の罪

議院内閣制をとる国では、一般に議会の最大与党の党首が首相となる。しかし、ここ65年間の日本では僅かな政権交代しか経験していないので、自民党の首相しか頭にない時代が長かった。そこで生まれた言葉が、「総理・総裁」である。首相は必ず自民党総裁がなる。例外は、1993年の河野洋平総裁と、1995年の橋本龍太郎総裁(橋本は村山富市首相の退陣を受け総理になる)、2009年の谷垣禎一総裁の3人がいる(直言「総理・総裁が死語になった日」)。安倍は、自民党総裁としての権限を使って、河井案里のみに対して1億5000万円を供与した疑いがある。まさに「総裁の罪」である。この人は、プーチンにあやかって、自分の任期の延長(4選)を狙うのかもしれない(直言「総理・総統」へ?―権力者が改憲に執着するとき(その3)」)。なお、直言「安倍首相の「責任」の意味を問う」参照。

「言い訳の天才」内閣、いいわけない

思えば、安倍晋三という首相の見苦しい言い訳は枚挙に暇(いとま)がない。父親の故・安倍晋太郎元外相は息子について、「こいつはね、言い訳をさせたら天才的なんだよ」と語っていたという。父親の観察眼はさすがである。そんな「言い訳の天才」をトップにした言い訳内閣、いいわけない。

小泉純一郎元首相は、「[森友問題について]国会で総理は関わっていたら辞めると言ったんだから、いずれ責任を取って辞めざるを得ないという考えは変わらないね。」と述べた(『週刊朝日』2020年4/10 増大号)。2006年の安倍内閣の生みの親が、ここまで言っている。やけになって、10月に衆議院を解散するかもしれない。そうなれば、直言「「自分ファースト」の翼賛政治―保身とエゴの「暴投解散」」ということになるだろう。しかし、解散もできず、その前に冒頭右の写真のようになるか。安倍首相辞任へのカウントダウンはすでに始まっている。

《文中敬称略》

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