議会におけるヤジ――日本とドイツの比較
2020年9月28日

菅内閣の「やってる感」と「アベ隠し」

8月23日に衆議院の売店に並んだ『誕生!! スガちゃんまんじゅう(パンケーキ風味饅頭)』が届いた(賞味期限は11月21日)。「自助」で始まるスローガンと「晋ちゃんロード」の立て札。「8月28日」の前後でこの国の政治風景は一変した。あれからちょうど1カ月、菅義偉内閣が発足して12日になるが、内閣支持率は最大74%(日経、読売)まで跳ね上がった。究極の「論点ずらし」が成功している。コロナ対応の失敗や「サクラ」や「アンリ」の関係で政権に不利なニュースが流れても、「携帯料金値下げ」を総務大臣の頭越しに打ち出したり、「不妊治療の保険適用」を厚生労働大臣に直接求めたり、各国首脳と電話会談を連日行うなど、「スピード感あふれるやってる感」の演出によって、「アベ隠し」は見事に成功してしまった。正確には、官房長官在任中の関与や説明責任欠如が不問とされるならば、また国会開会を避けるならば、半ば「スガ隠し」ともいえる。

安倍晋三と菅義偉のヤジ

『東京新聞』9月19日付夕刊コラム「紙つぶて」に、「国会議員のヤジ」という文章を見つけた。筆者は水島広子氏(精神科医)。2000年総選挙で栃木1区から当選して以来、衆院議員を2期やった方である。当時、民主党のなかでも、憲法9条の徹底した平和主義を主張し、私も注目していた。「菅義偉さんが首相・自民党総裁になった。彼は、民主党衆議院議員だった私の一期前の当選で、本会議場で席が私の斜め後ろくらいだった。…菅さん、というと覚えているのは、そのヤジである。」と書いて、安倍前首相と菅首相のヤジを比較する。

「・・・安倍さんのヤジはどちらかというと「感情だだ漏れ」的なもので、苦笑できる範囲内だったとも言える。だが、菅さんのヤジは、もっとすごみがあって、ちょっと怖かったことを記憶している。」と。コラムは、英国議会におけるウィットに富んだヤジの話などに触れながらこう結ぶ。「私は、安倍さんや菅さんのような、ただやかましい、相手をバカにしたりどう喝したりするヤジには大いに反対だが、ヤジを国会の活性化にもっと生かせるのではないかと思っている。あわよくば、上質なヤジに対して、きちんと切り返せる人が国会議員であってほしいと思う。」

衆議院規則216条には、「議事中は濫(みだ)りに発言し又は騒いで他人の演説を妨げてはならない。」とある。寸鉄人を刺す、ウィットに富んだヤジは「議会の華」といわれてきたが、日本の国会のレベルは低い。7年前、「自民党青年局の会合で、30代の議員から「ヤジ反対論」が出たという。相手の演説の良いところが聞けなくなってしまうから、と。地方議会出身の議員で、初めて生で聞く国会のヤジに違和感を覚えたようだ。」この話を紹介した『朝日新聞』2013年2 月9 日付夕刊「窓・論説委員室から」は、「ヤジは『議会の華』と言うけれど、他人の演説を妨げたり、品位に欠けたりすれば論外だ。衆議院先例集には『ヤジには反論できない』という決まりもあり、言論の府を醜悪な応酬から守ろうとしている」と書いている。

ヤジの流儀?

「国会のヤジ」というテーマのファイルを自宅書庫で見つけた。この写真は、『週刊ポスト』2010年2月19日号の「国会を飛び交う「下品なヤジ」の研究」という記事の切り抜きである。たくさんのヤジの事例が紹介されているが、下品なヤジで有名だったハマコーこと、浜田幸一議員(故人)の「ヤジにも流儀がある」という言葉はおもしろい。「ヤジっていうのは『間』をきちっと守って、相手の心臓をバサッと切る。そういうもんだよ。ヤジをいうのなら、相手のクビを取るくらいの気持ちがないと駄目。今のヤジなんて、『騒いでいる』だけ」。なるほど、10年前から見れば、いまの国会のヤジのレベルはさらに悪化しているかもしれない。

例えば、2016年2月29日の衆院予算委員会で、山尾志桜里議員(民主党、当時)が待機児童問題を取り上げて安倍首相を追及した際、「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名ブロガーの書き込みが問題となったが、質問者席のすぐ隣にいた平沢勝栄議員が「誰が書いたんだよ」というヤジを飛ばし、後に弁明に追われた。「〔書いた〕本人を出せ」「うざーい」といったヤジも飛び、待機児童問題に悩む母親たちから怒りの声があがった。ちなみに、ヤジったのは東大生時代に、安倍晋三少年の家庭教師をしていた人物で、そのため入閣が遅れ、菅内閣で復興大臣としてようやく初入閣した(直言「子どもの情景―アベノミクス「出生率1.8」と待機児童問題」参照)。

今年に入ってからでは、2月12日の衆院予算委員会で、質問を終えた辻元清美議員(立憲民主党)に対して、安倍首相が自席から、「意味のない質問だよ」とヤジを飛ばして委員会が紛糾。審議がストップしたことがある(『朝日新聞』2020年2月13日付)。テレビ中継でもはっきり聞き取れる声だった(YouTubeより)。

日本では安倍政権の7年8カ月、予算委員会などで首相が質問者に向かってヤジを飛ばすことが常態化していた。冒頭右の写真はネット上にあふれる「ヤジる首相」のスクリーンショットである。ハマコーが存命だったら、「総理、騒いではいけません。大人げないですよ」とたしなめたかもしれない。

首相のヤジという珍現象

「首相のヤジ 敵意むき出し華もなし」という『朝日新聞』2015年2月22日付社説から引用しよう。

先日の衆院予算委員会で、耳を疑う場面があった。民主党の玉木雄一郎氏が、砂糖業界団体の関連企業から西川農水相への寄付について、「脱法献金だと言わざるを得ない」と追及していた時のことだ。首相が自席からこんなヤジを飛ばした。「日教組!」「日教組どうするの、日教組!」玉木氏は「総理、ヤジを飛ばさないで」と繰り返し、見かねた大島理森予算委員長が「総理、総理も、ちょっと静かに」とたしなめた。…ヤジは「議会の華」という。ただし、これは言論を生業とする政治家ならではの絶妙な「突っ込み」をたたえる言葉だ。首相はよく、答弁中のヤジに「私が答えているんですから」と顔をしかめる。それなのに閣僚の疑惑を突かれたからといって敵意むき出しで言い返すのでは、行政府の長としての矜恃や品位を自らおとしめることにしかならない。…

昨年11月6日の衆院予算委員会でも、加計学園問題に関連して文科省内で見つかった文書に言及して質問した野党議員を指さして、「あなたが(文書を)作ったんじゃないの」とヤジったのである。これは当日のニュース番組で繰り返し流された(『毎日新聞』2019年11月6日)。人を指さすなといっておきながら、自らはさかんに指をさす。相手をおとしめるしぐさである。

議事録に残るドイツ議会のヤジ

ドイツの議会でもけっこうヤジが飛ぶ。だが、日本とはかなりの違いだ。1991年6月20日、首都をボンにするか、ベルリンにするかについて、ボンの連邦議会で大議論が行われた。私はその当日、ベルリンのアパートでずっとテレビで議会の中継をみていた。後に当日の議事録が出版されたので、そのことについて書いた直言「ベルリン首都決定の25年―ライン川からシュプレー川へ」から引用しよう。

…議員の発言が始まった。党議拘束はない。持ち時間5分の範囲で、各党の議員がそれぞれの思いで「ボンかベルリンか」の意見表明を行った。テレビで見ているときはわからなかったが、議事録の拍手(Beifall)とヤジの記載がおもしろい。一般にドイツ議会の議事録は「笑い声」(Heiterkeit)も記載され、拍手する党名、ヤジの内容、その議員名と党名まで記載されるからだ。「全く正しい」(〇〇党、〇〇議員)、「だが一体どうやってそれをやるのか」(同)、「我々はそれから学んだのだ」(同)等々のヤジをみていると、丁々発止の関係になっている。「ヤジ将軍」もいて、J・リュティガー(CDU/CSU)は「それでもナンセンスだ(Das ist doch Quatsch!)」などを連続して叫んでいることが議事録からわかる。それでも、日本の国会の低レベルのヤジとは大違いである。…

これは雑誌『シュテルン』(Der Stern)のホームページの記事(2005年7月14日)である。前述の「国会のヤジ」というファイルのなかにあったものだ。タイトルは「誰がヤジの王様か」。先日、これを読んで笑った。演説中にヤジや辛辣なコメント、意地の悪い抗議が57854回カウントされている。記事では、2005年のヤジ将軍のトップ10がリストアップされている。ほとんど知らない議員だが、一人だけ、緑の党のハンス=クリスティアン・シュトレーブレ議員は安全保障の専門家で、著書も持っているので知っている。彼のヤジは938回で第7位である。ちなみに、第1位の社民党(SPD)議員は2736回である。水島広子氏の『東京新聞』コラムをこの15年前の記事に重ねて撮影した写真がこれである。

菅流「すごみ」と「恐怖」

水島氏のコラムにある、「安倍さんのヤジはどちらかというと「感情だだ漏れ」的なもので、苦笑できる範囲内だったとも言える。だが、菅さんのヤジは、もっとすごみがあって、ちょっと怖かったことを記憶している。」という部分に注目したい。ここでいわれているのは、水島氏とともに衆議院の議場にいた安倍晋三議員と菅義偉議員のヤジである。安倍議員は「感情だだ漏れ」のまま内閣総理大臣となって、議員に向かって「感情だだ漏れ」のヤジを放っていたわけである。首相のヤジは「苦笑できる範囲内」のものではなかった。国会の場がこの7年8カ月で、「言論の府」ではなくなっていったのも、安倍前首相のこの姿勢におうところ大である。

では、これからの国会のなかで、菅首相の答弁、あるいはヤジはどんなものになるだろうか。「菅さんのヤジは、もっとすごみがあって、ちょっと怖かった」という水島氏の体験からすれば、どんな答弁になるのだろうか。官房長官記者会見における、「全く問題はない」「その指摘はあたらない」「あなたに答える必要はない」という態度ではすまされないだろう。菅流の「すごみ」と「恐怖」がどのように展開されるか。あるいは驚くほどの低姿勢になるか。あるいは、そうした議論をするまもなく衆議院を解散して、野党議員を完全に黙らせるか。今後の展開は、「政権維持のためなら何でもする」というモードで進むだろう。これまで7年8カ月の「アベと無知」よりも、日本型シュタージ(公安警察)を駆使した菅首相の本格的な「飴と鞭」の使い分けの方が手ごわい。

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