日本議会史上の汚点ではないか――「黙れ」事件から82年
2020年11月30日

日、11月29日(日)11時から「議会開設百三十年記念式典」が行われた。インターネット中継で32分ほどの式典をみた。参議院本会議場に天皇・皇后を迎え、菅義偉首相が祝辞を述べた。コロナにも言及して、国会の果たす役割はますます重要だという美辞麗句が並んだが、実際には、130年の議会史上で最悪の状況を生み出しているのが菅首相である。空虚さを超えて、恐ろしささえ感じた。

「黙れ」事件の佐藤賢了のこと

国会議員が質問をする時、その背後には国民がいる。答弁に立つ首相や閣僚等は、そのことを周知の上で、表面上は言葉づかいを丁寧に(「先生、ご指摘のように…」と慇懃無礼に)、しかし決して言質をとられまいと頭を働かせながら議員と向き合う。答弁を拒否したり、議員に暴言を吐いたりすれば進退につながる。だが、かつて、議員に向かって「黙れ」と叫んだ軍人がいた。少し詳しく日本史を学んだ高校生や予備校生ならばご存じだろう。

1938年3月3日、第73回帝国議会(常会)。衆議院の国家総動員法委員会において、陸軍省の説明員として出席していた軍事課国内班長の佐藤賢了中佐は、法案について、自らの信念なども交えて30分も長々と説明をしていたところ、出席した議員から野次が飛んだ。佐藤はこれに対して「黙れ!」と叫んだため、委員会は紛糾し、散会となった。政府側の一説明員の、国会議員に対する行為としては、当時の常識でもあり得ないものであり、軍国主義体制が強化されるなかでも新聞各紙は批判的記事を載せ、陸軍大臣が陳謝している(左の写真は、ネット上の関連記事のスクリーンショットである)。

ちなみに、この佐藤賢了は「東條の納豆」(腰巾着よりもベタベタしていたとされた)と呼ばれ、1941年3月に陸軍省軍務局の筆頭課長である軍務課長(大佐)となった。太平洋戦争開戦直前の11月、佐藤軍務課長は防空法改正に関わり、空襲下で避難せずに焼夷弾を消すことを義務づける条文(8条の3等)を加えることを、端的に「国民の戦意喪失を防ぐことにあり」と述べ、日米開戦を前にして、国民に向かって、「皮を斬らせて肉を絶つ信念」を呼びかけた(拙著『検証防空法』(法律文化社、2014年)40〜41頁)。避難すれば助かった命が失われる原因をつくったのが佐藤である(このことは、大阪空襲訴訟での証人尋問(2010年12月23日大阪地裁民事17部)でも指摘した)。なお、佐藤は1942年4月、陸軍省の筆頭局長である軍務局長(少将)に就任し、サイパン島の日本人居留民について、「大臣より次の事を徹底せしめよ。サイパンの居留民の仕末〔…〕」(7月2日局長報)という報告を行っている)。「軍官民共生共死」を刷り込まれた住民は「集団自決」に向かう。戦後、佐藤はA級戦犯となり、極東国際軍事裁判で終身刑の判決を受けた。82年前に国会議員に向かって「黙れ」と叫んだ人物のその後の歩みは象徴的である。いまはさすがに国会議員に向かって「黙れ」という乱暴な言葉は使えない。しかし、「お答えを差し控える」という言葉を繰り返し、繰り返し使うことは、ほとんど「黙れ」に等しい効果をもたらすとは言えまいか。

「お答えを差し控える」答弁の急増

冒頭右の写真をご覧いただきたい。桜井啓太・立命館大学准教授が、「お答えを差し控える」という言葉が使われた答弁を調べたところ、第2次安倍政権以降に突出していることを確認した(『朝日新聞』2020年11月7日付夕刊、デジタル版11月6日)。国会会議録検索システムを使い、1970年から今年10月8日まで半世紀分を調べたもので、安倍政権下の2017〜19年が毎年500件超と突出していたという。「モリ」「カケ」「桜」を背景に、安倍晋三前首相がダントツの165件。黒川弘務・東京高検検事長問題の際、脱力する答弁の連続だった森雅子法務大臣(当時)が94件、「日報問題」で答弁が迷走した稲田朋美防衛大臣(当時)が87件とこれに続く。桜井准教授は、「答えない姿勢が安倍政権以降、政治家や官僚に広く浸透したのだろう。国会軽視というより国民軽視の態度だ」と適切に指摘し、「他者の問いかけに答えるのは社会の基本マナー。一切をはねつける言葉が社会全体に広がっていないだろうか」と述べている。国会での答弁拒否は社会のマナーの問題ではない。議会制の根本にかかわる。それにしても、冒頭の写真にあるグラフは、まるで最近の新型コロナウイルスの感染者数の急増グラフのようで不気味ではないか。

森友学園問題で国会に証人喚問された、元財務省理財局長の佐川宣寿は証言を頻繁に拒否したが、その際、「刑事訴追を受けるおそれがあるので、答弁を差し控えさせていただきたい」という言葉を使った。菅義偉首相は、安倍前首相を「継承」して、就任早々からすでに「お答えを差し控える」モード全開である。イメージ低下を覚悟の上で、そのような対応をとるのも、日本学術会議会員任命拒否事件の発覚が原因だろう。かなり無理も出ているし、答弁も辻褄が合わず破綻を来している。とうとう、10月26日のNHKの報道番組に出席した菅首相は、「説明できることとできないことがある。」と述べ、国会の委員会でも同様の答弁を行っている。これは仰天である。フーテンの寅にならっていえば、「それを言っちゃあ、おしめいよ」の世界である。

国会を冒涜:虚偽答弁の連鎖

菅首相のように答弁を拒否するということに加えて、安倍前首相の場合は、積極的に虚偽答弁を繰り返してきた。東京地検特捜部が動きだし、ここ数年間の「桜を見る会」の前夜祭をめぐって、費用の一部を安倍事務所側が補塡したのではないかという疑惑が前面に出てきた。衆議院調査局によれば、安倍前首相が「事実と異なる答弁」をやった回数は33回もあるという(『毎日新聞』11月26日付)。そこには「3つのパターン」があって、(1)会場のホテルとの契約を巡り、安倍事務所の関与を否定した答弁で、これが一番多くて16回に達する。東京地検特捜部は、安倍氏側が費用補塡などを通じ、契約に関わった可能性があることをつかんでいるようである。(2)ホテルが発行した明細書の存在をめぐっても、特捜部はこの明細書を入手したとされる。だが、安倍前首相は「明細書はない」という答弁を10回繰り返してきた。(3)前夜祭の費用補填をめぐっても、安倍前首相は「事務所側が補塡した事実も全くない」と強調し、この趣旨の答弁を7回繰り返している。(1)〜(3)のパターンの合計33回の答弁は結果的にすべて虚偽答弁になるだろう。当時官房長官だった菅首相も、この3パターンに合わせる形の答弁を計6回行っているという。虚偽答弁は首相・官房長官一体で行ってきたということである。

『毎日新聞』11月27日付は、菅首相の「はぐらかし答弁」をまとめて分析している。「桜を見る会」問題は2019年11月8日、田村智子参院議員(共産党)の参院予算委員会での質問がきっかけだった。すでに1年にもわたって、安倍・菅の虚偽答弁が行われてきたわけで、審議時間やそれにかけたエネルギーを含めて、その損失は膨大なものである。コロナ禍で他に審議すべき問題があるのに、政府自らがそのような審議を妨げてきたとさえいえる。まさに国会冒涜である。

招待者名簿の廃棄の問題や、首相招待枠の問題、反社会的勢力が招待されていたのではないかという疑惑、とりわけマルチ商法で知られるジャパンライフ元会長が首相枠で招待されていた疑惑は重要である。『東京新聞』11月28日付「こちら特報部」では、「桜」前夜祭の参加費補填に関連した安倍前首相の「迷答弁」を「荒唐無稽」として、「首相の側近たちが、安倍氏本人と秘書を交えて作り上げた言い訳だろう」という森功氏の推察を紹介している。

菅首相は当時官房長官として、これら一連の過程を取り仕切る内閣官房の責任者であり、すべてについて知る得る立場にいた。反社会的勢力の参加の疑惑についても、菅官房長官は、まともに答弁しないだけでなく、矛盾した答弁を繰り返し、前言を翻したこともあった。「反社会的勢力」の言葉について「定義が一義的に定まっているわけではない」とまで主張した。東京地検は、すでにホテル側が作成した前夜祭費用の明細書を入手しており、それによればホテルに支払われた費用の総額が会費の総額を上回っていたという。政治資金収支報告書の不記載という政治資金規正法違反事件としての立件が近距離であり、そのあたりからこの問題の実態解明が進むだろう。もしも検察が腰砕けになれば、クロケン問題からの信頼回復はおぼつかないだろう

国会に広がる荒野

そもそも、国会審議の場において、議員から質問された際に、「お答えを差し控える」ということが許されるだろうか。これまでも「お答えを差し控える」と答弁したケースはあったわけだが、多くの場合、質問する議員の側もある程度、そのような答弁が返ってくることを想定している節があるようなケースもあった。理由にならない理由といわれるのを覚悟の上で、答弁できない理由を語る。議員は納得しない表情を浮かべながら、何度かやりとりが続き、次の質問に移る。国会審議に関心をもつようになって50年以上になるが、馴れ合いともみえる風景も含めて、議会での質疑の「作法」があったように思う。机をたたいて怒ってみせて、審議拒否をするなども一つ手法である。時間をおいて、答弁をやり直して審議再開とあいなる。しかし、安倍・菅政権の国会風景はこれとは異なる。最初から野党議員の質問を馬鹿にしたように突き放し、理由をいわず答弁もしない。安倍・菅政権のこの8年近く、国会審議の場が荒れていった。この国会の荒野は、13年前の安倍第1次政権のときに始まっていたように思う(直言「国会「議事」堂はどこへ行ったのか」)。その後の政権でも国会の機能が落ちてきたことは確認できる(直言「「国会表決堂」の風景」)。

憲法63条と「応答義務」

憲法63条は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、…何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。」と定める。出席要求に応じない場合でも、「法律上の制裁はなく、政治的コントロールにゆだねられている」と学説上は解されている(長谷部恭男編『注釈日本国憲法(3)』(有斐閣、2020年)860-861頁)。ただ、ここにいう「答弁又は説明」とは、議員による質問とそれに対する応答義務(説明責任)を当然に含意しているとも解されている(木下智史・只野雅人編『新・コンメンタール憲法[第2版]』(日本評論社、2019年)549頁)。あまりに頻繁に「答弁を差し控える」という姿勢は、この応答義務に反するものといえるだろう。

閣僚等の答弁・説明義務についての質問主意書も紹介しておこう(平成20年3月27日提出・質問第227号、提出者:平野博文)。護衛艦「あたご」と漁船との衝突事故(2名死亡)に付随する質問だったが、次のような形で閣僚等の答弁や説明の性格について質している。

・・・「あたご」の事件発生後、資料要求や質問に対して、防衛省などは「詳細については捜査中であるので回答(答弁)を差し控えたい」旨の回答・答弁が繰り返しなされていることについて、「国政調査権の発動を筆頭として、国会並びに国会議員が政府・行政機関に対して行う質問や資料要求などは、国会が、政府の活動を監視し国政事項について判断するため、極めて重要なものである。また国会を通じて行政の情報が開示されることは、主権者である国民が国政を監視し、権利を行使するという民主主義の根幹的な価値を支えるという側面からも不可欠と言える。しかるに我が国では、右の「あたご」に係る問題にとどまらず、国会議員が行政情報の資料を要求したり、国会質問で説明を求めるに際し、法的根拠が必ずしも明らかではない回答拒否が頻繁に行われている。従って、次の事項について質問する。

一 国会議員の質問に対する答弁義務

国会議員は政府・閣僚に対し、憲法63条及び国会法74条以下の規定により、本書のような質問主意書による質問権を有するのはもちろん、委員会・本会議等においても質問権を有する。さらに、政府ないし閣僚においては、国会議員からこれら質問を受けた場合、これに答弁・説明する義務も負う。このことは、政府としても共通の理解・解釈に立っていると理解するが、改めて、国会議員が政府又は閣僚に対する質問権を有するか、政府・閣僚が答弁する法的義務を負うか否かについて、その根拠も含めて確認したい。・・・《以下、略》

この答弁義務にかかわる質問についての答弁書の当該部分は下記の通りである。

答弁第227号 内閣衆質169第227号(平成20年4月4日)内閣総理大臣 福田康夫

・・・憲法第63条において、内閣総理大臣その他の国務大臣は、議院で答弁又は説明のため出席を求められたときは出席しなければならないとされており、これは、国会において誠実に答弁する責任を負っていることを前提としていると認識している。また、国会法(昭和22年法律第79号)第74条に基づく質問に対し、政府としては、誠実に答弁すべきものと考えている。

そっけもないが、「誠実に答弁する責任を負っている」という言葉は重い。

「桜を見る会」をめぐって提出された質問主意書(令和元年5月28日・質問第197号、提出者:宮本徹)に対する答弁書は味もそっけも料理提供すらないものである。

答弁(内閣衆質198第197号(令和元年6月7日)内閣総理大臣 安倍晋三)は、5問中2問について、「お答えすることは差し控えたい。」で終わっている。首相に忖度したわけでもあるまいが、この答弁書は特に冷やかである。

全国民の代表(憲法43条)である国会議員と国権の最高機関(41条)の国会に対して、安倍・菅政権の姿勢は従来の政権とは異なり、「質問には答えない」という形で、婉曲に「黙れ!」といっているに等しい。日本議会史における汚点と言ってもいいだろう。安倍晋三と菅義偉は、議員を小馬鹿にし、自分の意向に反するものにはやめてもらうという強引な思考の持ち主という点では、軍人佐藤賢了とさほど違いはないのではないか。

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