「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー泥棒政治
2020年12月28日

コロナで終わる2020年

「コロナ世」(Corona-Year)となった2020年が終わる。年末年始や大晦日といった感慨はない。この13年間、この時期は八ヶ岳の仕事場に滞在して、新年5日のゼミの「おでん会」を準備してきた。だが、「多人数での会食」にあたるため、早い時期に中止を決めている。この夏は、20年以上続けてきたゼミ沖縄合宿も中止した。12月に毎年実施している「水島会」というゼミOB・OGの会も取りやめにした。世界中でクリスマスから新年にかけての大切な時期を耐え忍ぶ生活が続く。欧米人にとって、クリスマスは特に大切だが、ドイツのメルケル首相が、来年のクリスマスに祖父母に会えなくなるといって、胸に手を合わせて懇願するほどの事態である(直言「メルケルと“ガースー”―「危機」における指導者の言葉と所作(その4)」参照)。私事になるが、孫たちも会いにこない(╥_╥);

コロナ危機における立憲国家

そんな年の瀬の先週水曜日、研究室に久しぶりに郵便物を取りにいくと、注文していた書物が届いていた。『コロナ危機における立憲国家』(Jens Kersten/Stephan Rixen, Der Verfassugsstaat in der Corona-Krise, 2020)。ミュンヘン大学教授(公法・行政学)とバイロイト大学教授(公法、社会経済法・健康法)の共著で、今年5月に序文を脱稿している。コロナ感染症対処のあらゆる法的論点をまんべんなく拾っており、コンパクトで便利である。

本書は、「自由な立憲国家はコロナ危機において真価を発揮する」として、「例外事態」や緊急事態法の問題とは明確に区別しながら、コロナ対処を冷静に、法的に論じている。外出禁止や接触禁止の根拠とされる感染防護法28条・32条の問題についても、緊急事態条項(ヴァイマル憲法48条2項)とのアナロジーを排する(この論点は直言「「コロナ危機」における法と政治―ドイツと日本」で触れた)。パンデミック(感染症の大流行)においても、基本権的自由、安全、連帯との間の民主的かつ法治国家的な調整を追求する。感染防護法上制限される基本権を、制限理由とともに14種類列挙している点も参考になる。コロナ危機においては、前例のない規模と内容で基本権の制限が行われているが、その際、「比例原則」(達成さるべき目的と、実現達成手段による権利・利益の制限との間に比例性を求める原則)が重視される。適合性、必要性、狭義の比例性の3つが要求され、感染防止の目的のためといっても、例えば、集会の一律禁止という手段などは許されない。規模(参加人数)や態様(「密」にならない等)が問題になるのは、こうした考え方が背後にあるからである。

コロナ危機が健康・医療の制度に与える影響も甚大である。人工呼吸器をめぐるトリアージの問題は、「医療崩壊」を前にした日本でも無関係ではあり得ない。本書は、コロナ危機における議会や政府のあり方、連邦制度、さらにはEUやWHOとの関係にまで論じ及ぶ。そして、最後に、コロナ危機における出口戦略を探る。コロナの克服は「民主的な過剰要求(Zumutung)」(メルケル首相)ではあるが、「自由民主主義のモデル」と基本法の立憲国家は「驚くほどうまくいっている」というUdo Di Fabio元連邦憲法裁判所裁判官の言葉で結ばれている。全体として、コロナ危機における立憲国家の可能性を感じさせる著作ではある。ただ、ドイツではそうであっても、ヨーロッパの他の国々、とりわけハンガリーやポーランド、憲法改正を強引に行ったロシア、何よりも来年1月20日までトランプが現職大統領である米国、そして安倍・菅政権下の日本の現状を見るとき、コロナ危機における立憲国家の危機を感ぜざるを得ない。

「権威主義的立憲主義」

TBS「サンデーモーニング」は、11月8日の「風をよむ」コーナーで「後退する民主主義」として、いま世界で、92カ国が権威主義的統治を行っている現実を扱った。26億人がそうした国で生活しているという。そこで、「積ん読」状態になっていた一冊の本に目がいった。『権威主義―憲法理論的視点』(Günter Frankenberg, Autoritarismus: Verfassungstheoretische Perspektiven, 2020)である。6月に届いて、夏休み中も拾い読みをしていたが、これが実にいまの状況にフィットする視点を提供してくれるのである。著者はフランクフルト大学の公法・法哲学・比較法の教授で、1968年創刊の法律雑誌“Kritische Justiz”誌の編集にも長らくたずさわってきた。私が大学院生時代に訪れたH. Ridder教授とは微妙に批判的スタンスは異なるが、私はその著作には注目してきた。

冒頭左の写真は、この本の挿絵3である(Frankenberg, S.71)。ホッブズ『リヴァイアサン』(Leviathan)に使われている絵をトランプにあてはめたもので、「»アメリカ・ファースト«――リヴァイアサンとしてのトランプ」というキャプションが付いている。ちなみに、ネット上にはマスクをするリヴァイアサンも

写真1

2016年以降、世界にはポピュリズム政権が多く登場してきたとされる。その筆頭がトランプ政権だった。2017年元日の直言「自由と立憲主義からの逃走」では、欧州のポピュリズム政権の状況を紹介した。その統治手法の特徴は権威主義である。憲法を蔑視・敵視して、とりわけ司法への介入を行い、メディアを統制し、最終的に自分色(カラー)の憲法を制定する。

なぜ、権威主義体制は憲法を必要とするのか。「権威主義的立憲主義」(Autoritärer Konstitutionalismus)とは何か。本書は、その構成要素や特徴を、ロシアのプーチン政権、米国のトランプ政権や、ハンガリーのオルバーン政権など欧州各国のポピュリズム政権、中国の習近平政権、ベネズエラのチャベス政権などの具体例を挙げながら分析していく。

「権威主義的立憲主義」の構成要素については、Ⅳ章からⅦ章で詳説されている。その「国家技術」(Staatstechnik)で興味深いものを挙げると、「立憲的便宜主義」と「権威主義的インフォーマリズム」がある。権力行使が法や憲法の影に隠れて行われる。例外のインフォーマル化が進み、インフォーマルなネットワークが国家の深部に形成される。当然、司法も無力化される。権威主義的権力は私有財産となり、国によっては独裁的な中央集権化も進む。権力は統治者自身の利益のために行使され、権力の私物化も目立ってくる。

「権威主義的立憲主義」においてはまた、被治者の参加が共犯関係になり、代表制の危機と権威主義の精華(Blüte)とされる。参加の形態はさまざまあるが、被治者の歓呼の声のなかで権威主義的統治が強化されていくという意味で、参加と権威主義との共犯関係が成立する。直接(民主)制のカルト(信仰)も加わって、治者と被治者の仮想上の共同体を促進していくともに、これらが権威主義的憲法実践のさまざまなヴァリエーション(ファシズムからクレプトクラシー(泥棒政治)や家産国家的システムを経由して、ポピュリズムに至るまで)を刻印している。

世界の統治システムを診るとき、歴史上、ファシズムや全体主義とのアナロジーを持ち出しやすいが、この本は厳密に全体主義と権威主義を区別する視点をキープしているのが重要である。「権威主義的立憲主義」という視点のメリットは、一党独裁でも統制経済でもなく、多党制で自由市場経済であっても、また、完全な監視・警察国家でもない国々でも、この傾向がみられることを明らかにした点だろう。「権威主義的立憲主義」のヴァリエーションの一つが「泥棒政治」(クレプトクラシー)である。官僚や政治家などが国民の資金を横領して自分たちの富と権力を増やす腐敗政治のことである。

「泥棒政治」(クレプトクラシー)の安倍・菅政権

安倍・菅政権の8年間は、「権威主義的立憲主義」の特徴をかなり具備しているように思う。「泥棒政治」(クレプトクラシー)がぴったりする。安倍晋三はまさに「泥棒政治家」である。国会で公然と嘘を何百回もつき続け、税金によって自分の選挙民(+元秘書=市長の支援者、自党の改選議員の支援者)をもてなし、数々の違法行為をやっても、人事権を使って刑事責任をすり抜け、国会議員を忖度させることで政治責任もまったくとらない。「政治的仮病」を使って政権を投げ出す無責任の極みをやりながら政権に復帰する。安倍晋三こそ、まさに「泥棒政治家」(クレプトクラート)というにふさわしい。それを幇助し続けてきたのが前官房長官の菅義偉首相である。

さらに言えば、安倍流「5つの統治手法」は「権威主義的立憲主義」の特徴と重なるし、とりわけ「7.1閣議決定」による集団的自衛権の合憲化は、「権威主義的インフォーマリズム」そのものである。なお、塩原俊彦(高知大学)「「クレプトクラート=泥棒政治家」と安倍首相」(Webronza 2019年12月9日)を参照されたい。

朝日デジタル12月22日は、安倍答弁をコンパクトにまとめている。これをクリックすれば、「国権の最高機関」である国会において、「桜を見る会」関係だけでも118回もの虚偽答弁を繰り返して、貴重な国会の審議時間を無駄にした「時間泥棒的政治家」の姿を目撃できるだろう。

最も卑怯な嘘とは

2020年最後のTBS「報道特集」(12月26日)の冒頭、金平茂紀キャスターはこう語った。「数ある嘘のなかでも最も卑怯な嘘は、他人に罪をなすりつけるためにつく嘘だと私は思います。コロナ禍で苦しむ世界のなかで、嘘をつかないというルールがいかに大切なことか、私たちは今、思い知っています」。

2021年は総選挙が行われる年である。来年こそ、泥棒政治家たちに退場を迫る機会にしなければならない。

《文中敬称略》

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