戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層
2022年3月14日

クライナの戦争は泥沼化の様相を呈してきた。テレビは同じ映像を何度も使い回し、ロシア側の主張はフェイクのように扱われるが、「戦争の最初の犠牲者は真実だ」という警句を忘れてはならないだろう。少なくとも確実なことは、人のかけがえのない命が、私たちの想像を超えて失われていること、これからも失われるであろうという悲しい現実である。今回の「直言」は、日々のメディアの報道とは距離をとって、戦争を始めたプーチンの異様な「こだわり」の背後にあるもの、そして、戦争という手段に踏み込むにあたって彼が行った「準備」の一つとしての憲法改正について考えてみたいと思う。

 

ドレスデンの若きプーチン――ウクライナの戦争の「原点」

   プーチンは私より半年早く生まれているので、ほぼ同世代である。国は違っても、時代の空気を同じように吸ってきたと思う。私は「ベルリンの壁」が崩壊し、ドイツが統一した直後、東ベルリンに半年あまり滞在した。プーチンは「壁」崩壊を旧東独のドレスデンで迎えた。ソ連国家保安委員会(KGB)ドレスデン支部に、少佐として1985年から90年まで勤務し、北大西洋条約機構(NATO)の情報収集などの任務にあたっていた。柔道黒帯、語学力抜群、射撃や徒手格闘の名手、心理戦にも長けたアパラチキ(機関員)だった。

  「壁」崩壊まで旧東独の国家保安省(シュタージ)は、一般市民に対する徹底した監視と密告の仕組みをつくりあげ、過酷に実践していた(直言「「壁とともに去らぬ」――旧東独の傷口 参照)。プーチンがこのシュタージと密接な連携を保って活動していたことを示す身分証明書の存在が、英国BBCによって明らかにされている

  40年以上使っている高橋書店の手帳の1991年版を書棚から取り出して開くと、1991724()753分にベルリン・リヒテンベルク駅発の列車(D-375)でドレスデンに日帰り取材をしたとある。赤字で、Bautzner Str.112と書き込んである。1024分に中央駅に着いてすぐにタクシーに乗り、運転手に「バウツナー通り112番地へ」と告げると、明らかに不快な顔になったのを覚えている。彼は黙って車を発車させ、比較的広い通りにある建物の前で停まった。それがシュタージの県本部だった。落書きでものすごい状態になっていた。周辺を撮影してまわって、タクシーに戻ると、運転手は当時のことをいろいろと話し始めた。やはりこの通りは市民に恐れられていたようだ。東ベルリンのシュタージ本部も、通りの名前(ノルマンネン通り)で恐れられた(日本では、「桜田門」といえば警視庁)。試しにGoogleマップに“Bautzner Str.112”と入力すると、そこはシュタージ記念館(Memorial)になっていて、建物の外観や内部の展示を見ることができる

   実は、この県本部から北に120メートルほど行ったAngelikastraße 4番地(現在は「ルドルフ・シュタイナーの家」になっている)には、ソ連国家保安委員会(KGB)ドレスデン支部が置かれていた。私は1991年当時、KGB支部までは気づかなかったが、「壁」崩壊後の1989125日にそこで起きた出来事について、朝日新聞ブリュッセル特派員(当時)吉田美智子記者が「KGBの影:デモ退けた小柄な将校」として記事にしていた(『朝日新聞』2015330日付)。この記事は後に駒木明義・吉田美智子・梅原季哉『プーチンの実像――孤高の「皇帝の知られざる真実』(朝日文庫、2019年)に収録されている。この本はプーチンについて実に多くのことを教えてくれる。

    これによると、シュタージ県本部を襲撃した5000人の群衆は熱気に満ちていて、一部がKGBの支部になだれ込もうとした。警備の兵士は慌てて室内に入ってしまう。ややあって、小柄でやせ気味の男が出てきて、デモ隊をじっと見つめ、自動小銃で武装した兵士を控えさせ、流暢なドイツ語で、立ち去るように告げた。その場にいたデモ隊員は、とても静かだが、断固とした口調に「本当に撃つ気だ」と感じたと、後に吉田記者に語っている。わずか5分ほどだったが、デモ隊員は恐れをなして、KGB支部から引き揚げていく(同書38-39)。その小柄な男が若きプーチンだった。

 ちなみに、プーチンの家は、KGB支部から北に400メートルほど行ったRadeberger Straße 101番地にあった。地図で見ると旧東独の集合住宅で、ここで30代前半から後半にかけて、妻と2人の娘と快適に過ごしていた(SZ vom 11.3.2022のルポPutins deutsche Jahre:Adresse der Angst参照)。ドレスデンは「壁」崩壊により、プーチンにとっては殺伐とした状況に変わる。ドイツ統一により、旧東ドイツは西に吸収合併され(Anschluß)、自らが嫌悪し、徹底して調査していたNATOに飲み込まれることになった。

 帰国後、プーチンはソ連崩壊を体験し、一時タクシー運転手をやって食いつないだという。30年前の屈辱とトラウマ。NATOの東方拡大によって西側諸国が自分たちの領土に迫って来るという恐怖。「ウクライナ死守」は実は恐怖心の裏返しで、原点は若き日のドイツ体験にあるという読み解きである(『毎日新聞』2022213)。

 

ウクライナの戦争を遂行する建物群

 20167月にロシアの取材旅行をしたが、モスクワ中心部で感じたのは、帝政ロシアからソ連を経由して現代ロシアに至るまで一貫する、権威主義的な造りと空気である。3泊したホテルは外務省の真ん前で、部屋から外務省の建物の全体が見える(上の写真参照)。いま、このどこかの階に、世界中から厳しい目を向けられているセルゲイ・ラブロフ外相の執務室があるのだろう。

  また、モスクワ川クルーズをやったが、私にとっての目玉は、何といっても国防省の白い巨大な建物の全体像が見えることだろう(左の写真参照)。一般の乗客はクルーズの案内でカットされているので気づかないが。目下、この建物のオペレーションセンターでワレリー・ゲラシモフ参謀総長が、キエフ攻撃の作戦を練っているのだろうか。

右下の写真は、クレムリンのロシア大統領官邸が入っている旧元老院(カザコフ館)を、「赤の広場」側から撮影したものである。大統領旗が掲げられているときはプーチン大統領が滞在中とされているが、ほんとうのところはわからない。

 冒頭左の写真は、旧国家保安委員会(KGB)、現在のロシア連邦保安庁(FSB) の本部である。正面の壁には、ユーリ・アンドロポフKGB元長官(党書記長になるも13カ月で急死。69)レリーフが掲げられている。これらの写真は私が6年前に撮影したものだが、いま、これらの建物の主たちが関わった戦争がウクライナで行われているのである。

  さて、ウクライナにおける「プーチンの戦争」に関連して、プーチンの精神状態がおかしくなったといった憶測も飛び交っている。アンドロポフ書記長はいまのプーチンの年齢である69歳で急死したが、ほぼ同じ年齢の私からいえることは、まだまだ彼は衰えていないのではないかということである。いや、もっといえば、一貫したイデオロギー的な観点から自分の目標をかたくな貫徹しているように思う。だから、手ごわいし、危ういのである。プーチン暗殺で戦争を止めることを期待する向きもあるが、暗殺や謀略のプロが、そこらの脇の甘い権力者のように不意打ちをくらう可能性は低い。実は、プーチンは、2020年の憲法改正によって、「戦争のできる国家体制」の強化をはかっていたのではないか。ここからが今回の「直言」の本論となる。

 

憲法の「改正」と「修正」

  ロシア憲法は19931225日に施行され、その後何度か改正されてきた。202074日施行の憲法改正は、プーチン体制を憲法的に補強するものであり、かつ、濃厚な保守イデオロギー色を帯びている(以下の叙述は、国立国会図書館立法情報(大河原健太郎執筆

 まず注目されるのは、改正の手法である。ロシア憲法の改正手続では、1章(憲法体制の原理)、2章(人および市民の権利と自由)および9章(改正手続)については、連邦議会による改正が禁止されている(1351項)。連邦議会両院の構成員の5分の3の賛成で「憲法会議」が招集され、その構成員の3分の2で採択されるか、あるいは選挙人の過半数が参加する全人民投票の過半数の賛成を得て憲法改正が実現する(13523項)。これはけっこう厳格な改正手続である。憲法原則、権利・自由、改正手続について手続の改正について厳格さを定めるのは、立憲主義の観点から見れば、きわめてまっとうである。

 他方、憲法3章から8章までは、統治機構についての章であり、これらを改めるのは「改正」ではなく「修正」とされている(136条)。これは、連邦議会の上院の4分の3、下院の3分の2の賛成によって採択した後、3分の2の連邦構成主体の立法権力機関の承認を得ることによって可能である。2020年にプーチンが憲法改正にかけた条文は、すべて3章から8章にあるから、これは憲法の「修正」であり、国民投票は必要なかったといえる。にもかかわらず、プーチンは国民投票を実施したのである。2020422日を全ロシア投票の投票日とする大統領令を出して、「あなたはロシア連邦憲法における改正を承認するか」というシンプルな問いかけで、大統領任期から家族制度に至るたくさんの改正条項を一括でして承認するように求めたという。憲法改正について熟議を認めない手法であった。そして、十分に考える時間を与えないまま、同年6月25日から7月1日にかけて実施された国民投票の結果、78%が改正に賛成票を投じたのである。74日に改正憲法は施行された。かなり性急な改正だったように思う。

では、プーチンはなぜ、国民投票が必要でない憲法の「修正」について、あえて国民投票を実施したのだろうか。「不要な投票の必要性」(永綱憲悟「2020年ロシア憲法改正プロセス──プーチン個人統治体制の完成)としてプーチンがこだわったのは、国民投票で圧倒的多数の賛成を得たという事実に基づく、強力な正当性の獲得である。もっといえば、このプーチンの憲法改正に一票を投ずることで、プーチンの強権政治に疑似参加するという感覚を演出しようとしたのではないか。「この投票によりプーチンは、地方首長を含む幹部エリートたちの動員努力、つまりは自身への忠誠を確認し、あわせて今後の行動について国民から再度信任を得ることを目標としていた」とされる所以である(前掲・永綱参照)。

 

大統領権限の強化と3選禁止規定の空洞化

 2020年の改正により、大統領の権限が一段と強化された。大統領は首相を解任することができる(83条)。閣僚に対する人事権についても、首相の関与が廃止された(83 5.1 号の追加)。とりわけ重要な改正点は、大統領の任期に関連する3選禁止規定である。「同一人物が 2 期を超えてロシア連邦大統領を務めることはできない」( 81 3 項)。813.1項が加憲され、この憲法改正時までの任期は、3選禁止規定の対象としてカウントされないものとされた。つまりプーチンは新人候補と同じ条件で次の選挙に臨むことができ、プーチンは2036年まで大統領職にとどまることができる。

  2020年改正のもう一つのポイントは、国際法に対する憲法の優位の規定である(改正79条)。「ロシア憲法に合致しない解釈に従って採択された国際機関の決定は、ロシア連邦内では執行されない」となって、憲法の優位が明文化された。これは、ヨーロッパ人権条約や常設仲裁裁判所とロシアとの最近の対立を反映したものであり、いざという時には国際的な人権条約などの、ロシア国内への影響を憲法で遮断するということだろう。

 

北方領土交渉は違憲?

  67 条に追加された 2.1 項は、「領土の統一性」を定める。そして、「領土の一部を譲渡しようとする行為及びそのような事態を煽動する行為は認めない」と規定され、政府がそのような交渉の場に就くこと自体を禁じている。国際法に対する憲法優先の原則を定めた79 条と連動して運用すれば、北方領土に関する交渉をすることは憲法に違反し許されないことになる。プーチンと27回首脳会談をやったと喧伝する安倍晋三の愚行は、単なる自己満足を超えて、結局、北方領土の開発費3000億円をとられた上に、違憲の交渉はしませんと、北方領土交渉を正面から拒否されてしまう結果となった(直言「安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債」)。安倍はこの点に関して何の反省の弁も語っていない。そもそもトランプの落選とプーチンの戦争についてほとんど沈黙している。自らの関わりを踏まえて発言する責任があるのではないか(直言「安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2——忖度と迎合の誤算)

 

保守的イデオロギー条項

2020年のロシア憲法改正のもう一つの際立った特徴は、保守的な愛国主義イデオロギーの憲法条文化である(67)。ロシア連邦を「ソ連邦の継承者」と位置づけ(1項)、ソ連復古を押し出した。とはいえ、マルクス・レーニン主義のソ連につなげるのではなく、「千年の歴史」「神への理念と信仰」を伝えてきた「祖先の記録の保持」と「歴史的に形成されてきた国家の統一性の承認」という形で、大ロシア主義と接続させている(2項)。また、「祖国擁護者の追憶」「歴史的真実の擁護」という形で、特定の歴史観を憲法レベルに押し上げるとともに、「祖国擁護における国民の偉功の意義を貶めることは許されない」としている(3項)。さらに、家族に関する保守思想は徹底していて、「児童の愛国主義」「年長者への尊敬心の育成」「家庭教育の優先性を保障」などを条文化している。72 1 7.1 号は、婚姻を「男性と女性の結びつき」に限定して、実質的に同性婚を否定している。なお、67.1 条に追加された 2 項、3 項は、特定の歴史観・思想の統一を規定する。「歴史的団結」「祖国の防衛者の追悼」などを定めている。

 

「不滅の連隊」の具体化としての「特別の軍事作戦」?

冒頭右の写真は、プーチンが「不滅の連隊」に戦死した自らの家族の写真を掲げて参加しているシーンである(ロシアTV2019515日より)。独ソ戦を「大祖国(防衛)戦争」と捉えるのはソ連時代から一貫している。第二次世界大戦で最も多くの死者を出したソ連・ロシアからすれば、その戦死者を顕彰することは、国家の正統性を明確にする効果がある(左の写真はヴォルゴグラード(旧スターリングラード)近郊のロソシュカ戦没者墓地)。戦争に参加した将兵たちの子孫がその写真を掲げて行進に参加する。これは2011年にシベリアのトムスク市で始まったとされるが、現在、世界110カ国、500都市以上(東京でも200人が参加)で開催されているという(Russia Beyond 10.5.2019  )

 20195月、プーチンがこれに参加した場面をロシアTVは大々的に報じた。大統領自らが先頭に立つことで、「歴史的団結」「祖国の防衛者の追悼」を強く押し出し、翌年の憲法改正でこれらを67条に追加して、憲法的価値に高めたわけである。プーチンの無駄のない動きには驚かされる。

 プーチンの大統領としての地位と権限を憲法改正で確固たるものにする。野党指導者を逮捕し、メディアを完全統制し、反対意見を押しつぶした上で、「特別の軍事作戦」は決行された。「大祖国防衛戦争」の現代版。「NATOによって神聖なウクライナの地が汚される」、「ゼレンスキー政権はネオナチに動かされている」などという。アゾフ連隊(大隊から昇格)のような内務省直轄の部隊がいかに怪しい存在であるかは客観的に調べる必要があるが、それを口実にして独立主権国家の国境を超えて軍隊を侵攻させることは、国際法的には、まぎれもない侵略行為である。プーチンにとって2020年憲法改正は、この「不滅の連隊」の思想と行動をウクライナに向かって実践するための布石だったのではないか。その意味では、憲法改正までがこの戦争のための準備の作戦だったといえるのではないか。その意味で、プーチンの思想と行動は一貫しているように思う。もっとも、それがロシア国民に受け入れられるかどうかは別問題である。1万人以上のロシア軍将兵の死(すでに陸軍少将が2人も戦死している)に怒ったロシアの人々、特に息子を失った母親たちの「不滅の連隊」がプーチン政権に向かっていくかもしれない。

《文中敬称略》

2022313日脱稿】

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