雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁
2023年1月9日

定期公演の曲目はオール・ロシア

リスマスの翌日、12月26日に早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団の第87回定期演奏会が開かれた。会場が、拙宅の近くにある「府中の森芸術劇場」だったので、初めて家族(小学生の孫たちも)を招待した。小6の孫は、娘のお腹にいる時に大隈講堂での「ニューイヤー・コンサート」に「参加」したので、実質2度目である(そのコンサートに関連する話はこちらから)。

さて、この日のプログラムのメインは、チャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調。前プロは、ボロディンの歌劇『イーゴリ公』より「韃靼人の踊り」、中プロは、チャイコフスキーのバレエ組曲『眠れる森の美女』である。小学生でも楽しめる選曲で、ブルックナーをやってほしいという私の願い1度だけかなえてもらったが、今回のオール・ロシアは、小学生にも親しみやすいという点でありがたかった。

会長退任の挨拶+α

私はこの定期演奏会で、17年務めた会長を退任することにしていた。最後のコンサートになるので、いつもゲネプロ[最終リハーサル]後に話をしているが、この日は退任の挨拶となった。その写真と、指揮者と指揮台に座って記念撮影をしたのがこれである。挨拶は、時間の関係で省略した部分を加筆して、以下再現する。団員の皆さんもこれを読んで、本番前に私が語りたかったことの全体を知ってほしい。リンクをクリックすれば17年の「歴史」がわかるだろう。

水島です。今日は会長としての最後の挨拶になります。私がこのオーケストラの会長になったのは2005年1月です。就任の挨拶でも述べたように、「オーケストラの「個性」というものがあるとすれば、それは個性的なメンバーが集まっただけではできません。一見バラバラに見えて、実はまとまりがないという場合でも、「仰ぐは同じき 理想の光」(校歌3番)というゆるやかなスタンスで、独自の響きを作っていけばいいと思います」。音楽を愛する純粋な心こそが大切だと改めて思います(2010年のニューイヤー・コンサートの会長挨拶も参照)。

この17年間、いろいろな試練がありました。大学から、2010年1月9日の大隈講堂での「早稲田大学ニューイヤー・コンサート」のオファーが来た時は、大変驚きました。冬の定期演奏会を終えてわずか13日後に本番を迎えます。先輩たちは、これを見事に成功させました。本番に強い、このオケの集中力に感心しました。

その1年後の東日本大震災も大きな試練でした。余震や計画停電が続き、大学から多人数で集まる練習や演奏会が禁じられました。ちょうど卒団演奏会を前にしていたので、聴衆を入れての演奏会を中止しました。苦渋の選択でした。他方、震災から2カ月たった春の定期演奏会では、震災で亡くなった人たちのために、プログラムにない「追悼音楽」を演奏しました。また、大学の震災ボランティアに参加して、名取市や陸前高田市で演奏会をやって被災者を励ましました。陸前高田病院で、アンコールとして要望された地元出身の千昌夫の『北国の春』を、コンサートマスターの酒井義人君が見事に弾ききったのには感銘を受けました。

早稲フィル創設40周年を祝った翌年、最大の試練に直面しました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大でした。オーケストラの命ともいうべき、多人数で演奏するという営みが重大な困難に直面しました。2020年5月の春の定期は中止。冬は、大ホールに間隔をあけて聴衆を入れ、基本はオンラインで中継するというやり方をとりました。練習場所も都内5カ所に分散して、その都度、学生生活課に、私の署名捺印入りの「遠征届」を出して許可を得るというやり方を続けました。そして、翌年の冬の定期は、聴衆をかなり入れたものになりました。そして、今回、こうやって通常時の一歩手前まできたわけです。インスペクター(幹事長)をはじめ、運営にあたる学生たちの努力が並のものでなかったことは、私が一番よく知っています。困難にぶつかるたびに、電話で、あるいはZoomを使って対応しました。

そして、いま、新たな試練が生まれました。「戦争」です。ロシアによるウクライナ侵攻によって、世界も日本も大きく変わりました。皆さんが今回のオール・ロシアもののプログラムを決めるとき、どこまで考えたかはわかりませんが、実は、チャイコフスキーをプログラムに入れられない事態も生まれているのです。

7月、キエフ・バレエ団が来日して、日本各地で公演をしました。チャイコフスキー『白鳥の湖』も予定されていたのですが、途中でプログラムから削除されました。チャイコフスキーは「敵性音楽」ということです。ナチス支配下のドイツでユダヤ人のメンデルスゾーンやヒンデミットの曲が禁止され、戦後、イスラエルフィルを指揮したバレンボイムが、アンコールに「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー作曲)を演奏したところ、聴衆の一部が退席するという事態もおきました。音楽と政治は別だとわかっていても、現実には、音楽に政治の力が働くことがままあります。

これから皆さんがチャイコフスキーを演奏するにあたって、このような事態が現在進行形であることをぜひ知っていただきたいと思います。ちなみに、チャイコフスキーの5番は、過去に何度か演奏してきました。直近では、2018年の第79回定期です。4、5、6番は演奏する機会が多いのですが、私としては第2番ハ短調を取り上げてくれないかなと密かに思っていました。聞くところによると、団員全員のアンケートで選曲する際に、数名が第2番を推してくれたそうで、うれしく思います。第1楽章冒頭からウクライナ民謡で始まるこの曲について、「小ロシア」という表題がついています。しかし、これは作曲者本人がつけたものではありません。「小ロシア」と呼ぶことには、ウクライナでは反発があるそうです。詳しくは、私の6月6日の「直言」をお読みください。

私は70年近く前にこの会場の近くで生まれました。私の家はここから700メートルくらい南にあります。競馬場の近くです。今日は小学生の孫たちも参加します。実はこの場所は在日米軍基地(第5空軍司令部)でした。1970年代に司令部は横田に移り、ずっと航空自衛隊総隊司令部でしたが、2010年にこれも横田に移転して、基地のかなりの部分が返還されました。その跡地の一角にできたのがこの「府中の森芸術劇場」です。「武器を楽器に」という「軍民転換」(conversion)の思想を実践するものといえます。皆さんは楽器を使って、平和のメッセージを発信してくれるものと信じます。

長い間、どうもありがとう。これから本番がんばってください。


『白鳥の湖』は敵性音楽か

会長退任の挨拶でも触れた、チャイコフスキー『白鳥の湖』の排除の問題について考えたい。

昨年7月に「キエフ・バレエ団」が来日して、全国16カ所で2万人が観賞した。ウクライナの首都の名称が「キエフ」からウクライナ語の「キーウ」に変わることにより、「キエフ・バレエ」の名称で公演されるのはこれが最後になった。次回からは、「ウクライナ国立バレエ団」という名称で公演が行われる。それを密着取材した、NHKのETV特集『ステージで、輝くいのち――戦禍のウクライナ国立バレエ』(2022年10月15日放送)の再放送を年末に観た。ロシアによる侵攻により、キエフ・バレエ団のメンバーの多くが国外に避難するという事態になった。軍隊に志願して戦死したダンサーもいる。公演演目から定番のチャイコフスキー『白鳥の湖』が除かれた。プリンシパルのアンナは突然、それを告げられて動揺する。でも、「ある国が自分の町を爆撃してきたとき、政治と距離を置くのは難しい」といって、別の演目の練習に励む。ウクライナ国立バレエの芸術監督のオレーナ・フィリピエワは、NHKの取材に「私たちはロシアの作曲家による作品は踊らないと決めました」と述べている(ETV特集の画面から)。

『毎日新聞』12月28日付3面「クローズアップ」欄(デジタル版は12月25日)の「消えたチャイコフスキー演目 侵略国の文化は「排除」されるべきか」も、ロシア音楽およびロシア人音楽家の排除問題について報じている。ウクライナ国立バレエ団は、先月にも来日して、チャイコフスキーは一切扱わず、近世のスペインを舞台にした『ドン・キホーテ』を上演した。12月公演なのに、クリスマスを題材とし、世界各地の劇場で年末年始の風物詩となっている「くるみ割り人形」も上演されなかった。『毎日』によれば、ウクライナは自国からロシアの影響力を取り除く方向へと急旋回する(ロシア語の敵性言語化については既述) 。昨年2月の侵攻を受けて、ウクライナ最高会議は6月、ソ連崩壊後にロシア人が作詞作曲した音楽を公共の場で演じることなどを禁じた法案を可決した。さらにロシアと同調するベラルーシ、ウクライナ国内のロシアの占領地域で出版された書物の輸入も禁じた(「メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」」参照)。

『毎日新聞』の記事は、「チャイコフスキーを「排除」し、「白鳥の湖」も「くるみ割り人形」もないバレエ――。観客を納得させることはできるだろうか」と問いつつ、興行関係者の一人の「本音」として、「我々はウクライナを支援しているのではない。支援してきたのはバレエ(公演)です」を紹介している。日本では、九州交響楽団がチャイコフスキーの大序曲「1812年」の演奏を中止したことなどにも触れている。この曲はナポレオンのロシア遠征にからんだもので、大砲の音も入っており、曲自体に品がないが、ウクライナ侵攻に忖度して中止するというのはいかがなものか。ロシア侵攻に反対しなかったという理由で指揮者が解任され(イタリア)、また、ボリショイ・バレエ団の公演中止(スペイン)、チャイコフスキー国際コンクールの、国際音楽コンクール世界連盟からの除名等々、音楽と政治がめちゃめちゃに絡んでしまった。第二次世界大戦後77年で、世界中で「新しい戦前」(タモリ)の局面が始まったのか。

なお、文中でもリンクしたが、直言「雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」」参照のこと。

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