トランプとの「ゴルフ外交」の結果、日本は米軍需産業からとてつもない買物を余儀なくされる。ほかにも国内外で重大事件が起きているが、事情により、今週は「雑談」のストック原稿をアップすることにしたい。9月11日の直言「中欧の旅(その1)」で予告した6回連載は、総選挙などもあって断続的なアップとなったが、今回が最終回となる。これは、「音楽よもやま話」の23回目でもある。なお、前回の「音楽よもやま話(22)」は、「雑談(114)ドイツでの生活(2-完)ドイツで聴いた音楽」だったので、関心のある方はリンクをクリックして頂ければ幸いである。
8月23日にオーストリアのザルツブルクに着き、しばらく滞在した。その間に訪れたヒトラー山荘やマウトハウゼン強制収容所については3回目の連載で書いた。今回は、オーストリアでの音楽体験である。
妻の希望で日本からネット予約してあった「城コンサート」(Festungskonzert)に行く。市内中心部にあるホーエンザルツブルク城における「ベスト・オブ・モーツァルト・城コンサート」。1977年に900周年を祝った古い城で、1498年から使われている黄金の大広間でのコンサートに参加した。4本の大黒柱はザルツブルク産の赤い大理石が使われ、その柱1本には1525年に起きた農民一揆の時の砲弾の跡が残っている。天井は星空をイメージし、300個の金塗りの円形装飾品で彩られている。中央の横柱は17メートルの一本の大木で造られていて、各ラントの紋章が掘られている。
舞台装置は最高だったが、演奏は最悪だった。モーツァルトのディヴェルティメントヘ長調K.138、ピアノ四重奏曲ト短調KV478、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』ト長調 K.525の第1楽章のみ。冒頭からヴァイオリンが音を派手に外したのにはズッこけたが、続くピアノ四重奏曲は、かなり年輩のピアニストが鍵盤を叩くように弾くピッチが耳について難渋した。休憩後はヨハン・シュトラウスの円舞曲やポルカをやるという。「この4人でシュトラウス?!」と妻も思ったらしく、そのまま出口に向かった。城からの夜景は美しかった。観光客目当ての「お子さまランチコンサート」だった。
翌日、市内観光をしていると、ザルツブルク音楽祭に参加する着飾った紳士淑女の姿が目立った。まったく冷やかしでチケット売り場に入ると、毎年この音楽祭に参加しているという日本人女性が長椅子に座っていた。妻が話しかけると、毎年ここに滞在し、主なプログラムを聴いているという。私の母と同じくらいの年齢と知り、驚く。女性としばらく話をしていると、突然、カウンターで2枚のキャンセルが出たという。こちらは本物のザルツブルク音楽祭である。間髪を入れず購入した。チケットは日本では考えられない安さだ。ネットで調べたときはすべて完売で、およそ入手できるとは思っていなかったので幸運だった。旅の服装のまま、モーツァルテウム(Mozarteum)に向かう。正装に近い人が多い。トリオ・ツィンマーマンの室内楽のコンサート。曲目は、シェーンベルクの弦楽三重奏曲 作品45と、バッハのゴルトベルク変奏曲 BMV 988。城の「お子さまランチ」とはうってかわって、通向けの演奏会である。
シェーンベルクは20分足らずの曲だが、12音技法を駆使したかなり緊張を強いられる。さすがに名手たちのアンサンブル。驚くほど緻密で、美しいというよりも、私には鋭さが際立った演奏だった。バッハの曲は、グレン・グールドのピアノ演奏のレコードが八ヶ岳の仕事場に置いてあるが、弦楽トリオでは初体験だった。32小節のアリアを冒頭に置いて、その主題について30の変奏が展開され、最後にアリアが再現されて終わるという、高度な対位法技術を用いた、形式的にも完璧な曲である。すべての変奏がそれぞれの特徴をくっきりと浮上させる徹底したもので、私はかなり疲れて座っていたが、妻は大満足だったようで、スタンディングオベーションに参加していた。
風光明媚なザルツカンマーグートに2泊して、その間、アッター湖にあるグスタフ・マーラーの作曲小屋に立ち寄った。ホテルのフロントで鍵を借りて、河畔にある小屋を探す。キャンピングカーがびっしり並び、ビキニ姿の女性が歩き回っており、目のやり場に困るほどだ。河畔に小屋があったが、すぐ近くで中年の夫婦が並んで日光浴している。水着姿ばかりなので、服を着ている私たちの方が目立つ。ト音記号の形をした鍵でドアを開けると、センサーが作動して、マーラーの交響曲第2番ハ短調の一節が流れてきた。ここで交響曲第3番ニ短調の全部と第2番の一部が作曲された。本当に小さな部屋だが、マーラーは窓から見えるスカイブルーの湖を眺めながら、長大で雄大な第3番を書き上げたのだろう。
ザルツカンマーグートの名勝ハルシュタットで坑夫服を着て岩塩坑にもぐり、バート・イシュルではテルメ(塩水温泉)に入るという妻の希望をかなえると、田舎道を一気に走り、リンツ経由で、私の目的の場所、ザンクト・フローリアンに着いた。作曲家アントン・ブルックナー(1824~1896年)が1845年から10年間オルガニストをやっていた修道院がある。ここで交響曲第1番ハ短調も作曲されている。冒頭左の写真がそれだ。ブルックナー協会(朝比奈隆会長)の会員番号505番の私としては、聖地のような場所である。31年前の8月に有効期限が切れた「会員証」を持参した。18年前、家族とここにきている。 庭に鉄製のブルックナーのモニュメントが立っていたので握手をした(冒頭の右側の写真)。
今回も14時からのブルックナー・オルガンのコンサートを聴いた。前回ほどの感動はなかったものの(観光客向けの選曲と演奏者があまりうまくない)、そのオルガンの下にあるブルックナーの墓に詣でて大いに満足だった。思えば、1975年に朝比奈隆が大阪フィルを指揮して、この修道院のなかでブルックナーの交響曲第7番ホ長調を演奏した時のエピソードはあまりにも有名である。第2楽章が終わり、第3楽章が始まるまさにその時、5時をつげる鐘が鳴り出したのである。朝比奈はしばし指揮棒をとめて鐘が鳴り終わるのを待った。この修道院の鐘の音が入った演奏はCDで聴くことができる。ここに大編成のオーケストラがよく入ったなという狭さである。
今回、「アントン・ブルックナー 交響曲の散歩道」(Symphoniewanderweg)を見つけた。ザンクト・フローリアン修道院から、アンスフェルデン村のブルックナーの生家までの9.2キロのコースである。森のなかに「交響曲の散歩道」の標識が何箇所を見つけた。10曲の交響曲をイメージしたポイントが設置されているようである。例えば、交響曲第4番変ホ長調のポイントに立つと、霧に包まれた森の奥の方から、羊飼いの角笛が聞こえてくる、まさに第1楽章の冒頭・・・、というふうに。今回はこの「交響曲の散歩道」の森のなかを車で走り抜けてしまったので、次回はゆっくり徒歩で往復してみるつもりである。
夕方、アンスフェルデンのブルックナー生家に着く。何の変哲もない普通の家である。入口近くに「ブルックナー誕生の家」とあるのでかろうじてわかる。この生家も、近くのブルックナーセンター(博物館)もすでに閉館していた。その前にあるブルックナー像の前で記念撮影をした。このセンターでは、10曲の交響曲の抜粋をMP3プレイヤーで聴くことできるという。
結婚40周年の「ルビー婚旅行」のつもりだったが、結局、私の仕事の取材を兼ねて車で2900キロも走るという慌ただしい旅となってしまった。反省である。次回はゆっくり、じっくり歩いてまわることを約束した。
というわけで、ブルックナーが生まれ、生活した現場を訪れ、「交響曲の散歩道」を少し体験したという観点から、来月27日の早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団第77回定期演奏会が特別に楽しみである。なぜなら、私が会長になって2度目のブルックナーの演奏だからである。1回目は2005年3月の卒業演奏会で、交響曲第5番変ロ長調だった。定期演奏会は、私が会長になってからは初めてである。
ブルックナーの交響曲は、私の頭のなかでは朝比奈隆の演奏が染み込んでいる。ただ、セルジュ・チェリビダッケやエリアフ・インバルの演奏は、極端な形として「好み」(興味)のなかに入っている。チェリビダッケの場合、かつて書いたように、通常の演奏よりもかなり長く、とりわけ第4楽章は、他の指揮者のものとはかなり異質である。譜面番号V、480小節あたりから、弦の特有の「刻み」が始まり、513小節あたりで「刻み」が浮き上がってくる(全体で65小節にもおよぶ)。このあたりから、チェリビダッケが指揮棒でピシッ、ピシッと譜面台を叩く音が入り、529小節の最初のff で「ヤーッ」という叫びが聞こえ、533小節(譜面番号Z)のfff でさらなる叫び声が入る。1988年10月のミュンヘンフィルとのライブ録音のCD(東芝EMI, TOCE-9896)にも、同じ箇所で叫び声が入っている。
2015年3月18日、インバル指揮の東京都交響楽団の演奏を東京文化会館で聴いたが、第4楽章はチェリビダッケのそれに近い演奏法をとっていた。ノヴァーク版第2稿というのも珍しい。このライブ録音のCDとチェリビダッケのそれを、早稲フィルのインスペクター(幹事長)の場生松ゆみさんに聴いてもらった。1小節に6つある8分音符を完全なトレモロにせず、プルトの裏は全弓、表はトレモロというように分奏させることで、トレモロを強調しつつ旋律も浮かび上がらせるという手法とされているが、これについてヴァイオリン奏者の場生松さんはこういう。「4楽章における刻みの部分についてですが、チェリビダッケもインバルも一拍ごとにアクセントがついており、それが鼓動となって静かに音楽をつくりあげています。意識をしなければ気づかないほどの存在。しかし刻みの存在こそがこの音楽の髄であり、当たり前に気づく程の存在になった時にはすでに厚いパワーを持っています。チェリビダッケの場合は、一拍ごとのアクセントが心臓の鼓動のようであり、この鼓動が次第にラストへ向け高まりをみせます。インバルは、弦のアクセントがまるで時を刻むように、音を変えながら内側から迫ってきます。管の旋律のもとで、実は根底を牛耳っているのは弦の刻みなのかもしれません。」と。
12月27日(水)18時から杉並公会堂、早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団の定期演奏会では、このブルックナーの交響曲第4番が演奏される。お聴きになりたい方は、下記のチラシのアドレスに問い合わせて、チケットを入手してください。