今こそ「納税者の権利宣言」を――政治家に「納税の自由」はない
2024年3月4日



ある税務署の風景

めてe-Tax なるもので確定申告をやった。80年代から毎年この時期、支払調書や領収書などを整理して、電卓を叩きながら紙の申告書に書き込んで税務署に出向く。昨年までこれを40年近く続けてきた。e-Taxが始まったが、マイナンバーカードは持たないので、今年も紙で提出しようと考えていた。しかし、定年退職前でいろいろと忙しい。IDパスワード」方式を使えば、マイナンバーカードなしでもe-Taxが使えると聞いて、税務署にいって手続をすることにした。

   先週火曜日の朝9時半過ぎ、税務署に着くとすごい混雑だった。待合スペースの椅子はすべて埋まり、外まで長い列ができている。高齢者が圧倒的に多い。乳幼児を抱いた若い女性もいる。出直そうかと思ったところで、職員が列の最後尾までやってきて、「ID・パスワードだけの方はこれをどうぞ」といって案内札を渡してくれた。それをもって3階に直行すると、パソコンのブースが並んでいて、女性職員が、パソコンが苦手な高齢者に丁寧に教えている。私は40年近く親指シフトキーボードを使っているので、親指搭載パソコンなら最速・弾丸的に打ち込めるが、普通のパソコンはそうはいかない。職員のアシストで何とか入力を完了して、「ID・パスワード方式の届出完了通知」を入手した。

 階段を降りると、入口の列はさらに長くなっている。出口手前まで来て、私より年上の男性2人の会話が耳に入ってきた。「保管していたけど使わなかった、だもんね」と1人がいうと、「真面目に申告するのが嫌になったね」と、もう1人が応じている。その前にどんな話をしていたのかは想像がつく。冒頭の写真は『東京新聞』の「政治まんが」から拝借したが、「「納税ばからしくなる」怒りが充満する確定申告会場 自民裏金議員との「信じられないほどの不公平」」(『東京新聞』2024220日付)とあるように、納税者の怒りは静かに、しかし確実に沈殿しているように思う。

 ちなみに、私の税務署滞在時間は10分弱。帰宅後、e-Taxで申告の手続を終えた。毎年、かなりの時間をかけて申告書に書き込んできたが、今回はそれよりは少ない時間で終えることができた。マイナンバーカードがあればもっと便利な仕組みになっているが、「河野太郎」のドヤ顔が浮かんでくるので、しばらくは「メリット」に釣られず、「不便の選択」を続けていく。

 
税金を免れる二つの「聖域」

   国税庁のホームページに「納税の義務」について解説したコーナーがある。「国民の納税は、憲法で義務づけられています」として、憲法30条が引用されている。「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」「税金は、国を維持し、発展させていくために欠かせないものです。そこで憲法では税金を納めること(納税)は国民の義務と定めています。この「納税の義務」は「勤労の義務」、「教育の義務」とならんで、国民の「三大義務」の一つとされています。」と。あたり前のことのあたり前の確認のつもりで書かれていることが、あたり前には受け取られなくなっている。

   e-Taxで自分の情報を入力する際、生年月日の「年」のところの小窓を見ると、何と1900年から始まるのだ124歳の納税者がいることを想定しているわけではなく技術的な問題だろうが、一般人ならいくつになっても所得があれば、あまねく課税される。少しでも不備があれば訂正を求められる。多額の脱税した人は逮捕され、テレビに顔をさらされることもある。「納税は国民の義務だから」という建前で確定申告をするのだが、突然、税務調査が入ったら大変だという国税の「威嚇力」の存在が背後にあることは否定できないだろう。

 伊丹十三監督作品『マルサの女』(1987年)は、国税局査察部(マル査)に勤務する女性査察官と、したたかな脱税者たちとの戦いを、毒のあるユーモアを交えて描いた映画だが、私はあまり笑えなかった。35年前、父が急逝した後の相続の際、突然、税務調査がやってきて自宅を調べられた。近所に住む妹によれば、机の引き出しの裏側まで探られて、母はかなり驚いた様子だったという(私はその時、広島大学勤務で不在)。バブルの絶頂期で、父が戦後すぐに曾祖父から分けてもらった土地にすさまじい相続税がかかった。過去には、知人の中小企業に税務調査が入って大変だった話も聞いた。「マル査」は突然やってくる。

だが、政治家だけは別である。政治家の金を管理する「政治団体」には法人税はかからない。収益事業をやっていれば課税されるが、線引きが曖昧だから「政治団体」はサンクチュアリ(聖域)に近い。「政治活動」に対する支出も非課税である。何が政治活動にあたるか。それは政治家が行うことすべて、といえば国税は立ち入らない。一般人の場合、税務調査が入るということは、脱税が疑われているということである。しかし、「疑わしきは政治家の利益に」で、国税はよほどのことがない限り、政治家に対してまともな税務調査をやらないのが通例とされる。 私も含め、年に1度、ため息をつきながら領収書の山と向き合う確定申告の時期に、8桁の金を何に、どう使ったのか「不明」と書いてすませている政治家がいる。「傲慢無知」ここに極まれり、である。

   また、近年、もう一つのサンクチュアリ(聖域)でも課税関係の議論が紛糾したことを想起されたい。宗教法人に関する非課税をめぐる議論である。統一教会の事件を発端に、宗教法人に対する免税・税制優遇措置が関心を集めた。法をないがしろにする手法で多額の「金」を集めていたのは、かの教団と何ら変わらない(直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)」参照)。「金」にだらしない自民党、特に安倍派は、トップが統一協会に「お墨付き」を与えてきたことを忘れてはならない(直言「統一教会の家族観にお墨付き」参照)。
   あきれた裏金実態や、政治倫理審査会でまともな説明ができない政治家たちの醜態が明らかとなり、確定申告会場に足を運ぶ納税者の脱力感と怒りは高まるばかりである。税金に対する不信、疑問、反感が醸成され、怒りの矛先は、国税当局に向かい始めている。


政治家には「納税の自由」?

 冒頭の写真は222日の衆議院予算委員会で答弁する鈴木俊一財務大臣である(TBS「報道特集」202432日放送。右の写真も)。政治資金収支報告書に記載されていなかった収入の税務上の扱いについて問われ、「政治活動に使わずに残った所得で、控除しきれない部分があると議員みずからが判断した場合、納税することはもちろん可能性としてはある。疑義を持たれた政治家が政治責任を果たすという観点から判断されるべきだ」と述べた。納税するかどうかは議員の判断と受け取られ、SNS上では一時期、「#納税の自由」が上位にきたという。「事務所の金庫にあり、使っていない」といって申告しなければ、一般人なら「無申告加算税」を課せられる。申告は義務なのだから、その義務を怠れば15%が加算される。

 実は今年1月に配布された「令和5年分の所得税及び復興特別所得税の確定申告について―「雑所得」の計算等の概要」には、こう書かれている。「政党から受けた政治活動費や、個人、後援団体などの政治団体から受けた政治活動のための物品等による寄附などは「雑所得」の収入金額になりますので、所得金額の計算をする必要があります」「「政治活動に係る「雑所得」の金額は、年間の「政治資金収入」から「政治活動のために支出した費用」を控除した差額であり、課税対象になります」と。「事務所で保管していて使っていない」などの言い訳は通用しない。

国税庁のホームページにも出ている税の「3原則」のうち、何よりも「公平の原則」が重要である。経済力が同等の人に等しい負担を求める「水平的公平」と、経済力のある人により大きな負担を求める「垂直的公平」とがある。自民党の裏金問題が明らかになって、こうした税の公平性が損なわれ、確定申告が馬鹿らしくなる空気が生まれている。冒頭の写真は、『東京新聞』の政治漫画だが、ネット上には「#確定申告ボイコット」というのが一時期トップにあがった。確定申告の初日の216日、岸田文雄首相は、「裏金はさておき」といって納税を呼びかけたのだが、これがまったく逆効果。激しい反発の声があがった

 222日の衆院予算委員会で、税務署のポスターを掲げて立憲民主党議員の追及が行われた(上の写真は『サンデーモーニング』2024年2月25日放送から)。「脱税は犯罪。脱税者は、見つかる。査察官は、見つける。」とある。このポスターは、若い世代からすれば「マルハラ」かもしれないが、「。」に強い思いが示されていると理解したい。元国税調査官の熱いメッセージはいちいち納得である。「政治家は「どうせ税務調査は来ないんだから」という意識があったので、「収入を帳簿に載せない」などという、国民をなめた行為をしたのです。」とある。安倍晋三の「悪業と悪行」「影と闇」のなかで、「おい、馳、何でもやれ。機密費もあるからな」といって、強引にオリンピック招致を行ったことは記憶に新しい(直言「安倍晋三の「野望の階段」の終わり」)。安倍派の裏金問題が自民党のなかでも突出してひどいのは、「アベなるもの」(ドイツ語でDas Abe) の本質の顕現といえるだろう。

 

「納税」ではなく「払税」(tax pay)

そもそも「納税」とは、で思い出したのが、14年前、直言「税金について語るの「作法」―北野弘久先生のこと」である。学部3年生の時に出会った北野弘久教授は、「納税者基本権論」を熱っぽく語っていた。「君たち、『納税』という言葉は『お上』に年貢を『納める』という発想に近い。主権者である国民が『税金を払う』のだから、『払税』(tax pay)というべきだ」と。憲法30条には納税の義務とあるが、これを「タックスペイヤーの権利」(払税者の権利)として捉えなおす視点は新鮮だった。憲法には「納税」とあるが、「払税」という視点で解釈すべきだ、と。

 高校生でも知っているが、マグナカルタ(1215年)12条は、国王の決定だけでは課税できず、議会(一般評議会)の同意を必要とすると定めていた。「代表なければ課税なし」の元祖だが、日本国憲法84条も、「租税の賦課・徴収、その変更は、法律または法律の定める条件による。」としている。租税法律主義である。これは「財政国会中心主義」の歳入面での具体化と言える。国民が選んだ代表者によるチェック。この「財政国会中心主義」は、「財政民主主義」の一つの柱であり、もう一つの柱が、北野先生が主張する「払税者の権利」である。これは「財政立憲主義」の権利保障の側面と捉えることもできるだろう(水島朝穂18歳からはじめる憲法』2(法律文化社、2016)105頁参照)。だが、その国民が選んだ国会議員たちが裏金作りにいそしみ、政治資金規正法違反を繰り返し、ついには脱税の疑いが濃厚である。租税法律主義だけでは十分ではない。そこで、北野教授が中心となって1982年6月に公表した、自由人権協会「納税者の権利宣言」(PDFファイルはここをクリック)を想起したい。

   最低生活費等に課税されない権利。「応能負担の原則」(税負担能力に応じて納税義務を負う)を前提に、いかなる課税も、健康で文化的な最低限度の生活を侵害しないようすること。

   適正手続を受ける権利。税務調査に対する一連の手続的権利がある(黙秘権や令状主義など)

   違法な課税処分等から救済を受ける権利。

   租税の徴集の仕方と使途等を統制する権利。

   サラリーマン納税者の権利。

   納税者のプライバシー。

   情報の公開、財政過程への参加の権利。

このうち、④が特に重要である。「租税が憲法及び法令に適合しない手続または目的により支出さたときは、直ちに裁判所に対し、当該財政支出の停止を求め、または当該財政支出に対応する自己の納税義務の排除を求める権利を有する。」と。憲法9条に違反する敵基地攻撃用ミサイル購入のための防衛支出の停止を裁判所に求め、また、そのミサイルを購入する財政支出に対して、自己の納税義務がないことを求める権利ということになる。訴訟法的にも課題が多すぎるものの、42年前の宣言のアイデアはいまも検討に値する。

 広島の地方議員買収の原資は「裏金」?

 私たち「納税者」は沈黙しているときではない。国税は、多額の脱税をしている安倍派を中心とした政治家たちに対して、しっかり税務調査を実施しなければならない。国会は、裏金問題を徹底究明すべきである。その際、私は、安倍晋三が溝手顕正を落選させるために、河井案里を刺客にして立候補させた2019年参院選の際、不自然な現金給付があったが、その6700万円(河合メモ「総理2800、すがっち500、幹事長3300、甘利100」)には、裏金が使われたと見ている。広島の地方議員の買収資金である(直言「「総理・総裁」が関与した大規模買収事件―「すがっち500」が示すもの」参照)。二階俊博前・幹事長らの証人喚問が必要である。

【文中敬称略、例外あり】

トップページへ