「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
(2009年7月31日午後7時収録、8月1日午前5時18分放送)

1.豪雨・竜巻のなか衆院選挙へ

衆議院が解散され、現行憲法下で初の「真夏の総選挙」に突入するなか、今週、中国地方と九州北部が観測史上初という記録的豪雨に見舞われました。山口県を中心に6つの県で30人以上の死者・行方不明者がでました。『中国新聞』28日付社説「豪雨禍の教訓−素早い対応で『減災』を」は、大きな被害の背景に行政の対応の遅れを指摘しています。特に土石流で特別養護老人ホームが甚大な被害を受けた山口県防府市では、県の「土砂災害警戒情報」が6時間以上も放置され、早期避難が必要な介護施設への連絡もなされていなかった事実が明らかになりました。社説は「人災の色合いが濃い」ことを示唆しています。一方、27日午後、群馬県館林市で竜巻が起こり、大きな被害がでました。『上毛新聞』(電子版)28日付によると、複数の竜巻が発生したようです。いずれについても、「エルニーニョ現象」の影響など、世界的な異常気象の問題が背後にあることを各紙とも一様に指摘していました。

2.成人年齢は18歳へ

さて、29日、法務大臣の諮問機関である法制審議会の部会が、成人年齢を18歳に引き下げることが適当だとする最終報告書をまとめました。30日付各紙はいずれも一面でこれを伝えました。社説のトーンは、『読売新聞』が「18歳成年は世界の大勢だ」と持ち上げたのに対して、『毎日新聞』31日付社説は「じっくり合意目指そう」、『朝日新聞』同も「実現へ課題克服の努力を」と少し慎重です。もともと、安倍内閣の時に駆け込みで制定された憲法改正手続法(国民投票法)が投票権者を18歳からにしたため、その附則などで民法や公職選挙法の見直しがいわれていたものです。いずれにせよ「成人年齢」というのは重要な法的基準です。改正の影響は多方面にわたります。関連する法律は191件、政令などを含めると300件以上にのぼります。報告書の射程は民法4条(「年齢20歳をもって、成年とする」)の改正にとどまりますが、成年はクレジット契約が単独でできますし、競馬の馬券購入も可能になります(「未成年者」は購入禁止)。

他方、独自に年齢を「20歳未満」と決めている法律の場合は、民法の改正だけでは何も変わりません。飲酒と喫煙は「満20歳未満」が禁止ですが、これは維持される方向のようです。公職選挙法は「満20歳以上の者」ですので、これを18歳に変えるどうかは別個に法律改正が必要です。法制審議会は公選法を改正して選挙年齢を成人年齢と一致させることが望ましいとしていますので、18歳選挙権の方向が正式に打ち出されたわけです。

なお、この間の少年法改正により、少年の保護年齢が引き下げられてきました。ここで18、19を少年法の対象から外すのかどうか。この点については「年齢だけでは割り切れない事情も絡む」(『朝日』社説)ため、『毎日』社説は慎重さを求めています。

 成人年齢を18歳に引き下げると悪質業者に高額な契約をさせられたりするといった問題も指摘されていますが、報告書は「消費生活センターに若者専用の相談窓口を設置する」などの消費者保護施策の充実で対応することを求めています。20歳以上でも、架空請求にひっかかる人はいるわけで、年齢引き下げをしない理由にはならないと思います。

私は、18歳選挙権は当然のことだと思います。韓国やカメルーンなど十数カ国を除き、世界のほとんどの国・地域が選挙権を18歳(16、17歳の国もある)にしています。オーストリアは、ヨーロッパでは初めて、EU議会の選挙権を16歳にしています。ところが、肝心の日本の18歳が消極的です。『高校生新聞』(08年10月)の高校生意識調査でも、18歳選挙権は賛成20%でした(『東京新聞』08年10月17日付夕刊)。私が担当する1 年生ゼミで何回かこのテーマを取り上げましたが、18歳選挙権に積極的な意見は多くはありませんでした。「未熟だから」「時期尚早」と簡単にいってしまう彼らを見ていると、私が18歳だった頃と比べて大人になりたい願望が低いのかもしれません。いずれにせよ、『毎日』社説がいうように、国民生活の根本に関わる問題なので、18歳成年の方向で、じっくりと合意を目指すことが大切でしょう。

3.表現の自由を問い直す

今週28日、東京地裁は、日教組の教育研究集会のための会場使用を拒否した都内のホテルに対して、3億円の損害賠償などを命ずる判決を出しました。ホテル側は契約が成立し、会場費の半額支払いを受けたのに、右翼の街宣車が来て周辺住民に迷惑がかかることなどを理由に、一方的に契約を解除しました。日教組は会場使用の仮処分を申請。東京地裁と東京高裁がこれを認めたにもかかわらず、ホテル側は裁判所の命令を無視しました。今回の判決は、「集会は参加者がさまざまな意見や情報に接し自己の思想や人格を形成、発展させ、交流する場」と位置づけ、「参加者には固有の利益があり、それは法律的に保護されなければならない」と判示して、ホテル側の賠償責任を認定しました。各紙は、『ホテルが負う重い代償』(『朝日』29日付)、『集会つぶした罪の重さ』(『東京新聞』同)と一様にホテル側に厳しい社説を出しましたが、注目されるのは『読売』31日付社説です。「司法無視のホテル敗訴は当然」というタイトルで、「どんな集会であれ、合法的なものである限り、保障されるのが民主主義社会だ。もちろん反日教組の集会でも、同様である」と書き、裁判所の命令を無視し続けたホテル側の態度を厳しく批判。「憲法が保障する『集会の自由』の重要性を踏まえたものだろう」と書いています。私人間の契約上の問題ですが、集会の憲法的価値を高く評価した判決として意義があります。

さて、集会といえば、『中国新聞』27日付29面に「『ヒロシマの平和』を疑う――8.6田母神俊雄氏講演会」という意見広告が掲載されました。このことについては、8月6日に平和公園に近い会場で「核武装論者」が講演することに反対として、被爆関係7 団体が抗議文を送り、広島市長も「表現の自由は尊重する」としながら、「被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがある」と、集会の日程変更を求めていました(『中国新聞』6月30日、7月1日付)。そうしたなか、広島の大手書店が集会のチケット販売を中止しました(同7月11日付)。この記事には、日本図書館協会「図書館の自由委員会」関係者の、「表現の自由は尊重されなければならない。核武装論には核廃絶論で対抗すべき」というコメントが紹介されていました。大事な視点だと思います。

田母神氏は「アメリカの核を国内に持ち込むだけでは効果が薄い。核兵器の発射ボタンを共有する『ニュークリアシェアリング』に踏み込む必要がある」(Will8月増刊号)と主張しています。ヒロシマ「原爆の日」に広島でこのような主張の講演会が行われること自体、被爆から64年が経過したなかでの「変化」に違いありません。

平和を祈るだけでなく、より研ぎ澄まされた平和の論理の構築が求められていると思います。

来週は、「8月6日」です。

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