軍事力なき平和のリアリティ(上)
〜『青年法律家』No.311(1996年11月25日刊行)より



 以下は、9月7日に行われた第9回人権研究交流集会第5回実行委員会(横浜)での講演(要旨)を2回に分けてまとめたものです。 [文責・編集委員会]


 今日は、軍事力なき平和のリアリティをどう考えるかという問題についてお話ししたいと思います。
 90年代に入り、特に湾岸戦争の戦前・戦中・戦後を通じて、憲法の平和主義をめぐる状況は大きく変わりました。 いままでのように「憲法があるからだめ」とか、「再び戦争を起こさないために」とか、「戦争は悲惨だから」といったことが自明のように通用しなくなりました。むしろ、あざけるような言い方で否定される対象にさえなった。 そういう流れの中で、より踏み込んだところで平和論を展開しなければいけない。そういうときに最も求められているのは、軍事力を行使しない、あるいは戦力なき平和というもののリアリティを、われわれがどう積極的に語っていけるかということだろうと思います。それを今日はいろいろな角度から、いろいろな素材、あるいは旬のネタを使いながら、皆様方に問題提起をして、一緒に考えてみたいと思っています。

「人権から平和」という視点

 さて、明日、非常に重要な投票が行われます。沖縄の県民投票です。その意味するところは、『琉球新報』9月2日付で私が「地方の抵抗、世界が注目」と書いたように、今後の展開の“最初の一突き”になりうるということです。
 ちょうど今から1年前、大変不幸な事件が起きた。少女レイプ事件です。これを契機に沖縄の人々の怒りが爆発した。鈍い本土のマスコミをも動かしていった。その中で沖縄の叫びが平和論に大きな膨らみと、新しい内容をもたらしてくれました。それは、「人権と平和」という視点です。
 それまで日本の平和論というのは、人権と平和を切り離して、本音と建て前で分けて議論をする傾向が強かった。国家のあり方が変われば、平和が達成されると考える傾向も有力だった。
 しかし、そのとき一人の憲法学者が、「平和的生存権の射程はもっと広い。日本国民と言っているけれども、これは全世界の国民と言っていて、しかもその中身は、平和はかりに9条が削除されても、平和的生存権が13条に内在している」と言いました。故・久田栄正教授です。学会や実務界ではあまり名は知られていませんが、憲法9条の歴史性を知らせるうえでは、きわめて重要な憲法学者です。
 この方の生きざまを描いたのが、私の『戦争とたたかう--一憲法学者のルソン島戦場体験』(日本評論社)という本です。これは、戦争の中で戦争とたたかった人間の記録です。彼はルソン島の戦場で、「人間の尊厳性を傷つけ合う人間関係」の極致を体験し、そこから平和を人権から組み立てることの重要性を説きました。
 久田氏は、恵庭事件の特別弁護人として、札幌地方裁判所の法廷に立ち、辻裁判長たちに向かって、「日本国憲法は、平和的生活権を保障しています。野崎さんの牧場一家の平和的生活権が侵害されている」という弁論をしました。 ほとんどの人はこの弁論を忘れています。しかし、当時の記録を見ますと、裁判所の記録に、久田栄正教授の特別弁護人としての法廷における証言が載っています。素朴な訴えではありますが、その中身こそ、今日の平和論を示唆する重要なものです。当時は、「平和的生活権」という言葉が使われていました。平和的生存権というように理論化され、発展するのは、その後、長沼訴訟の中です。
 平和を生活と個人の段階から組み立てる視点に彼が着目したのは、ルソン島の戦場で空からふってきた米軍の伝単(ビラ)に書かれてあったポツダム宣言9項との出会いが決定的でした。そこには、「日本国軍隊は、完全に武装を解除させられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的且つ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし」とありました。久田氏は、85%の人が死んだ中で生き残りました。そして戦場から帰ってきて、憲法と出会って、憲法学者の道を歩む。私がこの本を書こうと思ったのは、彼の憲法との出会い、その独特の歩み方にあります。
 久田氏は、1989年12月に亡くなりましたが、私は彼と出会わなかったらこのような話をここでしていないでしょう。当時、私はドイツ憲法の研究が中心で、しかも軍事オタクでもあったので、どちらかというと冷たい平和論を説いていました。しかし、彼と出会ってから、本当の意味で人権から、生活から平和を説く意味を知りました。そして、平和を国家論から説くのではなく人権論から説きおこし、そこから国家論を再構築する、こういう視点を学びました。

『見えないもの』と『小さな人々』

 さて、これからが本論です。ここでは、国家は最終的に軍事力を持つのは当り前だという前提に「ノー」を提起したいと思っています。いろいろとネタがありますが今日は、お手元にお配りした「武器を持たない兵士たち」(『三省堂ぶっくれっと』120号)に市川ひろみさんが書いていたエッセイを題材にしたいと思います。
 この文章は、憲法9条を考えるうえで非常に勇気を与えます。副題を見てください。「東ドイツ人民軍建設部隊・『見えないもの』と『小さな人々』」とあります。徴兵拒否者が東ドイツにもいました。しかし、東の「ドイツ民主共和国」は人民主権を建て前としていた。したがって、「民主共和国」において国防に従事しない者は非国民の扱いを受けました。
 ところが、キリスト教の信仰の厚い人は武器を持てない。社会主義国であっても武器は持てない。そこで、当時の政府はそういう人を処罰しました。ところが、西ドイツは基本法で徴兵拒否権を保障しています。西とのバランスで、東もある程度徴兵拒否を認めないとまずい。拒否者が1000人単位でいる以上、その人たちに何らかのかたちで義務を履行させる組織を作る必要が出てきた。そこでできたのが労働大隊です。しかし、労働大隊というのはナチ時代にもありました。強制労働です。それではイメージが悪い。そこで、バウ・アインハイトという建設部隊を作ったわけです。
 これは工兵部隊とは違います。工兵部隊というのは、自衛隊でいえば施設科部隊で、地雷を建設したり、橋を爆破したりする部隊です。しかし、これはバウ・アインハイトですから、軍隊ではなく、建設だけをやる。工事だけをやる。そして、この人たちはここで働くことによって、憲法上の国防の義務を履行したことになります。
 ところが東ドイツ政府は卑劣でした。建設部隊を出た人には、大学入学資格を与えなかった。大学に行かせてもらえなかった。「ヘルシンキ宣言上、人権は守っています。徴兵拒否の人にも建設部隊を作ってやっています」と言いながら、事実上の差別をやり続けました。だから彼らは徹頭徹尾、差別というものを知り抜きました。武器を拒否し、自分の内面を重視したがゆえに、差別され続けた。だからこそ、彼らは国家の民主化に向かった。
 あのベルリンの壁を崩す、ライプツィヒから始まった「人民はおれたちだ」という市民フォーラムの運動。その活動家の少なくない部分が、建設部隊の出身者でした。東の体制を内側から民主的に変えようという運動家たちの多くが、究極の差別を知り、しかも武器は持たなかった建設部隊の出身者だということを、市川さんは現地での取材によって裏付けました。

内面を重視した平和

 市川さんとは、1991年にベルリンで偶然知り合いました。そんな縁でこの文章を寄せてもらったのです。彼女が昨年神戸で被災したため、活字になるまで時間がかかりましたが、でも、実際に活字になったものを読んで、私はたいへん感動しました。少し引用しましょう。「建設兵士らは、除隊後、建設部隊に入ることさえ拒んだ人たちとともに平和のための活動を始めました。彼らには『暴力という楽器で、平和の歌を奏でることはできない』との確信がありました。そして、『小さな人々なしには、大きな戦争もない』と考えていました。ひとりひとりの心のなかに『敵』がいたり、良心に逆らうような事態に陥った時にも上官の命令を受け入れてしまう『服従』があるからこそ戦争も遂行することができるというのです。彼らは、小さなひとりひとりの内面を重視し、平和の源をそれぞれの心のなかに求めていました」。これはユネスコ憲章の「戦争は人の心のなかで生まれるものであるから、人の心のなかに平和のとりでを築かなければならない」ということばを想起させます。
そして最後の文章。ここで私は涙してしまいました。
 「小さなひとりひとりが自らの良心に従って選択をしたことが、建設部隊を生み出しました。そこでの経験から彼らは政治的自覚を深め、内面を重視した平和のための運動を展開しました。小さな人たちの目に見えない内面が、静かなかたちで社会の意識を変化させることに寄与したのでした。小さくさせられているからこそ、大きな人には見えないものが見えるのです。見えないものの大きな可能性を教えてくれたのは、今はなくなってしまった国にいた小さな人々でした」。
 東ドイツという国は、西ドイツという巨大な国に吸収合併されて消滅しました。しかし、東の中にもしっかりとしたデモクラシーと人権と平和のためにたたかった人たちがいた。彼らの主張は、統一後の市民運動の憲法改革草案にも影響を与えました(小林孝輔監訳『二十一世紀の憲法』三省堂)。
 平和を求める運動が、心の内面を求めてたたかったとき、必ず大きな人々の結びつきを作っていく。逆に、もしも自分のエゴで突っ走り、軍事力を使ってこれをやろうというよこしまな気持ちがうまれたとき、平和憲法を持っている日本国民も、強い国家の傲慢な国民に必ずなるのです。私は、市川さんのいう「内面を重視した平和」ということばの重みを強調したいと思います。

軍事大国日本に欠けているもの

 さて、7月3日付の『読売新聞』世論調査によると、「日本は大国だと思う」という大国意識を持つ国民は57%とあります。読売はいやらしいから、これをどこに結びつけるかというと、軍事を含む「国際的責任」につなげていきます。この先は軍事大国です。
 日本は軍事大国にはなりませんと言っても、軍事大国というのは大規模な軍隊を持つことだけではありません。
 以前、ニュージーランドの市民運動の人が広島の呉に来ました。彼らが呉港を見たときに、海上自衛隊の護衛艦は6隻しかいなかった。「今日は少ないんですけど」と案内の方が言ったら、「多いですね」と言います。ニュージーランド海軍は、フリゲート艦を4隻しか持っていない。そんな意味から言っても、われわれの常識も疑ってかかる必要があります。
 日本は間違いなく質的にも量的にも軍事大国になっている。装備のうえからも、第一級の軍隊です。最後に欠けているのは、普通の軍隊が持つ権限です。これはどうやったらできるか。防衛庁サイドの法学者は、自衛隊法をたくさん変える必要はない、「国際法規慣例に従い」という一項を入れればできるといいます。
 そうすると海上警備行動として、自衛隊法82条を使って、海上においては普通の海軍に認められた臨検、拿捕ができる。84条の領空侵犯措置に「国際法規慣例に従い」を入れると、これも普通の国の空軍なみのことができてしまう。PKOで出かける陸上自衛隊の部隊も、PKO等協力法に「国際法規慣例に従い」と入れれば、武力行使が可能になると言うのです。
 憲法9条がある以上、当然のように武力行使ができるはずがありません。しかし、こうした法的手法には注意を要します。

難しい豊かさと平和の両立

 ところで、私たちが平和を説くときは、「非軍事の平和」というのはどこまでリアリティを持つのかという中身をリアルに語る必要があります。ここでは、豊かさと平和という問題を考えてみましょう。ここまで豊かになって、クーラーがある生活に慣れた市民運動の人たちが、やはりこれからは市民運動はうちわでいこうと言えるかというと、やはりクーラーは必要です。やせがまん平和論は無理です。
 節約をし、合理的な生活、ライフスタイルの見直しは、いろいろな人が言うように必要でしょう。しかし、少なくとも身を切る平和論を立てると非常に難しいのは、豊かさと平和の両立です。
 昨日、沖縄の住民を前にして、軍用地主と全駐労の人たちの悩みを筑紫さんのニュース23でやっていました。失業してしまうリストラ対象になる人たちが基地縮小に賛成の票を入れられるか。地料が入ってこない軍用地主はどうか。これはとても難しい。
 でも、番組に出てきた少年野球の監督をやっている一人の駐留軍労働者。私はあの人の顔が忘れられません。自分の職が奪われるけれども、「野球を教えている子供たちの将来を考えてジレンマを感じている」と言うのです。そういう中で、明日、県民は身を切る判断をします。それを私たちはどう受け止められるかというところが重要なポイントです。
 もう一つ。私はこの5年間、広島県中小企業家同好会の憲法講座の講師をやっています。本年6月に広島で中同協の全国集会が行われたときに、17分科会のコーディネーターをやりました。「平和と経営」というテーマの分科会です。参加した60人の経営者の人たちを相手に、「平和と経営」の問題について討論しました。その中で、パネラーの一人、中国新聞の栗栖論説委員は、「昔は平和では食えないと言った。平和はイデオロギーだと。でも違う。今は平和で飯が食える時代だ。平和でなければ飯が食えない時代だ。平和が飯の種になる時代だ」と言いました。
 そこでいろいろと興味のある例が紹介されました。たとえば、阪神大震災のとき、日銀の神戸支店の営業課長から広島支店の営業課長に電話が入りました。その内容は、金融機関が一斉に被災をしますと、払い出すお金がない、その時に日銀の神戸支店が金融機能をストップさせない方法は何かというものでした。それで、被爆直後の金融のことを調査したら、当時、日銀広島支店は焼け残り、そこに各金融機関の店舗が入った。みんな通帳などありませんから、「あんたの所に預けていた」という客にはお金を払い出した。人を信用しろ、とにかく要るところにお金を回すのが金融機関だ、ということだったのです。
 復興経済は、必要な人のためにすべての経済が奉仕するという原則で成り立っている。こうしたことが、広島の復興のスピリッツだったというわけです。
 もう一つは、ビキニ被爆のあと、署名がたくさん集まりました。国連にこの署名を送りたい。しかし1954年当時、外国にいろいろな荷物を送る方法がなかった。そのとき日通の広島支店長が自らの判断でただで国連に送ってくれました。
 ある意味では、企業はその地方の最も求めている必要なところで、必要な力を出すべきだ。これがその企業の発展する鍵です。私が言いたいのは、平和と経営の観点からも、そういうことが言えるということです。

(つづく)


〜第9回人権研究交流集会第5回実行委員会(横浜)での講演より
『青年法律家』No.311(1996年11月25日刊行 発行/青年法律家協会弁護士学者合同部会)