軍事力なき平和のリアリティ(下)
〜『青年法律家』No.312(1996年12月25日刊行)より



 以下は、9月7日に行われた第9回人権研究交流集会第5回実行委員会(横浜)での講演(要旨)を2回に分けてまとめたものです。 [文責・編集委員会]


非軍事で平和を達成

 非軍事で平和を達成するには、具体的対策が必要です。沖縄も平和と豊かさの両立への選択をするために、アクションプログラムを作っています。また、フィリピンは1991年にアメリカとの間の安保条約を破棄しました。アメリカは、条約を破棄しようとするフィリピンに、脅かしをかけました。「安保を破棄したら米軍がいなくなる。そうしたら企業も全面撤退する」というわけです。安保を破棄したら経済破綻に陥るぞ、という脅しです。
 しかし、事態はまったく逆の方向へ向かいました。ここに『日本経済新聞』の6月14日付があります。アメリカのいろいろな飛行機が飛び立ったスービック基地は、11月のAPEC首脳会議に向けて巨大な工業地帯にさま変わりしようとしている。もともと滑走路があるし、大きな格納庫もある。レジャー施設もある。それが全部平和のために使えるんです。そして、アメリカの企業まで進出してくる。
 基地を民間に転換すると、フィリピンは豊かになれるという証明です。そして周辺の人たち、最初は基地がなくたったら失業するということで反対していた人たちが、今やよかったと言っています。新しい雇用が平和産業で生まれた。
 沖縄が考えているのはこの点です。大田さんも何度もフィリピンに行っています。基地がなくなっても豊かさが追及できる。そして最終的に軍隊がない世界というのは、こうやって経済的に両立できる。このことをフィリピンは示している。
 フィリピンの議員たちが、非常に憲法に忠実だったということは決して偶然ではありません。このことは松宮敏樹氏の『こうして米軍基地は撤去された』(新日本出版社)に詳しく紹介されています。この本は、読売新聞の書評もベタほめしています。

平和と自立した経済 独立した外交を選択

 1991年9月16日に、フィリピンの上院は、アメリカの基地提供を根拠づける友好協力安全保障条約を不承認にしました。フィリピン憲法によれば、条約の締結は上院議員の総員の3分の2の同意が必要です。この3分の2の同意が得られなかった。過半数が反対した。その結果、92年末までに米軍基地はすべて撤退した。このときのフィリピンの上院議員で元国防大臣のホアン・ポンセ・エンリレはこう言いました。「米軍の前方展開を続けさせることによって、国の政策としての戦争を放棄した憲法に違反する」
 また、前大統領の義理の弟、アガピト・アキノ上院議員は、「フィリピン憲法はその精神において、国の政策としての戦争を放棄し、独立した外交政策を追及し、自立した経済の発展を求めている。この条約はこれらの憲法上の要請を否定している」。そして、オルランド・メルカド議員(元公共事業相)は、「憲法をそんなに軽く扱うこと、条約に合わせるために憲法を粗末にすることは、絶え間のない政治的不安定という災いをもたらす」。これは日本の議員に聞かせたいですね。最高裁の連中に聞かせたい。
 つまり、「政策的、技術的裁量」と憲法の要請を選んだ。その選び方がすごい。単なる平和だけではない。自立した経済と独立した外交政策のためにも基地を撤退させた。そうして、フィリピンは堂々と、アメリカ軍基地であったスービック基地に、工業団地を造り、そこにAPECの首脳たち、クリントンと橋本も招く。そのとき橋本さんは何と言うのだろうか。きっと彼はそこの意味はまったく分からないだろうと思えてなりません。

平和を愛する国民と連帯

 最後に、こういった平和と豊かさが両立するというもう一つの切り口について。それは、もし攻められたらたいへんではないかということです。これがたいへん難しい問題です。邦人保護をどうするのか。テロリストがいるではないか。「ならず者国家」があるだろう。ならず者が世界にいる以上、9条は絵空事だ、空想だというわけです。しかし、ここは重要なポイントです。軍事力を持たないゆえに、最も安全が保障できる。これは憲法9条の創造的な総合的な平和の構想です。詳しい論証は私が書いた一連の本を読んでいただきたいと思いますが、論証を抜きに言うと、第一に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼した」という前文の深い意味です。何度も言いますが、そこは「諸国家」ではなく、諸国民(ピープルズ)となっていることにご注目いただきたい。
 とんでもない国家がどこかに生まれることは十分ありうる。平和が世界に実現するプロセスでも、そういう国家が生まれることはありうる。しかし、どこの国にも、必ず平和的世論がある。とんでもない国家の中の「平和を愛する諸国民」を信頼し、その国民と連帯する。
 ベトナムはそれを知っていた。アメリカ国民を敵にしないように、アメリカ国家とたたかった。そのために、アメリカ国家の手先である兵士が国家を捨てて、反戦兵士になった。つまり、平和を愛するアメリカ国民とベトナムは手を結ぶ努力をした。だから戦争をしそうな国家が出たとき、そこの国の平和的世論や組織と連帯するという視点が大切です。
 インターネットやCNNの衛星通信網、あるいはインマルサットが発達した今日、それはもっともっと技術的に可能になっています。これを平和学の用語で言うと、アーリー・ウォーニング(早期警報)と言います。つまり、各地域に展開した市民グループ、NGOといったものが、その地域で不穏な動きがあれば、ただちにメディアを使って連絡を取って、その地域でそういうことをやるということを、世界の世論へ一気に知らしめる。そのことによって、事前に紛争の芽を摘むということです。
 かりにそういう紛争集団が生まれたとしても、「目には目を、歯には歯を」ということで軍事力を行使するのではなく、最も有効なのは、その地域に軍隊によらない平和の交渉の力を展開する。かつてのPKOにはそういう側面がありましたが、ガリさんあたりから狂ってくる。力によって仕切る平和ということで平和強制部隊が出てきて、PKOは信頼を失う。その点では、たとえばロンドンに支部をもつPBI(ピース・ブリガード・インターナショナル=国際平和旅団)のような発想が重要です。平和の交渉は相手がけんかしそうだから、普通のNGOではだめです。語学能力と体力と共通の制服と交渉力に長けた特別のトレーニングを受けた人間が集団で介入する。これを非暴力介入といいます。
 「人道的干渉(介入)」というのがありますが、これはいま軍事介入の同義語になっています。人道介入、人権の国際化の中で、人権干渉が必要だ。それが軍事介入と同義語になっています。来年三省堂から出る本に収められる「人道的介入の展開と問題性」 という論文で批判しました。最後のほうで、軍事力によらない非暴力介入のNGOの例を紹介しています。
 PBIは、スリランカとかパラグアイとかグアテマラなどでチームを作って、非暴力介入をやっています。バルカンチームも活動中です。
 どういう方法を使うか。たとえば、一番最初のPBIは、インドにおけるヒンズー教とイスラム教の対立の交渉をやりました。彼らは共通の制服を着て非武装で、その地域に乗り込んで、交通整理をして、争いを路上で抑えました。さらに、双方の宗教指導者の話し合いの場を設定して、宗教指導が平和交渉に応じて、その命令で全部が引き下がりました。これはガンジーがはじめたインドでの方法です。非暴力介入です。これを全世界のネットワークにしてきました。
 日本にもこの支部ができつつあるようです。

紛争の原因をなくす「平和の根幹治療」

 もしやられたらどうするかという問題の二番目。思考の内に軍事的志向を持ち続けるかぎり、最終的にはそれを使うと相手が思うようになり、やはり信用されないということです。
 ここにヒグマ・マニュアルがあります。8月上旬に知床の山奥でヒグマと接近遭遇しそうになって、必死になって逃げ帰ってきたときに、このマニュアルをレストハウスでもらいました。
 斜里の山林はすべてヒグマの生息地です。まず、ヒグマに襲われないようにするには、出会わないようにするというのが第一です。そのためには、鈴を鳴らすなど音を出して、近づけない。それから、危険なヒグマを作らない。何が危険なヒグマを作るか。缶ジュース、缶ビール、あるいはごみが一番危険です。ごみを捨てていくと、それで味をしめたヒグマが ごみを持っている人間を襲うそうです。三つ目、ヒグマに出会ったら決して騒がないで、落ち着いて、ゆっくり下がる。
 つまり、何段構えで書いてあって、ヒグマのこと、その習性を知り抜いて、ヒグマと共生する視点をもつ地元の町役場ではないと出せないマニュアルです。これを東京で作ったらどうなるか。危険なところには入らない。全面立ち入り禁止か、各グループ一挺の散弾銃を持ちましょう、という話になります。これは冗談ですが、極論するとそれしかありません。もう一つ選択肢がありました。全滅させる。全部殺すか、立ち入り禁止にするか、銃を持たせる。それしかありません。
 これは平和論と似ています。本当に危険な国家を原爆でも落として死滅させることができないなら、完全封鎖する。しかし、そういう国とも共生しなければいけない。ヒグマとも生きていこうというのと同じです。
 つまり、もしヒグマが危険だというので、各自が銃を持つ選択をしたらどうなるか。間違えて人を撃ってしまったり、あるいは恐くて乱射して逆に襲われたりする。なまじの軍事力を持っているがゆえに、自分で使ってしまったり「暴発」したり、紛争を招く。これは、アメリカの銃社会と同じです。自分の子供を撃ってしまう自分の権利を守る銃とは何か。アメリカ合衆国憲法修正2条は武器携帯権を認めています。自分の権利を守るための究極の構えを示したものですが、しかし今、アメリカ銃社会はたいへん悩んでいます。やはり持たないほうがいいという主張が、ようやくアメリカでも広まってきています。
 持っているかもしれない相手がいても、こちらは持たないという相当引いた、この何段構えの議論に、私はもう一つ話を加えます。それは「平和の根幹治療」ということです。紛争地域に経済・医療援助をしたり、教育の助けをしたりして、紛争の原因となる不公平をなくしていく。虫歯の根の部分を治療して、炎症をおこさないようにするわけです。私はこれを「平和の根幹治療」と呼んでいます。
 これをヒグマでいえば、人間が狂暴なヒグマを作らないように、ごみを捨てないようにして、ヒグマの自然の体系を守る。これがヒグマとの共生です。ぼくはそのマニュアルに日本国憲法9条を見ていました。こうやって考えると、私たちはやはり現場に行かなければいけないということを、北海道の知床の山奥でふるえながら考えたわけです。


〜第9回人権研究交流集会第5回実行委員会(横浜)での講演より
『青年法律家』No.312(1996年12月25日刊行 発行/青年法律家協会弁護士学者合同部会)