早稲田大学・水島朝穂のホームページ Internet Explorer 4.0以上推奨

記事の更新情報 ※過去の記事はバックナンバーをご覧ください。

表紙 8月30日:今週の「直言」
 
7月24日:「新聞を読んで」

 18歳からはじめる 憲 法』
 
(法律文化社、7月) コラム「編集雑感」

今週の「直言」 (2010年8月30日) こちらからも読めます(高文研)。

雑談(80)青年はエスカレーターをめざす? 

週、ゼミの沖縄合宿をやった。 水島ゼミとして7回目である 。実は昨日から函館にいる。憲法理論研究会の合宿である。そこで今回は書き下ろしが不可能なので、ストック原稿をアップする。 「ペット介護」 に続く「雑談シリーズ」の80回目で、エスカレーターという乗り物について、私の個人的感想を述べたものである。 これを必要とする障がい者や高齢者の事情は当然踏まえており 、あくまでも若者・青年・学生に向けたものであることをお断りしておきたい。

 映画「三丁目の夕陽」で再認識された東京タワー。東京に住んでいても、あの展望台に昇ったことのある人はそう多くはない。 東京スカイツリーというコテコテのデジタル塔が完成すると 、あのアナログ時代の象徴は忘れられていくのだろうか。

1992年1月3日、私は息子と甥を連れて、その東京タワーに行ったのだが、正月休みでエレベーターは大変混雑していた。そこで、私たちは外側の階段を昇っていった。東京がどんどん目の下になっていく。全部で637段。展望台に着いたとき、当時の手帳に階段数を書き込んでおいた。その10年後、それを甥の結婚式のスピーチで使った。「…東京タワーには、エレベーターを使わず、自分の足を使い、時間をかけて階段で昇る方法もあります。小学生のとき、一緒に昇ったあの637段を覚えていますか…」。

私は若い頃から、エスカレーターはできるだけ使わない主義できた。 健康法というわけでもないが 、万歩計をポケットに入れて毎日1万歩を目標に歩いている。駅のホームは、もっぱら階段である。

例えば、JR新千歳空港駅から出発ロビーまで、長いエスカレーターを使わず、横の階段を昇っていく。そんな変なおじさんを、エスカレーターに乗った若者たちが不思議そうに眺めている。そんなことをするのは、自分の健康のためだけではない。実はエスカレーターという乗り物への違和感がそうさせているのである。

駅や建物の構造上、エスカレーターしかない場合は、足を使って右側を昇り、あるいは降りていく(大阪では左側に切り換えるが)。私のように「歩く」ことが、 エスカレーターの乗り方として邪道であることは十分承知している 。障がい者や高齢者のために、「バリアフリー」の観点から、こういう設備も必要だろう。それは重々分かっている。ただ、私が言いたいのは、若者への影響である。地下鉄の長いエスカレーターですれ違うとき、反対側からゆっくり上がってくる(あるいは下がってくる)若者たちの多くは携帯を覗き込んでいる。10人くらいが、前かがみの同じ姿勢で、ベルトコンベアのように流されていく場面を目撃したときは、何とも言えない気分になった。

 ところで、エスカレーターと階段の両方があるところでは、人の流れに不具合が生ずることがある。東京メトロ高田馬場駅の中野方面ホームで、私は、毎回のように人とぶつかる。降りた乗客(時間帯によっては大半が早大生)の多くは左側のエスカレーターをめざすので、電車から斜めに人の流れができる。私のように階段に向けて直進する人はこれと確実にぶつかるわけである。ふと横を見ると、学生たちの多くがエスカレーターの前で列をつくっている。この階段はたった25段である。「青年は荒野をめざす」というのは昔の話。いま、「青年はエスカレーターをめざす」のだろうか。

JR高田馬場駅 。数年前、ホームの中間あたりに上下のエスカレーターができた。バリアフリーの目的で設置されたようだが、ホーム全体の一日の「運用」という点で、これがうまくいっているかどうかには疑問がある。もちろん、バリアフリーの目的のために、ホーム上にさまざまな支障が生まれることは、目的達成のために受忍すべきものという考え方はありうる。ただ、その設置場所については、乗降客の動線を十分考慮したものなのかどうか、かえって利用者が危険になる場合はないのかなど、見直す余地もあるように感じる。

とりわけラッシュ時、内回りと外回りがホームに同時に着いたとき、この1本のエスカレーターの前で混乱が起きる。私個人はエスカレーターに向かう列には並ばず、必ず前方まで歩き、従来からある階段を使って降りる。その付近はすでに空いているが、振り返ると、後方のエスカレーター付近の列はまだ続いている。

6月29日午前9時20分頃。山手線にトラブルがあって電車が止まった。内回り2番線ホームには、ドアごとに乗客の長い列が出来てホーム全体をふさいでいた。そこへ外回りが1番線に到着。私を含め、その電車の乗客は、ホームに降りたところで、ホームいっぱいに広がる乗客の列に阻まれた。外回りのドアの前に、内回りを待つ乗客の背中が迫るという構図である。当然、1本しかないエスカレーター前は大混雑。その時、駅のアナウンスがこう告げたのだ。「現在、下りエスカレーターは運転を止めております」。

前方の階段をめざして進みながら一瞥をくらえると、そこは「横2列の階段」と化していた。もし下りを動かせば、こんな状態でも、左側に立つ人は携帯を見ながら立ったまま下りていくのだろう。右側1列だけではホーム上の乗客をさばけない。そこで、駅員が判断して、下りを止めたのだろう。結果的に人の流れは早まり、2人並んで階段のように下りていった。ホーム上の混雑はやや緩和されたようである(この状況描写は、当日、駅構内にいる間に手帳に書き込んでおいたメモによる)。

 この措置一つとってみても、エスカレーターの存在が、むしろ混雑を生み出していることがわかるだろう。バリアフリーのためとはいえ、それが障がいをもった人々にとっても必ずしもプラスではない、という現実がここにある。高田馬場駅のホームにはエレベーターもある。階段とエレベーターを基本として、それにエスカレーターを加えるときは、ホーム上の動線の分析を踏まえた慎重な検討が必要だろう。

現在、 私の研究室のある法学部8号館は12階建て 。朝、大学に着いたとき、11階の研究室まで階段で上がるようにしている。南門に近い入口から入ると地下1階なので、実質12階分ある。上がりきると、汗が背中ににじむ。授業や会議のための移動はエレベーターを使う。これがなかなかこない。学生が下層階の移動に使うため、高層階の研究室の移動に支障をきたしているのだ。1階から乗ってきて、3階で降りる学生もいる。エレベーターの横に、「学生は4階まではエスカレーターを使いましょう」と書いてあるが、私は「階段を使いましょう」に変えるべきだと考えている。実際、4階まで上りエスカレーターはあるが、下りはない。階段で行けという設計である。

 幼稚園から大学まで、入試なしの「エスカレーター」で進学する人が増えている。近年の若者は、人生だけでなく、日常生活でもエスカレーターを好むようである。4階までなのにエレベーターを待つ学生。あるいは1階から2階の教室までいくエスカレーターの左側に立っている学生。その横の階段を、教授がのぼっていく。若者よ、もっと足を使え!

〔付記1〕誤解のないように繰り返しておくが、本稿は、若者が安易にエスカレーターに向うことを問題にしているのであって、バリアフリー一般を問題にしているわけではない。私のゼミでは「現場主義」を大切な柱にしている。ネットで安直に調べた情報でなく、そこにも「もっと足を使え!」なのである。なお、足を使わなくなった若者は、手も使わなくなった。手書きができず、キーボードも打たず、携帯から親指でレポートを送ってくる時代になった。何とかパッドが普及したら、今度は人指し指か。思考の劣化が進んでいく。もっと手を使え!の話は、次の雑談(81)に続く(時期は未定)。

〔付記2〕私の1年ゼミの女子学生が、渋谷、新宿、東京など数駅のエレベーターの写真を撮影して送ってくれた(8月23日)。冒頭はJR渋谷駅、もう一枚はJR東京駅の写真である。また、 法科大学院で教えた院生の一人からレポートが届いた 。それは、東京メトロ半蔵門線・東急田園市線の渋谷駅ハチ公改札をめぐる利用客の流れを分析したものである。本文中で指摘したホーム上、あるいは改札に向う動線の問題を検討する上で参考になると思うので、ここで紹介しておきたい。猛暑のなかの写真撮影や、原稿の作成を通じて本直言に協力してくれた皆さんに感謝します。

「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
    (2010年7月23日午後7時収録、7月24日午前5時18分放送) NHKオンラインへ(声が聞けます)

1.「おわび」と「お礼」の「温度差」

   暑い日が続きます。岐阜県多治見市では22日、とうとう39.4度を記録し、『読売新聞』23日付は「日本熱島」という見出しでこれを伝えました。 前回私が担当した4月25日には、普天間飛行場の問題をめぐり、5月末決着をいう鳩山首相(当時)に対する各紙の論調を紹介しました。わずか3カ月で、内閣が変わり、政治の様相も一変しました。新聞の紙面に沖縄問題が載ることもあまりなくなりました。『琉球新報』7月19日付コラム「金口木舌」は、「参院選の焦点から普天間問題が外れると、波が引いたように紙面から消えてしまった」と書いています。そして、本土と沖縄との受け止め方の違いについて、よく「温度差」という言葉が使われることについて述べています。関連して、『東京新聞』20日付記者コラム「メディア観望」では、女性記者が、「在京メディアの沖縄問題」として、東京から沖縄に行く記者たちの現場感覚のなさを問いながら、「私たち在京メディアに必要なのは、沖縄で起きていることが自分の街で起きたらと、想像をめぐらせることだろう」と「自戒を込めて」書いています。まっとうな感覚だと思います。
 

この点と絡んで、『朝日新聞』23日付オピニオン面「私の視点」に興味深い一文が掲載されました。筆者は東京外国語大学教授の山田文比古氏。1998年九州・沖縄サミットの際に、日本側の準備事務局長として各国首脳の受け入れにあたった方です。そのタイトルは「筋違いの感謝やりきれない」。先月の沖縄全戦没者追悼式で、菅直人首相は「おわび」と「お礼」を口にしました。山田氏は、「そもそも基地は米側が『銃剣とブルドーザー』によって一方的に押し付けてきたものであって、感謝される筋合いのものではない」と指摘します。でも、この6月、米上下両院で、米軍駐留受け入れについての感謝決議が採択されました。山田氏は「米国人が沖縄の心の機微を理解できないことは仕方がないとしても、わが国の首相までもが、それを理解する感受性を持ち合わせないとすれば、同列に論じられない。しかも、そのことに本土のメディアも国民も鈍感になっている」と述べ、「沖縄と本土(ヤマト)との間の認識ギャップは、温度差という言葉で片づけられないほど大きなものになってしまった。やりきれない思いと無力感は、地下のマグマのように沖縄の人々の心の中に沈潜していくばかりである。沖縄に感謝は無用である。無頓着な言葉だけの感謝であるならば」と書いています。まったく同感です。山田氏の一文は、沖縄についての本土メディアと国民の鈍感さをも鋭く批判するものとしても注目されます。

 

   2.改正臓器移植法の施行をめぐって

 

7月17日に改正臓器移植法が施行されました。昨年4月25日のこの時間、私は、法案審議が山場を迎えていた国会について語りました。『朝日新聞』が「走る国会」と評したほど、審議は急がれました。本会議の討論も省略。4つの法案が直ちに採決に付され、一発で現行のA案が可決されました。党議拘束を外して採決に臨んだ政党も多く、当時の麻生首相も鳩山民主党代表も別の案に賛成する予定で、この法案には賛成しませんでした。こうした異例の成立の仕方をした法律が、先週の今日、施行されたわけです。

 『毎日新聞』18日付社説は冒頭、「課題を積み残したまま」の施行に「準備不足の印象は否めない」と書き、『信濃毎日新聞』17日付社説も、「移植は、亡くなる命があってはじめて成り立つ。だからこそ臓器移植法は、ドナー〔臓器提供者〕の意思の尊重を出発点に置いている。改正法はこの原則を緩めた。年齢制限をなくし、子どもの臓器移植にも道を開いた。『新法』に近い改変だ。それもこれも、ドナーを増やすためである」と指摘しています。 この13年間で臓器移植は86例にとどまり、他方、移植を待つ人は12000 人を超えるといわれます。各紙が今回の法律施行の際に注目したのは、とりわけ乳幼児を含む子どもの臓器移植と、救急医療の現場への負担の問題でした。

『沖縄タイムス』21日付社説は「拙速避け慎重な運用を」というタイトルで、「子どもの生命力は強靱で、劇的な転換を見せるケースがある。より厳格な脳死判定が要求されるのは当然である」と書いています。親の虐待で脳死状態となった子が、その親の承諾で臓器提供者になることは許されない。改正法に基づく「指針」は、臓器提供する医療機関に対して、「虐待防止委員会」の設置を義務づけています。

『愛媛新聞』16日付社説は、虐待を見抜く態勢整備について触れ、法律施行時にこれに「対応できる」と回答した病院は13%にとどまったと書いています。社説は、「小児の脳死判定は大人よりも難しく、時間もかかる。…対応は事実上、医療現場任せ。救命現場の医療者に、虐待の有無のチェックから家族の心のケアまで、すべてを任せるのは無理だ。そもそも『十分な救命医療を受けたが助からなかった』ことが臓器提供の大前提で、その点で疑念が起きないよう、現状の救急医療体制の拡充も同時に図られなければならない」と述べています。この点は、『朝日』19日付社説の、「日本ではとりわけ小児救急態勢が貧弱で、1 〜4 歳の死亡率は先進国の中で際だって高い。救急医療の充実は、移植医療以前の喫緊の課題である」という指摘と重なります。大切なポイントだと思います。

『読売新聞』16日付社説は、この法律に好意的な論調を展開しながら、これからは運転免許証の裏面に、臓器提供意思の記入欄が設けられることに触れ、事前に、臓器提供の諾否の意思を書面で残すことをすすめています。ただ、事前の意思表示が不明確のときは、家族の同意だけで提供できるという改正法に対して、『信濃毎日新聞』17日付社説は、「臓器提供は、本人の意思が前提だ。それはこの先も変わらない。たとえ脳死の状態にあっても、本人の意思が明らかでない場合は、対応は慎重でありたい」と書いています。法改正により「家族の同意だけでよい」という形に理解するのではなく、どこまでも本人の意思を尊重すべきことを説いた点は重要だと思います。

本日〔24日〕午後、私は札幌に行き、脳障害で意識不明の状態にある友人の元大学教授に対して、母校の大学が博士号を授与する場に立ち会います。ご家族から提供された論文を私が編集し、彼の著書として昨年出版したところ、これが論文博士に該当すると彼の母校が判断。学位規程を新たに整備し、正規の論文博士と同等の「特別博士」という学位を授与することが決まったものです。この3 年間、意識不明の状態ですが、著書を準備する過程で、「おい、本が出るぞ」と彼に大声で呼びかけると、顔を赤くして反応しました。私の言うことがわかっている。そう確信しました。

 

「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年
Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.


 ――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
     肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
     「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。
「直言」2002年6月10日

 

みなさんからのメッセージはどうぞ E-mail まで。

Copyright 1997 Mizushima Asaho

 

 市民意見広告運動


 

表紙『時代を読む
――新聞を読んで
●1997-2008●


(柘植書房新社)
表紙『長沼事件 平賀書簡
――35年目の証言
自衛隊違憲判決と
司法の危機


福島重雄 大出良知
水島朝穂 編著
(日本評論社)

 


『憲法「私」論
―みんなで考える前に ひとりひとりが考えよう

(小学館)


『同時代への直言
―周辺事態法から有事法制まで

(高文研)


『国家と自由―憲法学の可能性
樋口陽一ほか共著
(日本評論社)


『新六法2010』 共編
(三省堂)



『有事法制批判』
憲法再生フォーラム
共著(岩波新書)
増刷して好評発売中


『改憲は必要か』

憲法再生フォーラム
共著(岩波新書)
増刷して好評発売中