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ドイツからの「直言」コーナー

連載「憲法研究者に対する執拗な論難に答える」はこちら(第一回第二回第三回第四回)。


2018年12月10日

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生日というのは人それぞれであり、年を重ねるにあたって思いを語る。天皇や皇族もまた、立場上慎重な表現ながら、誕生日には自らの言葉で語る。美智子皇后もさまざまなことを語ってきたが、特に2013年の誕生日(10月20日)の談話は注目された(直言「美智子皇后と山本太郎議員」)。日頃アクセスする機会の少ない宮内庁のホームページをご覧いただきたい。権利保障や地方自治権について定めた「五日市憲法草案」への熱い語り口や、「日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん」という表現には、この憲法への尊重の思いが感じられる。2013年の天皇誕生日(12月23日)を前にして、天皇も、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」と述べている。ベアテ・ゴードンのことが念頭にあることは明らかである。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」(『朝日新聞』デジタル2012年12月14日)という安倍首相の安直で軽薄な「押しつけ憲法」論とは相当距離がある。

さて、今年の秋篠宮の誕生日(11月30日)における発言は、来年、皇位継承順位第1位の「皇嗣」となる人物のそれというだけでなく、その内容がきわめて注目された(会見詳報は『東京新聞』11月30日付6面(総合面)収録)。秋篠宮は、大嘗祭は宗教的色彩が強く、憲法の政教分離原則との関係から「内廷費」で賄うべきであるという意見をはっきりと述べたからである。そうした考えを30年前から主張してきているが、宮内庁長官が「話を聞く耳を持たなかった」とまで述べた点も驚きである。この大嘗祭と憲法との関係についての発言と、宮内庁長官(ひいては内閣総理大臣)との関係は、これまでにない踏み込んだ発言である(長女の結婚問題についての踏み込んだ発言については省略)。以下、関係箇所を全文引用する。

記者が「代替わりの行事や儀式に関しての考え」を聞くと、秋篠宮はこう答えた(ゴシックは引用者)。

「いわゆる国事行為で行われる行事、それから皇室の行事として行われるものについて私が何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。

一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。幾つかのものがあるわけですが、それについては、ある程度、例えば私の考えというものもあってもよいのではないかと思っています。

国事行為としての行事と皇室の行事を明確に区別して、前者については立場上、意見は言えないが、後者については「私の考え」を述べたいという思いをにじませて、記者の質問を誘導する。ここで、記者が「具体的には?」と踏み込むと、秋篠宮は、紙面で49行、640字にもなる長さで一気に語り始める。

「具体的にもし言うのであれば、例えば即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです。その一連のものは。ただ大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。

その宗教色が強いものについて、これを国費で賄うことが適当かどうか。これは平成の時の大嘗祭の時にも、そうするべきではないかという立場だったわけですが、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですが。

今回も結局その時を踏襲することになったわけです。

もうそれは決まっているわけです。ただ私として、やはり、このすっきりしない感じというのは、今でも持っています。整理の仕方としては、一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。平成の時の整理はそうだったわけです。

ただ、宗教行事と憲法との関係はどうなっているのかというときに、私は、やはり内廷会計で行うべきだと思っています。ただそれをするためには相当な費用がかかりますが、大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。

ただそのできる範囲で、言ってみれば身の丈に合った儀式にすれば、少なくとも皇室の行事と言っていますし、そういう形で行うのが、本来の姿ではないかと思いますし、宮内庁長官などにはかなり私も言っているんです。ただ残念ながらそこを考えること、言ってみれば、話を聞く耳を持たなかった。そのことは、私は非常に残念なことだと思っています。」

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これを読んで気づいたのだが、現天皇の大嘗祭の際にも、秋篠宮は、宗教色の強い大嘗祭を国費で賄うことに疑問を感じ、当時からそういう考えをもち、かつそのような主張をしていたという事実である。「うんと若かった」からと謙遜はするが、当時の宮内庁関係者も、秋篠宮の意見に対して「聞く耳を持たなかった」ということである。

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日本国憲法の象徴天皇制は、現天皇において完成水準に到達した(象徴天皇制グッズ参照)。「象徴」のアイデアは、憲法学者・鈴木安蔵による。国民主権原理と本来相容れない世襲君主制を改変して合体させた歴史的妥協の産物であり、「本来相容れないもの」の要素を極小化するよう周到に設計されている(拙稿「国民主権と象徴天皇制」参照)。昭和天皇の場合、大日本帝国憲法の「元首」「大元帥」の時代がおおよそ3分の1、日本国憲法の「象徴」としての時代がおおよそ3分の2であった。これに対して、現天皇は日本国憲法のもとでの象徴天皇第1号、その意味では「純粋象徴天皇」ということになる。来年、その初めての代替わりが行われる。天皇は簡素なものを望んでいるというが、それは単に費用的なものだけでなく、自らがかかわった昭和天皇からの代替わりとは違った形、すなわち、日本国憲法の純粋象徴天皇制らしい形を考えているのではないか。安倍首相(背後にいる日本会議など)は限りなく戦前型の天皇を求めているので、そこでも現天皇が描く「天皇像」とは距離が出てくる。

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今回の秋篠宮の発言は、現天皇の考えや思いを代弁したものではないか。発言のポイントとして、第1に、天皇・皇族の非政治性・中立性の要請(「国政に関する権能を有しない」(憲法4条))を考慮して、政府が国事行為として行う部分についての発言は控えつつ、他方、そこにおける「皇室の行事」の部分に限って、「私の考えというものもあってもよいのではないか」と述べて、あえて見解を披瀝したことである。「異例の発言」として、政府の行う儀式に異を唱えた政治的発言とみる向きもあるが、私は自らが当事者性をもつ「皇室の行事」のあり方について見解を述べることまで排除されていないと考える。

第2に、その「皇室の行事」としての大嘗祭が「宗教色が強い」という認識を明確にした上で、憲法の政教分離原則(20条3項、89条)との関係、特に宗教に対する公金支出の禁止との関わりで、「国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈したことである。平成の大嘗祭の時に、秋篠宮はこの問題性を自覚しており、政府のやり方に対して「多少意見を言った」と述べ、結局、自分の意に反したやり方がとられ、今回も「前例踏襲」の閣議了解が行われたことについて、「このすっきりしない感じというのは、今でも持っています。」と率直に語っている。「すっきりしない」というのは違憲の疑いが残るということである。

大嘗祭については、その関連儀式への知事の参列の合憲性が争われた裁判(住民訴訟)も起きている。最高裁は2002年7月11日の判決で、「大嘗祭は、天皇が皇祖及び天神地祇に対して安寧と五穀豊穣等を感謝するとともに国家や国民のために安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であり、神道施設が設置された大嘗宮において、神道の儀式にのっとり行われたというのであるから、鹿児島県知事である被上告人がこれに参列し拝礼した行為は、宗教とかかわり合いを持つものである」として、大嘗祭の宗教性を認めている。その上で、① 大嘗祭は皇位継承の際に通常行われてきた皇室の重要な伝統儀式であること、②知事は三権の長等と共に、大嘗祭の一部を構成する悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀に参列・拝礼したにとどまること、③この参列は地方公共団体の長という公職にある者の社会的儀礼として、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表する目的で行われたものであること、④ したがって、知事の大嘗祭への参列の目的は、天皇の即位に伴う皇室の伝統儀式に際し、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇に対する社会的儀礼を尽くすものであり、その効果も、特定の宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるようなものでないこと、などを指摘して、憲法の政教分離原則に違反しないと判示した(2002年7月11日第一小法廷判決)。

しかし、大嘗祭は社会の領域にある「普通の宗教」(神社や寺、教会)の儀式ではなく、国家機構の一部を構成する象徴天皇に関わる宗教性の強い儀式であり、それとのかかわり合いは質的な問題であって、「かかわり合いの程度」を問題とする目的・効果基準を適用して判断したことは妥当ではない。大嘗祭への参列は社会的儀礼では説明がつかず、端的に違憲と判断すべきであった。むしろ、この基準を使ったこと自体、参列行為が宗教とのかかわり合いを持ったことを、問わず語りに認めていることに留意すべきだろう(『憲法判例百選I』(第6版)107頁〔佐々木弘通〕参照)。秋篠宮が「すっきりしない感じ」をいだき続けてきたのは、国民のなかから、こうした違憲訴訟が起こってくることも背景にあるのではないか。

ただし、ここで注意しておきたいのは、最高裁は、知事の大嘗祭への参列は合憲としているが、天皇が主宰する皇室行事として行われる大嘗祭の費用を国が宮廷費から支出した行為については判断していないということである。そして、秋篠宮発言が見事なのは、この最高裁が判断せず、政府が説明をごまかしている憲法上の問題点を鋭く突いたところにこそある。『最高裁判所判例解説民事篇平成十四年度(下)』(法曹会)の最高裁調査官解説によれば、この判例で「問題となった大嘗祭は、国事行為である国の儀式として行われたものではなく、天皇が主宰する皇室行事として行われたものであるから、これに対する国の関与は、県の大嘗祭へのかかわり合いとは別個に目的効果基準に従って合憲性が審査されるべき問題」であるという観点から、この判例は、「国の大嘗祭に対する関与の合憲性について判断を示さなかった」のである(同書565頁)。今回の秋篠宮発言における憲法上の論点は、政府が大嘗祭に宮廷費を支出すること、つまり、国の大嘗祭に対する関与の合憲性である。大嘗祭の宗教性については、最高裁が認定しており、政府も「「即位の礼」の挙行について」(1989年12月21日)において、「大嘗祭は、その趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式である」としている。このことから、政府は、「大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」としている。

では、なぜその費用を宮廷費という公金から支出できるのか。この点の政府見解は、「大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的行為継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては公的性格があり、その費用を宮廷費から支出することが相当である」というものである。この政府見解は、「皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的行為継承儀式」であるということを唐突に述べるだけで、大嘗祭の宗教性はいつのまにか不問に付されている。「皇位の世襲に伴う極めて重要な行事なので公金を支出したいのだが、宗教性がある行事なのでどうするか」というのが問いなのに、その回答は「皇位の世襲に伴う極めて重要な行事だから公金を支出しても問題ない」である。全く答えになっていない。

実際、秋篠宮も、「整理の仕方としては、一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。平成の時の整理はそうだったわけです。ただ、宗教行事と憲法との関係はどうなっているのかというときに、私は、やはり内廷会計で行うべきだと思っています。」と発言しており、「宗教行事と憲法との関係はどうなっているのか」というそもそもの問いに政府がまともに答えていない点を鋭く突いている。先例となる政府見解の論理を精緻に分析した上での非常に練られた隙のない法律論であり、見事である。秋篠宮発言があぶり出した今回の問題の本質は、宗教性の強い皇室の私的行事を、内閣が一方的に「公的行為」として皇室の手から奪い、宮廷費を支出して実施するという安倍内閣の行為の違憲性なのである。

第3に、秋篠宮は、違憲性の解消の方向と内容を示唆している。「宗教行事と憲法との関係はどうなっているのかというときに、私は、やはり内廷会計で行うべきだと思っています。」と断言したことは重要である。平成の大嘗祭は「公的性格」を理由にして、宮廷費から22億円を支出した。今回もその前例を踏襲する。

象徴天皇制を支える財政は、皇室費と宮内庁費からなっている。後者は宮内庁職員の人件費を含む宮内庁の予算である(114億6582万円)。前者は皇室経済法3条により内廷費、宮廷費、皇族費からなる。内廷費は、天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費にあてるもので、「皇室経済法施行法」により定額制になっていて、2018年度は3億2400万円である(施行法7条)。皇族としての品位保持のための皇族費も同様に定額制で、3050万円である(同8条)。通常、法律の具体化は政令(内閣の命令)に委ねられるので「施行令」となるのだが、内廷費と皇族費は内閣が勝手に増額できず、国会の議決が必要となる(同9条)。だから、「施行法」なのである。憲法88条(「すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」)の具体化といえよう。

一方、宮廷費(皇室経済法5条)は、国賓・公賓等の接遇や行幸啓、外国訪問などの公的活動等に必要な経費と、皇室財産の管理費や皇居等の施設整備費などで、91億7145万円である(内訳はこちらから)。こちらは年度によって増減がある。

秋篠宮は、宗教性の強い大嘗祭を、毎年11月に行っている新嘗祭に準じて、皇室の行事として行い、内廷費をもってこれにあてることを提案している。もちろん、内廷費は定額制で、3億2400万円では大きな行事を行うことは困難となる。そこで、秋篠宮は「身の丈にあった」という表現を使い、皇居内で地味に行うことを示唆している。宮中三殿に付属する神嘉殿で行えば、内廷会計から賄うことも十分可能という意見もある(原武史『朝日新聞』12月4日「耕論」参照)。あるいは、皇室経済法施行法を改正して、内廷費を当該年度について一時的に増額して、皇室の私的行事として行うということも考えられる(翌年度には再改正してもとにもどす)。いずれにしても、秋篠宮は、宗教性の強い大嘗祭について、「合憲的限定運用」を求めているわけである。

第4に、秋篠宮は、以上のような問題についての自らの意見を、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんです。ただ残念ながらそこを考えること、言ってみれば、話を聞く耳を持たなかった。」と述べたことである。「宮内庁長官など」としている点は、必ずしも特定の長官だけでなく、宮内庁、それを通じて内閣にも不満を表明したものと考えてよいだろう。「かなり」という表現には、いらだちも感じられる。「聞く耳を持たなかった」というのは、単に意見を聞かないだけでなく、検討すらしない思考停止の態度に対しても怒りをもったに違いない。宮内庁次長が後に、「これは宮内庁に対する叱責」と述べていることからも(『毎日新聞』12月3日付)、秋篠宮、ひいては天皇の不満が蓄積されていることがわかる。安倍政権の沖縄に対する態度と、天皇・皇族に対する態度は、「聞く耳を持たない」という点では共通している。決めたことを粛々として実施し、何をいわれようと正面からこたえない。天皇が「沖縄県民の気持ちに寄り添う」ことができる所以である。

この政権に対する天皇の怒りは、2016年8月の生前退位をめぐる安倍首相の冷やかな対応にも向けられる。天皇は皇室典範4条などの改正による安定的な形を望んでいたようだが、安倍首相は特別法による一回限りのものにした(直言「天皇退位めぐる法と政治」)。女性宮家の構想を安倍首相は簡単に葬るとともに、天皇の国事行為としての「栄典の授与」(憲法7条7号)による叙勲権を私物化して、お友だちに勲章をばらまいている。トランプやプーチンに最高の勲章を与える日も近い。また、国事行為の衆議院の解散規定(7条3号)も恣意的に使って政権を維持し、衆・参両院で排除・失効確認が行われた教育勅語さえも学校教育の現場に復活させかねない姿勢も垣間見える。安倍政権は、安全保障関連法によって、この国が築き上げてきた「平和国家」としての存続を危うくしている。これに対する天皇の危機感は相当なものである。この流れのなかで、天皇が生前退位のメッセージのなかで、日本国憲法のもとでの象徴天皇を「守り続ける責任」という表現をしている点は重要である。自民党2012年「改憲草案」が打ち出す「天皇元首化」とは明らかに一線を画する主張である。

憲法99条は天皇に憲法尊重擁護義務を課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」99条だけは天皇が、国務大臣や国会議員とフラットに並んでいる。憲法尊重擁護義務の担い手として列挙されるなかに、天皇も含まれている。

今回の秋篠宮の発言は、国政に関する事柄ではなく、来年の天皇の代替わりにより皇位継承順位第1位となる、自らも将来的には当事者となり得る「皇室の行事」そのもののあり方について述べたものであると同時に、憲法の政教分離原則を尊重し、擁護するという思いの発露とみることができ、その意味で憲法99条の義務を自覚した上での発言とみてよいのではないか。

大嘗祭に関する秋篠宮の発言も、長女の結婚をめぐる発言の方に焦点をあてて(これが重要でないというつもりはないが)、娘の結婚に悩む親の問題に国民の関心を向けさせていく。ハーバード・シラー(斉藤文男訳)『世論操作』(青木書店(1979年)原題はMind Manegement)によれば、「断片性」と「速報性」を駆使すると、重要でないことを重要なことにすることもできるし、反対に、重要なことを重要でないことにすることもできる(直言「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」—テレビ報道の劣化参照)。メディアの報道では、「平成が終わる」「オリンピックまであと〇〇日」といったトーンで、来年行われる天皇の代替わり儀式の問題性が曖昧にされていく。ここは秋篠宮の問題提起を受け止め、しっかり議論する必要があるだろう。

《付記》本稿で使用した写真は、2018年12月2日のTBS「サンデーモーニング」で放送されたものである。

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「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年

Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.

――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。

「直言」2002年6月10日