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第一回第二回第三回第四回補遺(参考:立花隆『論駁』より))。


2021年4月12日

コロナ禍の対面授業

週から新学期の授業が始まった。大講義を二つ、1年ゼミと大学院の演習、法科大学院の講義をすべて対面で実施した。3・4年専門ゼミは初回だけオンラインにした(就活生への配慮)。いつもの教室、いつもの授業科目だが、いつもとは違う。定員700人の大教室は、感染防止の大学基準により間隔があけられ、受講者は280人前後にしぼられている。教壇からみると、教室全体に学生がまんべんなく座っており、いつもの密集風景はない。そして全員がマスク。声がこもるので、マイクの音量を少し大きくした。それでも、受講生、特に1年生の熱気に圧倒された。マスクをしているが目と体の動きで反応がわかる。いきおい、こちらの話にも熱が入る。90分があっと言う間に過ぎた。終わるや否や、教壇のところに質問をするための列ができた。大講義の醍醐味とはいえ、いわゆる「密」は避けられなかった。「君たち、離れて帰りなさい」とはいえず、一人ひとりの質問にすべて答えた。感染予防の観点からは問題にされるだろうが、ともあれ試行錯誤の出発である。

小教室での授業では、初回は必ず「ベルリンの壁」を回覧する(オープンキャンパスでは大教室でも)。30年前のベルリン在外研究時に入手した「冷戦の遺物」である。今回は同時に、ミャンマー軍の肩章と、2015年総選挙時の「スーチーうちわ」もサービスした。学生はクーデターのニュースが生々しいだけに、食い入るように見つめていた。感染防止のため当初は回覧をやめようとも思ったが、初回のインパクトは大きい。アルコール消毒用のスプレーを同時にまわし、回覧が終わり次第、しっかり手を消毒してもらった。

大学は「対面授業7割」の方針だが、私の学部でもそこまではいっていない。不安も大きい。昨年4月7日に大学が閉鎖になる直前、研究室から車で運んだ講義資料や「歴史グッズ」は、そのまま仕事場(書斎)に置いたままにして、対面授業に必要なものだけをそのつど大学に持参することにした。今後の感染の拡大次第では、大学が全面オンラインに戻る可能性もないとはいえないからである。

コロナ対策として大学はさまざまな規制をかけている。学生に向けた文書のなかに、「不要不急のキャンパス滞在を避け、授業等終了後は速やかに帰宅してください。」という一文がある。これには苦笑した。半世紀前の学生時代、ほとんど授業に出ないで、サークルやら何やらでキャンパスに「長期滞在」していた私のような“不良学生”からすれば、大学は、「世間」とは必ずしも一致しない価値観と時間が流れている「不要不急の存在」の権化だと思ってきた。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』によれば文化は「遊び」に起源をもつ。大学は「自由な行動」や「非日常性」(必要・必然からの自由、目的-手段関係の「外」にあること)を本質とする(直言「大学の文化と「世間の目」」参照)。だが、コロナで大きく変わってしまった。「発言を求められた時以外は私語を慎んでください。」という指示にいたっては、「授業中の私語禁止」は自明だから、飛沫感染防止の目的以外にないとはいえ、学生同士の「口角泡をとばす議論」など、いまは昔ということだろう。

なお、大学は、4月11日19時32分、「2021年度春学期の対面授業の継続について―「まん延防止等重点措置」の東京都への適用を受けて」」を全学生にメールで送り、対面授業の継続を通知した。「とはいえ、感染が急速に拡大した場合には、早急にオンライン教育に切り替えるなどの対応措置をとる可能性もあることをご理解ください。」の一文も付け加えられている。

日本のコロナ対策の迷走続く―権力私物化の「まん延」

世界は「コロナ」で大きく変貌した。大学も同様である。上記のように書いてきたからといって、大学の方針に反対というわけではない。すべてはコロナの感染防止という目的によって熟慮の上に打ち出されていると理解している。だが、その基礎となる国の方針が揺れている。科学的根拠に基づき、人々の納得が得られるような言葉と説明、責任者の姿勢、適切な方法がとられてきただろうか。

ちょうど1年前の直言「何のための「緊急事態宣言」なのか―「公衆衛生上の重大事態」に対処するために」で書いたように、この国では、二つの政権を通じて、コロナによる「前例のない自由制限には、前例のない透明性が必要」というドイツの議論とはほど遠い対策が行われてきた。一つだけ例を挙げれば、「アベノマスク」の費用260億円(当初見積もり466億円)の内訳は明らかにされていない。コロナ対策における科学的根拠なき施策の「逐次投入」は、旧日本軍の「失敗の本質」のデパートのような様相を呈している。「政治的仮病」による「コロナ前逃亡」により首相が代わっても、その手法は引き継がれている。菅義偉首相の場合、新自由主義の「自助努力」をベースにして、コロナ対策では「検査なき自粛」と「補償なき自粛」に重点が置かれ、自己破産や自殺の増大へと、「公助」の撤退がもたらす負の連鎖が続いている(直言「この国は「放置国家」になったのか」)。

コロナ対策の初動の頃、最高責任者の安倍首相(当時)は会食三昧を繰り返し、菅義偉現首相も国民に自粛を求めて「勝負の3週間」を訴えた当日に会食をするなど、国民に我慢を強いる指導者としてあるまじき所作が繰り返されている(直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その4)」参照)。トップがこのありさまなので、「部下」たちは底が抜けたような状況になっている。特にコロナ対応の所管官庁たる厚生労働省老健局の「23人の深夜送別会」はあきれてものがいえない。官僚の劣化という一般論よりも、8年近く続いている安倍・菅政権の権力私物化の悪行と悪風が役所の深部と芯部にまで「まん延」し、浸透してきた結果といえるのではないか。

「まん防」と「マンボウ」

私は電車に乗る時はJR東日本のICカードSuicaを使っている。「カ」と発音する。食べるのは「スイカ」(西瓜)である。刑事訴訟法212条2項の準現行犯逮捕の要件のなかに、「誰何 (すいか)されて逃走しようとするとき。」(4号)がある。この「誰何」はICカードと同じ発音で、「か」である。アクセントにより意味が違ってくる。

2月13日施行のコロナ特措法の改正法で新たに31条の4と6で「まん延防止等重点措置」が導入された。この措置は「まん防」と略されたが、発音は「防」と前にアクセントを置いて広まってしまった。この措置の適用が議論された3月31日の衆議院厚生労働委員会で、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は、「まん防」という言い方を、3時間の審議中に20回もしたという。「まん延」は「えん」とは発音しないので、本来は「まんぼう」と読むのが自然である。「陰謀」(いんぼう)や「参謀」(さんぼう)と同じく、前にアクセントを置くとおかしなことになる。

だが、尾身氏は「ぼう」を連発したために、メディアでも、一般市民の間でも定着してしまった。こう発音すると、ユーモラスな姿の魚「マンボウ」を想起するだろう。冒頭右の写真にあるように、『東京新聞』4月2日付「こちら特報部」は「「まん防」って緩すぎませんか」「感染者急増しているのに「かわいい」」という見出しで、「音のユーモラスさで、深刻さが薄れる恐れがある」と危惧する。ちなみに、東京都の小池百合子知事は、記者に「まん防」のタイミングを質問されると、「あの、まん防って言葉、東京都では使ってないんです。重点措置です」とあえて言い換えている(東京新聞・同)。「まん防」はその呼び名からして評判が悪い。そもそもコロナ対応の「専門家」会議のトップに、医系技官の官僚を置いて、政権に忖度した冗漫な説明を続けさせているのは日本だけである(各国はどこも専門の学者)。

「まん防」と「緊急事態宣言」との違いは何か

「緊急事態宣言」と「まん延防止措置」との違いは、『日刊ゲンダイ』4月8日付がビジュアルでわかりやすいので説明は省略する。「緊急事態宣言」の場合は都道府県単位のため、東京都でいえば、新宿区から西多摩郡檜原村まで適用対象となるが、「まん延防止措置」の場合は、都道府県知事が特定の地域を指定できるので、東京都の場合、23区プラス6市となり、私の住む府中市も含まれることになった。武蔵野市も入っているが、JR中央線の三鷹駅の場合は複雑である。「まん延防止措置」の適用により、南口と北口とでは周辺飲食店街の営業時間が変わることになる(適用外の三鷹市にある南口の方が1時間長い)。こうなってくると、論理的な説明は困難になり、これにまともにつきあう気力が失せるだろう。

「五輪メンツ」でどこまで行くのか

「まん延防止措置」による住民の行動制限、飲食店などの対策や罰則など、「緊急事態宣言」との違いは上記の記事をお読みいただきたい。私が問題にしたいのは、関西や東京などで「緊急事態宣言」解除後に深刻な感染者爆発が起きているのに、あえて「まん延防止措置」にとどめている菅政権の狙いである。感染力が強いとされる変異株が急増したことへの危機感はあるものの、より重視するのがオリンピックの開催である。ワクチン接種をコロナ対策の決定打と位置づけたが、五輪前にワクチン接種にめどをつけることは不可能となった。不徹底なコロナ対策の背後に「五輪メンツ」があると私は見ている。とっくの昔に「東京2020」は終わっているのに、3月25日に聖火リレーを始めたのは「五輪メンツ」にほかならない。聖火出発式を欠席した菅首相は、五輪閉会式参加を想定していないのではないか。

コロナウイルスとのたたかいの基本は、人と人との接触を抑制することとされている。各国ともに重要なイベント(クリスマス、イースター休暇、夏休み等々)の節目で、悩ましい選択を強いられてきた。日本は「まん延防止措置」によってアバウトに対応していこうとしている。その背景に「五輪メンツ」があるわけで、国民の大多数が開催に否定的なオリンピックを無理やり開こうとして、コロナ対策の迷走を続けている国に、各国は安心して選手団を送り込むだろうか。

日本の感染状況は、毎日テレビの速報で流れる数字が本当なのか疑問である。感染の実際の状況は「隠蔽」されている可能性はないか。検査数が限られている以上、検査した限りの数字だからである。直言「大空襲から75年―防空法と新型コロナ特措法」でも指摘したが、戦前の空襲の被害も小さく見積もられていた。理由は、本当の数字を発表すると「狼狽混乱、さらに戦争継続意志の破綻となるのが最も恐ろしい」(衆院防空法改正委員会での政府答弁)から。「PCR検査をやってパニックが起き、医療崩壊が起こることを避けるべきだ」と、政府寄りの人物がテレビで盛んに解説していたが、それはすべて、東京オリンピック開催のために感染者数を低く抑えようと見せていたのでないか。いま多様な「変異株」が「まん延」を始めているが、5月以降、感染者数が一気に増えて、7月の「緊急事態宣言下の五輪」になりかねないという予想もある(『サンデー毎日』4月11日号(上昌広医師の言葉))。すでに、国際水泳連盟(FINA)が、4月から5月にかけて日本で開かれる予定だった、五輪のための各種の予選の中止の可能性を日本側に通告しているという。

主要先進国37カ国中、日本のワクチン接種率は0.65%と最下位。世界142カ国・地域のランキングでは102位というから、もはや「ワクチン接種」で五輪開催は完全に破綻したといっていいだろう。

「汚染水」の海洋放出で「復興五輪」は終わった

冒頭左の『信濃毎日新聞』号外をご覧いただきたい。大口を開けて万歳している3人は表舞台から消えた。「東京2020」は、安倍晋三前首相がIOC委員を前に、「アンダー・コントロール」(under control)という言葉を使い、堂々と英語で嘘をついてもぎ取った結果である。演説のあとの海外メディアの質問は、6問中4問が福島第一原発の汚染水漏れ問題に集中した。竹田恒和理事長(日本オリンピック委員会(当時))は、「放射線量レベルはロンドン、ニューヨーク、パリなど世界の大都市と同じレベルで「絶対安全(absolutely safe)」と答えた。そして、「福島は東京から250キロ離れており、皆さんが想像する危険性は東京にはない」と断言したことは記憶に新しい(直言「「復興五輪」というフェイク―東日本大震災から8年」。1 日400トンの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込むことで汚染水が増え続ける。それをタンクに移していく。タンクの置き場には限界がある。そしてくるべき日がとうとうきた。それが2021年4月13日である。

昨年の今頃の直言「「幻の東京五輪」再び―フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点」で紹介したドイツの「東京2020:放射性オリンピック」反対の署名運動。その文書にこうある。

「(福島の)破壊された原子炉の内部では未だに生命を脅かす放射線が猛威を奮っている。その原子炉の廃墟は常に水を流入することで冷却されなければならない。大部分の汚染水は、それに対抗すべく徹底的な措置にも関わらず地下水と海水を汚染している。受けとめられた放射性の廃水の一部は巨大なタンクに貯蔵される。やがて場所が不足する2022年からはこの強度の放射性の汚染水は直接太平洋に放出されるという。」と。

この署名運動が予測したよりも早く、日本の政府は、明日、4月13日、福島第1原発にたまり続ける放射性物質トリチウムを含む汚染水について、海洋放出する方針を正式決定する。以前は各紙とも「汚染水」という表記を使っていたのに、いまは横並びで「処理水」となっている。福島の県紙の2紙の社説のタイトルにも「処理水」が使われている。

『福島民報』4月10日付社説は「処理水問題・信頼確保できるのか」。「県民の反発に加え、東電に対する信頼が失墜している中、なぜ方針の決定を強行するのか。政府への不信感は募るばかりだ。」と書く。「敷地内からの海洋放出を強行すれば、農林水産業や観光業をはじめとする県民生活にさらなる負担がのしかかる。実施主体の東電が信頼できなければ、その影響が増幅して押し寄せる恐れがある。」とも。

もう一つの県紙『福島民友』4月10日付社説も、「海洋放出に当たっては、安全性に疑いを持たれないようにすることが大切だ。国内外の原発で排出されているトリチウムを含む水と同等に安全であることを示すためには、放出前の処理水を薄める作業などの透明化や、放出前後の海水の放射性物質濃度のモニタリング強化などが必要だろう。」こちらはだいぶ腰がひけている。

「復興五輪」と「人類がコロナに打ち勝った証」としての「東京2020」のはずではなかったのか。福島から聖火リレーを始めたばかりだというのに、福島の海にトリチウム汚染水が放出される。直言「もう一つの「緊急事態宣言」―「復興五輪」は死語」の結びに書いたように、「「五輪メンツ」と「五輪利権」にまみれた人々のための五輪開催ごり押し」の終わりは近い。「幻の東京五輪」再び、である。

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「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年

Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.

――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。

「直言」2002年6月10日