
マーラーの交響曲のこと
半年ぶりの「音楽よもやま話」シリーズである。国内外ともに激震が続いているが、隔週更新にしたこともあり、4月末に書き上げていたストック原稿をアップする。前回は「雑談(147)音楽よもやま話(35)「ウクライナ戦争」で音楽監督を辞任したロシア人指揮者のブルックナーを聴く」だった。今回は4月27日(日)、NHK交響楽団5月定期公演(NHKホール)で、マーラーの交響曲第3番ニ短調である。指揮はイタリア出身のファビオ・ルイージ、メゾソプラノはロシアのオレシア・ペトロヴァ、それに東京オペラシンガーズ と東京児童合唱団である。全6楽章、100分近い大曲なので、開演前は男性トイレに高齢者の長い列ができていた(聴衆の圧倒的多数は中高年男性)。
元ブルックナー協会会員の私は、マーラー作品にもこだわりがある。何度か書いたが、高校2年生の時、1970年9月7日、レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団でマーラーの交響曲第9番ニ長調を聴いた感動は、半世紀以上が経過しても、体が覚えている。今回の第3番については、2010年3月31日にエリアフ・インバル指揮の東京都交響楽団、ドイツ在外研究中の2016年6月19日、ベルナルト・ハイティンク指揮のバイエルン放送交響楽団の演奏で聴いている。
第3番はとにかく長い。第1楽章だけで35分はかかる。これは、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」の全4楽章分である。Googleで「第3番 第6楽章」とだけ入力して検索すれば、動画で体験できる。
当初、この曲には「夏の朝の夢」(Ein Sommermorgentraum)というタイトルが付けられ、楽章ごとに、次のような小タイトルが付けられていた。
第1楽章:牧神(Pan)が目覚める。夏が行進してくる(Der Sommer marschiert ein)。
第2楽章:草原の花たちが私に語ること。
第3楽章:森の動物たちが私に語ること。
第4楽章:人が私に語ること。
第5楽章:天使(Engel)が私に語ること。
第6楽章:愛が私に語ること。
これらは、1898年の楽譜出版前にすべて削除された。ただ、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団のCDには、「夏の交響曲」というタイトルが付いている。
第3楽章は、随所に動物たちが登場し、カッコウやナイチンゲールなどのさえずりなどでホッとする。木管ソロは大過なく聴かせる。トリオでは、舞台袖にいるポストホルンが至福の音色を奏でる。郵便馬車を象徴するこの楽器。第1楽章で牧神の目覚め、第2楽章で植物たち、第3楽章で鳥や獣などの動物たちと進み、この楽章の終盤に近いところになって、ようやく人間が登場するわけである。
第4楽章はアルト独唱(今回はメゾ・ソプラノ)で、「おお、人間よ」(“O Mensch!”)で始まるニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』の一節が歌われる。「人が私に語ること」。9分少しで、第5楽章の天使の語りが、少年合唱と女性合唱で透明感あふれる声を響かせる。「子どもの不思議な角笛」のオマージュといえる。そして、一瞬の静けさの後に、第6楽章「愛が私に語ること」に入るのだが、この日の演奏で指揮者ルイージは、弦楽合奏を、ほとんど聞こえないくらいの弱音pppで、しかもテンポを通常よりもさらにゆったり始めた。流麗かつ濃密な弦の響きに息を呑む。もどかしいほどの弱音が長く続いたあとに、ゆっくりと、しかし確実に感情を盛り上げていく。このあたりは心憎いほどに計算された演奏である。第6楽章は25分近い長さをもつが、全体として滔々たる流れのなかに浸りきって、気がついたら最後の頂点に向かって上昇していった。コーダは長く、2人がかりのティンパニの連打が続き、最後の一打で曲が終わるのだが、フォルテ×3ではなく、絶妙な抑制でフェイドアウトしたので、余韻が長く、「嵐のような拍手」がすぐに起きることはなかった。全体として、細部まで気が行き届いた、非常に上質の演奏だったと私には感じられた。
なお、私が4月27日に聴いたプログラムも含めて、N響はヨーロッパ公演(ポスター参照)に出発した (5カ国、6都市8公演)。マーラーの第3番は、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウという伝統ある大ホールで演奏された(5月11日)。大方好評だったようだが、厳しい評価もある。でも、日本のオケが海外で評価されるのはうれしいことである。
アッター湖畔の「作曲小屋」訪問
1891年からハンブルク市立劇場の指揮者を務めていたマーラーは、1893年からオフ・シーズンの夏の間、オーストリアのザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方にあるアッター湖(Attersee)のシュタインバッハに滞在した。作曲は、湖の際にある小さな作曲小屋で行っていた。
私は2017年8月から9月にかけて、オーストリア、ハンガリーの旅をした(直言「ハンガリー国境の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の現場へ―中欧の旅(その1)」)。フランクフルト空港でレンタカーを借りたが、日本から予約したフォルクスヴァーゲンではなく、米国フォード社製の「エコスポーツ」だった。加速が悪く、ブレーキの効き具合もよくなかった。16日間これに付き合って、アメ車の問題(アラ)がいろいろ見えてきた。
アッター湖はオーストリア最大の湖で、南北20km、東西4kmと細長い。透明度は抜群である。8年前に、この「作曲小屋」を訪ねた際のことを、次のように書いている(直言「雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪―中欧の旅(その6・完)」)。
…風光明媚なザルツカンマーグートに2泊して、その間、アッター湖にあるグスタフ・マーラーの作曲小屋に立ち寄った。ホテルのフロントで鍵を借りて、湖畔にある小屋を探す。キャンピングカーがびっしり並び、ビキニ姿の女性が歩き回っており、目のやり場に困るほどだ。湖畔に小屋があったが、すぐ近くで中年の夫婦が並んで日光浴している。水着姿ばかりなので、服を着ている私たちの方が目立つ。ト音記号の形をした重いキーホルダーが付いた鍵でドアを開けると、センサーが作動して、マーラーの交響曲第2番ハ短調の一節が流れてきた。ここで交響曲第3番ニ短調の全部と第2番の一部が作曲された。本当に小さな部屋だが、マーラーは窓から見えるスカイブルーの湖を眺めながら、長大で雄大な第3番を書き上げたのだろう。…」
マーラーはここに1894年6月から8月までこもって、第3番の作曲に没頭した。狭い室内にはピアノが一台。壁には、関係する楽譜や手紙がパネルにして展示してある(写真参照)。この風光明媚な場所、夏という季節だったからこそ、この背後の山並み、咲き乱れる花々、鳥や動物たちといった、夏の自然が曲想に反映したのだろう。一番弟子だった指揮者のブルーノ・ワルターがここを訪れた時、マーラーは、「君はもう何も見る必要はない。私が、音楽として描き尽くしてしまったのだから」と語ったというエピソードがある(この下りは、千葉フィルのサイト参照)。
というわけで、病気入院する前に書き上げていたストック原稿をアップする。国内外の状況がきわめて緊迫しているなかで、趣味的な文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。