

「トランプ大学」への道?
トランプ2.0の発足から140日あまり。「恣意の支配」を本質的属性とする「反憲法的国家改造」は、独特の宗教的背景を持ちながら、「関税ハンマー」と「チェーンソー政治」(推進者のイーロン・マスク自身の首も飛ばして)の手法を駆使しつつ、さらなる「高み」へと歩みを進めている。その終着点はどこにあるのか。2026年11月3日の米国中間選挙までの1年4カ月あまりが、トランプ2.0の絶頂期となるだろう。中間選挙で共和党が敗北すればブレーキが効いてくる可能性があるが、ことトランプのことである。何が起きるか予測することは困難である。確実なことは、トランプ政権が、とりわけ学問・研究の分野に巨大かつ重大なダメージを与え続けていることであり、その「復旧・復興」には膨大な時間を要するだろう。
今年1月、トランプ政権が発足するとすぐに、大学・研究機関への攻撃が開始された。とりわけハーバード大学に対しては、ここまでやるかという「仕打ち」を続けている。『朝日新聞』6月8日付「時時刻刻」は、トランプによるハーバードへの激しい敵意と圧力の背景と狙いを分析している。研究助成金の停止あるいは削減、留学生受け入れ停止措置、大学運営そのものに対する露骨な介入は、入試や教員人事を含め、大学のあらゆる領域に及んでいる(『東洋経済』4月26日)。同大法科大学院のアンドリュー・マニュエル・クレスポ教授はこれを、「独裁者のように権力を集中させようとする際に使われる典型的手法」とみる。「歴史を振り返っても世界を見渡しても、こうした指導者は自由な言論機関や裁判所、そして大学を攻撃する」「政権の望みは、ハーバード大を実質的に『トランプ大学』に変え、思想教育をさせることだ」と非難する(前掲「時時刻刻」より)。
トランプの米国と比べて、日本の場合は、大学、研究機関への攻撃は実に陰湿である。
6教授任命拒否から始まった
冒頭の写真は2020年10月1日、菅義偉首相(当時)が、日本学術会議の新会員の候補者105人のなかから、6人の任命を拒否したことを記者会見で説明したときのものである(テレビ朝日10月1日夕方のニュース)。菅は、記者から任命拒否の理由を質問されても、「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断した」と繰り返すのみだった(直言「日本学術会議6教授拒否事件」参照)。
安倍晋三第2次政権では、「憲法蔑視」(トランプのメンタリティと響き合う)が定着し、「科学的根拠なき政治―議事録も記録も、そして記憶もない」が行われていた。学術会議の存在が煙たくて仕方のない安倍政権は、2016年頃から、学術会議会員の任命過程に、さまざまな形で介入するようになってきた。これを引き継いだ菅政権は、安倍時代から9年近く官房副長官をやった杉田和博(警備公安警察のレジェンド)を軸に、学術会議会員の任命手続きに露骨に介入した。会員の任命手続については、あの中曽根康弘首相ですら、「実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております」(1983年5月12日の参議院文教委員会(308番))と述べて、抑制的な姿勢を保っていたのとは実に対照的であった。
『東京新聞』5月29日付社説は、東京地裁が、6教授任命拒否に関わる法解釈の検討文書の全面開示を命ずる判決を出したことを取り上げ、「(学術会議の)組織見直しの契機となった任命拒否の経緯を政府は明らかにしていない。検討文書の速やかな開示に加え、任命拒否と法案の撤回を政府に求める」としつつ、国会の審議を止めるべきだとはっきり求めた。ここまで踏み込んだ新聞社説はなかった。
「学術会議解体法」成立――軍事研究強化が狙い
日本学術会議法案は、6月10日、参議院内閣委員会おいて採決され、11日の本会議で可決・成立した。それを当日朝、1面トップで伝えたのは『毎日新聞』11日付だけ。しかも「独立性懸念」という危機感のなさである。「令和の米騒動」や豪雨災害などのニュースの間に埋もれて、異例のスピードで成立した(左の写真の『東京新聞』12日付は1面トップ・追記)。
法案では「特殊法人」に切り替えることで、「財政基盤が多様化し、自律的な活動が拡大する可能性が広がる」というのだが、これは馬の前にぶら下げられた人参である。法案の最大の問題点は、学術会議の独立性が形骸化され、侵害されかねない仕掛けが随所に仕込まれている。
何より会員選定の仕組は巧妙で、会長が任命した外部有識者からなる選定助言委員会を置き、その意見を聞くことが義務づけられている。政府に批判的な意見をもつ研究者が選定される「心配」はほとんどなくなるだろう。6教授任命拒否の「合法化」の完成といえる。
この狙いを明け透けに語ってしまったのが、5月9日の衆院内閣委員会での坂井学・内閣府特命担当大臣の答弁である。「特定のイデオロギーや党派的な主張を繰り返す会員は、今度の法案で解任できる」と。
なお、この法案の問題点については、日本弁護士連合会会長声明参照のこと。
80年近い歴史を有する日本学術会議の歴史が終わる。5年前の直言「科学者が戦争に協力するとき」でこう書いた。「日本の学問研究や科学技術の世界に、国家権力がここまで露骨に踏み込み、細かく統制を加えてきたのは、かつてないことだった。イエスマンの科学者ばかりを集めた日本学術会議から「学術」をとってしまったら、日本会議になってしまうという悪夢を見ないためにも、この問題を曖昧にしてはならない」と。
「学術会議問題は、二種類の〈素人〉による〈専門家〉の挟撃として捉えるべきである。研究資金の提供者としての、広い意味での〈権力〉という〈素人〉が、提供している研究資金は税金が原資であるから一般民衆(国民)という〈素人〉にも発言権があるのだと、もう一方の〈素人〉に語り掛けることで、多数の〈素人〉を〈権力〉という〈素人〉の側に動員している。日本の学術会議問題において、〈素人〉である政府は、もう一つの〈素人〉である国民の耳に(まさに俗耳に)入りやすい任命拒否の「理由」を挙げた。例えば、「日本学術会議は年間10億円の予算を使っている」とか、「学術会議会員の所属機関に多様性が見られない」等々。この根底で働いているのは、〈専門家〉に対する〈素人〉の反感、不信感であり、それと密接に関わりながら、近年急速に醸成されつつある反知性主義的雰囲気である 。さらに日本では、他者ならびに他者の意見に対する批判を無前提的に「よくないこと」と見なす傾向が顕著である。…」
昔もいまも、「学の独立」が危うくなれば、市民生活にも大きな影響を及ぼしていくことを知るべきだろう。