連邦軍創設の父に会う 2000/2/7 ※本稿はドイツからの直言です。

ン大学のJ. Isensee教授が、私の研究テーマに関連する様々な人物を紹介してくれている。連邦軍元総監D. Wellershoff海軍提督のことはすでに書いた。今回は連邦軍「創設の父」で、連邦軍初代総監のUlrich de Maiziere退役陸軍大将である。1月27日午後。指定されたホテルのロビーで待っていると、正面玄関に向かって一台のランドクルーザーが近づいてきた。駐車場の方に曲がると思って眺めていると、まっすぐこちらに向かってくる。「エッ?」と思うよりも先に、ドカーンという大音響。ガラスの自動ドアが吹き飛び、車から白煙が出ている。まるでアクション映画のワン・シーンを見ているようだった。そこへ教授と大将が会合を終えてロビーに降りてきて、喧騒のなかで教授が私を紹介。大将と私はホテルのカフェに入った。

  1912年生まれの88歳。旧東独最後の首相のR. de Maiziere(デ・メジェール) は甥にあたる。第二次大戦終結時、国防軍最高司令部の中佐参謀だった。戦後4年間は書店(楽譜)を営んでいたが、1950年にアデナウアー首相(当時)がドイツ再軍備にとりかかるや、ブランク機関(国防省の前身)に招請され、連邦軍創設に関わる(発足時、陸軍大佐)。G. Baudissin(後に中将)らの改革派とともに、「内面指導」(Innere Führung) の分野で力を尽くす(『現代軍事法制の研究』参照)。
  「内面指導」とは、連邦軍設立の理念である「制服を着た国(市)民」の具体化。「民主的法治国家の軍隊」は、議会によって統制されるだけではなく、その内部組織のありようも、旧国防軍とは異なり、「軍人は、他の国民と同様の権利を有する」(軍人法6条)とされ、盲目的服従ではなく、「共同思考的」(mitdenkend)軍人が理想とされる。単なる上意下達ではなく、各現場に広い裁量を与えることが大切だとし、「秩序」と「自由」の緊張関係のなかで、あえて自由に優先を置いたと大将はいう。ただ、連邦軍兵士の一部に極右(ネオナチ)的傾向が生まれている問題を指摘すると、大将は「内面指導は常に課題であり続ける」とこたえた。次に、欧州裁判所の判決以来、兵役義務を廃止し、連邦軍を志願兵制軍隊にするという意見があるがと聞くと、彼は、兵役義務制は民主的軍隊の証であると述べ、さまざまな面から兵役義務制のメリットを強調した。兵役義務制軍隊の方が「知的」であると述べたときは聞き直した。職業軍人だけだと、軍隊の質は労働市場に依存する。景気がよいときは民間にいい人材が流れる。兵役義務制だと社会的の平均的な人材をとることができ、インテリも軍隊に入ってくるというわけだ。これは意外な論点だった。また、兵役義務をなくすと、兵役拒否者の代役=民間役務(Zivildienst:ZIVIという) で成り立っている病院や福祉施設がつぶれるという。私はZIVIを兵役の「代わり」ではなく、高齢化社会の「福祉戦争」の「本務」として位置づけるべきだとの持論を述べたが、この点では平行線だった。創設以来初めて主権国家に対する空爆を行ったコソボ戦争について聞くと、やや苦しそうな顔をして、「心情の苦境」(Gesinnungsnot)と表現した。この派兵は、国際法的にも憲法的にも説明がつかないと述べ、「創設の父」としての苦渋をにじませた。

  予定の1時間を30分もオーバーした大将の話は、民主的・法治国家的軍隊のあり方の問題については共感する点が多かった。大将の家は私のところから2キロと離れていない。私の車で家まで送ると言うと、「お心遣いありがとう。自分の車で来ています」という88歳の大将は、鮮やかなハンドルさばきでベー・ノイン(B9:連邦道9号)に消えた。正面玄関では、クレーン車がランドクルーザーを引き出していた。事故原因は、ホテル内の狭い道を減速せずに走行した若いドライバーの運転ミスだという。

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