権力者が「常識」を説くとき  2002年1月21日

回は、『北海道新聞』2002年1月10日付文化欄の新年連載「考02」に掲載された「憲法を考える――権力者が『常識』を説くとき」を転載する。なお、本稿は12日付「緊急直言」の一週間前に執筆したもので、話がやや前後することをお断りしておきたい。

憲法は国の最高法規である。その存在意義は、国家権力に足かせをはめ、その暴走を抑止するところにある。端的にいえば、国家は憲法によって授権されたことしかできない。この憲法に基づく「国のかたち」を立憲主義という。権力担当者たちは、自己に対する憲法上の拘束を解除しようとするとき、しばしば憲法よりも高次の「価値」を持ち出す。「国家理性」であったり、「民族の危機」であったりとさまざまだが、誰もが反対できない理由を掲げて、国家はこの権力抑制の仕組みに手をつけようとする。国家が憲法を超えて動きだすとき、人々は多くの不幸を体験する。それは歴史の教えるところである。
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 「予は憲法と称する一片の紙を無視して、予の義務を履行せん」。皇帝ヴィルヘルム一世は、プロイセン議会でこう演説した。一九世紀ドイツの憲法は、権利保障と権力分立を一応採用していたが、それは君主主権原理によってかなり制約されたものだった(「外見的立憲主義」)。そんな憲法でさえ、権力担当者は簡単に乗り越えていく。
歴史上、憲法無視を最も露骨な形で宣言した例は、一九三三年三月にナチスが制定した「民族および国家の危難を除去するための法律」(授権法)だろう。議会だけでなく政府も法律を制定することができると定め(一条)、「政府が議決した法律〔!〕は…憲法に違反することができる」とあけすけに書かれていた(二条)。ヒトラーといえば、ユダヤ人虐殺や戦争のイメージが強いが、彼が首相に任命された直後に制定したこの法律こそ、憲法に基づく国のあり方を公然と否定した事例として想起されるべきだろう。だからこそ、戦後のドイツ憲法(基本法)は、国民の多数をもってしても手をつけることが許されない、憲法改正の限界(人間の尊厳、民主主義、法治国家など)を明記したのである(七九条三項)。これは、国民もまた独裁者の憲法無視を支持し、「喝采」を送ったことへの痛烈な反省の上に立って、いわば民主的多数者に対する不信を制度化したものといえる。長い時間をかけて憲法に書き込まれた権力抑制の仕組みは、そう簡単にいじってはならないのである。
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 九月一一日の米国テロ事件以降、米国などでは、「反テロ」スローガンのもと、刑事手続に関する憲法上の人権が著しく軽んじられ、アラブ系の人々が拘束された。テロは例外事態であり、一刻の猶予もできない「緊急の必要」があるというのが理由である。こうして多くの国で、「反テロ」の論理が治安・公安機関に特別の権限を創出していった。それが市民的自由にもたらす負の影響は、長期的に見ればテロそのものよりも大きいかもしれない。
 日本では、市民的自由を直接制限する立法よりも、米軍支援のため、自衛隊を戦時派遣する法的根拠を創出することに力点が置かれた。その結果短期間に成立したのが「テロ対策特措法」である。審議の過程で小泉首相の口から繰り返し出たのは、「常識」という言葉だった。首相は、「憲法そのものが国際常識にあわない。憲法の前文と九条にはすき間がある」「国民的常識からみれば自衛隊は戦力である」と述べ、その「すき間」は「常識」で埋めればいいと明言した。「近くの仲間が危機に瀕していれば常識で助けることができる」。自衛隊の武器使用基準を緩和する論理もまた、「常識」だった。首相だけでなく、外務省幹部も省内では「常識」を多用していたという。政治家や官僚のあまりに「あっけらかん」とした物言い。野党の追及は手ぬるかった。だが、権力担当者が自己の行動を「常識」によって正当化する非常識に、市民もマスコミもさらに敏感になるべきだろう。 今年は「有事法制」の年になりそうである。主権者である市民が権力を拘束することに主眼を置く立憲主義の観点からいえば、非常時に権力の例外的発動を認める国家緊急権は、憲法上明文の規定が存在しない限り否定されねばならないだろう。「常識」で緊急権の内容を実現することは許されないのである。だからといって、緊急権条項を加えるための憲法改正はすべきではない。日本国憲法の理念に立った非軍事的な積極的平和政策こそ求められているのである。詳しくは、筆者のホームぺージ(http://www.asaho.com/)を参照されたい。