雑談(16)指揮者と教師 2002年2月18日

001年の終わりとともに、指揮者・朝比奈隆が逝った。93歳。ドイツのFrankfurter Rundschau紙1月1日付は「世界最高齢の現役指揮者死す」と報じた。朝比奈のことを直言に書いてから20日後に亡くなるとは。喪失感は大きい。
  1月6日、NHK教育テレビ「芸術劇場」は3時間枠で、朝比奈の追悼番組を放映した。そこには、ブルックナー交響曲第9番ニ短調の全曲演奏が含まれていた。2000年5月25日NHKホール。放映されたこのコンサートに、私自身もいた。当日、私の大学院生2人がこの至福の時を共有できた。私が朝比奈の演奏会の行くと話すと、彼らは「もし当日券があれば」とついてきた。ホール入口で尋ねると、何と最後の2枚だった。それを彼らに買い与え、飲み物を片手にホール内でしばし歓談。見回すと、詰め襟の中学生も来ている。朝比奈の演奏会のため、わざわざ新幹線で来たという若者もいる。演奏会は異様な緊張感に満ちていた。ゆったりとした、堂々たるブルックナー。大学院生時代、NHK交響楽団とブルックナー9番の組み合わせでは、ロブロ・フォン・マタチッチとヴォルフガング・サヴァリッシュの指揮で聴いたことがある。この夜は、前者のドラマチックな演奏とも、後者の緻密・細密な演奏とも違った、諦観にも似た静かな感動が広がっていく。第3楽章がpppで終わると、しばしの静寂(即座に「ブラボーッ」を叫ぶお調子者がいなかったのはラッキー)。やがてジワーッと拍手が広がり、鳴りやまない。オーケストラがいなくなったステージに何度も呼び出される朝比奈隆。聴衆が前の方に集まって拍手をはじめた。ここは彼を休ませてやることが最大の感謝と思いつつ、私たちはその場を立ち去った。6日の番組では、何度も呼び出されるシーンを流していた。拍手だけで10分近い。番組が終わったのは午前1時だった。
  この日の番組で指揮者外山雄三はいう。朝比奈は若い人々をひたすら励ましたが、自分にはそれはできない、と。教師は励ますことが仕事。私もそう思う。「教える」なんてことはできない。「授ける」なんてのもおこがましい。とにかく励ます。気づかせる。一人ひとりの学生・生徒・児童が自分のなかにある可能性に気づくこと。その「気づき」の手伝いをするのが教師の役割だと思う。  
  思えば巨匠レナード・バーンスタインも晩年、「残された時間を教育に捧げる」と明言していた。その彼が、「教育の場」として選んだのが、1990年札幌のPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)だった。帰国後まもなくして、彼は死んだ。PMFは無名の学生オーケストラだが、肺腫瘍の放射線治療を受けた体で、彼は学生たちの前に立った。NHKがその練習風景と本番を克明に記録した番組を放映した。そのビデオを私は、かつてエリザベト音楽大学(広島)の「法学」の講義で、憲法26条と教育権を扱うときに必ずみせていた。 シューマン交響曲第2番ハ長調Op.61。若い演奏家たちが、カチカチの演奏をするのを的確な指示とユーモアで和らげ、表情豊かに仕上げていく。雑に吹いたオーボエ奏者に向かって、喉の痛みに耐えながらフレーズを歌ってみせる。その直後、オーボエ奏者は見違えるような、美しいソロをやってのける。自分でも驚く本人の顔が印象的だ。一事が万事。バーンスタインの指揮は、若き演奏家の可能性をどんどん引き出していく。その頂点が、札幌市民会館での本番である。当日、学生オケというので、聴衆は7割の入りだった。だが、演奏は楽章が進むごとに熱を帯び、第2楽章の終わりでは、第一バイオリン全員を起立させて難所を見事に弾ききらせる。観客は第2楽章の終わりというのに、思わず拍手を送ってしまう。第3楽章アダージョは、これ以上はないというほどに耽美的世界である。そして迫力の第4楽章。終わったとき、観客は総立ちで応えた。バーンスタインは、コンサートマスターの日本人女学生としばし抱き合う。感動的な場面である。このビデオを見せるたびに、教室は異様な興奮に包まれる。涙を流す学生も少なくない。だから、このビデオが終わると同時に講義時間が終了となるよう、いつも講義を組み立てた。教育とは引き出すこと。私にとって、このバーンスタインと学生たちの歴史的一回性の演奏こそ、教育の本質に関わる最高の教材なのである。

  なお、本稿を入試繁忙期の「穴埋め原稿」として書いているまさにそのとき、ギュンター・ヴァントが90歳で亡くなったというニュースが飛び込んできた(『朝日新聞』2月15日付夕刊)。朝比奈とヴァント。一世紀近く生きた二人の指揮者が、45日の間に相次いでこの世を去った。10月に教員組合書記長の任期が終わったら、二人のブルックナー全集を連日聴いてやろう。そう思いつつ、「じっと手をみる」。

【付記】2月24日のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」は、アルペン回転の実況中継番組が入ったため中止になりました。次回の出演日程は未定です。

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