映画「トンネル」から見えるもの 2002年5月11日

間の授業と夜の組合会議との間に偶然時間ができた。「今だ!」と決断して、日比谷の映画館に向かう。ドイツ映画「トンネル」。モントリオール国際映画祭など、数々の賞を受けた話題の作品だ。先月の教授会のとき、たまたま隣に座ったドイツ語担当の女性講師が映画のチラシを持っておられた。私も手帳から映画広告の切り抜きを出して見せたところ、その隣の女性講師も「実は私も」と新聞記事を出した。皆、多忙でなかなか行けないのだ。このままでは見逃す恐れがある。地下鉄を乗り継ぎ、都内で唯一の上映館シャンテシネ(日比谷)に駆け込んだ。

  東西冷戦下、1961年8月13日未明、東西ベルリンの境界線に「壁」が築かれた。最初は人間(兵士)の壁、次いで粗末な煉瓦の塀だった。本格的な「壁」が建設される前の1962年5月、ベルナウ通りの廃工場を借り受け、そこから地下7mまで堀、水平に145m掘り進んで、東ベルリン・シェーンホルツ通り7番地のアパートの物置部屋に到達した人々がいた。当時、10本くらいのトンネルが掘られたが、この作品はそのうち「トンネル29」と呼ばれるものの映画化だ。「90%が事実、10%がフィクション」(リヒター監督)と言われるだけに、並みのリアリティではない。

  91年のドイツ統一直後に東ベルリンに7ヵ月滞在したが、当時私が住んでいたのは旧東ベルリン中央区(Mitte) カール・リープクネヒト通り9番地(森鴎外『舞姫』の舞台となったマリエン教会の向かい側)だった。そこから旧東独各地をまわり、取材して歩いた。「ベルリンの壁」についてもレポートした。一昨年3月まで1年間ボン大学で在外研究したときも、ベルリンには仕事でしばしば行った。その際、開館したばかりのベルナウ通りの壁資料センターも訪れた。この施設は、一般旅行者が必ず訪れる、米占領地区の検問所チェックポイント・チャーリーの壁博物館(「壁の観光化」の象徴)と比べると、生活の場に存在した「壁」のおぞましさとせつなさが生々しく伝わってくる。「隠れた名所」と言えよう。センターの建つベルナウ通りと、その一本先のシェーンホルツ通りの間は、いまも不自然な空き地になっている。「壁」があった地帯だ。監視の邪魔とばかり、旧東独政府は「壁」に隣接する贖罪教会の建物を爆破した。崩れ落ちる教会の連続写真は、世界の人々を驚かせた。

  さて「冷戦時代」、「ベルリンの壁」を越えて逃げる話はドラマとしてはマンネリ気味だった。意図や問題意識はわかるけれど、映画としての面白みに欠けるものも少なくなかった。しかし、この作品はハラハラ・ドキドキの連続で、意外などんでん返しもあって、大いに満足させられた。
   登場人物も魅力的だ。主人公のハリーがいい。エリート水泳選手だが、「1953年6月17事件」(反ソ暴動とされているが、実は旧東独全土で市民・労働者が立ち上がり、旧東独体制が実質的に正当性を失った日。ソ連軍介入で体制は存続)で投獄された経験をもつ。タフで冷静。米映画「アルマゲドン」に出てくる石油採掘技術者ハリー・スタンバー役のブルース・ウィルスそっくりの風貌だ。ウィルス演ずるハリーは、地球が小惑星と衝突することを回避するため、小惑星にドリルで穴を掘り、核爆弾で内部から破壊するという役回りだったが、今回のハリーはトンネル掘りである。彼が国境警備兵になりすますあたりの展開は、ハリウッド映画顔負けの面白さだ。
   また、シュタージ(旧東独国家保安省)に逮捕され、お腹の子どものためにスパイとなった女性の描き方も、動揺する夫の描き方と合わせて、冷戦時代の映画にない深みがある。彼女が署名を求められる紙に、チラッと「IM」という言葉が見えた。シュタージの非公式協力者を示す略語で、東独市民の三人に一人がIMだったとも言われているほどだ。かつての紋切り型スパイ映画と異なり、ごく普通の市民がIMになっていく構造の恐ろしさと人間の弱さを淡々と描く。「壁」も旧東独体制も消滅して10年以上も経ったいま、このテーマを人間ドラマとして掘り下げていく眼差しがそこにある。
   また、かつての冷戦映画では、旧東独国境警備兵は無表情に逃亡者を射殺するが、この映画に出てくる若い兵士は、上司の指示をあおぐ時間も、同僚の応援もなく、ただ一人で決断せねばならない不安と動揺を体いっぱいであらわしながら、しかし任務を遂行しないと自らが責任を問われるという状況に苦悶しつつ、震えながら逃亡者に向かって引き金を引く。一発命中。それでも「壁」を登ろうとする若者に、大声で何度も警告しながら、また撃つ。まだ死なない。観客の多くは、背中を撃たれながら苦しむ若者と、「壁」の向こう側で恋人が必死に「壁」に耳をあてて彼の声を聞こうとする姿に涙する。だが、私は、射殺した国境警備兵の表情が印象に残った。
  10年前、旧東独国境警備兵が殺人罪で起訴された。その一方で、上官の発砲命令を拒否した兵士もいた。彼は座ることも許されない牢獄に入れられた(禁錮3年)。助かった市民と「恩人」の元兵士の「ご対面」という番組が当時組まれたが、元兵士は出演しなかった。「もしかしたら撃っていたかもしれないから」というのが出演拒否の理由だ。2000年10月3日、旧東独不法(体制犯罪)の時効が完成した

  なお、シュタージは、脱出に失敗したら「共和国逃亡罪」で、多くの人々を刑務所に送った。旧東独は牢獄国家だった。3年前の夏、シュタージ監獄の一つ、旧東ベルリンのホーエンシェーンハウゼン監獄を見学したことがある。音と光が遮断される牢獄など、スターリン体制下のソ連の本格的な心理的拷問装置が揃っている。

  ここまで書いてきて、テレビニュースが繰り返し、中国・瀋陽の日本総領事館での北朝鮮市民亡命事件を報じている。子どもや母親が泣き叫ぶシーンは胸が痛む。決行直前の映像・写真まであり、周到に準備された、仕組まれた脱出劇だった。映像は巧みに操作される。領事館内から男を連行するシーンはまだ放映されていない。大使館や領事館があてにならないことくらい、少し外国生活をすればわかることだ。外務省は、とにかく市民に対して威張る「裸の王様」の世界である。私は北朝鮮のことを「朝鮮君主主義臣民共和国」と呼んでいる。これが人権抑圧国家であることを否定する人は少ないだろう。アムネスティ・インターナショナルにも詳細なレポートがある。そうした北朝鮮から必死に脱出を試みた家族がいる。日本総領事館に駆け込み、中国警察官に引き戻されるシーンが、何度も何度もお茶の間に流れた。旧東独と同じく、送還されれば処罰が待っている。必死に門柱にしがみつく女性たちの姿が痛々しい。そこへ登場した日本の職員・領事たちの緊張感のなさは、電波メディア先行で、全世界に配信された。あの弛緩した態度がすべてを象徴している。「有事法制」だのと勇ましい「鎧」ばかりの議論が先行し、実は、在外公館が果たすべき役割がなっていない。瀋陽の事件は、日本外務省の「病の重さ」を象徴しているかのようである。映画「トンネル」をみたばかりなので、いろいろな意味で、瀋陽での脱出劇の悲劇性をより強く感じる。

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