「法による平和」の危機(その1) 2002年8月19日

.11テロからまもなく1年になる。ブッシュ政権の「暴走」はとどまるところを知らない。「そこまで言うか」「そこまでやるか」の数々。例えば、昨年3月、地球温暖化をめぐる京都議定書から一方的に離脱を宣言。世界中の顰蹙をかった。この8月、ツバルやナウルなど島嶼16カ国が、ブッシュ政権を批判した。これらの国々にとり、温暖化による海面上昇こそ「国家存亡の危機」にほかならない。地球温暖化対策は彼らにとっては「国家安全保障」なのである。だから、国際的な温暖化対策の足を引っ張るブッシュ政権は、まさに「安全保障上の敵」ということになる。また、ブッシュ政権は、国際刑事裁判所(ICC)の立ち上げにも抵抗している。この5月にはICC設立のローマ条約への署名を撤回するとともに、米国人を裁判所に引き渡さないことを約束させる二国間協定締結を各国に迫っている。イスラエルとルーマニアは早々と二国間協定を結んだが、ノルウェーはこの要求を拒否。EU諸国にも反対の空気が強い。これに対してブッシュ政権は、協定を結ばない国には軍事援助を停止すると通告したという。まさに恫喝である。
  こうした傲慢・横柄な姿勢を、ブッシュ自身の国語力不足に起因する「言い間違い」が加速している。例えば、今年2月18日、日米首脳会談後の記者会見でのこと。ブッシュは「不良債券問題やデバリュエーション〔通貨切り下げ〕を話し合った」とやり、東京外国為替市場が敏感に反応した。市場関係者の間に「円安誘導をしたのでは」との噂が走り、円売り、ドル買いに動いた。数十分後、米国政府から正式に、大統領の発言は「デフレーションの言い間違い」との発表があり、円安へのブレは数十銭単位でおさまったという(『朝日新聞』2月9日付経済面)。議会でも、「われわれは決して間違わない」というところ、「われわれは間違うであろう」とやった。あまり報道されなかったが、ことが戦争に関わることだけに、笑ってすませる問題ではない。本当は「言い間違い」などではなく、この人物の存在そのものが間違いなのだが、ここでは立ち入らない。「世界の警察官」と言われてきた米国は、今や、自国の利益を害するおそれありと判断した国や人物を自ら「処分」する「世界の警察官兼検察官兼裁判官兼死刑執行人」になろうとしている。独立宣言や合衆国憲法によって、世界に立憲主義や法の支配の考え方を広めてきた米国。それがいま、法を破る先頭に立っているのだ。「法による平和」の破壊者としての役回りは来週の「直言」で述べることにして、今回は米国内の話をしよう。

  9.11テロ以降、米国内では、愛国法などにより、刑事手続上の権利を中心とする人権侵害が常態化している。キューバの米軍基地内の収容所に入れられたタリバンやアルカイダの残党は、戦時捕虜でも刑事被告人でもなく、ブッシュご一党が勝手な論理をひねりだして特別の扱いをしている。タリバン残党とともに身柄拘束された米国人は、国内の米軍艦船内の独房に拘束され、弁護人の接見も許されていない。彼が米国市民である以上、合衆国憲法および法律に違反する行為だが、弁護人抜きの、軍艦内身柄拘束が続いている。
  こうしたはちゃめちゃな動きに対する抵抗も存する。「ブッシュの戦争」を批判したバークレー市議会決議や、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー下院議員の「たった一人の反対」についてはすでに紹介した。今回は、オレゴン州ポートランド市警察のマーク・クロカー署長の話をしよう。この人物のことは、昨年12月11日、朝日新聞アメリカ総局の三浦俊章記者によって初めて日本に紹介された(『朝日新聞』12月11日国際面・世界発2001)。
  テロ後、FBIは全国各地の警察に対して、5000人のアラブ系留学生に対する実質的な捜査協力要請を行った。オレゴン州には、具体的な容疑もないのに、人種だけを理由に特定の人々に尋問することを禁ずる法律がある。ポートランド市警はこの法律を根拠に、FBIの要請を拒否した。警察署には、「テロリストが好きなのか」といった抗議メールがたくさん届いた。クロカー署長はいう。「私は法律に従っているだけだ。長い警察官生活の中で、法を破ってでも行動しろ、と世論が求めたことはこれが初めてだ。…権力には責任が伴う。権力を規定するのは法律だ。ムードが変わったからといって、その法を踏みにじることはできない」。ここで三浦記者は重要な質問を発する。「なぜそこまで固い信念をお持ちですか」と。クロカー署長は答える。「ボスニアやルワンダで、文民警察官として働いた経験から得た教訓です。オレゴン州くらいの大きさしかないボスニアでは25万人が戦争で死んだ。ナショナリズムや民族の価値が、法の支配より優先したからだ。…ルワンダでは、対立するフツ族の囚人200人を監視しているツチ族の警官に会った。彼は家族全員をフツ族に殺された。『囚人に復讐したいか』とたずねたら、彼は『私はすべてを失い、持っているのは法だけだ。法を曲げたときに何が起こるかを我々は学んだ』と答えた。…法の支配という理念は米国に深く根付いている。我々は国民として、長い時間をかけて法の支配の大切さを学んできた」。
  この記事に対する直接の反応としては、名古屋市に住む68歳男性の投書「権力持つ者の勇気ある決断」しかない(2001年12月21日付朝日名古屋本社版)。この投書は、残念ながら朝日新聞名古屋本社管内の限られた読者しか読むことができなかった。私はテロ後、この記事のことを、法学や憲法の授業の冒頭で触れ、また講演のたびに紹介してきた。ある学生は、この記事を法学の教科書の裏表紙に貼っているとメールで伝えてくれた。この記事は、テロ後の「もう一つのアメリカ」を伝える貴重なエピソードであるとともに、「法とは何か」、「テロにどう立ち向かうか」というテーマを考えていく上での最良の教材であると言えよう。なお、9.11テロ1周年のポートランド市警クロカー署長の「その後」を知りたいのは私だけではないだろう。後日談が待たれるところである。