イラク戦争と日本――失われたものの大きさ 2003年4月14日

イラク伝単週末、長崎市に滞在して、「イラク戦争と日本」をテーマに2回講演した。話の冒頭で使うグッズを何にしようか迷った。というのも、空港のセキュリティが相当きつくなっていて、かつて2001年5月の徳島講演にセルビア軍の30ミリ機関砲弾を持っていくときは、わざと造花を入れて、「花瓶です」でパスしたこともあった。だが、今回は誤解を生じそうなものは避けた。金属反応の心配がないものということで、米軍が91年の湾岸戦争や94年のハイチ侵攻作戦、01年のアフガン戦争の時に使用した伝単(ビラ)を持参した。1945年、米軍が日本各地を空襲する前にまいた伝単も持参した

  ところで、テレビや新聞では「空爆」という言葉が常用語になっている。長崎の原爆は、まさに「究極の空爆」だが、長崎空爆とはいわない。東京大空襲も米側からみれば「東京空爆」となる。「空襲」は「空から襲われる側」の目線の言葉であり、「空爆」とは「空から爆弾を落とす側」の論理が反映している。軍事用語では、航空攻撃(air attack)ないし航空打撃(air strike)という。「空襲」と「空爆」の違いは小さくない。連日「空爆」という言葉を頻用して、戦争をにぎにぎしく報道してきた『読売新聞』が、何と4月10日付夕刊(東京本社版、4版)第1社会面で使った横大見出しは「空襲なき静かな朝」であった。この戦争で初めて「空襲」という言葉をみて、新鮮だった。
  メディアもテレビの前の視聴者も「爆弾を落とす側の論理」にはまってはいないか。特に許せないのは、「フセインを探せ」「フセインを仕留める」といった物言いが、司会者やコメンテーターの口からでることだ。これは異常である。どんなに圧政を行っていようとも、国連加盟国イラクの大統領である。「ノリエガ」「ミロシェヴィッチ」「フセイン」と、米国は、相手国の元首を、あたかもテレビ映画の悪漢のように仕立てあげて攻撃するのを常とする。このパターンに、メディアや市民までが乗っていいのか。
  共同通信は4月7日、米第3歩兵師団が、首都バグダッド中心部の大統領宮殿に、同師団が拠点とする米ジョージア州の大学の旗を掲げたと報じた。首都中枢制圧を誇示する狙いがあるというが、米国旗ではなく、大学の旗というのもふざけている。大学とは、こうした大人げない裸の暴力からは一番距離のあるところであり、学問の前の平等で、「悪の枢軸」とされている国や地域からも、学生を受け入れているはずである。その大学の旗を侵略のシンボルに使うとは。その大学の出身者が目立ちたいばかりにやったことだろう。10日にフセイン大統領の像によじ登って、星条旗を掲げようとした米兵もしかりである。こういうパフォーマンスがイラクの市民の反発を増幅させ、その後の統治にどれほどマイナス効果を与えるかを考えれば、指揮官が住民対策上の配慮を徹底すべきだろうが、それができないところが、侵略軍の常である。道義的頽廃といっていい。傲慢無恥のラムズフェルド国防相をみていれば、想像がつくことではあるが。

  さて、イラク戦争が終わったというムードである。日本政府は「イラク分割統治」などの提案を米国に4月6日の段階ですでに密かに行っていた。戦争に何の制約も付けられず、一方的なイラク侵略を支持した日本政府は、いずれ米国や英国とともに、国際世論の指弾を浴びるだろう。民衆レベルでの法的責任追及の動きも進むだろう。おやじのブッシュ元大統領が『ジョージ・ブッシュ有罪!』(柏書房)という本が出たが、それにならえば、『ジョージ・ブッシュJr有罪!』という本を作る必要があろう。フセイン体制の「過去の克服」も必要だが、それをやるのはイラクの民衆である。いま、米英の侵略とそれを支持した国々の責任追及の方が先である。
  今回は、3月29日に行った雑誌インタビューを転載する。『週刊金曜日』454号(2003年4月4日号) に掲載された「『名誉ある地位』への道はあるのか」(インタビューまとめ・糟谷廣一郎)である。2週間前のものだが、私の発言の記録として、ここに掲載する。なお、紙数の関係上割愛した部分も一部復活させた。

  3月20日、米英軍によるイラク攻撃が始まった直後、小泉純一郎首相は取り囲んだ記者たちに向かって、「理解し、支持します」と言い切った。ほんの立ち話で、日本がいとも簡単に「不戦」と「国連中心主義」の国是を捨てた瞬間である。

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  9.11テロ以降、ブッシュ政権は「はじめに戦争ありき」の姿勢を貫いてきた。戦争目的も、最初は「対テロ戦争」の一環だったものが、「大量破壊兵器」廃棄に変わり、最後は体制転換(フセイン政権転覆とイラク国民「解放」)となった。コソボ紛争で問題となった「人道的介入」ではなく、「民主的介入」というわけだ。そうした独りよがりの理屈で独走する米国にとって、国連安保理決議は、「あった方がいい」程度の軽い扱いだった。金と力にものを言わせ、恫喝に近い圧力をかけたものの、非常任理事国の支持を増やすことはできなかった。イラク戦争は、国連の敗北ではなく、米国による国連利用の歴史の破綻を意味する。だが、国連の可能性はまだ失われていない。国連の背後には、米国内を含め、世界の市民の平和を求める声がある。
  ところで、1991年の湾岸戦争のとき、日本は米国中心の「多国籍軍」に130億ドル(当時のレートで約1兆3000億円)も拠出したのに、戦争後、日本だけが「評価」されなかった。ブッシュ(父)大統領から首相官邸に直通電話(「ブッシュフォン」という)がかかり、湾岸への自衛隊派遣など、「目に見える貢献」を強く迫った。ブッシュが「YES or No?」と問うと、海部首相(当時)は思わず「or」と叫んだ、という小話が巷に流れた。米国からは「遅すぎる、少なすぎる」と締め上げられ、オロオロして国際社会の笑い物になったことが、外務官僚や与党政治家などの「トラウマ」になっている。この「湾岸トラウマ」の人脈は、『夕刊フジ』3月12日付によると、次の通り。川口外相は湾岸戦争当時、商務担当公使としてワシントン駐在。外務省と首相官邸でイラク問題を仕切る人物は、2人とも当時、米国大使館勤務。西田総合外交政策局長と谷内内閣官房副長官補である。また、海老原北米局長は当時、中近東一課長。加藤駐米大使は、駐米公使。別所首相秘書官も米大使館勤務等々。政府中枢の「12年前のトラウマ」が、世界も唖然とする、前のめりの対米支持の背景にあるというわけだ。
  私はこの記事のスタンスとは異なり、「湾岸トラウマ」そのものが壮大なる勘違いだと考えている。「湾岸戦争」は、イラクのクウェート侵略をやめさせる目的のための「必要な戦争」ではなかった。冷戦後の中東の石油支配と再分割のために、米国などの諸大国に「必要な戦争」だったことは、今やかなり明らかになりつつある。
  いま必要なことは、米国から距離をとって、イラクに対する武力行使に一切協力しない立場を鮮明にすることである。これが平和憲法をもつ日本が本来すべきことなのである。国際法違反の戦争を行う米国に追随すれば、国際的な不名誉は12年前の比ではないだろう。こんどの「湾岸トラウマ」こそ、深刻な問題になるだろう。

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  「日米同盟」をとるか国連中心主義をとるかという議論がある。憲法の平和主義の観点からすれば、軍事を軸とした同盟関係は当然には認められない。今その点はひとまずおくとしても、では、安保条約を優先すれば、イラク侵略を支持することになるのだろうか。 安保条約1条(平和の維持のための努力)は、「締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い」「国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決」すること、「武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」と定めている。国連安保理の決議なしの武力行使に踏み切った米国は、安保条約の原則にさえ違反していると言える。
  加えて、安保条約6条では、米国が基地使用を許されるのは、日本の安全と「極東」の平和と安全の維持のためとされている。安保再定義で「アジア・太平洋地域」にまでなし崩し的に拡張されたとはいえ、中東の主権国家イラクに対する予防的攻撃は、この基地使用条件とは適合しない。ドイツでも、イラク攻撃はNATO条約違反であり、基本法(憲法)で禁じられている侵略戦争だから、連邦政府は、米軍機のドイツ上空通過と米軍基地使用を拒否すべきとの主張が、政権与党内にもある。
  日本政府は、安保条約に基づく基地使用条件に適合しない、国連憲章違反のイラク攻撃のための米軍基地使用を拒否することができる。何の条件も付けられず、小泉首相は、ここでも米国に「丸投げ」している。ここまでひどいと、「安保条約を厳格に守れ」というスローガンが反戦市民運動から出てきても不思議ではないだろう。
  国連憲章は、2つの例外的な場合を除いて、武力行使を厳格に禁止した(2条4項)。例外の一つは、国連による軍事的強制措置であり、安保理によって国連軍がつくられ、その指揮下で行なわれる武力行使だ。もう一つは、現に武力攻撃が発生した場合、安保理が適切な措置をとるまでの期間に限って各国に認められる自衛権行使である(51条)。
  今回の場合、フセイン政権が暴政と人権侵害を重ねていたとしても、どこの国も攻撃してはいない。憲章51条では、武力攻撃の「現在性」が要件となる。米国が主張する「先制攻撃」「先制自衛」は国際法上認められない。安保理決議に基づく武力行使の授権も存在しない。したがって、米国などの武力行使が国連憲章に違反することは明らかだろう。「侵略の定義に関する決議」(1974年、国連総会)にいう「侵略」そのものである。 国連憲章違反が明白な行動に対して、「理解し、支持します」と言うことは、憲法の国際協調主義(前文、98条)に反する。小泉首相や「湾岸トラウマー」たちが「名誉ある地位を占めたい」と思っているのは、米国の、それも共和党・ネオコン(新保守主義者)政権の狭い「社会」のなかでのことなのか。

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  先週の金曜日(3月28日) 、アラブ各国で「金曜礼拝」が行なわれた。そこで今回の侵略は、「イラクに対する十字軍だ。イラクの戦いはジハード(聖戦)だ」との声が挙がっているという。このままでは、日本はアラブ社会を敵に回してジハードの標的になるだろう。いまならまだ信頼を回復する道がある。まず、米英に対して、「空爆」(空襲)を止めろと言うことだ。
  つぎに、非人道的兵器の使用中止を求めることだ。被爆国の首相として、米国に、核兵器の使用をおもいとどまらせる道義的義務がある。すでに劣化ウラン弾が核兵器と同様の被害を与えているし、空中爆発爆弾(MOAB)は無差別に被害を与える最悪の兵器である。そのような最新兵器の実演・展示のような使用には、世界から大きな批判が巻き起こっている。米国の武力行使を「理解し、支持」したとしても、そこで使われる手段や方法まですべて「丸投げ」ということになるのだろうか。
  さらに、「即時停戦」を提唱することである。もう一度安保理に議論を戻して、平和的解決に尽力する。そうすれば、日本はかろうじて「名誉ある地位」に戻れるかもしれない。
  最後に、自衛隊員には、イラク戦争に関わる任務に対する不服従を勧めたい。自衛隊法3条では自衛隊の任務を「わが国を防衛すること」に置く。国連憲章違反のイラク戦争に協力するための出動は、かりにそれが地味な後方支援任務であっても、国際法違反の行為の一端を担うことになる。そのような命令に「抗命」しても、防衛出動下令後の職務離脱や不服従などに科せられる罰則(自衛隊法122条)は適用されない。「出頭拒否」が多くて、艦隊が出航できなくなったら、そのニュースは瞬く間にアラブ世界にも届くだろう。 なお、「イラク復興支援法」制定の動きもあるが、国際法違反の戦争の後処理は、違法な戦争自体の批判的総括なしに安易にのることはできないだろう。
  開戦の日(3月20日) 、ドイツでは10万人の中高校生が反戦集会を開いた(本誌453号〔3月28日〕「金曜アンテナ」欄)。世界でも多くの若者がそれぞれの思いで反戦の意思をあらわした。若者の純粋な感性は世論を形成し、政治家を動かす。ドイツのシュレーダー首相は、子どもたちに「もっとも尊敬する人」と持ち上げられた。だから、コソボ紛争で揺れた彼はもう、米国に対する今の立場を簡単に変えることはできなくなった。
  日本の首相はどうか。盛り上がる若者や高校生たちの反戦の声に耳を傾けなければ、ブッシュとともに、「恥を知れ! 小泉」と言われることになるだろう。   (談)

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