阪神淡路大震災から10年(『世界』転載)  2005年1月17日

島で独り暮らしをしていた1995年1月17日早朝。仕事を始めようとストーブをつけた時、グラッと大きな揺れがきた。すぐにテレビをつけると、NHK広島が震度4をテロップで流している。しばらくして神戸が震度6と出て、ギョとなった。でも、テレビの映像は「呉市内のコンビニエンス・ストアで、品物が床に落ちました」という程度だった。事柄の重大性と深刻性が明らかになるのは、それからしばらく時間がたってからだった。
  
この直言では、大震災から3年目と、被災者支援の問題「ビックレスキュー2000」に関連してこの問題に言及したことがある。最近では新潟県中越大震災について書いた。今回は、ちょうど10年前の1月26日(震災の9日後)に執筆した「どのような救助組織を考えるか」(『世界』〔岩波書店〕1995年3月号)を転載することにしたい。数字やデータは古くなった部分もあるが、当時、広島大学から阪神淡路大震災の現場に向かい、消防関係者などに取材して書いた現場報告でもある。
  
先週の直言でも書いたように、災害救援には専門の組織の充実が重要である。その観点から、軍事組織である自衛隊の活用の問題性を一貫して指摘してきた。憲法9条と自衛隊の矛盾を解消するという場合、「現実」に合わせて憲法9条規範を変えるという選択をするのではなく、違憲の「現実」を規範に近づける努力、つまり自衛隊を漸進的に軍縮して、最終的には軍隊でない形(国際災害救援隊)に転換することも主張してきた。将来の国連改革を踏まえ、またアジアの地域的集団安全保障機構(OSCA)ができた段階での日本のコミットの仕方などの問題があるが、今日の焦点は、米軍の世界展開に自衛隊が深く組み込まれ、海外での武力威嚇・行使にコミットすることだろう。自衛隊を強力な軍隊として、海外の武力行使をする組織にしていくのか、それとも軍縮と非軍事組織への転換の方向に歩みだすのか。まさに日本の国のかたちに関わる基本方向の選択の問題である。
 
なお、阪神淡路大震災のあとに発足した緊急消防援助隊は、自己完結的な組織形態をとり、救助、消防、救急、後方支援の各部隊が統合運用されている。消防庁登録部隊(都道府県域ごとに編成し、全国的に集中運用)は2210隊(3万1000人)。東京消防庁は96年に消防救助機動部隊ハイパーレスキューを発足させ、新潟中越大震災で大活躍したことは周知のとおりである。「自己完結性」はもはや自衛隊だけの「特質」ではない。


消防庁パンフ(消防関係者提供資料)


どのような災害救助組織を考えるか
自衛隊活用論への疑問―

 ◆長田区の現場から

  「延焼拡大防止を命ぜられても、接近できない、水利確保ができない。こんなくやしい思いをしたのは初めてです。」 神戸市長田区に応援に入った消防隊員に話を聞いたとき、真先に出た言葉である。無線が錯綜して、負傷者を運ぶための救急車が来ない。自ら消防指揮車を運転して、負傷者を搬送したという。消防、警察、自衛隊では、無線の方式が全く異なる。消防は超短波(VHF)FMを使用。警察は、「グリコ・森永事件」で無線傍受されたことを理由にVHFデジタル無線を使っている。自衛隊は30-60メガヘルツのHF帯(短波FM)を使用しているから、末端での相互交信は技術的に困難となる。それどころか、応援にかけつけた各自治体の消防隊相互でも混信がひどく、交信は困難をきわめたという。電波管理の弱点が、被災地での大きな混乱の一因となったわけである。無線が使えないので、彼の消防車のところに、自衛隊員が走って情報を伝えにきたこともあったという……。

 ◆新たな「戦後」

  「阪神大震災」による被害の量と質は、日本国民が忘れかけていた「戦災」を強烈にイメージさせた。戦後50年を迎える今年、新たな「戦後」のカウントが始まるのだろうか。そして、日本の国家・社会の抱える様々な矛盾や問題点が、大地震とともに一気に吹き出してきた感がある。地震直後から、国家的危機管理や非常事態法制の議論も浮上していたが、議論は今、大災害時の自衛隊活用論に、急角度でシフトしてきている(特に自衛隊法83条の手続の簡易化、自治体との協力関係の強化等々)。
  1991年1月17日(湾岸戦争開始が報じられた日)は、「国際貢献」の名による、自衛隊の「国際政治的利用」が活発化していく転機となった日である。今年1月17日は、憲法との関係も含め、自衛隊をめぐる国内体制整備に向けた、強力な「最初の一突き」となるかもしれない。
  
もとより災害の場で救援活動に従事する個々の自衛隊員の努力は貴重なものである。しかし、国の政策や組織の活動全体の評価となると、話は別である。筆者は、大災害時における自衛隊活用論に対しては、あえて異議を唱えたい。今回の地震における救助体制やその問題点については、いずれ本格的な検討・検証が行われるだろう。そこで、さしあたり、消防、警察、自衛隊の三組織の特性を比較しながら、大災害に対処する救助組織のあり方について考えてみたい。

 ◆消防レスキューの活躍

  今回、人命救助活動で最も目ざましい成果を挙げたのは消防レスキュー隊だろう。消防は自治体の組織であり、地域に根ざした活動を行うため、レスポンスタイム(対応時間)が短く、火災などに迅速に対処できるというメリットをもつ。消防レスキュー隊は最も純粋な人命救助組織であり、その技術的練度は最も高いといえる。救助工作車(東京消防庁のみ救助車という)、救助用ファイバースコープ、油圧式救助器具等々、その資機材は人命救助を第一義的基準として備えられている。
  ところで、滋賀と愛媛のレスキュー隊が、79才の老人を105時間ぶりに救出した場面はひときわ感動的だった。オレンジ色の制服の20名ほどのレスキュー隊員が、きびきびと動きまわる。救出作業中、1人の隊員が、瓦礫のなかに埋もれる老人の手をずっと握り続けていた。ある消防士の方に話を聞くと、消防学校の授業のなかでも、被救助者に安心感を与えるために、声をかけて励ましたり、相手の体に手を触れていることの大切さを教えられるという。とっさの場面でも、そうした基本がきちんと実践されている。
  
他方、消防の場合、様々な弱点や課題も抱えている。まず、自治体消防は日常発生が予想される災害に活動の主体を置いているため、それを上回る大災害時の人員・資機材の対応が困難となる。特に地方の消防本部の場合、ギリギリの人員でやりくりしているのが実情である。例えば、神戸市は人口151万人に対して、消防の実員は1383人。西宮市が42万人に対して339人、相生市は3万6000人に対して40人である(『兵庫県下消防職員名簿』1994年11月現在)。郡部はさらに少ない。従って、他府県に応援を出しすぎると、自分たちの町の火災に対応できなくなるおそれがある。同時多発的に大災害が起こった場合、対応が不可能となることは容易に推察できよう。
  
消防の活動は基本的にライフラインの確立を前提にしているから、今回のようなライフラインの断裂・破壊という事態のなかでは、本来の活動は極めて困難となる。かくして、大規模災害に備えて、総合的な消防・救助能力を整備する独自の課題が出てくるのである。

 ◆警察と自衛隊は救助組織たりうるか

  機動隊や警察レスキュー隊はどうか。警察の場合、基本的に人命救助それ自体を本務としていない。警察レスキュー隊は警備部に所属し、警備活動の一環に組み込まれている。「災害警備実施」は、「治安警備実施」と並び、警備警察の重要な機能をなす。国民へのサービスの性格も持つが、究極的には「治安維持」の性格が強いとされる。なお、今回の地震で生田警察署に置かれた現地の本部も、「警備実施本部」である。また、救助活動のときに使用する装備も、基本は治安警備用のものが中心である。さらに、マンパワーは消防を上回るが、災害時における機動性には疑問が指摘されている。例えば、消防レスキューは人員と資機材を救助工作車で同時に運ぶが、警察レスキューの場合、警備輸送車と救助資材車とで、人と資機材を別々に搬送している。独自の指揮体系をもっているが、その性質上、他組織と共同して活動するという発想が弱い。治安維持を基本任務とした組織の宿命なのだろうか。
  自衛隊の場合、マンパワーは三つの組織中最大である。機動力、不整地・路外走行能力、陸海空全般にわたる大量輸送能力(各種トラック、輸送機、ヘリ、輸送艦等)。どれをとっても、この国最大の組織であることは間違いない。いわゆる「自己完結性」も高い。 しかし、自衛隊は国家の武装組織である。「自己完結性」といっても、それは戦闘後方支援を目的としたものであって、人命救助や災害時の対応のためのものではない。ある装備がたまたま救助目的に使えたとしても、戦闘用の装備を転用しているにすぎない。消防レスキューの救助専門資機材に比べて、作業能率も疑問視されている。しかも、「ルワンダ難民救援」派遣の場合にも問題となったが、この「自己完結性」が仇にもなりうる。旧日本軍が、一般社会を「地方」と呼んでとかく蔑視していたことはよく知られているが、そのような過剰なエリート意識と閉鎖性は「軍」固有のものであり、前述した警察と一脈通ずるところがある。そのため、ボランティア組織との「協働」がむずかしく、どうしても「上からの動員」の色彩が濃厚となる。
  こうしたなかで、政府部内からは、自衛隊法3条を改正して、災害派遣任務を「本務」に格上げすべきであるという意見も出ているという。一般的にいって、災害派遣が自衛隊の「本務」となれば、災害対策の「軍事化」が進むか、あるいは自衛隊自身の「非軍事化」、即ち「軍隊としての終わりの始まり」となる可能性も出てくる。「本務」化をいった人は、その発言の意味と広がりを十分自覚しているのだろうか。組織の目的、特に「本務」が変われば、それは装備体系にも当然影響を及ぼしてくる。支援戦闘機という名の戦闘攻撃機、巨大戦車(90式)、対戦車ヘリ、AWACS(早期警戒管制機)、イージス艦といった「冷戦」期の状況を前提とした高価な装備を買い続ける「根拠」がますます問われてくるのである。逆に、「冷戦」期の発想で拡大されてきた組織や装備の根本的見直しなしに「本務」化すれば、大震災を口実にした組織維持とのそしりは免れまい。にもかかわらず、「国際貢献」の場合と同じように、災害対策の分野でも自衛隊が主役の座につこうとしている。大震災を「葵の紋所」にして、全国の自治体に、自衛隊協力態勢の強化を迫っていくとすれば問題であろう。隊員の組織募集に自治体が一層協力させられるなど、様々な「見返り」も求められてくることも避けられまい。

 ◆「民間防衛」の脱軍事化傾向

  90年代に入り、先進各国にほぼ共通して見られることは、冷戦期に核戦争に備えて設置・整備されてきた民間防衛組織や軍機能の一部が改組・改編され、全体として、大規模災害対策に重点移行していることである。
  
例えば、アメリカの連邦緊急事態管理庁(FEMA)。今回の地震で注目されたが、その出自は、キューバ危機を契機に強化された核戦争対処のための民間防衛組織である。現在、「いまそこにある危機」のなかでも、特に大規模災害対策に主眼を置いて活動している。
  
ドイツにも冷戦期につくられた民間防衛法制があり、連邦民間防衛庁(BZS) 、連邦自主防護連盟(BVS) 、技術支援隊(THW) などの組織がある。それらを統括するのは連邦国防省ではなく、連邦内務省である。1988年5月に筆者は、ドイツ・レーゲンスブルクで、THWの現地組織の訓練を見学したことがある。水害訓練だった。その時、M・ハーゼ小隊長(26歳)に話を聞いたが、「核戦争が始まったら何もできない」とはっきり答えたのが記憶に残っている(拙著『ベルリン・ヒロシマ通り――平和憲法を考える旅』中国新聞社)。冷戦終結後、これらの組織の改組・機能転換が進んでいる。THW法も改正され、海外への救援活動も追加された。ソマリアやルアンダを含む世界各地に派遣されている。軍隊でないからもちろん「丸腰」だが、すぐれた技術力で「武装」しているので、派遣地域ではどこでも高く評価されているという。神戸の被災地に救援に来たフランスの災害救助特別隊は、軍人が関与するが、軍事組織ではなく、内務省所属の救援・救護専門組織である。スイスから来た救助犬チームも、外務省職員の隊長以外、全員がボランティアである。オーストリア軍災害救助隊(AAFDRU)は軍の一部だが、任務は本格的な国際救助隊である。中立国の活動であるから、軍の一部とはいえ、受け入れる側に抵抗は少ないという。
 災害対策を含め、日本は「冷戦型思考」から脱しきれていない。

 ◆非軍事の「国際救助隊」

  1992年秋、筆者は、憲法の理念に基づく非軍事的国際協力のモデルとして、「ニッポン国際救助隊」設立を呼びかけた。若者にも理解しやすいように、英国のテレビ人形劇「サンダーバード」になぞらえ、やや遊び心をまじえて提起した(『きみはサンダーバードを知っているか』日本評論社)。とはいえ、提起の意図はいたって真面目である。例えば、各機関に分散している救助・医療・応急復旧等の能力を、「国際救助隊」という形で総合的に発揮しうるようにし、海外のみならず、国内の大災害にも迅速かつ適切に対応できるようにする。PKO協力法の「対案」ということを意識して、軍事よりも非軍事を、命令・服従よりも自発性(ボランティア)を、中央集権よりも地方自治を、といったコンセプトを打ち出した。当時、拙著を読んだという消防関係の方と議論したが、国内の大災害にも対処しうる常設の救助隊の必要性について意見が一致したのを記憶している。
  
被災地上空に長時間滞空し、上空から消火・救出を統一指揮する、多様な通信機能をもつ指揮ヘリ。これはサンダーバード1号にあたる。各種救助機材・人員を大量に搬送する大型輸送ヘリ(同2号)。そして、宇宙空間にいる5号にあたるのが、災害用通信衛星……。テレビ人形劇の世界ではなく、この国に今、緊急に必要な課題といえよう。
  多くの人員、技術、能力を持ちながら、最も必要な場所に、最も必要な手段を迅速・適切に投入して、人命を救助する。その総合力がこの国には決定的に欠けている。前述した消防、警察、自衛隊の各組織の特性からみて、本格的な救助組織の中核には消防(レスキュー)が置かれるべきである。ライフライン断裂・破壊に際しても対応できる組織(「開かれた自己完結性」をもつ)、独自輸送力、医療チームとの連携、情報収集・判断力(優先順位の決定)などが課題となるが、「自衛隊しかない」という形で、安易な自衛隊活用論に流れるのは妥当ではない。むしろ、自衛隊そのものを「脱軍事化」していくことこそ肝要であろう。さらに、現行災害対策法制の枠内でも、消防や海上保安庁(第三管区海上保安本部の特殊救難隊)など、縦割り行政に散在する機能を統合して、海外でも活動できる、常設の救助専門組織に再編成することは十分可能である。
  すでに日本には国際消防救助隊(IRT-JF)という貴重な萌芽がある。海外の大規模災害に48時間以内に派遣される国際消防救助隊が発足したのは、1986年4月のことだった。当時の自治大臣小沢一郎氏は、その活動を高く評価し、こう述べていた。
  
「救助活動の専門家集団である消防の救助隊が、その技術を活かし、国境を超えて被災者の人々に、救助の『愛ある手』を差しのべるということは画期的かつ意義深いものである」「この救助隊が円滑、機動的に有効な救助活動を行うためには、装備や輸送手段、さらに隊員が安全に活動できるような体制の整備を進めていく必要がある」(「新自治大臣・小沢一郎氏に聞く」『近代消防』1986年3月号)。
  
湾岸危機から湾岸戦争に向かうなかで、「国際貢献は自衛隊しかない」という方向を強力に打ち出したのも、小沢一郎氏(当時・自民党幹事長)であった。その結果、IRT-JFを含む非軍事の国際緊急援助隊の強化・発展の方向が、国民の目から見えにくくなっていった。この事実は十分に記憶されるべきだろう。

 ◆市民の視点で災害対策を

  「阪神大震災」では、不甲斐ない政治や行政を乗り越えて、全国の市民や自治体が、かつてなかったような活発な救援活動を展開している。言葉の真の意味でのボランティア精神であり、そのエネルギーは巨大である。被災地でも、市民の力強い復興への歩みが始まっている。そうした活動を海外のメディアも伝え、称賛をもって受けとめられているという。そうしたとき、国家非常事態対処措置という形で、上から「官民」を動員していくという発想ではなく、市民・自治体のこうしたエネルギーを基礎に、市民の視点に立った災害対策を作り上げていく必要がある。それはまた、平和・人権・地方自治・国際協調という憲法理念にも照応する。神戸に来た各国の国際救助組織。日本も、非軍事の常設の国際救助組織をつくって、国内の災害に備えるだけでなく、「地球のどこかで起こる大災害」に備えるという視点をもつべきだろう。

《付記》急遽執筆したため、朝日新聞「論壇」掲載の拙稿(1995年1月27日付東京本社14版)と一部重なったところがある。1995年1月26日稿)

(水島朝穂・広島大学総合科学部助教授/憲法)


※『世界』(岩波書店)1995年3月号46-51頁より転載。水島朝穂『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997年)71-81頁所収。

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