わが歴史グッズの話(17)3枚の地図  2005年12月5日

回はおどろおどろしい銃剣の話だったが、今年最後の「わが歴史グッズの話」は地図である。私の研究室にはいろいろな地図があるが、そのなかのある3枚を並べてみると、いろいろなことが見えてくる。

  まず1枚目。1914(大正3)年の「海陸軍用・極東全図」である。陸海軍ではなく、海陸軍というのが面白い。周知のように、日米安保条約6条の「極東」の範囲をめぐっては、1960年の岸内閣当時、「グァム島以西、フィリピン以北」という範囲が示された。この「極東全図」を見てみると、「全図」という割には、ずいぶん限定された地域が示されている。中国の山東省が拡大されて表示されている。ドイツの中国租借地の青島(チンタオ)地域が詳細である。日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦した日本は、アジア・太平洋地域のドイツの権益を奪うため、海軍部隊はドイツ領南洋諸島を攻め、陸軍はこの青島を攻略した。この地図は9月の戦闘開始後に出されたもので、日本の戦争目的を浮き彫りしたものといえる。「極東全図」というタイトルが示すように、90年前の日本の権力者たちにとって、「極東」という言葉の意味するところは中国進出の足掛かりとなる山東半島だった。「極東」概念はその後も拡大の一途をたどっていく。今日、安保条約の改定なしで、在日米軍基地の使用条件である「極東の平和と安全の維持」という目的がグローバル展開していることとの対比でいえば、この「極東全図」は「最も小さな極東」を示したものといえるだろう。
  
ちなみに、青島で捕虜になったドイツ兵は、四国・鳴門の板東捕虜収容所に入れられ、そこで松江大佐(会津藩の出身)の温情あふれる対応で、捕虜オーケストラも結成して、ベートーヴェンの「第九」を初演している。この「極東全図」にある青島要塞の戦いがなければ、この時期に「第九」が日本で演奏されることはなかったに違いない。

  2枚目は、「大東亜共栄圏地図」である。1941年4月30日内閣印刷局とある今週12月8日は「真珠湾奇襲」から64年である〔追記:「12月8日」にイラク派遣延長の閣議決定〕。この地図は、真珠湾攻撃の「その時」まであと222日という時点で、内閣情報局によって作成されたものである。その後の戦争の展開を想起しながら地図を眺めれば、開戦前に出された地図とはいえ、攻撃目標が妙にはっきりと見えてくるではないか。「極東全図」が出されて27年たった日本は、アジア・太平洋地域に軸足を移し、その方面に侵略を開始したわけである。この地図は、アジアが「共に栄える」というイメージを強く押し出しているが、アジア民衆から見れば、英・仏・オランダの植民地を駆逐したあとにやってくるのは大日本帝国である。この地図は、日本がアジアに本格的に侵略を開始するコンセプトを明確に示したものといえる。

  さて、最近一度紹介した、米本土の軍用品払い下げ店で売られていた「虎のワッペン」をここで見ておこう。星条旗をまとった不気味な虎である。不自然なほどに長い爪と軍艦が、日本からアフリカまで睨みをきかせている。よく見ると、「同盟国」は緑色に塗られ、敵対国は赤。危険な国は黄色である。緑は日本、韓国、台湾、フィリピン、タイ、シンガポール、バングラデシュ、モルジブ、イスラエルくらいである。中国もロシアもイランやスーダン、ソマリアと同じく赤である。黄色の国は米国が信用しない注意を要すると格付けした国々で、インドやパキスタン、サウジアラビア、エジプトまで入っている。特にパキスタンの信用度は低く、いまはムシャラフ政権と良好な関係を保っているが、アルカイダなどが国内に多数潜伏していることから、大統領暗殺やクーデターで権力が「テロリスト」の手に渡れば、核兵器保有国パキスタンは危険な存在になりかねない。そこで、米国は2002年の早い段階から、パキスタンの地下司令部を限定核攻撃の目標にカウントしている。
  
「不安定の弧」という形で、日本から遠く離れた中東やアフリカの角までをカバーするが、このワッペンを見れば、米国にとって、これらの地域は一直線でイメージされていることがわかる。小泉政権がどこまでもブッシュ政権に寄り添うならば、この一直線上の地域のどこへでも軍事介入するよう協力を求められてくるだろう。

  関連して、テロ特措法でアラビア海に展開したヘリコプター搭載護衛艦(DDH) 「くらま」(艦番号144)の隊員たちが作ったTシャツとライターを紹介しよう。アラビア海にかかる虹。胸のところに並んでいる地名は寄港地である。シンガポール、インド、バーレン、アラブ首長国連邦、オマーンだが、なぜかそのなかに、インド洋上の小さな島、英領ディェゴガルシア島が入っている。ここは、米軍の前方展開基地(重装備・弾薬を事前備蓄・配備)である。ここに護衛艦「くらま」が立ち寄った意味は重大である。インド洋上の前方展開基地を日本が警備する任務は、日米安保条約からも出てこないし、周辺事態でもない。もっぱらテロ特措法の運用でやられているとすれば、問題である。米軍が海外軍事基地を維持する理由は、世界平和と安全保障というような崇高なものではなく、かなり実利的、具体的なものである。つまり、快適な軍事基地を維持することそれ自体が自己目的になっている。このことは何度か指摘した
  最近、日本の自衛隊も、米軍との合同演習、共同訓練もおおらかで、実戦的になってきた。今年、グァムで行われた米空軍と航空自衛隊との共同訓練は「ノースコープ05」というが、これがその記念ワッペンである。かつての自衛隊だったら、米軍との演習で「神風爆撃」などという言葉を使うのはタブーだった。日米ともに戦争体験のない将兵たちによって、おおらかに実戦訓練が行われている。かつては空中戦訓練が中心だったが、このワッペンから見えてくるのは、演習想定の変化である。低空飛行で進入する空対地爆撃訓練が行われた可能性が高い。先制攻撃戦略に照応した訓練といえる。仮に自衛隊から「自衛軍」へと憲法改正で新たに明文化されても、その実は、「わが国を防衛する」ことを超えて、他国に軍事介入する海外遠征軍への質的転換が進みつつあるのではないか。「専守防衛」からの離陸は著しい。

  て、3枚目の地図は、すでに何度か「直言」でも紹介した富山県の「環日本海地図」である。「極東」「大東亜」ときて「環日本海」の地図。ブッシュ政権に寄り添いすぎて、日本の国際協力や安全保障の観点から、アジアに軸足をきちんと置くことが重要である。小泉政権の時代、この肝心なアジア外交が著しく後退した。失われた信頼と時間ははかりしれない。この地図を眺めながら発想を逆転させる必要がある。なぜなら、1853年、浦賀にペリー提督が黒船できて以来、日本にとっての「表日本」は東京を含む太平洋側になり、日本海側は「裏日本」と呼ばれた(この言葉は表面上は死語化した)。日本の長い歴史上、遣唐使や遣隋使などよりもずっと昔から、日本海側こそが、大陸との文化、交易の中心的な顔であり、その意味では、日本海側こそが「表日本」だった。歴史を想起して、アジアに向き合うこの国の姿勢を大きく変える必要があるだろう。そのことを確認する意味でも、この地図は価値がある。

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