「押しつけConstitution」の効果  2005年12月19日

ま、この国の「土台」が音をたてて崩れている。マンションやホテルの構造計算書が偽装され、それを「プロ」であるはずの確認検査機関が「見逃し」、震度5程度で倒壊するようなマンションやホテルが各地に存在している。マンション住民は日々、身の安全と将来設計に対する不安を抱えながら生活している。偽装に手を染めた元一級建築士は、「一級建築士の誇り」から偽装を悩ましく思いつつも、「生活のため」にやったと証人喚問で語っている。プロの自己否定のようなことをなぜやったのか。この問題の根は深い。

  都心のマンションで、値段が安い、駅から近い、間取りが広い(100㎡以上)という三つが同時に成立したら、「ただし、安全性は保証しません」という条件がついても不思議ではないだろう。でも、誰もそうはいわない。今回の問題の背景には、異様なほどにコストダウンが追求されたことがある。安全性を犠牲にして、「ファースト・マンション」が続々とつくられていったわけである。最も見えにくい場所、つまり構造部分で系統的な手抜きが行われた。地震など滅多に起こらないし、「大地震が起きれば、みんな一緒に倒れるからごまかしがきく」という判断があったようだ。コストダウンのために犠牲にされた耐震強度。あの一級建築士にしても、ものすごい悪人だったわけではなく、コストダウンを重視する施工主や売り主、そのことを積極的に進言する「総研」の要求を忠実に、あまりに忠実に実行しただけだろう。耐震強度の偽装問題は、この国の「構造」的問題の氷山の一角にすぎない。

  経費削減、迅速性、効率性が最優先の価値となり、長い時間をかけてつくられてきた、この国のさまざまな仕組みが大きく変えられつつある。「構造改革」である。何となく響きはいいが、その実は、米国による「押しつけConstitution」ではないのか。「押しつけ憲法」ではなく、Constitutionは「構造」ともいうから、まさに米国流の「構造改革」の押しつけである。
  
1980年代半ば頃から日米経済摩擦の解消という狙いから、米国が貿易不均衡をもたらすような日本の経済構造や慣行などを問題にしてきた。1985年のプラザ合意以降の急激な円高のなかで、米国側は、日米の貿易不均衡の原因は「日本市場の閉鎖性」にあるという観点に立ち、日本の経済構造を変えることに異様な執着をみせるようになった。大規模店舗法の見直しにより、米国流の大規模スーパーの全国展開が行われた。これにより中小のスーパーは閉店し、地元商店街は「シャッター通り」となっていく。9月の国会で、郵便制度が「民営化」されることが強引に(参議院の否決に衆議院の解散という手で臨む)決まった。郵便貯金や簡易保険も、かつてのような規制が撤廃されて、米国資本のターゲットとなった。
  
「構造改革」の出自は、日米構造協議(1998年)である。特に1990年6月、海部内閣は日米構造協議で合意して、米国の膨大な貿易赤字を、日本側の経済構造を開放し、米国資本の市場参入への道をつくることで解消しようと企図した。日本の構造を変える戦略展開のために、毎年、米国は「年次改革要望書」というものを出してきた。これこそ「押しつけ構造」の基本指針だろう。例えば、1995年11月の「年次計画要望書」には、郵政三事業のなかの簡易保険について、「郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する」こと、「簡易保険を含む政府および準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止」することが挙げられている。「郵政民営化」の戦略もまた、米国の民間保険会社の日本市場への参入のための障壁除去にあったと見ることができる

  そして、「押しつけ構造」のもう一つが、「建築確認の効率化」のための、検査確認業務の民間開放だった。1998年の建築基準法改正は大規模だった。第4章の2が加わり、77条のあとに、77条の2から77条の65までが付け加えられた。そのなかに、役所の建築主事が担当していた確認検査業務を民間に開放する「指定確認検査機関」の規定がある(77条の18~35)。「確認検査員」(77条の24)というのは公務員ではない。国土交通省令で定める方法で確認検査を行う。だから、一定数の確認検査員を有する確認検査機関、今回の場合ではイーホームズやERIといった民間の株式会社が確認検査業務を役所と並んで実施できるようになったわけである。役所の建築主事がやっていると時間がかかるから、民間の確認検査機関に頼むと早い。検査業務も「迅速性」「効率性」が重視された。そして、この検査機関は「早い」となれば、受注が増える。つまり、本来時間をかけてでも安全性などの観点からしっかり検査すべき事柄を、利益を追求する民間会社にやらせる。これは大きな矛盾である。ゼネコンや住宅建設会社「お抱え」の確認検査機関が、まともな検査をすると期待する方が楽観的にすぎるだろう。親会社から「早く」「安く」と叱咤されれば、じっくり時間をかけた検査を実施するのは困難だろう。良心的な検査員であれば、相当悩むところだろう。くだんの元一級建築士もまた、そういう雰囲気と空気のなかで、プロとしての誇りも自信も喪失し、偽装に慣れっこになっていったのかもしれない。
  
これはまさに「構造」的な問題だろう。だが、売り主、施工主、設計事務所、確認検査機関、そして構造計算を請け負った元一級建築士。それぞれが責任のなすりあいをやっている。端的にいって私は、米国による「押しつけ構造」による確認検査業務の民間開放を行った98年建築基準法の改正にこそ問題の根っこがあるように思う。確認検査業務を「官から民へ」移行した結果、確認検査業務の構造的手抜きが可能となった。その意味で、指定確認検査機関を生み出した建築基準法改正に関わった人々の責任もまた問われてよい。 

  米国からの「年次計画要望書」によって、いま、医療制度、弁護士制度、大学も含めた教育制度全般の「構造」が変えられようとしている。構造を規定する最も基本的な法であり、そもそも国民が国家権力に制限を押しつける「憲法」の「改革」。「年次計画要望書」の見えざる最終ターゲットが浮かび上がってきた。

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