「民主主義国」の拷問と拉致  2006年2月6日

12月、レギュラーをしているNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のなかで、「CIA秘密収容所疑惑と欧州」というテーマについて話をした昨年11月にこの問題が明らかになって間もなくのことだった。ラジオでも触れたが、私が強い印象を受けたのは、ドイツの高級週刊誌『シュピーゲル』に掲載された写真である。オーストリア空軍機が、「テロ容疑者」を乗せたと思われる白い民間機に対してスクランブルをかけている。長距離飛行可能なガルフストリームV型機。民間機登録番号はN379Pである。冷戦時代ならば、国籍不明機というのは、旧ソ連の軍用機と相場が決まっていた。ところが、いま、スクランブル発進の対象となるのは、「テロ容疑者」とおぼしき人物を民間航空機に乗せて移送する米国政府の関係者である。実行しているのは中央情報局(CIA)。フランクフルト空港など拠点に、CIAの委託を受けた民間機が、ヨーロッパ各地を頻繁に飛び回り、シリアやエジプト、モロッコなどに立ち寄っているという。東欧、特にポーランドやルーマニアには秘密収容所があるという。最終的な移送先は、過酷な取り調べ(拷問)を制度的に採用していることで知られる国々である。これは「拷問の外注」ではないか、とヨーロッパは不快感を露にしている。オーストリア空軍機のスクランブル発進も、そうした怒りのあらわれといえよう。

  拷問については、直言「『不安の専制』のもとで許される拷問?」、連載「拷問は絶対禁止?」ですでに触れた。拷問は許されない。これは程度の問題ではなく、ヨーロッパでは「絶対的に」許されないという質の問題である。制度の問題というよりも、法文化、法確信のレヴェルにまで達しているといっていいだろう。死刑についてはその是非、存在・廃止をめぐってなお議論がある。死刑廃止条約により死刑廃止は世界的なスタンダードになっているものの、日米や中国、イラン、北朝鮮など、世界には死刑を存続する国も少なくない。だが、拷問については、正面からこれを肯定し、承認する国はない。
  世界人権宣言には「何人も、拷問…を受けない」(5条)とあり、国際人権規約B規約も拷問の禁止を定めている(7条)。「拷問禁止条約」(1987年発効)1条の定義によれば、拷問とは、「身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公務的資格で行動する者により又はその煽動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう」。国際刑事裁判所(ICC)規程(2002年発効)7条2項によれば、拷問とは、「身体的であるか精神的であるかを問わず、抑留中又は被告人として統制下にある者に対し、きびしい苦痛又は苦悩を意図的に加えることをいう」。拷問禁止は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、普遍的な法原則として妥当している。だが、6年前の「9.11」以降、これが揺らぎはじめた。

  そもそも拷問はなぜいけないのか。ドイツの新政権で法務大臣になったB. Zypriesは、Die Zeit紙のインタビューに答えてこう述べている(Die Zeit vom 1.2.2006) 。「拷問はただ単に人間の尊厳を侵害するだけではなくて、拷問を受けた者の自白が正しいのかどうかを完全に不明確にしてしまう」。苦痛から免れるための嘘が含まれる可能性が高まる。拷問によって得られた供述によって間違った判決が出され、最終的には刑事司法の信頼も傷つく。「テロの被疑者に対する敵対刑法も存在しなければ、特別の捜査方法も存在しない」「法的には、拷問禁止は、ドイツでも世界のどこでも絶対的である」と。
  シリアやエジプトなどでは、拷問の専門家がいる。今回特に注目された拷問のやり方は、ウォーター・ボーディングという方法で、体を拘束したまま増水させる方法で、溺死の恐怖を長時間与え、自白を迫る手法である。痛みというよりは、水死の恐怖をじわじわ味合わせる。米国内で行えば違法行為として断罪されるので、エジプトやシリアの専門家に委託して行わせる。実に巧妙なやり方である。軍用機は使わず、CIAがチャーターした民間機を使う。ただ、ヨーロッパの米空軍基地はフリーパスで離発着に使う。まさに国家的、組織的な拷問事業である。

  2003年12月、マケドニア共和国の首都スコピエで、ドイツ市民のマスリ氏がCIAに拉致され、飛行機でアフガンの米軍収容所に送られた『シュピーゲル』誌は施設の様子を詳細に伝えた。そこで暴行を受け、4カ月後に解放され、アルバニアの町の路上に放置されたところを発見された。マスリ氏とアルカイダとの関係は証明されなかった。スコピエからの移送は、CIAがチャーターしたボーイング737型機が使われたことは、航空日誌などから明らかにされている。マスリ拉致事件は、ドイツにとっては、CIAの飛行機が空港を使用したというレヴェルにとどまらない。ドイツ国籍をもつ人が白昼公然と拉致され、拷問を受けたのである。米国ブッシュ政権のやり方に対するドイツ人の不信感、不快感はかつてなく高まっている。さらにイタリアでも、アルカイダの容疑者とされた人物が、白昼、ミラノ市内で拉致された。車でイタリアの米空軍基地に運ばれ、そこからエジプトに移送されたという。ヨーロッパの米空軍基地、拷問を普通に行う国々への移送。このダーティな構図がヨーロッパの不快感を高めている。

  ドイツの前政権時代、連邦情報局(BND)職員がイラクに滞在し、イラク戦争の間、米軍に情報を提供していたことが発覚した。政府としてイラク戦争に反対していたのに、裏で情報提供していたダーティな実態が暴露された。さらに、ドイツ市民のハレド・マスリ氏の拉致・誘拐事件への関与。そして、米空軍基地などから「テロ容疑者」移送のためのCIA 機の離発着を認めたこと。この三つを軸に、ブッシュ政権が進める野蛮な「対テロ戦争」の影響はなお広まりつつある。

  「テロ容疑者」と決めつければ、ブッシュ政権は、「疑わしきは被告人の利益に」という無罪推定原則をかなぐり捨て、「疑わしきはテロリスト」とばかりに拉致までも実行している。「CIAは、あらゆる法律を破る権利をもつ」と、ドイツの高級週刊紙が行ったインタビューで、CIAの対テロ部門の元部長はおおらかに語っている(Die Zeit vom 12.2005)。「米国は例外だ」という傲慢さと厚顔無恥である。
  
EU諸国はすでに、拉致・拷問に関係したCIA要員22人に対して、「欧州共通令状」を出して行方を追っている。米国の公務員がヨーロッパでは「お尋ね者」になっているのである。

  北朝鮮による拉致を非難しながら、一方で、「テロ容疑者」の拉致を実行し、第三国で拷問を行う。情報をとるためには手段を選ばず。これでは、金日成・金正日親子によって組織的・計画的・系統的に行われた「拉致」の論理は、煎じ詰めれば自国の「安全保障」のためということになる。「テロリスト」に勝利するために、米国市民がより安全になるために「拉致」を行うというならば、ブッシュも金正日も大差はないといえよう。朝鮮「民主主義」人民共和国と同様、米国の掲げる「民主主義」も看板だけになるともいえよう。その米国市民による「民主主義」が拷問を望んでいたり、合衆国憲法における人身の自由やデュープロセス(適正手続)など「立憲主義」を無視したりするならば、問題は深刻である。

  ちなみに、米国務省は、人権に関する「カントリー・レポート」を出して、米国をのぞく、世界のほとんどの国の人権状況を調査して、毎年報告書にしている(米国自身の人権レポートはない!)。日本に関するレポートも読める。そのなかで、ドイツに関する2004年報告書は注目される。そこで初めて「拷問」(section 1c)という項目で、これまでにない分量を使い、「ダシュナー事件」(2002年10月) という誘拐の共犯者に対する拷問命令について記述しているからだ。アムネスティ・インターナショナルのサイトにある各国レポートも、ドイツの項で、「拷問論争」という節をあて、「ダシュナー事件」について詳しく言及している
  ドイツにとって、ここ数年、「絶対的禁止」のようなゆるぎない問題が正面から挑戦を受けている。それは、拷問の相対的容認という、ある法哲学者や国際法学者などによる「人間の尊厳」の憲法解釈にも見られる。理論的な哲学、憲法解釈論としても、そして、現実的な政策論としても、拷問の絶対的禁止を解除しないでも問題と向き合える仕組みを作り上げていく必要があろう。

  なお、来週の水曜日(2月15日) にドイツ連邦憲法裁判所は、「航空安全法」の合・違憲性に関する判決を出す予定である。この法律は、ハイジャックされた航空機に対して、緊急の場合(巨大ビルへの突入など)、連邦国防大臣に対してこれを撃墜する命令を出す権限を与えているこの法律は、連邦大統領も署名を躊躇するほどの、いわくつきの法律である。憲法裁判所がどのような判断を下すかが注目される。