雑談(60) 若き日の体験的教育論  2007年4月2日

日は入学式である。教員間のローテーションで、私もガウン姿で大学院の式に出る(98年4月2日には祝辞を述べた)。「今日から法学1年生」。期待に胸をふくらませている法学部の新入生の履修相談も受ける(講義内容も参照)。例年のことだが、目を輝かせて入ってくる1年生を見ていると、彼らの感慨が伝わってきて、「新年度が始まった」 のだと、 身が引き締まる思いがする。ということで、 この機会に、広島大学時代に書いた「体験的教育論」をUPする。

 私は、たまたまある研究会で、駆け出し時代から試行錯誤を繰り返してきた「教育実践」を報告する機会を与えられた。ちょうど30代から40代になる頃のことだった。
  その報告を原稿化してから13年が経過した。その間 に 、早大法学部に移り、11年間、授業を担当してきた。ゼミについては前々回書いたので、 今回の直言では、主として 大講義の授業を念頭に置いている。例えば、法学部1年生の必修科目「憲法」。下記の広島時代に書いた精神は活かしつつも、いまでは、「憲法総論」「統治」「人権」にわたる、体系性と「満遍なく」性の要請にもこたえる形をとっている。かつては、自分のやりたいところを講義するのが普通だった(といっても平和主義は2回程度)。いまはそれが許されない。シラバス(授業内容や予定を書いた授業計画書)や授業評価など、大学教員の授業には、昔のような自由や「おおらかさ」はなくなった。

 15分遅れで始まり、10分早く終わる。昔はこんな教授がいた。私は「定刻主義者」を心がけ、時間通りに始まり、時間通りに終わってきた。だか、いまはこれが「普通」である。いろいろな教授がいるのが大学のよさなのだが、かなり均質的なサービスが要求されるようになった。「消費者としての学生のニーズにこたえる」といった口当たりのよいキャッチフレーズで、大学も大きく変わった。教職員の繁忙状態はエンドレスである。

 かつて、専門科目のほとんどは通年4単位だった。夏休み前に試験はなく、冬の試験期間だけ採点すればよかった。いまは「セメスター制」とやらで、膨大な量の答案を年に2回、夏はお盆前までに採点しなければならない。夏休みは大学教員にとって、原稿書きの「書き入れ時」だったのに、いまは8月スレスレまで授業があり、昔よりも自由な時間は減少している。授業運営についても、さまざまな「介入」がある。市場の原理や競争の原理などに押されて、大学は「学問の府」の余裕とゆとりを失っていった。もちろん、昔の大学の授業にもいろいろな問題があったが、だからといって、いまの授業環境が昔に比べてよくなったかといえば、教員と学生の両方の立場からみて、それはかなり疑問だろう。

 下記の文章で私は、新入生の多くが「ロッキード事件で田中角栄が逮捕された年〔1976年〕に生まれている」と感慨深げに書いている。今日入学してくる新入生のなかには、ついに「平成元年生まれ」が含まれている。たまたまその一人(1989年2月生まれ)に会ってそのことを指摘すると、「いつも、そういわれます」と微笑んだ。でも、私はこう続けた。「でも、あなたは『ベルリンの壁』が崩壊する前に生まれています。ドメスティックな元号ではなく、世界史的にみれば、89年11月9日以降に生まれた人が大学に入学してくる来年こそ、一つの区切りかもしれませんね」と。その高校生は目を丸くしていた。

 「ポスト冷戦」時代に生まれた子どもたちが大学にやってくる。来年は「戦後63年」。エンドレスの「対テロ戦争」の「戦中」であり、「イラク戦争」の「戦後」(とはいえないような内戦状態だが)、そして、イスラエルのイラン攻撃で始まる新「中東戦争」の「戦前」 かもしれない 。いま、この国は、新たな「戦前」「戦中」「戦後」と関わっている。「広島に原爆が落ちた日を知らない」若者が、13年前よりも増えていることを覚悟しなければならない。文中にある「ファミコン世代」という言葉も死語だろう。そんな時代を映す学生たちと、正面から向き合う授業をするためには、教員の側にも相当な努力が求められる。

 下記の文章で私が念頭に置いた学生たちには、現在の水島ゼミ生を含む早大法学部の学生は含まれていない。私の「若き日の教育実践」の記録としてお読みいただきたいと思う。なお、この原稿のもとになった報告をしたとき、「『怒り』と『連帯』の憲法学」を熱く語っていたのが、播磨信義氏(山口大学教育学部教授→神戸学院大学法学部教授)だった。播磨氏は私よりも10歳年上だが、「怒り」の手前で寸止めし、「連帯」まで高めない私の教育実践に対して、やや批判的だったのを記憶している。播磨氏は、学生とともに冤罪事件の被告人と熱く連帯し、権力に対して怒りをもつところまで要求する。私は大学の授業では、あくまでも「驚き」と「発見」により学生の好奇心と思索を刺激することに徹し、そこから先の価値判断や行動は学生たちの自主性に委ねるという態度をとってきた。それで、播磨氏とは微妙なところで意見が一致しなかったように思う。下記の文章を読み返してみて、播磨氏を意識して書いた 箇所が懐かしく思い出された。 その播磨氏は、数年前に不慮の事故で亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。

 

「驚き」と「発見」の憲法教育

――北海道と広島での経験から――

水島朝穂(広島大学助教授)

 1 はじめに――「おしつけ」でなく

 「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである」(A・アインシュタイン『教育について』)。この言葉は、「憲法教育」にもあてはまる。「憲法教育」とは何であり、その意義は何かといった一般論については、ここでは立ち入らない(本号近藤真論文および同「憲法教育論・大学を越えて」『法と民主主義』1994年1月号を参照)。私自身は、「憲法教育」とは、憲法に関する「知識」の提供としての側面と同時に(また、それ以上に)、憲法の学習を通じて、人権、国民主権、平和といった憲法的価値を「自己発見」していくステップないし機会であると捉えている。もちろん、学生にとっては、専門(法学部)あるいは「教養的教育」(一般教育)の単位としての実利的意味もあろう。だが、それを単位習得で終わらせるか、それとも、学生が人権、主権、平和に対して主体的な姿勢をもって生きていく上での「動機づけ」の場としうるかでは、大分意味が変わってくる。ただ、教員の側が「動機づけ」を重視するあまり、そこに「結論」の押しつけが生じるようなことがあってはならないだろう。それに、教員に「洗脳」されるほど、いまどきの学生はやわではない。人権や平和といった「自明」のテーゼであっても、我々の働きかけの対象である学生自身が、自らの理性と感性に基づいて、その意味を会得していくべきものである。我々がなしうるのは、そのためのささやかな「お手伝い」である。そう割り切り、自然体で取り組めばよい。本稿は、私の、大学教師11年足らずの、かつ狭い個人的体験に基づく、一つの「実践報告」にすぎない。

 2 憲法教育の留意点

 私は、かつて北海道の私大法学部で憲法、法社会学、比較憲法を担当し、いまは地方国立大学で「教養的教育」の日本国憲法と、専門科目の現代法政策論を担当している。そのほか、私立の音楽大学と税務大学校で非常勤講師をやり、広島県中小企業家同友会で「経営環境改善をめざす憲法勉強会」を継続的に行っている。これらの場で、私が特に留意している点は、次の三つである。

 まず第1に、「目線」をどこに置くか、である。条文暗記型ないし理念・原則絶叫型の「憲法教育」では、ポストテレビ世代(ファミコン世代)の学生たちの脳髄を刺激することはできない。他方、資格試験用の知識習得にはそれ相応の訓練が必要であり、別個に対応が必要である(法職課程等々)。学部の講義では、学生の知性と感性に刺激を与える「問題意識開発型」ないし「法的好奇心誘発型」でいいと私は思っている。ちなみに、「私語」が多い授業は、教員が「死語」で講義しているからである。学生を責める前に、まず自己のボキャブラリーとコミュニケーション能力をチェックし、講義のヴァージョンアップをはかるべきだろう。「こんなことも知らんのか」というセリフはもう通用しない。今年の94年度入学生の多くは、ロッキード事件で田中角栄が逮捕された年〔1976年〕に生まれている。最近の調査によれば、広島の学生でさえ、原爆投下の日を知らない者が31%、原爆投下を許容する者が37%もいる(『朝日新聞』1994年3月2、9日付広島県版)。これからの憲法教育では、従来は「自明」であった事実でさえも自明でないことを知るべきだろう。

 第2に、憲法教育は、「憲法クッキング(調理法)」に徹することである。高邁な理想・理念を伝えようと思っても、相手が食べてくれなければ「ネタの持ち腐れ」。「固い素材を柔らかく煮込んで、美味しく食べてもらう」。具体的には、@ネタ(憲法に関連する事件、判例等)の鮮度、A包丁(問題の切り口)、B盛りつけ(講義の組み立て、構成)、Cスパイス(教員の個性に応じて多様でありうる。ただし駄洒落は節度を守って)がそれぞれバランスよく配置される必要がある。原理的問題や歴史を扱う場合でも、それ自体を裸でとりあげず、メリハリと工夫が必要である。
  また、ネタについては、その鮮度もさることながら、その地方・地域の特性を活かすことも重要である。ローカルな素材(東京も日本の一地方とみて)を用いて、普遍的な問題に接近していく楽しさを味わえれば、学生の憲法理解もより深まるだろう(なお、水島朝穂編著『新版・ヒロシマと憲法』〔法律文化社、1994年〕は、不十分ながら、平和・ローカルネタにこだわった一例)。

 第3に、上と関連するが、憲法教育では、「四つのO」と「一つのM」を避けること。これは、私自身の体験と反省から得た「テーゼ」である。@ワンパターン(one-pattern)。毎年同じ授業は論外。同じネタを使う時でも、味付けを変えるなどの工夫が求められる。Aワンサイド(one-side)。一方的な主張。自分の見解は、バランスよく提示することが大切である。Bワンウェイ(one-way)。つまり一方通行の授業進行。大講義の場合は難しいが、ちょっと質問してみて、答えさせたりすることも必要だ。Cワンマン(one-man)。自分(同世代)の経験や「思い入れ」を押しつけたり、それにのめりこみすぎないこと。Dモノトーン(monotone)。メリハリのある話し方をし、引用も長すぎないようにする。

 3 憲法教育の方法私論

 北海道時代の経験は、法セミ増刊『法学入門1988』の座談会「法律学を楽しむ方法」(新倉修・藤村和夫・水島朝穂)で明らかにした。ここでは、広島でも実践していることを中心に簡単に紹介しておこう。

 第1に、新聞の徹底活用である。最近では広く実践されているが、私は新聞活用法には当初からこだわっている(詳しくは、拙稿「新聞・雑誌利用法」法セミ増刊『法学入門1992』参照)。新聞は、憲法教育の宝庫である。私は、大講義の冒頭に必ず「事件」解説をやる。「10分間コーナー」という(私の授業風景は『北海道新聞』1987年10月22日「新聞記事を教材に」参照)。学生は1週間の「事件」を最低一つは用意して授業に臨む。1週間あれば、大体の事件はその発生・展開を終わっており、社説等も出揃ってある程度の総括も可能である。小さな紙に事件の要点と感想を書かせるか、5人を無作為抽出して口頭発表させる。私が取り上げた事件と同じだったら、「座蒲団1枚。10枚たまったらハワイに行かせてあげるだけの給料はもらってないので、『心の座蒲団』をあげるよ」という。重要な事件は各紙を読み比ベて検討する。例えば、ある警官発砲事件。各紙の報道がすべて異なったので、3紙の記事を印刷して配る。学生たちは喜々として矛盾点を指摘した。教養ゼミや少人数講義の場合は、小グループに分けた報告・討論が有効である。レジュメの作り方、文献・判例等の調べ方も一緒に教える。
  新聞活用の効用は、講義への導入がスムーズになるだけではない。小さな事件でも、普遍的な問題の「地下水脈」に到達するような場合もある。たまたまある事件を扱った学生が、そのまま4年間こだわり続け、卒論までいった例もある。事件への関心は無限の「出会い」を生む。

 第2に、大講義を「参加型」に改造する工夫である。授業開始前に、小さな紙に前回の講義の質問や、より突っ込んで解説してほしい項目を任意に提出させておく。ある一枚の質問で、その日の授業内容は全面組み換えということもある(「政治改革」関係ではしばしば)。また、私は授業モニター制度を自主的にやっている。事前に依頼しておいた学生(たまにお好み焼きでもおごる)に、講義内容、声、板書、構成・展開等について、授業終了後に意見を聞く。授業改善のための重要情報となるだけでなく、学生の関心事項について知ることもできる。ネタをくれる人々の連絡網(「ネタワーク」)を活かすことも有益である。

 第3に、授業のビジュアル化である。私は、「ドラえもんの袋」(学生の呼称)から色々と「ぶつ」を取り出して講義している。かなり「あぶない」ものもある(中身は「企業秘密」!)。例えば、グニャと潰れた小銃弾(セルビア軍のもの)の実物を手にすれば、昼食後の眠気は完全に吹き飛ぶ。また、教室の関係でできない授業もあるが、中規模講義では、10年間で収録・収集したオリジナル・ビデオ(200本ほど)を活用している。「社会の裏面を探るビデオ」という(学生の呼び名は「水島裏ビデオ」)。長く見せる必要はなく、数分の場合が多い(昨年、高知の大学で「サンダーバードと法」という集中講義をやった時が最長)。わずかな上映でも、講義への関心と集中度は格段に増す。

 第4に、学生たちの体験とリンクさせることも大切である。警官による職質の「おっかない体験」や、校則違反で教師に無理やり髪を切られた屈辱体験等の紹介(小教室なら、本人に発表させる)は、憲法31条以下の勉強や、子どもの権利条約の学習の強い動機づけになる。少人数授業なら、教室を出て、「裁判ウオッチング」に行くこと。効果絶大である。私のゼミでは、北海道でも広島でも、軍事基地等の現地調査も実施した。昨年、沖縄へのゼミ旅行の際、「自由取材デー」を設定。各々のテーマに基づき、県庁や陸自混成団本部、戦跡等を自由に取材させた(法セミ1993年10月号「ゼミナール通信」と後掲・拙著参照)。

 第5は、とにかく書かせること。「普通の学生」を前提にすれば、論理的文章に親しませることが肝心である。同時に、ルポも書かせる。事実に基づいて、感情を抑え、淡々と書く訓練をさせる。北海道時代は、ゼミ論集(大学から各ゼミに補助あり)を毎年出していた。

 第6に、ゲスト講義の実施である。ごく最近の例では、米問題に関連して、米国で米を作り輸入している広島の米穀会社社長を呼び、米をめぐる業者側の論理について生々しい実態を話してもらい、その上で私が食管法の問題点と政府の「米自由化」問題について講義した。

 4 むすびにかえて

 要するに、憲法教育で必要なことは、「社会への窓」をいっぱいに開けて、条文中心、理念・原理中心の内容を改め、教員自身が楽しく、前向きに授業に取り組むことである。「百の議論より、一つの実践」。以上述べたことは、市民レヴェルでの憲法教育にも基本的にあてはまる。なお、拙著『ベルリン・ヒロシマ通り――平和憲法を考える旅』(中国新聞社、1994年)は、学生たちと共に各地をまわって取材した成果であり、私なりの「憲法実践」の書でもある。参照を乞う。

付記:『法の科学』(日本評論社)22号(1994年)107〜110頁より転載。

トップページへ