雑談(62)出ないと会えない  2007年9月3日

休みということで、「雑談」シリーズのストック原稿をUPする。今回は、結婚を考えているが、なかなかうまい出会いがない、あるいは出会いがあっても発展がないと悩んでいる30代以降の方々に読んでいただきたい「雑談」である。およそ憲法や政治の話は出てこないので、関心のない方はパスしていただいてもけっこうである。

  人間を半世紀以上やっていると、 「出会い」の大切さをつくづく思う 。出会いの中身も大事だが、出会い方もまた、後々いろいろと意味をもってくる。不幸な出会いから、いい出会いに発展することもある。 2005年冬に健康を害したが、この時期に、学生オーケストラの会長を依頼され、音楽が私に生きる力を与えてくれた 。もし仕事がスムーズにいっていたら、時間がないといって断っていただろう。ゆっくりした時間を求めていた私の心が、オーケストラと関わることに自然と向かったのだろう。 そして、その年の12月、たくさんのゼミOBたちと会って、若い人々から「私の生き甲斐」を再確認させてもらった 。だから、不幸な出会いをいつまでも「不幸」と決めつけずに、それはきっと、次の素敵な出会いの前奏曲なのだと思うことにしている。そうすると、どんなにいやなことがあっても、その日をなごやかに終えることができる。

  もともと私はせっかちな性格だったが、年をとるにしたがって、 「間」の大切さを思うようになった 。これは、100パーセントを求めず、 「夢八分目」で止めるという姿勢とも重なる 。いま、子どもたちが独立して、「おじいちゃん」としての人生を目前にしている。子育てで負担に感じたことが、孫だと喜びに変わるということをよく聞く。 私の父もそうだった

  そういう年代に入ったせいか、ここ数年、いろいろな依頼が入り、お見合いの手伝いをする機会も増えている。文明華やかなる現代社会において、出会いは増えているようにみえ、本当の出会いと呼べる機会は、過去と比べて必ずしも多くなったわけではない。また、「出会い系サイト」のようなものが発達し、落とし穴にはまる人々も少なくない。つまり過去に比べ、もしも何かが変わったというのなら、それは「自然の風があまり吹かなくなった」ということだろうか。だから、出会いのない人々に、出会いの機会を与え、お手伝いをすることも、ある程度、意識的に行うことが必要になっているようにも思う。

  とりわけ、そこそこ経験を積み、仕事も順調という30代後半から40代の人々がパートナーを見つけるのが、けっこうむずかしい。人生の節目で、結婚という道を選択するとき、人はさまざまな迷いや不安に陥る。すべてを求めることは不可能であり、あるものを失い、あるものを得るという「割り切り」をすることが肝要である。しかし、これがなかなかむずかしいのである。
   結婚をして、家庭を持てば、自由な時間が減ることは不可避である。それを、自由の「喪失」と考えるか、新しい自由の「創出」ととらえるか。そして、子どもができれば、二人だったときに比べて、さらに子育てにかける時間が必要になる。とりわけ、乳幼児のときは、夜の睡眠時間を削られ、大変な負担になる。 だが、その育児の時間が、いずれよい思い出とともに、人生にとって大切な「栄養」を与えてくれたと感じられるときがくる 。英語では乳幼児に食事を与えることを“feed”というから、これがほんとうのフィードバックか。

  さて、ある年齢に達してからの出会いで注意すべきことがある。私はそれを「まみむめも」と呼んでいる。「間が持てない」「見栄をはる」「無理をする」「目先のことで落ち込む」「もう一歩のところで引いてしまう」。特に、お互い、プライドの高さが災いして、「もう一歩」が足りない。そのちょっとした呼吸が成否を分けるように思う。そこで、いろいろとアドバイスをしてきた体験から、とりわけ30歳代後半以降の男性の皆さんには、次の五つのことをこころがけてほしい。なお、この内容には条件があり、「結婚」を前提とした男性が、女性と向き合うときのことを述べている。

  まず第1に、「仕事は背中と横顔でみせよ」である。初めての相手と会って、自分がどんなに仕事に燃えているかを熱く語るのはいい。だが、いつまでも仕事の話ばかりでは、相手は結婚後の家庭の単調な話題を想像し、次第にむなしさをつのらせていくだろう。だから、相手と向き合ったとき、仕事の話は、実際の動きで見せた方がよい。
  例えば、二人でお茶しているときに携帯に営業の顧客から電話が入る。そこでテキパキと対応している横顔を、相手はどうみるだろうか。短時間でパシッと携帯を閉じて、「失礼!さっきの話の続きだけど…」と楽しい話題に戻る。その瞬間の笑顔と、少し前の真剣な顔との落差を、相手は見逃さないだろう。

  第2に、「夢のあるやさしさを」である。相手は、人生をこの人と一緒に歩めるかを真剣に観察していることに留意すべきだ。
   百貨店のエレベーターに乗り、「たまたま」玩具売り場で降りてしまったという場合、ついでだからと、最新の玩具はどんなものがあるかを一緒にみて歩く。これが「夢のある」やさしさである。ある程度の年齢に達した女性が、結婚相手を選ぶときに確実に優先する視点である。
  そして 人生、何事も計画通りにはいかない。交際途上のパプニングやトラブルも一緒に笑って、「無駄」をともに楽しんでしまう。 どんな場合でも あわてないで、気持ちの切り替えを提案し、適切にリードできれば、家庭での舵取りも安心と印象づけることもできよう。そんな二人には、「やさしい夢」が待っているだろう。

  第3に、「まめでこまめであれ」。「まめ」とは相手への配慮の「質」を意味し、「こまめ」とは「量」を意味する、と私は勝手に考えている。交際が始まれば、昔のように、手紙や公衆電話(家族がいないところで)、時には電報まで使って連絡をとる苦労は、いまの若い人たちにはない。 携帯メールも適切に活用すれば、「心の距離」をこまめにかつ自然に縮めることが可能だろう 。ただし、ときには万年筆で書いた手紙も有効である。

  第4に、「贅沢はしないが、ケチでもない」。これはある程度の年齢の出会いの場合、若者のようにカジュアルでお手軽なものばかり、とはいかない。かといって、付け焼き刃で無理をした一過性のものの提供は、継続がむずかしいだろう。食事や贈り物を含め、ふさわしい場所の選択や物の選択には、それ相応の配慮が必要になる。

  第5に、「相手にクリエイティヴに接すること」である。その際、「四つのOと一つのM」はだめ。ワンマン(独りよがり)、ワンサイド(一面的)、ワンウェイ(一方通行)、ワンパターン(型にはまりすぎ)、そしてモノトーン(単調)である。

  以上五つのことは、考えてみれば、あたりまえのことだろう。でも、出会いがないことに真剣に悩んでいる人々と話しているうちに、この五つが私の頭に浮かび上がってきた。一緒に生活をするパートナーとどう出会うか。大切なことは、結婚後にも継続して提供できるような、自分と築く持続可能な世界を、無理せず、正直に相手に伝えることだろう。
  相手の心を開かせたいならば、まず自分から心を開いていくこと。出会いとは受け身で待つものでも、偶然でもなく、「創る」ものである。その意味で、「わらしべ長者」の話は象徴的である。最初につかんだものは、「わら」だった。なーんだと思って捨ててしまえば、それまでだった。わらにアブをつけて、飛ばしてみたからこそ、チャンスがまわってきたのである。よい出会いのためには、最初の小さな出会いの大きな可能性に賭ける姿勢が求められる。
出会いには、「早すぎる」も「遅すぎる」もない 。70歳を超えて再婚する人もいる。出会ったときが「旬」なのである。「出ない」 と 「会えない」。 good luck!

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