法務大臣という職  2008年6月30日

務大臣に任命されるとき、ある覚悟を求められる。それは、死刑執行命令書の決裁である。赤鉛筆で自署するといわれている。刑事訴訟法475条1項「死刑の執行は、法務大臣の命令による」。同2項「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、…再審の請求…がされその手続が終了するまでの期間…は、これをその期間に算入しない」。同476条「法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない」。判決確定から「6箇月以内に」執行されるケースはほとんどないが、大臣の執行命令が出れば「5日以内に」確実に執行されてきた。

  歴代の法務大臣で、死刑執行命令書に署名しなかった大臣がいた。有名なところでは赤間文三(1967年11月~1968年11月)。「勘弁してくれ。今度、俺にお迎えがきたらどうする」といって拒否したといわれている。左藤恵(1990年12月~1991年11月)は浄土真宗の僧侶で、その立場から署名しなかった。杉浦正健(2005年10月~2006年9月)は真宗大谷派の信者で死刑廃止論者で、事務当局と対立した。
   逆に、田中伊三次(1966年12月~1967年11月)は、67年10月、新聞記者を集めて、23人もの死刑執行命令書に署名した。一部新聞が決裁する姿を写真入りで紹介し、批判をよんだ。また、後藤田正晴(1992年12月~1993年8月)は、3年4カ月も死刑執行がなく、日本も事実上の死刑廃止国に向かうのではとみられていた矢先、「法相が個人的な思想・信条・宗教観で死刑を執行しないのは間違いだ。それならば法相の職を辞するべきだ」といって、3人の死刑執行を命令。そのうちの1人は再審請求中だった。

  「友だちの友だちがアルカイダ」という鳩山邦夫法務大臣が、新聞で「死に神」と書かれたとして怒っている。『朝日新聞』6月18日付夕刊一面の「素粒子」欄に、《永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神》と書かれた。《永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限まで緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様》にかけて、《永世○○……○○神》というトーンでつなぐため、「死に神」という物騒な言葉が選ばれたようである。

  いま、事実上の廃止国を含め、死刑を執行していない国は135カ国にのぼる。EU諸国は、死刑を執行する国との貿易制限などもちらつかせている。全米50州のうちで、死刑を存置しているのは36州だが、近年の注目すべき動きとして、死刑の執行を一時的に停止する州が出てきていることである。2007年に死刑を執行したのは10州にすぎない。中国も、オリンピックを前にして、表向きの死刑執行数の減少だけでなく、執行方法においても(銃殺から薬物注射へ)、執行の速度(即時執行から執行停止へ)においても、死刑に対して抑制的な傾向がうかがえる(情報公開が不十分であり、過大評価はできないが)。韓国が事実上の死刑廃止国に向かっていることはすでに触れた。国連総会で「死刑執行停止決議」が可決されてから、6月18日で半年が経過した。

  そうしたなかで日本は、死刑執行において突出した印象を世界に与えている。安倍内閣の長勢甚遠と安倍・福田両内閣にまたがる鳩山邦夫の二人がとにかく「目立つ」のである。第二次橋本内閣の下稲葉耕吉から小泉内閣の杉浦正健(執行ゼロ)までの10人の法相による死刑執行数は22人。これに対し、安倍内閣の長勢(10人)と鳩山(13人)の2人だけで、すでにそれを上回っている。鳩山法相が、「ベルトコンベア」発言や処刑者の氏名公表など、死刑執行に関して饒舌であることも、日本が死刑について妙に積極的であるというイメージを強めている。その点を「素粒子」は「永世死刑執行人」と形容したのだろう。私は「素粒子」の表現が適切であるとは思わない。だが、それよりも、死刑執行命令を出す法相の発言の軽さに違和感を覚えた。

  『週刊朝日』5月2日号の法相インタビューを読んで、こういう人物が法相になって、実務の現場は大変だと思った。東京拘置所の処刑場にはカーテンが引かれていて、検察官や拘置所長などの立会人が見なくてすむようにしてあったのだが、鳩山法相の命令でこれがなくなった。「[2007年]12月の執行のときにはカーテンがありました。しかし、2月の執行のときには私が取り外させました。『ちゃんと見ろ』ということです」と。記者が、「ご自身が立ち会うことはお考えですか」と問うと、「どうかなあ。立ち会ってもいいけれど、それでどうなるかなあ」と答えている。現職法相の言葉としては、あまりにも軽くはないか。「ちゃんと見ろ」というのはどういう意味だろうか。

  鳩山法相は、2カ月おきに死刑を執行している。6月は連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚である。世間は驚いた。死刑確定から8年が執行の「相場」とされてきた。鳩山法相はそれを破り、2年4カ月の宮崎死刑囚の処刑を命令した。宮崎死刑囚については、一審の精神鑑定でも、(1)責任能力あり、(2)多重人格を含む精神病で責任能力は限定的、(3)統合失調症で心神耗弱という三つに分かれた。事件について、まったく反省の言葉はなかった。宮崎死刑囚の執行を急ぐ理由はあったのだろうか。

  一般に、冤罪の可能性が残る死刑囚や再審を申し立てている場合は、執行は後回しになる傾向が強い。組織犯罪の場合も、逃亡犯や未確定囚がいるため、後の裁判で証言が必要になる可能性があるということで、これも後回しに。だが、鳩山法相が死刑囚の名前を発表するようにしたので、処刑の順番を予測することが可能になってきた。そこで、弁護士から次々に再審請求が出されて、宮崎死刑囚より前に執行予定の死刑囚8人が執行できなくなり、宮崎死刑囚の執行が繰り上がったというのである(『週刊文春』6月26日号・鳩山邦夫衆院議員元秘書の上杉隆取材による)。
   歴代法務大臣は、死刑執行について、事務方と細かく打ち合わせすることはなかった。鳩山法相は、執行の予定者などについて入念に相談しているようである。昨年12月から、今年の2、4、6月と、2カ月おき に 執行を続け、「ベルトコンベア」方式を自ら実践している。彼は、死刑囚の「著名度」も考慮に入れ、話題性を狙ったということはないか。このままでいくと、想像したくないことだが、この8月には、サリン事件などに関わる大物の処刑で、この人は法相としての最後を飾ろうとするのではないか。前述したように、組織犯罪のケースでは処刑は後回しの傾向にあるが、鳩山法相の命令は誰も止められない。蝶の標本が趣味であるこの法相が、珍しい蝶を採集したいという思考回路と同じと言えば言い過ぎだが、最も有名な死刑囚の執行を命令しないと誰が言い切れるだろうか。大いに心配である。

  「友だちの友だちは裁判員」という時代が間もなく始まろうとしている。鳩山法相は、「サイバンインコ」の着ぐるみに入って、そのPRの先頭に立っている(5月23日法務省にて、産経6月3日)。この法相がそこまで熱心に宣伝する裁判員制度に、ますます危惧の念を深める今日この頃である。

(文中・敬称略)

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