「平成の農地改革」で失われるもの 2009年7月13日

は地方の大学に12年間勤務したが、移動はもっぱら車だった。

特に広島大学西条キャンパス周辺は典型的な農村地帯だった(写真は広島大学のサイトより引用)。午後の授業がないときは、車を畑や水田の畦道にとめて、「広島菜弁当」を食べる。これが実にうまかった。NHKラジオのニュースに続いて、「昼のいこい」のテーマ音楽が車内に流れる。周囲の田園風景とマッチして、心がなごむ。アナウンサーの口調もどこかゆったりしている。「○○農林水産通信員からのお便りです。田植えの季節を迎え、村の人々は…」といった、農村の日常風景が紹介される。農村・漁村の普通の人々が自分たちの身の回りの出来事を伝えてくる。合間に歌謡曲やポピュラー音楽が流されるが、どの曲も適当なところで音がしぼられ、必ずこの番組のテーマ音楽につなげられる。それにのって、各地方からのお便り紹介は続く。アナウンサーのしゃべりでつなぐのでなく、テーマ音楽と地方のお便り紹介、その合間に軽音楽。この「かけ合い」が何とも心地よかった。

東京の今の職場にきてからは、ほとんど聴く機会はなくなっていたが、最近、たまたま高速を走っているときに、このメロディに接した。「懐かしい〜!」と思ったが、「農林水産通信員」は「ふるさと通信員」に変わっていた。そして、驚いたことに、通信員のお便り紹介は1本程度と短く、すぐに東京のスタジオにマイクがふられたのだ。アナウンサーのしゃべりがやたら多く、テンポも都会的。あの田園の空気はすっかりなくなっていた。何とも寂しい気持ちになった。「昼のいこい」は「ここはふるさと旅するラジオ」の一部に組み込まれたようで、かつて私が味わった田園気分の世界はほんの一瞬で終わってしまった。

私の知らない間に「昼のいこい」のいわば「都会化」が進行する一方で、農地についての法的枠組も大きく変化していた。

2009年6月17日、参議院で可決・成立した改正農地法。海賊対処法臓器移植法改正などの影に隠れて、一般にはほとんど知られておらず、メディアの注目度も格段に低い。だが、一国の農業の発展方向との関わりでは、この改正法はきわめて重要な意味をもつ。戦後改革の一環としての「農地改革」以来の大転換といってよいだろう。

どこが、どう変わったのだろうか。まず農地法の目的(1条)は改正前こうだった。「この法律は、農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認めて、耕作者の農地の取得を促進し、及びその権利を保護し、並びに土地の農業上の効率的な利用を図るためその利用関係を調整し、もつて耕作者の地位の安定と農業生産力の増進とを図ることを目的とする」。

考えてみれば、「農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認め」というのは不思議な文言である。「みずから」という言葉の背後には、小作人制度、いわゆる半封建的土地所有制度を改革して、自作農を創出することが戦後改革の柱の一つ、農地改革の理念が息づいている。小作人から小作料を取り立てる「不在地主」は認めない。「自作農創設特別措置法」はその法的表現だった。そして、農地法が「最も適当」として原則化したのが「農地耕作者主義」であった。

改正農地法は、1条(目的)からこの部分をバッサリ削除して、こういう文言になっている。すなわち、「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であることにかんがみ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する者による農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする」と。

「耕作者」ではなく、「農地を効率的に利用する者」の農地に関する権利取得の促進である。この場合の「権利」は多様な内容が想定されている。また、「農地について権利を有する者」は、「所有権又は賃借権その他の使用及び収益を目的とする権利を有する者」という形に広げられた(改正法2条の2)。

農地及び採草牧草地について、また権利移動や転用制限についても、かなり緩和している。具体的には、所有権の移転・取得には従来通りの規制をかけるが、賃貸による利用権(広義の使用収益権)の設定・取得については、規制を大幅に緩和した(改正法3条3項)。個人であれ、法人であれ、誰でも、いつでも、どこでも、誰とでも農地を自由に借りて農業をやれるようになるわけである。

「農作業に常時従事する」という要件も、賃貸である借地農業経営者に関する限り、一切不要となる。「不在地主」を禁じ、自作農を促進する農地改革のコンセプトがよく出た条文だが、賃貸で企業が農業経営をする場合には、農地法上の規制はかなり緩和されている。かくして「農地耕作者主義の原則」は否定されていく。こうした先には、「農民」はもはや存在しなくなるのだろうか。

農地の「所有」と「利用」の分離。利用についての経営形態は原則自由。こういう仕組みの導入は、何をもたらすのだろうか。

原田純孝氏(中央大学教授)によれば、この規制緩和の問題性は次のようである。まず、農地の「所有」についての厳しい規制についても、農地の「利用」について緩和した以上、同じように緩和すべきだという議論が「ほどなく登場してくるであろう」ということがある。生産・価格の調整政策、減反、所得安定策といった、膨大な税金を使った農業「保護」施策があるが、農地を「所有」から「利用」に転換することが、これらの政策といかなる関係になるのか、不明である。

原田氏が指摘する次の問題は、「所有から利用へ」が、農地を個人・法人を問わず、誰でも、どこでも、相対で自由に農地を借りて農業をやれるようにしたということである。農地所有者からすれば、農地を自由に貸し出すことができるようになる。農地は「土地商品」となり、短期の定期賃借権=農用地利用権となるわけである。

さらに、会社たる農業生産法人は、特別の要件規制に服している。これを一般の株式会社と同じようにしていく。遠からず、農業活動をする一般法人には、所有権の取得も認めるべきだということに帰着するだろう、と。

農業分野における「官から民へ」的な動きは、郵政民営化などよりは若干遅れたが、本質は共通である。『読売新聞』6月28日付社説「農業再生の第一歩となれば」は、農地法改正を「平成農地改革」と位置づけ、手放しの絶賛である。だが、農地制度の軸足を「所有」から「利用」に移したことが、なぜ農業の衰退に歯止めをかけることになるのか。このあたりの説明がほとんどない。

「自作農主義」から、農地の賃借を原則自由とし、企業の農業への参入規制を緩和する。企業が借りられる農地はこれまでは耕作放棄地などに限定されていたが、今後は優良農地も借りられる。最長20年だった賃借期間も50年に延長された。貸し出された農地の集約事業化も進められ、機械化による「効率経営」が行われる。

思うに、農業とは「土との対話」「自然との交流」を通じて、人の生命を維持する栄養源を確保するすばらしい営みである。その担い手は、農地や農作物ついての知識と経験をもったプロフェッショナルである農民である。彼らは農地についての「地識人」である。農地からとれる収穫物には、農地の耕作者であり、かつ所有者である農民の愛情が注がれている。農地に対しては「常勤」の農民が関わってこそ、そうした関係も深まっていく。それを「非常駐」でもよしとし、「派遣」型も導入して、結局、雇用の世界で起きた規制緩和の弊害が繰り返されていくのではないか。

この法律は6月16日の参議院農林水産委員会で採決された。衆議院での審議時間はわずか17時間。参議院でも、戦後農地改革の到達点に手をつける重大な転換が、短期間で採決されたわけである。反対したのは、紙智子委員(共産)のみ。国会会議録検索システムから、「平成21年6月16日・参議院・農林水産委員会」を検索すれば、その画面の228番で発言が読める。附帯決議が13項目も付けられた(同じ画面で231番をクリック)。高橋千秋委員[民主]の発言を参照)。残された課題が多いということは、それだけ、性急に手を付けてはならない問題、もっと熟議すべき問題がそこにあったということではないか。

私は農業問題、農業法の専門家ではないが、その私が今回の農地法改正について危惧するのは、巨大企業という新たな「不在地主」が生み出され、戦後の農地改革の到達点が崩されるのではないかという点である。規制緩和は、あらたな「寄生緩和」にならないか。その先には、憲法改正による「戦後の総決算」の完了が待ち受けている。

長年にわたって維持してきた「農地耕作者主義」から転換することで、日本農業が失うものは、私たちが想像する以上に大きいのではないか。偶然だが、NHKラジオ「昼のいこい」の変化は、この農村の変容を暗示しているようにも思う。

なお、本稿は、原田純孝「農地所有権論の現在と農地制度のゆくえ」戒能通厚・原田純孝・広渡清吾編『渡辺洋三先生追悼論集・日本社会と法律学——歴史、現状、展望』(日本評論社、2009年)443-470頁を参考にした。

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