尖閣の切手とビデオ 2010年11月15日

手業者から米軍統治下の琉球郵便切手を入手した。1972年4月14日発行の5セント切手。沖縄返還の直前、表向きは海洋シリーズ第3集『海鳥と海と島』として発行されたものである。 図柄には9羽のアホウ鳥が見て取れるが 、これにはある思いが込められていた。そのことについて、尖閣諸島文献資料編纂会編『尖閣研究――高良学術調査団資料集』下巻(データム・レキオス〔那覇市〕、2007年)に以下のような記述がある。 現物は未確認だが、Okitom氏のブログ から要約・修正して紹介する。

――アホウ鳥は絶滅したと考えられていた1971年。琉球大学調査団が尖閣諸島の南小島でアホウ鳥が棲息しているのを発見した。地球上で小笠原の鳥島と尖閣諸島だけにしか棲息せず、これは日本復帰前の沖縄にとって大朗報だった。当時、米国統治下の沖縄では、琉球政府1972年5月15日の復帰の日で琉球政府は消滅、琉球切手も消滅する。アホウ鳥はその幕引きを飾るに相応しく、琉球政府郵政庁が発行を企画したが、当時は復帰直前で、日米両政府とも尖閣問題で神経過敏だった。そこで海洋シリーズ内3集「海鳥と海と島」のテーマでカモフラージュして、米国の審査をパスさせた。原画のデザインは琉球大学教授の安次富長昭画伯によるもので、南小島の断崖の岩肌は南小島の写真を参考にし、アホウ鳥は、航海中に甲板に飛来して捕獲され、剥製にされたものを参考にして描いたという。

 アホウ鳥と海・断崖を組み合わせた何気ない構図のなかにも、上記のような事情が隠されていたわけである。詳しい経緯は、國吉真古「幻の尖閣切手発行顛末〜海洋シリーズ第三集 『海と海鳥と島』」に詳しい 。なお、当時の日本政府(外務省)の「干渉」については、 『琉球新報』2010年11月1日付「論壇」の屋良朝助氏の一文が興味深い 。もともとこの切手は、尖閣諸島・魚釣島の「地図切手」として発行される予定であった。

「…琉球政府は尖閣諸島の一つ魚釣島の地図切手の発行を計画し、大蔵省印刷局に印刷を依頼した。その地図切手が琉球政府郵政庁に発送される段階で、外務省の知ることになり『中国や台湾などを刺激する』として、その使用禁止を強く迫ってきた。結局、外務省の圧力で琉球政府は発行を断念した。当時はアメリカ支配下の琉球政府だったので、日本政府が口出しすることは“内政干渉”に当たるのだが、外務省は強引に発行停止を迫ってきた。地図切手はその国の領土であることを明確に意思表示する手段として使われてきた。地図切手の発行の末、イギリスとアルゼンチンの間で起こったのがフォークランド紛争である。小さな切手だが、その発行をめぐって戦争に発展した事例は多い」。

 切手発行から38年。アホウ鳥が棲息するこの美しい島が、対立の焦点となっている。 9月7日に起きた中国「漁船」衝突事件 はその後、衝突場面を撮影したビデオ映像のネット流出へと発展し、混迷を深めている。政府の対応は「チルダイ」(沖縄方言で「脱力する」)の連続である。

 尖閣ビデオの流出を真先に報じたのは『読売新聞』11月5日付だった。後に流出者とおぼしき人物が大阪・読売テレビに「タレ込み」をしたことがわかったから、読売先行は当然のことだろう。1日遅れで6日付『産経新聞』1面トップには、「統制力なき政府 自壊寸前」「これは倒閣運動だ」という厭味たっぷりの見出しが踊った。

10日になって、5管(神戸)所属の43歳の海上保安官が、映像を流出させたことを認めた。政府が映像を国民の目から隠していることに「義憤」を感じて、あえて流出させた英雄のように持ち上げる向きもあったが、本人の言動がどうも要領を得ない。この人物の単独行動なのか、背後関係があるのか。目下のところ明らかになっていない。

この海上保安官は日本テレビ記者の取材に対して、「国民は映像を見る権利がある」と語ったという。『東京新聞』はこれを伝える記事の見出しに、「国民に見る権利」という見出しを打った(同紙2010年11月11日付)。「知る権利」ではなく「見る権利」か。

 尖閣諸島において中国「漁船」が巡視船に衝突した事件は、当初の扱いを間違えなければ、それこそ「粛々と」処理することが可能だった。それを困難にした最大の原因は、直接的には、前原誠司・前国土交通大臣の軽挙にあると考えている。衝突事件の後、前原大臣は、石垣海上保安部の現場にまででかけ、 巡視船「みずき」の衝突箇所を視察している 。大臣が「最前線」にまで来たということは、現場は中国「漁船」船長逮捕・起訴への「ゴーサイン」ととる。にもかかわらず、彼はその翌日に外相に就任。海保は、はしごを思いっきり外された(同種のはしご外しは、八ツ場ダム問題、日航問題など、枚挙の暇がない)。 その後の政府の対応は、すでに直言で指摘したような迷走ぶりである

 ビデオを公開するタイミングはあったのに、それをことごとく外して、ネット流出という最悪の結末となった。前原前国交大臣の「根拠のない自信」(偽メール問題で 民主党代表辞任は有名 )に振り回されて、海保の現場の士気はかなり下がったようである。しかし、だからといって、ネット流出という方法を、「国民の見る権利」に奉仕する行動として評価することができるだろうか。「義憤」にかられた内部告発の行動として持ち上げることができるだろうか。

 YouTubeへの投稿という手法は、情報の垂れ流しである。もし、彼が本気でこのビデオを公開して、国民に問題の所在を訴えようと思ったのなら、テレビの報道部門か、新聞社の社会部にビデオ映像を見せて、メディアの取材の裏付けを得て、公開させるべきだった。保安官は「取材源の秘匿」で守られるだろう。もっとも、近年メディアの劣化が著しく、かつてのような信頼感が失われていたことがあるのかもしれない。いずれにせよ、すぐにネットに流すという安易で簡易な方法により、問題の本質から離れていくことになった。

 今回の主役は海上保安庁である。国土交通省(旧・運輸省)の外局で、職員数は1万2000人。全国を11の管区に分けて、 「海上において、人命及び財産を保護し、並びに法律の違反を予防し、及び鎮圧する」組織である(海保法1) 。「鎮圧」のために、 巡視船には機関砲(最大で40ミリ。大型PLHには35ミリ連装機関砲)も搭載されている 「不審船」事件では実際に使用された 。5管には「特殊警備隊」(SST)も置かれ、 海賊対処に使われている 。言うなれば、警察と自衛隊に次ぐ、日本有数の実力組織である。その構成員である公務員が政府に向かって「刃」を向ける。不甲斐ない、すっからかんの政府であることは自明であるが、 そのやり方には「危ない空気」を感じる

私の研究室には、 いろいろな海保グッズがある マスコット人形もその一つ この写真 は、「灯台記念日」(11月1日)に那覇の第11管区海上保安本部が配布した広報用パンフレットである。現場は命懸けで任務に就いている。きちんとした説明ができず、ひたすら自己保身に走る大臣やトップの言動に、現場は「チルダイ」(脱力)していることだろう。

 今後、海上保安官の行為が、国家公務員法100条1項の「秘密」に該当するかが問われてくるだろう。 ここでは結論だけ言っておくが、ここでいう「秘密」とは、最高裁第2小法廷の1977年12月19日決定がいうように、「非公知の事項であつて、実質的にもそれを秘密として保護に値すると認められるべきもの」と考えるべきだろう。ただ単に国家機関がマル秘の印を押しただけでは足りない。 この観点は、半年後の1978年5月31日に最高裁第1小法廷が出した判決でもとられている。こうした判例の流れからすれば、「尖閣ビデオ」は、国会で多くの議員が見ており、 すでに「非公知」性を欠いていると解される。秘密として保護する実質も失っていると言えるだろう。今回の「尖閣ビデオ」は、国家公務員法100条1項にいう「秘密」にはあたらないと考えるべきである。10月18日以降、政府が秘密扱いをしたから、それ以降、実質的に秘密になったという見方もできなくはないが、9月7日から10月17日の間に、ビデオ映像は海保の各所で見られたり、ダウンロードされたりしている以上、「非公知」性は喪失したと見るのが自然だろう。

 むしろ、この「尖閣ビデオ」問題よりも、このところメディアの扱いが妙に小さくなっている、警視庁公安部の資料流出(故意の可能性が高い)問題の方が深刻である。この問題も、「尖閣ビデオ」問題と深部においてつながっている。「ドサクサ」に紛れて、戦後一貫して制定できないできた包括的な秘密保護法制を一気に実現しようという動きが出てきているので、要注意である。そして、混乱と迷走のなかから、 「次期首相にふさわしい人」のトップに前原外相 という世論調査(時事通信社)結果が出た( 時事通信、11月12日 )。「楽しみにしていてください」(偽メール問題の際の前原民主党代表〔当時〕の軽口)。もはや悪夢である。

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