1通のメールと1個のメダル  2006年3月6日

月半ば以降、この国は、「メール」と「メダル」の話題一色だった。
  
2月16日、衆議院予算委員会で、民主党・永田寿康議員が、自民党・武部勤幹事長の息子の口座に「ホリエモン」から3000万円が振り込まれたという疑惑を、1通のメールを使って追及した。この質問は、私が今までみたこともないような、危なっかしいものだった。国会中継を意識的にみるようになって35年。ハラハラ、ドキドキさせられた劇的な追及劇がいくつも脳裏に蘇る。だが、16日の質問の決め手は「1通のメール」だけ。電子メールというもの怪しさ、危なさは折り込みずみのはずなのだが、メールのみ依拠した追及はすぐに「ネタ切れ」になり、政府側はビクともしなかった。衆院の筆頭委員会での、野党第一党の質問にしてはあまりにお粗末だった。その後の展開は、ここに再現するのも情けないので、省略させていただく。

  国会で解明すべき課題はたくさんあった。特に「4点セット」(ライブドア耐震強度偽装、BSE、防衛施設庁談合)はいずれも、この国の政治・経済・社会の根幹にかかわる大問題ばかりである。米軍再編と、基地利権と談合という、リンクのさせ方では、米国にとっても重大な問題に発展する可能性をもっていた。野党の攻め方と世論の展開しだいでは、小泉内閣の存続にも関わる、まさに「2月危機」だったのである。だが、小泉純一郎という人は悪魔的な運のよさをもっているらしく、この「1通のメール」で救われた。伊藤元国土庁長官の耐震偽装問題での関与などは新聞の片隅へ、ライブドア問題での武部幹事長や竹中大臣の責任問題も消えてしまった。武部氏に至っては、よくもまぁここまで威丈高になれるなというほどの、180度逆転のパフォーマンスである。

  永田氏や前原誠司代表ら民主党側の失点続きの1週間で、ダウナームードの23日、それこそ目のさめるようなニュースがトリノから飛び込んできた。午前中のワイドショーは「1通のメール」が延々とやられ、夜のニュースもこれがトップというなか、トリノ冬季五輪の放映は深夜から早朝にかけてである。国民の関心はいきおい深夜に向かった。あのままメダルゼロという事態で冬季五輪が終われば、「深夜のフラストレーション」は昼間の政治への怒りに連動しかねなかっただろう。そんなタイミングで、フィギュア女子シングルで荒川静香さんが金メダルを獲得したのである。村主章枝さんも健闘し、4位入賞を果たした。トリノ冬季五輪で日本が獲得したメダルはこれ1個だった。
  
オリンピックといって思い出すのは、1964年の東京オリンピック。マラソンの応援を甲州街道の沿道でやり、エチオピアのアベベ選手(優勝)と円谷選手(3位)をこの目でみて興奮した記憶がある。ただ、その後、「国旗」「国歌」が前面に出るオリンピックに何十年も距離をとってきた。しかし、今回のフィギュア女子はメダルや国の枠を超えて、純粋に感動した。関連する番組をハシゴした。これは私の人生では珍しいことである。とにかく荒川さんの演技はすごかった。鳥肌がたった。村主さんの1 年後輩で、早大教育学部社会科社会科学専修の出身。経済学、政治学、法律学、新聞学、放送学、社会学の6系統からなる社会科学系ゼミ(3、4年各4単位必修)に所属し、「スポーツとマスコミに関する考察」という卒論(6単位)を完成させて卒業している。二人とも2002年度小野梓スポーツ賞を受賞している。私も28年前に小野梓学術賞をもらっているので身近に感じた。
  
荒川さんの快挙は、同時期の「メール問題」のイライラを吹き飛ばすような「カタルシス」(浄化)の役割を果たしたように思う。テレビも一気に明るくなり、彼女の見事な演技を繰り返し、繰り返し流した。音楽好きの私としては、誰かさんと同じ意見で、「選曲がよかった」と思う。音楽と演技が見事にマッチし、3回転3回や「イナバウアー」のときは曲の自然な流れに乗っていた。今回初めて知った彼女の生きざまや、質問に答える態度、その内容がまたいい。「スケート靴を持たない旅行をしたい」。28日に帰国した際の記者会見の「かっこいい」一言には、正直まいった。

  にわか荒川ファンになってしまった私が感心したシーンは、24日に小泉首相が電話をしてきた際の彼女の応対である。首相が「『トゥーランドット』の選曲もよかったね。私もあのオペラ好きなんですよ」と上機嫌で話すのを、淡々と受け流していた。小泉首相は自身のメールマガジン224号(3月2日付「らいおんはーと」)でも、「選曲がよかった」と繰り返している。それにしても荒川さんは落ちついている。電話のやりとりをみても、目を潤ませ「お仕え申し上げます」と首相にルンルン従う元大学教授の某大臣とは大違いである。この元教授大臣の半分の年齢の荒川さんの方が、ずっと大人にみえた。マスコミに対しても、権力者に対しても一歩距離をとる落ち着きとゆとりは彼女の性格にもよるのだろうが、大学時代にしっかりと社会科学を学んだことも影響しているように思う。
  
学生時代に荒川さんも学んだであろうマックス・ウェーバー『職業としての政治』(岩波文庫、脇圭平訳)にこういう一文がある。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫く作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ない…」。権力者の不正や腐敗を、野党が資料と論理で追及する。永田氏が挑んだ問題は、とてつもない重要な問題である。100パーセント明らかな証拠がなければ国会質問ができないなどということはない。政治家の不正や疑惑を国会で取り上げることは間違ってはいない。ただ、彼の質問はあまりに稚拙で、ワキの甘いものだった。政治家の疑惑を質問・追及すること自体が悪いことのように居直られ、尻尾も巻かずに姿を消した。「金で魂を売るのか」とまで断罪したのに、である。議員が院内での発言の責任を院外で問われないという免責特権に関する憲法51条ですら、永田氏のような議員をみていると情けなくなる。古賀潤一郎代議士が学歴詐称で辞職したが、永田議員はこれの比ではないだろう
  前記『職業としての政治』の末尾には、政治家の資質としてよく引用される、次のような言葉がある。「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』(Beruf) を持つ」と。
  政治を志すものは、それなりの覚悟と責任を伴う。覚悟のない者はなってはいけないし、覚悟がなくなったときは辞めなければならない。「天職」として政治を選択したとは到底いえないような言動が、2月後半以来、マスコミを通じて直接、いやというほど流された。民主党執行部の対応をみていると、政党の体をなしていない。失態、醜態、媚態、じれったいをみせつけられた。与党の側も、偉そうにできるのかといいたい失態続きなのに、「1通のメール」で逆転した。
  
こうしたなかで、最も傷ついたものは何か。それは国会そのものだと思う。何よりも、国会の場で使われてもよいのだろうかというような「言葉」が飛び交った。

  政治家は言葉が命である。山田洋次監督「男はつらいよフーテンの寅」のなかに、寅さんの名台詞がいろいろとある。そのなかで一番有名なのが、「それを言っちゃぁ、おしめぇよ」だろう。寅さんがこの台詞をはいて、「とらや」を出ていく。観客がドッと笑っても、寅さんにとってはギリギリの誇りや「尊厳」を傷つけられるような言葉というものがある。その耐えがたい一言への抗議として、この言葉は使われる。笑ってしまったあとに、寅さんの憤然とした顔をみながら、なぜそんなに怒っているのかを聴衆はちょっと考える。
  悪事をはたらいた子どもに向かって、母親が、「何ということをしてくれたの。あなたなんか、産むんじゃなかったわ」といったらどうだろう。時に、内閣総理大臣が、「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、今、私に聞かれたって分かるわけがないでしょう」と答弁した。ここまでの無責任、居直り答弁はかつてなかった。
  今回の「メール問題」はその出発点から、「それを言っちゃぁ…」という言葉の応酬だった。政治家の器も幅も品格も小さくなってきたこともあるだろうが、それにしても、である。端的にいえば、「業界用語」が公的言説空間で無神経に使われるようになった。

  永田議員は予算委員会の質問のなかでも、その後の記者会見、テレビインタビューのなかでも、「ネタ元」という言葉を使い続けた。このことに私は最初から違和感を覚えた。非公式な場所で、「ネタ元はあかせない」という言い方をする。これはマスコミ関係者の特殊な用語、業界用語である。だが、公的な場で、あるいは記者会見で、情報提供者本人もテレビでみられるような状況のなかで、その人に対して「ネタ元」という言葉を無神経に使う。16日の最初の質問のときに、私はこれはもうだめだと思った。むしろ自民党の国対副委員長が「情報提供者」というまっとうな言葉に言い換えていたのが常識だろう。もちろん、この「ネタ元」のフリー記者は怪しい人物らしいが、ここでの問題ではない。
  
怪しげな「ネタ元」をもとにしたお粗末質問に対して、小泉首相は即座に「ガセネタ」という言葉で応酬した。「ガセネタ」とはテキ屋・香具師の隠語で、ニセモノなのに「お騒がせな」の「がせ」に由来する言葉といわれている(『毎日新聞』2月28日付夕刊・牧太郎コラム)。公の場における言葉の荒廃を感じる。
  
編集者が部内の会議で執筆者を決めるとき、「使う」という言葉を使うが、若い編集者が筆者本人に向かって、「次号の特集で先生を使うことになりました。よろしくお願いします」といったらどうだろうか。思わずムッとする言葉づかいが、当たり前のようになっていくのはこわい。「一般社会の業界化」のあらわれだろうか。ヤクザ用語や警察用語の一般化もすごい。“Razzia”という言葉の一番の適訳は「ガサ入れ」である。警察による捜索であるが、その昔から運動団体の人は「ガサ入れ」という言葉を使う。これも「業界用語」の一般化だろう。永田議員が「入院」先から謝罪の記者会見に臨んだときは、一言も「ネタ元」という言葉を使わなかった。情報を提供してくれた人という言い方だったと思う。少しは成長したのだろうか。

  だが、「業界用語」の情けない応酬だけでなく、国会(憲法)の言葉で今回最も傷ついたのは、国政調査権そのものだろう。「1通のメール」をめぐるやりとりのなかで、民主党前原代表は「国政調査権の発動」という言葉を一貫して使い続けた。「国民は理解できない。もっとやさしくいうべきだ」と、司会の“みのもんた”さんが盛んにテレビでいっていたが、謝罪会見のあと、民主党は「国政調査権発動の要求を撤回する」といってしまった。
  
憲法62条は、衆参両議院が、議院の権能として、「国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と定めている。17世紀英国議会に起源を有し、フランスやドイツ、ベルギーなどのヨーロッパ諸国の議会にも採用され、大統領制を採用する米国の議会でも広く認められてきたものである。日本では、さまざまな疑獄事件や重要な事件について、調査委員会が設けられたり、証人喚問が行われてきたりした。警察・検察の捜査とは別個に、議会が調査委員会を設けて調査するという仕組みは民主国家にとってはきわめて意味がある。捜査は密室だが、議会の調査委員会の模様はマスコミを通じて国民に伝えられる。
  
詳しくは立ち入れないが、国政調査権の本質や限界など、憲法学上、さまざまな論点がある。国政調査権は議院の他の諸権限を補助・補完するための権能であり、立法機関としての国会の権限の及ばない事柄については調査権は及ばないと解されている(補助権能説)。検察との並行調査の問題は悩ましい問題である。起訴・不起訴や、起訴事件の中身に直接関連のある調査などはできないなどの一定の限界が主張されている。また、プライバシー権など市民の人権保障との関係で問題になったケースもある。ただ、国権の最高機関としての国会が、国政上の重要な事柄に関して調査を行うことの意義は小さくなく、限界を極大化して抑制にまわるよりも、実際の運用をもっと活発化してそれを発展させていくことが求められる。

  刑事責任の問題では、「疑わしきは被疑者・被告人の利益」が原則であり、政治家も捜査権力との関係ではこの原則が妥当するが、政治家が疑惑をかけられ、政治責任を問われるような場合には、「疑わしきは政治家の不利益に」(杉原泰雄『国民代表の政治責任』岩波新書)を原則とすべきだろう。だから、昨年8月は、自民党幹事長と「ホリエモン」との異様ともみえる親密な関係があったわけで、疑惑に対して追及するのは当然のことである。だが、民主党は「国政調査権の発動」という表現でもって、議院ができることを抽象的にボカしてしまった。これは失策である。
  
国政調査権行使の方法を具体に定めたものとして、議院証言法がある。正式には、「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」(1947年12月23日、法律第225号)という。その1条には、「各議院から、議案その他の審査又は国政に関する調査のため、証人として出頭及び証言又は書類の提出を求められたときは、この法律に別段の定めのある場合を除いて、何人でも、これに応じなければならない」とある。証人としての不出頭や証言拒絶、要求された書類を提出しないときは、1年以下の禁錮又は10万円以下の罰金に処せられる(同法7条)。証人喚問はよく知られているが、今回の場合は、「書類の提出」がポイントになる。議院運営委員会で議論して、「書類の提出」を求める決定をして、議長名で提出要請を当事者に行う。大仰なことではなく、これまでもさまざまな形でやられてきたことである。

  ところが、今回、前原代表が「国政調査権の発動」云々という抽象的物言いでつっぱり続け、最終的に「国政調査権の発動を撤回する」という結論になった。資料提供をめぐる駆け引きの各論で細かく詰めていけば、政府・与党は相当苦しいところまでいったのに、「1通のメール」の真贋で大半の時間が費やされたため、結局、国民は、国政調査権という言葉のレヴェルでその「発動」と「撤回」をみせられただけ。中身は何も明らかにならないままに終わった。国民に、国政調査権が空虚なものに感じられてしまうという失点を重ねた。
  
2006年度予算は、多くの追及されるべき重要論点が触れられもしないままに、予算委員会であっけなく採決されてしまった。一体何をやっていたのか。いや、「1通のメール」問題は、あえていえば、「究極の目くらまし」だったとさえ思えてくる。

  民主党執行部は「メール問題」だけでなく、「4点セット」追及すべてに連動する重大な政治的失策を重ねた。前原代表は、辞任した野田佳彦国対委員長のかわりに、渡部恒三元衆院副議長という超大物を国対委員長に据えた。こんなひどい人事はない。「敬老の精神」がないというだけではない。普通の組織の論理と常識からすれば、最高顧問・国会元副議長の国体委員長というのは、ありえない人事である。もう一つ。竹下時代の渡部国会対策委員長のもとで国対副委員長をやっていたのが小泉現首相という「人脈」を使おうというのも安易すぎる。渡部氏の独特の人柄と語り口でマスコミは飛びつくだろうし、国会の面白みは少しは出てくるだろうが、これで民主党執行部の責任問題が「煙にまかれる」というのは望ましくない。前原代表の思想と体質への疑問はすでに指摘したことがある。今回の「メール問題」では、メールに確証のないまま、党首討論前日、薄笑いを浮かべて「お楽しみに」といってしまい、実際に何も出せなかったことをも含めて、この人の政治家としての資質に根本的疑問がある。民主党執行部は総退陣すべきである。

  「1通のメール」に始まった国会の迷走は、「1個の金メダル」に列島がわいている間に、06年度予算成立という形で、政府・与党圧倒的有利に終わろうとしている。
  
1個のメダル」はすばらしいが、あの「1通のメール」の方は一体何だったのだろうか。

トップページへ